星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

一般啓示と特別啓示

「仲よき事は美しき哉」という言葉を見たり、聞いたりした人も多いかと思います。

 

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武者小路実篤(1885年~1976年)の言葉ですね。

 

武者小路実篤の著書は読みやすいこともあって「友情」「愛と死」「真理先生」など10代後半によく読みましたが、高校を卒業して東京で暮らすようになった時に、小説家の全集というものを神田の古本屋で初めて購入したのが武者小路実篤のものでした。

彼の著書の中で出て来る自然の中に神を見い出す「汎神論(はんしんろん)」という考えを知り、神というものを少しは意識し始めた最初ではなかったかと振り返ることができます。だからと言って、汎神論者になったわけではありません、念の為。

 

<注>「汎神論」とは、神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす哲学的、宗教的立場である(ウィキペディアより)。

 

武者小路実篤のどの著書であったかは忘れましたし、書かれていた内容の記憶もあいまいですが、彼が私たち人間の「手」の造りをいたく感心して賛美していたことが忘れられずにいます。

人間の足の太腿やふくらはぎ、そして、上腕などは鍛えれば筋肉がついて太くなるのに、手の指の筋肉も他の部分の筋肉と同じ様に太くなれば細かい作業が出来にくくなるはずなのに、毎日使っている手の指の筋肉は太くならずに依然として細かい作業をすることができることや、親指が絶妙な位置に備わっていることなどを武者小路実篤は賛美していたのです。

 

ところで、ある物体の表面を何度も擦(こす)り続けるとどうなるでしょうか?

その物体の硬度によって削れる速度は変わりますが、間違いなく、表面は削れて減っていきますよね。

 

ところが、この世には、何度擦り続けても、削れるどころか自然に増えることがある物体があるのです。

本当にこのような物体があるとしたら、人は、その物体を奇跡の物体と呼ぶのではないでしょうか。

 

私たちの身体の中で日常最も使っている部分は、手と足ですよね。

靴は履き続けると底が削れて減っていきます、そして、靴下も同様です。

何故、足の裏は削れて減ることはないのですか。

大昔の人間に限らず、今でも、靴を履かないで生活している人たちもいますが、足の裏が削れて困るという話を聞いたことがありません。

 

野球のグローブや手袋は長年使い続けると破れて使い物にならなくなります。

61年間毎日使っている私の手は、破れて使い物にならなくなってなどいません。

 

手の指や足の裏の一部を使い続けるとその部分の皮が厚くなりますよね、つまり、減るのではなく増えていますよね。

 

このような私の手や足を見つめていると「奇跡」と呼ばずにいられなくなるのですが、私の感覚は可笑しいのでしょうか。

 

創造主(神)がいつくしみ深い「愛」がある御方であるからこそ、このような驚異的な造りの手や足を人間に授けてくださったのではないでしょうか。

 

私は、手や足に限らず自分自身の身体のあらゆる造りを顧みて、創造主(神)の「存在」と「愛」を感じることが出来ます。

 

いつものように、内村鑑三の著書から一部引用します。

「奇跡とは神の能力の発現でありますから、神の存在と活動とを信じる者の眼には奇跡と天然の別はありません。彼(神の存在と活動とを信じる者)にとっては、実は天然と称して、神より全く離れ独りで働いて独りで生じるものはないのであります。彼にはただ二種の奇跡があるのであります。尋常的奇跡、これが天然であります。非常的奇跡、これが聖書に示してあるような奇跡であります。今日まで万物を天然的に解してきた彼は、今は意志的に、すなわち奇跡的にこれを解するようになりました。彼の宇宙観は神を信じることによって一変いたしました。」

 

内村鑑三の言う、天然の尋常的奇跡を神学的には一般啓示」と言い、聖書に記されている非常的奇跡を「特別啓示」と言います。

 

続いて、キリスト教神学者のジェームズ・パッカー(1926年~)の著書から少し長くなりますが一部引用します。

「神が創造された世界は、創造者である神の力と威光を隠す盾ではない。自然の秩序を見ると、全能で威光に満ちた神がそこにいることは明らかである。パウロはローマ人への手紙1章19~21節でそのことを述べ、使徒の働き17章28節では、ギリシアの詩人が、人間は神によって造られたと証言していることに触れている。パウロはまた、この創造主のすばらしさは、いつくしみに満ちた摂理によって明らかになっているとも断言している(使徒14:17、ローマ2:4)。さらに、神の聖なる律法が要求することの少なくともいくつかは、最終的には自分の行いに応じて神のさばきを受けるという受け入れがたいが確かな事実とともに、すべての人の良心に知らされている(ローマ2:14~15)。このようなことが確かに起こるということが、一般啓示の内容を構成している。一般啓示という呼び名は、神が造った世界に生きているという理由によって、すべての人がその啓示を受けていることに由来する。これは人類の歴史の始まり以来そうであった。神はすべての人に対して、ご自身のこのような側面を端的に明らかにしている。したがって、どのような場合でも、義なる創造主に感謝し仕えないことは、この知識に反する罪である。・・・中略・・・今では神は、さらにイエス・キリストによってご自身を救い主として啓示することで、一般啓示を補足している。この啓示は歴史の中で与えられ、聖書の中に記録され、失われた者に救いの扉(とびら)を開くものであり、通常、特別啓示あるいは特殊啓示と呼ばれている。特別啓示は、一般啓示が神について私たちに告げているすべてのことを明白にことばによって述べるものであり、自然の秩序、歴史の出来事、人間の道徳的性質における啓示を見極めるように私たちに教える。」

上記引用文の中の聖句を以下表示します。

ローマ人への手紙1:19~21

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使徒の働き17:28

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使徒の働き14:17

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ローマ人への手紙2:4

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ローマ人への手紙2:14~15

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一人でも多くの人が、一日も早く、一般啓示に気付くことによって創造主(神)の存在と愛を知り、そして、聖書に記された真理(福音)に与(あず)かりますように。

アーメン。

 

↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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