星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「救い」とは

突然ですが、ドラキュラ映画の話です。 私が小・中学生の1960年代~1970年代にアメリカのドラキュラ映画がよくテレビ放送されていました。 そんなドラキュラ映画の中の一本で、不死身のドラキュラが不死の命を持っているために永遠に生き続けなけれ…

罪とは何ぞや(その③)

(その②)の続き。 下の写真の物体を目にした方も多いと思いますが、ある人たちは「黄金ジェット」と呼んだり、別の人たちは異星人が乗ったスペースシャトルが地球に飛来して、それを目撃した古代人が作ったミニチュアではないかと考えて「黄金シャトル」と…

罪とは何ぞや(その②)

(その①)の続き。 前回のブログで引用した内村鑑三の文章の一文に「禁制の果物を食いし事、その事は小さな罪である。」とありましたが、禁制の果物である「善悪の知識の木」をアダムとエバが食べたことは本当に「小さな罪」だったのでしょうか。 筋金入りの…

罪とは何ぞや(その①)

突然ですが、世間ではセクハラが問題になっていますね。 セクハラという言葉がまだない時代に、中年の男性が女性のお尻を触ったら、女性が「止めてください」と言うと、常習者の男性がよく言う口癖がありました。 「触ったぐらいで減るもんじゃないだろ」 こ…

聖霊と三位一体(最終回)

(その⑪)の続き。 前回に続き、聖霊が神ご自身であることを聖書によって確認したいと思います。 まず、次の聖書箇所をご覧ください。 ヘブル人への手紙10:15~16 16節は下記のエレミヤ書31:33を引用しているのですが、聖霊が主(YHWH・神…

聖霊と三位一体(その⑪)

(その⑩)の続き。 無教会者の私ですから、ある宗教団体の信者のように創設者の言葉や教義あるいはその宗教団体の幹部の聖書解釈を信じているのでもありません。 つまり、私の信じているのは、「人」が語る言葉ではありません。 私が、主イエス・キリストを…

聖霊と三位一体(その⑩)

(その⑨)の続き。 前回、神には人間の考えるような「名」はなかったのではと書きました。 だとしたら、ある人たちが神の名を「エホバ」と呼んだり、「ヤハウェ」と呼んだりしているのはどうしてでしょうか。 順を追って検討したいと思います。 まず、出エジ…

聖霊と三位一体(その⑨)

(その⑧)の続き。 前回と同様に本日もイエス・キリストが神であることを他の聖句によって確認したいと思いますが、その前に神の「名」について検討したいと思います。 神を知らず、聖書を知らなかった頃、自宅にエホバの証人が訪問して来ました。 いつもは…

聖霊と三位一体(その⑧)

(その⑦)の続き。 前回、「主はただひとりである(申命記6:4)」「神は唯一です(テモテへの手紙第一2:5)」と記されている聖句を確認しました。 その一方で、「われわれとして、われわれに似せて(創世記1:26)」という聖句では神が複数存在する…

聖霊と三位一体(その⑦)

(その⑥)の続き。 今回から三位一体の教理について検討します。 三位一体は聖書自体に出てこない語でありキリスト教神学の中の特に難しい領域ですが、当ブログでは、私なりに理解した範囲で検討していこうと思います。 三位一体はラテン語で「三であること…

聖霊と三位一体(その⑥)

(その⑤)の続き。 前回の終わりに書きましたが、現代のキリスト教のある教会では、意味不明の理解できない音を発する人たちがいて、これは聖霊に満たされたことによる賜物の「異言」だと主張します。 ブログやユーチューブで異言を話すことができると語って…

聖霊と三位一体(その⑤)

(その④)の続き。 今回は、「異言」について検討しますが、その前に、ユダヤ人の成年男子が年に三度エルサレムに出向き創造主(神)を礼拝しなければならない三大祭り(三大巡礼祭とも呼ぶ)のことが記されている聖書箇所を確認して置きたいと思います。 出…

聖霊と三位一体(その④)

(その③)の続き。 今回は「御霊の実」について考えたいと思いますが、その前に、イエスが弟子たちに語った有名な御言葉をまずご覧ください。 ヨハネによる福音書15:1~5(新改訳聖書) 2節の「・・・刈り込みをなさいます。」は新共同訳聖書では「手…