星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

終活

私にとっての日々の聖書研究の主な目的は、父なる創造主(神)、主イエス・キリスト聖霊という三位一体の神との霊的な交流をすることです。

そして、最重要のテーマは、「死後の復活」と「永遠のいのち」です。

ただ、出来得れば、私を含めた全世界のキリスト者がこの地上で生きている間に主イエス・キリストによってえられて天に引きげられること(携挙・けいきょ)を目撃する祝福に与かることを希望します(全ては創造主の御心にお任せ致します)。

 

念の為、携挙の聖句を引用します。

テサロニケ人への手紙第一4:16~17

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<携挙について書いている過去ブログを未読の方は、↓こちらもご覧ください。 >

hoshishusaku.hatenablog.com

 

さて、本日のテーマに入ります。

人間にとって「死」は、話題にしたり、考えたくないタブー(禁句)だったはずですが、最近、「終活」という名のもとに人間の「死」がビジネス化して軽く扱われているような気がしているのは私だけでしょうか。

 

「終活」という名のもとに高齢者が断捨離をしたり、遺言や葬儀の準備をしたり、納棺の体験をしていたとしても、一人静かに死と対峙すれば、死をたやすく受け容れることができるわけではなく、心の声は「死にたくない」「生き続けたい」という願いのはずです。

無神論者であっても、現実に死が真近かに迫れば、心の奥底で「神様助けてください」と叫んでいるのではないでしょうか。

 

もしも「死」というものがなければ、人間が神の存在を真剣に考えたり、神を求めることもないのではないのか、と最近私は考えるようになりました。

 

ところで、私も「終活」をしています。

ただ、私のしている「終活」は、葬儀の準備や納棺の体験などではありません。

 

常に当ブログで書き続けているように、私はキリスト者として「死後の復活」と「永遠のいのち」を信じています。

 

私たちキリスト者の国籍は天にあり、この世に一時的で滞在している旅人であり寄留者です。

ピリピ人への手紙3:20~21

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ペテロの手紙第一2:11

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つまり、この世での役割を終えた肉体が土の塵に還る(つまり死)時は、本来の国籍である「天」に帰還することになるわけです。

そして、創造主(神)が定めた時が来れば、キリストと同じ「新しいからだ」を身に着けて復活をすることになります。

したがって、キリスト者にとっての死は全ての終わりではなく、全ての始まりなのです。

ですから、私の「終活」はこの世の旅人、寄留者として役目が肉体の死によって終わりに近づいて、国籍の天に帰還するための活動を毎日現在進行形でしていることを指すのです。

 この現在進行形でしている活動とは、冒頭で書いた聖書研究を通じて三位一体の神と霊的な交流をし、そして、主イエス・キリストの命令であるところの福音を一人でも多くの方に宣べ伝えることなのです(イエス大宣教命令・マタイの福音書28:19)。

 

本日のブログの終わりにイギリスのキリスト教の説教者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)の著書の一部を引用します。

「私は、自分の教会の会員の中で、死の時、わずかでも恐れや不安を示した人を一人も目にしたことがありません、彼らは恵みに満たされ、その最期の困難な時を乗り越えたのです。主イエスは痛みと死に勝利する力を彼らに与えてくださったのです。彼らは墓に行くよりもむしろ結婚式に行くかのようにこの世を去って行きました。もし信仰者の臨終に立ち会う機会が与えられるとすれば、あなたがもっているさまざまな疑いはすぐに取り除かれることでしょう。私には大きな謎があります。天における最初の五分間はいったいどんな様子なのでしょうか。天における数千年とはいったいどのような時間なのでしょうか。また、天における数万年とはいったいどのような時間なのでしょうか。肉体から一時切り離され魂は、主イエスの胸の中で完全に幸いな状態で休むことになるでしょう。しかし、時がくれば、よみがえりの時がやって来ます。今のこの体は完全な栄光の中で復活し、魂と体の再結合が起こります。そして、私たちはよみがえられた主と同じような状態にされるのです。やがてやって来る栄光の素晴らしさを想像すると、私の思いはその期待で膨らみます、」

 

C・H・スポルジョンについて知りたい方は下記のサイトをご覧ください。

チャールズ・スポルジョン - Wikipedia

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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見えないものを信じることが出来る歓び

本日のテーマに入ります。

 

ある宇宙飛行士が、遠い遠い遥か銀河の彼方に旅に出ました。

 

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そして、ある惑星に着陸すると、他の惑星と同様そこは岩石と砂だらけの不毛の土地で生命の痕跡を見ることはありませんでした。

何日か探検しているとある場所で信じられないものを発見したのです。

 

それは造花のバラでした。

 

そこで宇宙飛行士は、この造花のバラを造った知的生命体がこの惑星にいるはずだと、数か月、数年、数十年の間探しましたが、結局知的生命体と遭遇することは出来ませんでした。

 

ここで、皆さんに質問です。

このバラを造った知的生命体すなわち創造者などいるはずはなく、この惑星で何千万年、何億年の時の経過によって自然に存在するようになったと結論を出しますか?

 

もちろん、こんな結論を出す人は皆無のはずですネ。

 

しかし、この地球では、造花のバラよりも一層複雑な生花のバラが何千万年、何億年の時の経過によって「進化」によって自然に存在するようになったと考えている人達が残念ながら数多くいるのです。

 

聖書に啓示されている天地万物の創造主(神)を、私たち人間の眼で見ることは出来ません。

このブログを読んでいただいている方の中で、聖書には興味を持っていて神を見たら信じることが出来るけど、見たことがないので、まだ信じることができない、という方は、この見えない創造主(神)の御業の現われである(動植物の)被造物を見て、創造主(神)の存在に思いを巡らせてはどうでしょうか。

 

旧約聖書詩篇19:1をご覧ください。
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ノルウェーの神学校の教授だったオーレ・ハレスビー(1879年~1961年)は、著書「みことばの糧」の中で、この詩篇19:1に関して次のように書いています。

「人間が自然の中にも神を知ることができるようにと、神は創造のみわざの中に、神ご自身をあらわして下さいました。」

 

見ることの出来ない創造主(神)であっても、見ることのできる創造主(神)の御業である天地万物(被造物)を観察することにより、創造主(神)の存在を十分に信じることが出来ている今の私は、嘘偽りなく日々歓びを感じています。

 

キリスト者であった「万有引力の法則」を発見したアイザック・ニュートン(1643年~1727年)も自然の営み(天体・宇宙)を観察することによって創造主(神)の存在を認識した一人ですが、彼の著書「プリンキピア」で、彼が創造主(神)について述べている箇所を一部引用します。

「これらの物体(惑星および彗星)は、実にただ引力の法則のみによってその軌道を保っているのではあるが、これらの法則から、軌道の正規の位置を最初に自分で導きだし得たのでは決してなかった。・・・<一部省略>・・・このいとも美しい太陽、惑星、および彗星の体系は、智と力に満ちた存在者の計画からのみ生じうる。・・・<一部省略>・・・彼は永遠で無限、全能で全智である。すなわち、彼の持続は永遠から永遠にわたり、彼の存在は無限から無限に及ぶ。彼はすべての事物を支配し、およそ在るもの、また、なされうることを知る。・・・<一部省略>・・・至高の神が必然的に在すということは、すべてによって認められる。・・・<一部省略>・・・われわれは神の本質を知らない。われわれは彼を、彼のいとも賢く優れた事物の仕組みと究極因とによってのみ知る。」

 

1936年ニュートンの残した膨大な研究手稿集が競売にかけられ著名な経済学者ケインズ(1883年~1946年)がその半分を落札しました。

この手稿集の中には、「聖書に基づく歴史」に関するものが多数含まれていました。

そして、ケインズはこの手稿集を見てニュートンの「恐るべき秘密」を発見したと発言したというのです。

 

「恐るべき秘密」は、ニュートンが異端説の信奉者だというのです。

 

異端説とは「イエスは神ではなく、神の被造物にすぎない」というものです。

これはカトリックおよびプロテスタントともに信条としている「三位一体」を否定する神学です。

 

<「三位一体」について書いた下記の過去ブログを参照してください。>

hoshishusaku.hatenablog.com

 

何故、ニュートンは「三位一体」を否定する異端説を信奉していることを秘密にしていたのでしょうか。

 

このことについて東京大学名誉教授の渡辺正雄(1920年~)は、著書「科学者とキリスト教」で次のように書いています。

「ただ、残念に思われるのは、ニュートンの神学は三位一体の教義を認めない、正統的ではない神学であったということである。当時、もしもそのことが知られると、彼はケンブリッジ大学での教授の地位を追われることになったかもしれないし、50歳代の後半に就任した造幣局長官を免職されたかもしれない。そこでニュートンは、そういう異端的な神学思想を人々に知られないようにひたすら隠していたのである。」

 

因みに私は「異端」という言葉をあまり好ましく思っていません。

何故か、その理由については別の機会に当ブログで書く予定です。

 

アイザック・ニュートンをはじめ数多くの科学者も人間の眼で見ることのできない創造主(神)の存在を、天地万物(被造物)を観察することにより認めています。

一人でも多くの人が、一日も早く天地万物の創造主(神)の存在を確信し、主イエス・キリストへの信仰に導かれるよう、お祈りいたします。アーメン。

 

5月3日のブログ「一般啓示と特別啓示」を未読の方は、こちらもご覧いただけると幸いです。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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アメイジング・グレイス

 

奴隷、あるいは奴隷解放という言葉を耳にする時、皆さんは何を連想されるでしょうか。

ある人は、黒人を連想し、ある人は「奴隷解放の父」と呼ばれたアメリカのリンカーンを連想し、またある人はアメリカの黒人の公民権運動の象徴のキング牧師を連想するでしょう。

しかし、イギリスのウィリアム・ウィルバーフォースを連想する方は、そうざらにはいないのではないでしょうか。

ウィリアム・ウィルバーフォース(1759年~1833年)は、イギリスのキリスト者ですが、国会議員として奴隷売買反対運動の中心的人物として活動しました。

このウィリアム・ウィルバーフォースを主人公にした映画「アメイジング・グレイス」を最近レンタルショップでDVDを借りて観ました。

 

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映画では1807年に奴隷売買禁止法が成立するまでのウィリアム・ウィルバーフォースの活動を中心に、彼と親交のあった奴隷船の船長でもあった牧師のジョン・ニュートン(1725年~1807年)との関わりも描かれています。

ジョン・ニュートンは奴隷商人でもあった過去の己の罪を悔い改めて神の子として生まれ変わり、牧師となった彼が作詞したアメイジング・グレイスは、神の恵み(グレイス)を賛美する歌として世界中で親しまれています。

現在もキリスト者又はキリスト者ではない多くの歌手が唄っていますが、出来得れば聖書に啓示された創造主(神)に信仰を持つキリスト者の歌手に唄っていただければと個人的には思っています。

 

ウィリアム・ウィルバーフォース、ジョン・ニュートンの詳細とアメイジング・グレイスの日本語訳は下記のサイトをご覧ください。

ウィリアム・ウィルバーフォース - Wikipedia

ジョン・ニュートン - Wikipedia

アメイジング・グレイス Amazing Grace 歌詞と日本語訳・試聴

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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全人類共通の願い

久し振りのブログアップです。

2ヶ月半ブログを休んでいましたが、その間にコツコツと木彫りをしていました。

まず3種類(アジサイ、バラ、ブドウ)のブローチをシナ材で作りました。

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次はヒイラギの銘々皿をシナ材で作りましたが、少し濃いめの塗り仕上げにしました。

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さて、本日のテーマに入ります。

人それぞれに叶えたい願いがあるでしょう。

ある人は病の床にあって健康回復を願い、ある人は大学合格を願い、ある人はビジネスの成功を願い、またある人は健康と長寿を願っていることでしょう。

人間の様々な願いがある中で、誰しも貧困に苦しむこともなく、健康でありさえすれば「死にたくない、長生きしたい」という願いが70数億の全人類共通の願いではないでしょうか。

 

年末ジャンボ宝くじ10億円の当選を願ったり、2020年東京五輪で〇〇競技でゴールドメダルが獲れるよう願ったりという限られた人間の願いや創造主(神)が喜ばない人間の身勝手な願いなどではなく、旧約聖書・伝道者の書(新共同訳聖書ではコヘレトの言葉)3:11に「神はまた、人の心に永遠を与えられた」と記されているように、創造主(神)の意図(御心)に沿って人間は永遠への思いから「死にたくない、長生きしたい」という願いを持っているに過ぎないのです。

 

伝道者の書3:11(新改訳聖書) 

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全人類共通の「死にたくない、長生きしたい」」という極めて強い願いを持っている人間を創造した創造主(神)が、この全ての人間の願いを無視するなどということが、キリスト者になった今の私には到底考えることができません。

人間を創造された創造主(神)は、人間が病の床で苦しむことや貧困で苦しむことを望んで人間を創造したわけではなく、死によって人間の存在が無になってしまうように戯れ(たわむれ)に人間を創造した、などということはないのです。

 

ここで、内村鑑三の著書の一部を要約し引用します。

「イエスは生命の源であって、永生(かぎりなきいのち)の供給者である。信者は彼より復活を要望し、霊魂を彼にゆだねて死につくのである。信者はイエスを崇めて救い主となし、彼に霊魂をゆだねまつり、彼の復活の約束を信じ、彼にありて安き眠りにつくのである。」

 

イエス・キリストに信仰を持つキリスト者は、必ず、死から解放されて神の御国で永遠に生きることになるのです。

 

キリスト者としての私の願いは、一人でも多くの人が一日でも早く聖書に啓示された天地万物の創造主(神)の存在を知り、主イエス・キリストへの信仰に至ることであり、そして、死後の「復活」と「永遠のいのち」の祝福を受けることです。

そこで、私と何らかの形で触れ合った人たちに聖書の学びの歓びを知ってもらうために、下記の名刺を作成し常時携帯し、それぞれの人との関わりの中で時宜に応じて(時には初対面で)手渡す活動を現在進行形でしています。

 

<表>

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<裏>

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本日はここまでですが、2ヶ月半前のブログでも書きましたが、今後は聖書の学びをメインに置きつつ、キリスト教の歴史、ユダヤ人関連、パレスチナ中東問題等についてもランダムに触れていきたいと思います。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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オールイン

昨日は、端材で本のしおりを2種類作りました。

シナ材をニンジンが土に埋まっているイメージで削り、水性アクリル塗料で着色しました。

もう一つは、カリン材の素材の色が好きなので角の面取りだけして着色はしないで、シナ材でイチゴを作りストラップを付けることにしました。


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木彫りは本当に楽しいです。

彫りの工程だけでなく、下絵を描いたり、各種の塗料を塗ったり、彫刻刀を砥石で研いだり、全ての工程がおもしろく楽しいです。

 

さて、本日のテーマに入ります。

私の信仰を支えているのは、前回のブログでも書きましたが、「復活の希望」です。

そして、栄光のからだを備えて「永遠のいのち」を生きるという希望です。

 

私の信仰など、苛酷な迫害に遭っても主イエス・キリストへの信仰を守り続け殉教の死を遂げた多くのキリスト者の信仰から比べれば(比べることも恐れ多いのですが)、足元にも及ばないものだと自認しています。

 そんな私ですが、創造主(神)を(100%ではなく)200%信頼しています。

 

天地万物を創造された創造主(神)の辞書に不可能の文字はありません。

「復活」と「永遠のいのち」は必ず実現するのです。

 

聖書を学び始めて上記のように思えるようになったのは何時頃だったでしょう。

このように思えるようになった頃に私の心境をメモに書き、パソコンを置いている机の前の壁に貼り付けました。

このメモは今でも壁に貼り付けています。

全ての希望を失い、私にとって精神的に人生最大の危機の状態にあり、自殺願望から解放されて落ち着いた頃に書いたものです。

今、読み直すと自己陶酔している内容のような感じもありますが、その当時の私の偽らざる心境を表現したものです。

以下紹介します。

「何度も死を覚悟した身の上である」

「一度は失った命である」

「生きる希望を完全に失った人間である」

「失うものは文字通り何ひとつなし」

「聖書が救ってくれた命である」

「聖書が生きる希望を与えてくれた」

「聖書を信じ尽くすことによって頭がオカシイと嘲笑されても平気である」

「新しい命と希望を授けてくださった創造主(神)様と主イエス・キリスト様に感謝します」

「徹底的に信じ尽くす」

「聖書を信じている自分を信じる」

 

私としては、創造主(神)と主イエス・キリストに私自身を明け渡したような心境でした。

 

話は変わりますが、韓流ブームが始まったのは何時頃だったでしょうか。

私自身も少しだけはまり、レンタルDVDで「冬のソナタ」「チャングムの誓い」「美しき日々」そして「オールイン」を観ました。

特にドラマ「オールイン」の中で流れる音楽が好きで、今でもユーチューブでたまに聞きます

オールインという言葉は、ギャンブルで手持ちのお金を全て賭けるということです。

 

私には財産と呼べるものは、何一つありません。

土地や家屋など、自慢ではありませんが、何一つないのです。

(ただ、頭のテッペンから足の爪先まで、創造主(神)から授けられた何ものにも代えがたい恵みという財産を身に着けていることは感謝です。)

しかし、メモ書きした時の心境は、聖書、創造主(神)、主イエス・キリストに私の精神的なもの全てを賭ける、つまり魂をオールインした瞬間でした。

聖書、創造主(神)、主イエス・キリストに私の魂をオールインしたことで、この地上の世界の見え方が変わり、「復活と永遠のいのちの希望」を持ちながら充実した日々を過ごすことが出来ています。

 

本日は聖書の内容に触れず個人的なことばかりを書いてしまいました、お許しください。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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被造物はうめいている(最終回)

 

(その②)の続き。

 

食事を美味しくいただくことが出来る「味覚」は、人間が生を楽しむための一つとして創造主(神)が授けてくださった恵みだ、と私は理解しています。

人間は、アダムが禁断の果実を食べて創造主(神)に背いたことにより、被造物全体がのろわれて創造の本来の姿から、かけ離れた状態で現在に至っています。

ですから、アダムが創造主(神)に背いてから現在に至るまで、人間は真の意味での人生を楽しめずにいます。

「いや、私は充分に人生を楽しんでいる」と言われる方もおられるでしょうが、そのように言われる方も、人知れず仕事上のストレスを抱えている時があったり、人間関係に悩んだりすることもあったり、家族との別離(死別)で涙することもあったり、予期せぬ病に冒されることもあったり、自然災害に遭遇することもあったりするのではないでしょうか。

 

創造主(神)が人間を創造した目的は、仕事上のストレスを人間に抱えさせるためではなく、人間関係に悩ませることにあるのではなく、家族との別離で涙を流させることでもなく、病に冒させることではなく、もちろん自然災害に遭遇させるためでももちろんありません。

 

今は、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの状態であり、必ずや被造物自体も滅びの束縛から解放される日が訪れて、創造主(神)が想定されている麗しい本来の状態に回復されることを、前回のブログで確認しました。

 

ただ、その回復される日が何時なのか創造主(神)がお決めになることで私たち人間には分かりません。

回復される日までに私を含め多くの人間たちはガンなどの病気、交通事故、地震、台風、津波などの自然災害によって命を失っている可能性が高いと思われます。

 

イエス・キリストを信じるキリスト者だけは創造主(神)から守られて不慮の事故によって命を失うことはないなどということはなく、全ての人間たちと同様に例外なく、何時予期せぬ事故や自然災害によって死に至るかもしれません

 

だからこそ、私たち主イエス・キリストを信じるキリスト者にとって「復活の希望」を抱きつつ、のろいから解かれて回復されるその日を待ちわびるのです。

 

「復活の希望」があるからこそ、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの状態、つまり、のろいの状態にキリスト者は忍耐することができるのです。

 

「復活」が現実に必ず起こることだと心底信じることができるかどうか、これが、最も重要な信仰の鍵だと私は考えています。

 

「復活」の信仰が確かなものでなく不安定であれば、自分の最も愛する人との死別など、人生の中で遭遇する様々な患難の際に、創造主(神)の愛を疑ったり、創造主(神)の存在を否定するといったようなことになりかねないのではないでしょうか。

 

過去のブログ「復活と永遠のいのち」の中で復活について書いていますが、本日は内村鑑三が明治33年(1900年)9月に創刊した「聖書之研究」という月刊誌の1914年7月の復活に関する記事を以下一部引用したいと思います。

「信者に復活の希望がある。これがなくして彼は信者ではない。『とにもかくにも死にたる者のよみがえりにあずからんことを』(ピリピ人への手紙3:11)とは、使徒パウロの希求(ねがい)であってまた信者各自の希求である。信者の希望というは実にこの復活の希望である。彼はただ漫然として未来の希望をいだくのではない。彼はキリストのごとくよみがえりて、永遠の栄光(さかえ)に入らんと欲するのである。・・・中略・・・信者にありては復活は現世の終わりにおこなわるる事である。・・・中略・・・信者が復活を待ち望むは、目的(めあて)なき根拠(よりどころ)なきものを望むのではない。すでにキリストの霊を受け、彼の心の深き所に復活の力を実験するがゆえに、その、ついに彼の死すべき肉体(からだ)をも生かすに至るべきを望みかつ信ずるのである。・・・中略・・・イエスは信者の内にありて復活したもうて、信者と共に復活したもうのである。信者はイエスの復活の同伴にあずかるのである。彼と共に挙げられるのである。『われ生くるれば、なんじらも生くべし』(ヨハネ福音書14:19)と彼が言いたまいしはこの事である。・・・中略・・・吾人が今日有する肉体のみが霊魂を宿すに足るの唯一の機関であると言うことはできない。血肉は神の国を嗣(つ)ぐことあたわずというは、神の国に入りてその市民たるの特権にあずかる者は血肉以外のさらに巧妙なる身体を備えたる者ならざるべからずとの意(こと)ではあるまいか。パウロの言えるがごとく、すべての肉同じ肉にあらず、人の肉あり、獣の肉あり、鳥の肉あり、魚の肉あり。さらばその他にさらに天使の肉あり、霊体を構成する救われし信者の肉ありと言うを得ざるか。神の能(ちから)は吾人の肉眼に触るるところの造化もって尽きたりと言うことはできない。彼があるいは吾人が今日なお知らざるところの元素をもって、あるいは今なお人に知られざるところの動力をもって、この肉体よりさらに精巧なる身体をもって、イエスによりてあがなわれし信者の霊魂を装いたもうとは、信じがたいことではない。」

 

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内村鑑三が言うように、獣の肉体、鳥の肉体、魚の肉体があり、又、クラゲのような透明な肉体や光を発する動物の肉体があるように、主イエス・キリストを信じるキリスト者の復活は「栄光のからだ」を備えたものであり、病に冒されることもなく、もちろん死にいたることもないものだと理解することができるのです。

 

もし、キリスト者が死後に主イエス・キリストの再臨の時に復活するということが空想の世界の絵空事であるのであれば、聖書を学ぶ必要性は全くなく、イエスをキリスト(メシア)と信じる必要もなく、創造主(神)の存在を信じる必要さえもない、と私は考えています。

 

イエス・キリストの復活と信者の復活の奇跡が非理性的で非合理なものではなく、理性的であり合理的であることを2017年9月9日のブログ「理性的、合理的」に書いています。未読の方は、こちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

「復活の希望」はキリスト教信仰の最重要の要です。

 

私を含め一人でも多くの人たちが「復活の希望」の信仰を強固に持ち、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの現在の状態(のろいの状態)を耐え忍んで、主イエス・キリストの再臨を待ち望むことを願います。

アーメン。

 

↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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被造物はうめいている(その②)

 

(その①)の続き。

 

悪魔(サタン)が被造物をのろっているのではなく、創造主(神)がアダムの罪のゆえに被造物をのろうことになり、被造物全体が言葉にならないうめきの悲鳴を上げている、この世です。

 

被造物をのろうことをされたのが創造主(神)ということは、そののろいを解くことができるのも創造主(神)だということです。

このことをパウロは次のように語っていました。

前回引用したローマ人への手紙8:18~22を再度ご覧ください。

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被造物が虚無に服している(うめいている)のは、服従させた方である創造主(神)によるのですから、虚無に服している状態から解放する力を有するのは他の誰でもなく創造主(神)だけだという希望を持つことができます。

 

今は、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの状態であり、必ずや被造物自体も滅びの束縛から解放される日が訪れるのです。

 

私たち人間だけでなく他の被造物も滅びの束縛から解放される栄光の時を待ち望んでいるのですが、この栄光の時は何時実現するのでしょうか。

 

それは、この世の終わり(大患難時代の終わり)にキリストが天から降りてこられて(再臨)実現することになります。

このことを聖書には次のように記しています。

使徒たちの働き3:20~21をご覧ください。

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新改訳聖書の注解書では20節を次のように説明しています。

「人間の堕落によって罪ののろいのもとに置かれた万物が、この世の終わりにキリストが来られ、救いが完成することで、のろいから解放されて、再び神の前に自由とされる。」

キリストがこの世の終わり、つまり、大患難時代の終わりに地上に再び来られて(再臨)、万物の被造物が改まる(回復する)ことになるのです(21節)。

21節にイエスが「聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた」と記されているように、イエス・キリストが誕生する700年以上も前に預言者たちの中の一人イザヤは将来キリスト(メシア)が来臨(初臨と再臨)されて、被造物がのろいから解放され、救いが完成すると預言しています。

イザヤ書11:1~9をご覧ください。

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1節のエッサイとはダビデ王の父ですが、ダビデの家系から新芽であるキリスト(メシア)が出るという預言です。

そして、キリストが聖霊に満たされることが2節で強調されています。

3節から5節はキリストが再臨された時の預言であり、キリストが王として正義と公正をもって統治することを描写しています。

6節から9節は、被造物ののろいからの解放が描写されています。

のろいの前の被造物の世界に回復され、弱肉強食の世界ではなく、肉食動物が草食動物に変ることが分かります。

 

万物の創造の初めが記されている創世記1:29~30をご覧ください。

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内村鑑三は、パウロが語った上記引用したローマ人への手紙8章19節から20節について著書「ロマ書の研究」で次のように書いています。

少し長くなりますが、参考のため一部要約引用します。

「この敗壊されし天然は、人類の完成と共に完成せらるとパウロはいうのである。イザヤ書11:1~9における預言者イザヤの大希望が、すなわちロマ書(ローマ人への手紙)8:19~20における使徒パウロの大希望である。これ使徒行伝(使徒の働き)3:20の『万物の復興』である。この全き平和、万物の救いの完成の希望を、迷信としてあざける人多い。しかしわれらはこの事をあえて確信するものである。・・・中略・・・人が良くなる時は天然も良くなり、人が全く救わるる時は天然もまた全く救わるると見るは、決して不合理ではないのである。・・・中略・・・神はある時、その無現の力をもって吾人を復活せしめ、同時に天然を復活せしめ、かくして宇宙万物を創造したまいし最初の目的を完成したもうに相違ない。神はキリストにありて、われらの深き罪をゆるして、われらを義とし、われらを聖め、すでに大なる恩恵を雨のごとくわれらに注いだ。この恩恵はわれらの完全なる救いにまで至らずばやまないのである。われらはまたそれまで至らずば満ち足らない。今まで受けたる恩恵より推して、さらに大なるこの恩恵を賜うことをわれらは信ずる。そしてわれらは天然の敗壊を深く悲しむがゆえに、天然もまた復興せんことを望む。しかして神はその所造たる天然の荒廃を必ず癒したもうのである。かくて人と天然と共に救われて、万物ことごとく完成し、ただ平和と歓喜のみが全天全地に満つるに至るのである。この大希望なくして、福音は福音ではない。この大実現なくして、神は神でない。もし福音がこれ以下のものならば、福音は福音ではない。もし神がこれ以下のものなれば、神は神でない。人と天然と共に救わるる事、これ実に福音的救済である。ここに人類の希望がかかっているのである。」

 

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hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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