終活
私にとっての日々の聖書研究の主な目的は、父なる創造主(神)、主イエス・キリスト、聖霊という三位一体の神との霊的な交流をすることです。
そして、最重要のテーマは、「死後の復活」と「永遠のいのち」です。
ただ、出来得れば、私を含めた全世界のキリスト者がこの地上で生きている間に主イエス・キリストによって携えられて天に引き挙げられること(携挙・けいきょ)を目撃する祝福に与かることを希望します(全ては創造主の御心にお任せ致します)。
念の為、携挙の聖句を引用します。
テサロニケ人への手紙第一4:16~17
<携挙について書いている過去ブログを未読の方は、↓こちらもご覧ください。 >
さて、本日のテーマに入ります。
人間にとって「死」は、話題にしたり、考えたくないタブー(禁句)だったはずですが、最近、「終活」という名のもとに人間の「死」がビジネス化して軽く扱われているような気がしているのは私だけでしょうか。
「終活」という名のもとに高齢者が断捨離をしたり、遺言や葬儀の準備をしたり、納棺の体験をしていたとしても、一人静かに死と対峙すれば、死をたやすく受け容れることができるわけではなく、心の声は「死にたくない」「生き続けたい」という願いのはずです。
無神論者であっても、現実に死が真近かに迫れば、心の奥底で「神様助けてください」と叫んでいるのではないでしょうか。
もしも「死」というものがなければ、人間が神の存在を真剣に考えたり、神を求めることもないのではないのか、と最近私は考えるようになりました。
ところで、私も「終活」をしています。
ただ、私のしている「終活」は、葬儀の準備や納棺の体験などではありません。
常に当ブログで書き続けているように、私はキリスト者として「死後の復活」と「永遠のいのち」を信じています。
私たちキリスト者の国籍は天にあり、この世に一時的で滞在している旅人であり寄留者です。
ピリピ人への手紙3:20~21
ペテロの手紙第一2:11
つまり、この世での役割を終えた肉体が土の塵に還る(つまり死)時は、本来の国籍である「天」に帰還することになるわけです。
そして、創造主(神)が定めた時が来れば、キリストと同じ「新しいからだ」を身に着けて復活をすることになります。
したがって、キリスト者にとっての死は全ての終わりではなく、全ての始まりなのです。
ですから、私の「終活」はこの世の旅人、寄留者として役目が肉体の死によって終わりに近づいて、国籍の天に帰還するための活動を毎日現在進行形でしていることを指すのです。
この現在進行形でしている活動とは、冒頭で書いた聖書研究を通じて三位一体の神と霊的な交流をし、そして、主イエス・キリストの命令であるところの福音を一人でも多くの方に宣べ伝えることなのです(イエスの大宣教命令・マタイの福音書28:19)。
本日のブログの終わりにイギリスのキリスト教の説教者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)の著書の一部を引用します。
「私は、自分の教会の会員の中で、死の時、わずかでも恐れや不安を示した人を一人も目にしたことがありません、彼らは恵みに満たされ、その最期の困難な時を乗り越えたのです。主イエスは痛みと死に勝利する力を彼らに与えてくださったのです。彼らは墓に行くよりもむしろ結婚式に行くかのようにこの世を去って行きました。もし信仰者の臨終に立ち会う機会が与えられるとすれば、あなたがもっているさまざまな疑いはすぐに取り除かれることでしょう。私には大きな謎があります。天における最初の五分間はいったいどんな様子なのでしょうか。天における数千年とはいったいどのような時間なのでしょうか。また、天における数万年とはいったいどのような時間なのでしょうか。肉体から一時切り離され魂は、主イエスの胸の中で完全に幸いな状態で休むことになるでしょう。しかし、時がくれば、よみがえりの時がやって来ます。今のこの体は完全な栄光の中で復活し、魂と体の再結合が起こります。そして、私たちはよみがえられた主と同じような状態にされるのです。やがてやって来る栄光の素晴らしさを想像すると、私の思いはその期待で膨らみます、」
C・H・スポルジョンについて知りたい方は下記のサイトをご覧ください。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。