星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

被造物はうめいている(その①)

 

春夏秋冬、それぞれの季節の穏やかな日に山に登ったり、海に出掛けたりして、自然の中に身を置くと、自然の素晴らしを感じないではいられません。

 

しかし、一転して、自然災害が世界的に頻発し、多くの人たちの命が失われたり、家屋が倒壊するなどして避難生活を余儀なくされている人たちがいて、自然の素晴らしさを賛美することができない現実があります。

使い古された言葉ですが、自然の猛威の前に人間は為す術がありません。

 

また、数十年の短い人間の一生の中で、自然災害の心配をしないで暮らせる日々や様々な病気に悩まされないでいられる日々は、ほんの僅かな時期ではないでしょうか。

伝道者の書の著者(ダビデの子ソロモンと考えられている)も人間の一生が苦難の連続であることを次のように記しています。

伝道者の書(新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」)2:23

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人間の始祖アダムとエバが禁断の果実を食べたことによって創造主(神)に背き、原罪を負った人間は死に至るようになりました。

 

創造主(神)に背いた罪人の人間が苦難の一生をすごして死に至るだけでなく、罪を犯してもいない動物までも動物特有の病気になるなどして、人間と同じように死に至るのは何故なのでしょうか。

 

また、地震や火山の噴火、津波、台風等の災害が頻発する地球自体も悲鳴を上げているのはどうしてなのでしょうか。

 

人間だけでなく動物や地球自体も含む被造物全体が言葉にならない「うめき」を発しているようです。

 

ここで、ローマ人への手紙8:18~22をご覧ください。

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パウロは20節で驚くべきことを語っているのですが、「被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです」とはどういうことなのでしょうか。

新改訳聖書の注解書には「被造物が虚無に服した」とは、本来の目的を失ってむなしいものとなった状態を指すと説明していて、「服従させた方によるのであって、望みがあるからです」とは、被造物が虚無に服したのは、それ自身の意志によるのではなく、アダムの犯した罪に対する神のさばきの結果である。それゆえ、神によって解放される希望がある、と説明しています。

 

ただ、この説明では、人間だけが苦しむのではなく、動物や地球自体も苦しんでいることの理由が分かりません。

そこで内村鑑三が20節の「被造物が虚無に服した」ことについて、どのように理解したのか、参考のため次に引用します。

「これに答えるものは創世記3章17、18節である。いわく「人に仰せられた。」『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。』と。これ神がアダムに告げたまいし語である。すなわち始祖堕落のために地もまた虚空に帰せしめられて(虚無に服した)敗壊のしもべとなったというのである。実に天然と人とはふしぎの糸をもってつながっている。人死して天然もまた死し、人生きて天然もまた生きる。人類の堕落明らかに天然の敗壊を引き起こしたのである。人と万物とは運命を同じゅうする。人が罪の捕囚(とりこ)となって堕落して、万物もまた虚空に帰せしめられつつ(虚無に服しつつ)ある。人と天然とを一貫して一つの心が流れている。天然は、人と共に苦しみつつ、今に至ったのである。かくて万物は人とひとしく、その創造された目的を達することができずに、苦悶のうめきを続けている。これ天然界の実情であると。これがパウロの天然観である。」

 

昔、聖書を学び始めた頃に、あるキリスト教徒の男性に「人間はアダムが禁断の果実を食べて原罪を負ったことにより病気などをして死に至ると聖書に書いてますが、ペットの犬や猫は罪を負っているのですか?」と質問したことがあります。

その男性が動物は罪を犯していませんと答えたので、私は次に「罪を犯してもいない動物も病気になり死に至るのは何故ですか?」と質問しましたが、返答はなく、「ウ~ン」と唸って黙してしまいました。

 

聖書を真剣に学ぶようになった私は、内村鑑三の書籍や様々な文献を読むうちに徐々に聖書の真理に触れることができるようになり、創造主(神)が、人間のために地球や動植物等の万物を創造されたことを理解できるようになり、そして、人間と地球と動植物等の万物は一体であり運命共同体なのだと私は考えることができるようになりました。

皆さんはどう思われますか。

一体として機能している被造物の中心である人間が罪を犯すことによって、被造物全体が、「のろわれて」しまったのです。

ある目的のために造られた大規模な機械(システム)の中の主要な歯車が故障すれば、その歯車だけが異常な動きをするだけでなく、機械(システム)全体が異常な動きをすることになる、つまり、悲鳴を上げるようになることと同じなのでしょう。

 

私が聖書を学ぶ中で、聖書が作り話などではなく、真実の書、真理の書であると感じる聖句を聖書のいたるところで見い出すのですが、上記の創世記3:17の「土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。」という箇所とローマ人への手紙8:20の「被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって」という箇所もその一つです。何故かと言うと、聖書が作り話であれば、別の言い方をすれば普通の人間の知恵であれば、悪魔(サタン)が被造物をのろったり、虚無に服させたと創作することでしょう。

賛美の対象である創造主(神)が被造物をのろい、虚無に服させるなどとは人間の知恵では思いもよらないことだ、と私は考えるのです。

人間の知恵を超えているからこそ、聖書が真実の書であり、真理の書だと私は確信しているのです。

皆さんはどのように捉えますか。

 

創世記5:29でも、創造主(神)が「この地をのろわれた」と記しています。

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アダムが禁断の果実を食べたことは小さな罪であり、その小さな罪によって人間が死に至り、そして、被造物全体が「のろわれる」などというのは、罪に対する罰としては重すぎると考える方も多いかと思います。

アダムの犯した罪が本当に小さな罪だったのかどうかについて、「罪とは何ぞや(その②)」で書いています。未読の方はこちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

↓ ↓ (その②)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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創造主の御業には無駄がない

 

イザヤ書45:7をご覧ください。

 

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創造主(神)は、光を造り、やみを造り、水を造り、酸素を造り、物理の法則を造り、目にすることが出来る全てのものはもちろん、目にすることが出来ない全てのものも創造された御方です。

 

この地球には創造主(神)の恵みで溢れています。

 

動植物が死ねば腐敗が始まりますが、この腐敗というメカニズムも創造主(神)が創造されたものです。

もし、腐敗というメカニズムがなく、動植物が死んでも腐らずに姿形がそのまま残るとしたら、この地球上には動植物の死骸の山で埋め尽くされていたことでしょう。

腐敗というメカニズムにも創造主(神)の恵みを感じることが出来るのではないでしょうか。

ところで、人間の作った物はどうでしょうか。

最近、海洋投棄されたプラスチックごみが話題となっています。

腐敗しないプラスチックが、プラスチックを作った人間自身の首を絞める結果をもたらすのです。

 

また、創造主(神)は、必要があれば「災いを創造」して人間に試練を与え、時には人間や動植物を滅ぼすこともされます。

 

しかし、創造主(神)が創造する「災い」は、人間を苦しめるだけの災いで終始することはありません。

それは、どういうことかと言うと、一つの例として、創造主(神)が創造された災いの中でも最大級のノアの時代の大洪水を思い浮かべてください。

この最大級の災いである大洪水によって8人のノアの家族と一定の種類の動物以外は大洪水に飲み込まれ死滅しましたが、洪水によって倒れた大量の樹木の一団は地中に埋没し時の経過によって石炭が出来、また、ある海中動物の死骸の一団は地中に埋没した結果石油が出来たのです(化学者の分析によると、石油は昔、大量の海中動物の死骸が地層内にまとまって堆積した結果出来たものだと説明しています)。

このように災いの結果生まれた石炭や石油によって現代の私たち人間は恩恵を受けていることを忘れてはならないのではないでしょうか。

 

つまり、創造主(神)の創造される「災い」は災いで終わることはなく、「恵み」に成り得るのです。

 

ノアの時代の大洪水によって石炭が生成されたことについて、「創造か、進化か(その⑧)」で書いています。未読の方は、こちらもご覧ください。

↓ ↓ ↓

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 最近、世界各地で自然の猛威による災害が頻発しています。

これらの災害が創造主(神)が直接関与して発生しているのかどうかは、私には分かりません。

直接関与していないにしても、災害を止める力があるにも拘わらず、それを為さらずに黙認していることは確かなようです。(自然災害を含む地球自体の苦悶について、次回のブログで触れたいと思います)。

 

いずれにしても、創造主(神)の為さること、為さらないことに何一つ無駄なものはないのです。

必ずや、人間にとって「恵み」として現れる時が必ず到来する、と私は理解して、徹頭徹尾、創造主(神)を信頼いたします。

 

災いが災いだけで終わることはありません。

 

創造主(神)の為さることに何一つ無駄はなく、災いが災いだけに終わることはなく、凡てのことが相働きて益となる日が必ず訪れるのです。

たとえ益となる日が私が地上で生きている時に来なくても、死後復活の命が授けられた時に、実感することが出来るのです(と私は確信しています)。

 

ローマ人への手紙8:28(文語訳聖書)

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聖書に記された預言通り、時が来れば、主イエス・キリストの信仰により、この地上から姿を消した人間も「復活」する、という希望を私は持ち続けます。

希望は失望に終わることはありません。

日々、感謝の気持ちを持ち続けたいと思います。

アーメン。

 

最後にパウロのことばを2箇所引用します。

ローマ人への手紙5:1~5

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テサロニケ人への手紙第一5:16~18

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↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。

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 ★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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異邦人(最終回)

 

(その⑤)の続き。

 

創造主(神)は全ての人間に直接語りかけることが出来るにも拘わらず、敢えて宣教という効率の悪い方法を取られていますが、この宣教についてコリント人への手紙第一1:21には次のように記されています。

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イエス・キリスト大宣教命令(マタイの福音書28:19~20)があってから2000年弱の時が経ちましたが、この宣教はいつまで続くのでしょうか?

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

テサロニケ人への手紙第一4:16~17

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この聖句はキリストが信者を空中に携え挙げられる、つまり、携挙(けいきょ・空中再臨)を説明している聖句でした。

「携挙」について、「復活と永遠のいのち(その5)」で書いていますが、未読の方はこちらをご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

この携挙は何時実現されるのでしょうか?

 

また、何時になったらキリストは(地上)再臨されるのでしょうか?

 

また、大患難時代やハルマゲドンの戦いがあり、その後キリストの再臨と神の御国(千年王国)が実現し、そして新天新地において永遠のいのちに到ると預言されていますが、それは何時実現するのでしょうか?

それが何時なのかは、私たち人間には分かりません。

全ては創造主(神)が定められることです。

ただ、聖書には次のように記されています。

ローマ人への手紙11:25~26

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創造主(神)は、異邦人の完成がなる時までユダヤ人(イスラエル人)の多くを一時的にかたくな(盲目)にされました。

異邦人の完成とは、宣教によって主イエス・キリストを信じる者の数が満ちることを指しています。

エスをメシアと認めないユダヤ人が未だ多くいることを顧みると、創造主(神)が計画されている諸々の計画の中の一つである異邦人信者の数が現時点ではまだ満ちていないということが分かります。

ということは、異邦人信者の数が創造主(神)の計画されている人数に達しさえすれば、その他の諸々の計画は急速に動き出すことでしょう。

 

冒頭に書いた最初の疑問「宣教はいつまで続くのでしょうか?」の答えは、現時点では異邦人信者の数は満ちていないのでキリスト者は引き続き熱心に宣教する必要があります。

ただ、ネット時代の到来によって異邦人信者の数が急速に増えつつあるようです。

つまり、創造主(神)が定めた時が近づきつつあるのではないでしょうか。

したがって、携挙の時、大患難時代の到来、キリストの再臨、ユダヤ人(イスラエル人)の大多数がイエスをメシアと信じる時も近いことが理解できます。

 

創造主(神)の計画が前進する鍵は「異邦人信者の数がより一層増え、異邦人信者の数が満ちること」にあるのです。

 

一日も早く一人でも多くの異邦人及びユダヤ人が、イエスをメシアと信じることができるようお祈りいたします。

アーメン。

 

↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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異邦人(その⑤)

 

 

(その④)の続き。

 

異邦人による反ユダヤ主義というものがあり、その顕著な現われがヒトラーホロコーストでしたが、この反ユダヤ主義に陥る人たちの心の中にはどういう思いがあるのでしょうか。

人それぞれ、反ユダヤ主義に陥る理由は様々なようですが、代表的な理由として挙げられるのが「キリスト殺し」という汚名です。

キリストを十字架で殺したユダヤ人は赦せないという感情なのでしょう。

ここで、マタイの福音書27:22~25をご覧ください。

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25節の記事によって反ユダヤ主義の人たちは、キリスト殺しの責任をユダヤ人が負い、そして創造主(神)からユダヤ人は見棄てられたと主張します。

また、ある人たちは見棄てられたユダヤ人に代わってキリストを信仰する教会(建物ではなくキリスト者の群れ)がユダヤ人の役割を担うようになったと主張します。

このような主張を置換神学(ちかんしんがく)と言い、ユダヤ人(イスラエル)が異邦人の教会に置き換えられたと主張し、旧約聖書イスラエルに与えられた多くの約束は、キリストの教会において成就したと考えており、そのように信者にも教えているのです。

この主張は、一部の人たちが最近言い出したものではなく、初代教会時代からあったもので、残念ながら世界全体のキリスト教会に広く普及しています。

因みに置換神学の主張の根拠とされるおもな聖書箇所は、マタイの福音書21:43、ローマ人への手紙2:28~29、ガラテヤ人への手紙3:6~9などがありますが、ここでは、マタイの福音書21:43及び同21:45~46をご覧ください。

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置換神学を主張する人たちは、43節の「あなたがた」をユダヤ人(イスラエル)全体と考え、「神の国の実を結ぶ国民」を教会と考えるのですが、これは明らかな誤りです。

何故なら、45節で分かるように「あなたがた」とは祭司長やパリサイ人のことであり、ユダヤ人全体を指していないことを明らかです。

46節では、ユダヤ人の群衆はイエス預言者と認めているのです。

ただ、預言者と認めていてもメシア(救い主)と認めることまでは出来ずにいるユダヤ人が圧倒的多数であり、当時は僅かなユダヤ人だけしかイエスをメシアと信じることが出来なかったのです。

そして、パウロは次のように語り、置換神学を否定しています。

ローマ人への手紙11:1~6

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1節でパウロユダヤ人が創造主(神)から見棄てられてなどいない、と断言しています。

2節の聖書のエリヤに関する箇所とは列王記第一に記されている北王国イスラエル預言者エリヤの活動を指していて、偶像神バアルの預言者450人と偶像神アシュラの預言者400人(列王記第一18:19)と戦いました。

3節の「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らは私のいのちを取ろうとしています。」は列王記第一19:10と14からの引用です。

4節の「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」は列王記第一19:18からの引用ですが、偶像神を礼拝しない真の神である創造主(神)を礼拝する者が残されているのです。

この真の信仰者をレムナントイスラエルの残れる者)といいますが、メシアニック・ジュー(ユダヤ人のキリスト者)のアーノルド・フルクテンバウム博士は次のようにレムナントのことを説明しています。

ユダヤ人全体の中には、いつの時代も信仰あるものが必ずいる。その人々をイスラエルの残れる者(レムナント)という。つまり、全体としてのイスラエルと、残れる者としてのイスラエルと、二種類のイスラエルがあるのだ。両者は民族的には同一だが、霊的には異なる。過去の歴史において、人数の多少はあったとしても、残れる者がいなかったことは決してない。・・・中略・・・ですから、現在の『残れる者』であるイエスをメシアと信じ従うユダヤ人(メシアニック・ジュー)が、ユダヤ人の1%しかいないとしても、神はユダヤ人全体を捨てられたことにはなりません。決してなくなることはないのです。」

 

引き続き、ローマ人の手紙11:7~14をご覧ください。

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聖書を学ぶ中でいい意味で私が衝撃を受けた聖句がいくつかありますが、11節の「彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。」を初めて読んだ時は、目からウロコでした。

それは、創造主(神)がご計画されたユダヤ人と異邦人の関係がこの聖書箇所によって初めて理解できたからです。

 

 突然ですが、皆さんはどのような時に「ねたみ」を覚えますか。

東京オリンピックが2年後に迫ってきましたが、お家芸と言われる柔道で外国人が全ての階級でメダルを独占することがあれば、日本人として悔しいと感じ、「ねたみ」を覚えるのではないでしょうか。

ユダヤ人は(旧約)聖書は自分たち民族に与えられたものだと考えていますが、異邦人がいつの間にか、(旧約)聖書を信じ、そして、イエスをメシア(救い主)と信じて、どんどん多くの異邦人が救われている姿を見て「ねたみ」を覚えることでしょう。

 

この「ねたみ」は、「卑しいねたみ」ではなく「聖なるねたみ」なのです。

 

イエス・キリストを信じる異邦人のキリスト者が増え続けることは、ユダヤ人に「聖なるねたみ」を起こさせ、未だイエスをメシアと認めていないユダヤ人も主イエス・キリストをメシアと信じる時が必ずやって来るのです。

それで、先に引用したマタイの福音書21:43の「神の国の実を結ぶ国民」とは主イエス・キリストをメシアと信じる異邦人だけでなくユダヤ人を含むのです。

 

聖書を素直に読めば、ユダヤ人が見棄てられていないことは明らかであり、教会がユダヤ人に代わって受け継いだなどという可笑しな主張の置換神学が出てきたことが私には理解できません。

 

↓ ↓ 次回(最終回)はこちらをクリック

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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異邦人(その④)

 

(その③)の続き。

 

残虐非道なことをする異教徒(異邦人)のアッシリヤ人を預言者ヨナは極度に嫌っていたので、創造主(神)からアッシリヤ帝国の首都ニネベに行くことを命じられても、それに背いて反対方向のタルシシュに向かう途中大魚に三日三晩飲み込まれますが、ヨナが創造主(神)に祈ることによって、創造主(神)が大魚に命じてヨナを陸地に吐き出させることになります(ヨナ書2章)。

そして、ヨナはニネベに向かうことになるのですが、ここからはヨナ書3章をご覧ください。

ヨナ書3:1~10

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5節に「荒布を着た」とありますが、やぎの毛で織った黒く目の粗い布で、悲しみや後悔の念を表す時に着たようです。

6節の「灰の中にすわった」とは、恥辱、悲しみ、悔い改めを表現する行為です。

7節の獣や家畜にも断食を求めているのは、悔い改めが非常に徹底していたことを示しています。

 

預言者ヨナが、そもそもニネベに行くことを嫌がったのは、ニネベ(アッシリヤ)が3章に記されているように、創造主(神)のことばによって悔い改めることを予測していたからです。

つまり、ヨナはイスラエルの敵であるニネベ(アッシリヤ)が悔い改めなどしないで、滅ぼされることを願っていたのです。

ヨナ書4:1~2をご覧ください。

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私たちキリスト者が信じる創造主(神)は、悔い改める者を赦す「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かな御方」なのです。

 

続いてヨナ書4:3~11をご覧ください。

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6節以降に出てくる「とうごま」という植物が何なのか、聖書中ここにしか出てこないので詳細は不明ですが、下の写真(バチカンキリスト教美術館蔵)は初期キリスト教時代のコップに描かれたヨナの絵では「ひょうたんの木」となっています。

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ヨナは12万のニネベの人々が全滅させられたかもしれないことにさほど心を痛めず、むしろ自分に日陰を作ってくれた植物(とうごま)が枯れたことに腹を立てています。

しかし、ヨナに代表される私たち人間の心根と異なり、創造主(神)の慈しみは、選民イスラエルだけに向けられたものではなく、創造主(神)は御自分が創造されたすべてのものを愛しておられるのです。

つまり、異邦人も間違いなく愛しておられ、家畜すら愛しておられるのです。

 

私が聖書を学び始めた頃に感じていた、「異邦人」という言葉に対する違和感は、創造主(神)がアブラハムの長男イシュマエルの末裔の異邦人のアラブ人を愛し、そして、アッシリヤ人だけでなく家畜をも深く愛しておられることを知って解消されることになったのです。

 

ユダヤ人と異邦人(全ての民族)に上下関係や優劣はなく、創造主(神)は分け隔てなく平等に愛しておられます。

 

↓ ↓ (その⑤)はこちらをクリック

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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異邦人(その③)

 

(その②)の続き。

 

前回まではアブラハムの長男イシュマエル及び彼の子孫であるアラブ人という異邦人を、創造主(神)がイスラエル人、ユダヤ人と同じように祝福し、愛してくださっていることを確認しました。

本日は、ヨナ書の記事から異邦人について考えたいと思います。

まず、ヨナ書1:17をご覧ください。

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聖書を神話や作り話だと主張する人たちと同じ様にかつての私もそのように考えていたときがあります。

ヨナが大魚の腹の中に三日三晩にいたという、このヨナ書の記事が、聖書が作り話だと考える理由のひとつだったのかもしれません。

しかし、聖書の学びが進むに従って、聖書は創造主(神)のみことばが記されたものであり、全知全能の創造主(神)の御業つまり奇跡が記された書であることが理解できるようになり、特に天地万物を6日間(144時間)で創造された奇跡と比べると、ヨナが大魚に飲み込まれ、その後吐き出されることなど、創造主(神)の御力からすれば造作無い、た易いことだと考えることができるようになったのでした。

そして、私たちキリスト者が信じる、真理を語る主イエス・キリストもヨナが大魚に飲み込まれた事実を次のように語ったことからもヨナの奇跡を信じることができるのです。

マタイの福音書12:38~40

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ヨナの奇跡が事実でないなら、イエスがウソつきだと言うことになってしまいます。

 

この大魚はおそらくクジラだと考えられますが、聖書ではクジラとは書いていないので断定はできません。

不明なものは不明のままにしておきましょう。

 

預言者ヨナは、北王国イスラエルの第13代の王ヤロブアム2世の治世(前786年頃~前746年頃)の頃に活動したと考えられています。

それは、列王記第二14:23~25の記事で分かります。

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25節にヤロブアム2世が「レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。」とありますが、レボ・ハマテはダマスコ(ダマスカス)の北方約190キロにある町で、アラバの海とは死海のことであり、ヤロブアム2世はその領土をダビデ時代に匹敵するほど拡張したのです。

このように北王国イスラエルはヤロブアム2世の時代に繁栄の絶頂を迎えるのです。

しかし、イスラエルの民をアッシリヤに強制移住(捕囚)することになるアッシリヤ帝国の脅威が迫ってもいました。

同じ25節のガテ・ヘフェルとはナザレの北東5キロほどのところにある町であり、預言者ヨナがこの地の出身であることがわかります。

 

イスラエル人の預言者ヨナは、残忍非道で知られていた異教徒(異邦人)のアッシリヤ人を極度に嫌っていました。

下の画像はアッシリヤ時代の王宮で見つかったレリーフ(浮彫り)です。

アッシリヤの兵士が弓を引いている左上には杭に串刺しされている3人の人間が見えます。

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ある時ヨナは、創造主(神)からアッシリヤ帝国の首都ニネベに行くように命じられるのですが、ニネベとは反対方向のタルシシュに逃げようとします。

この預言者ヨナの行動は驚くべきものです。

いまだかつて創造主(神)からの召命に背いた預言者はいなかったからです。

ヨナ書1:1~3をご覧ください。

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3節のタルシシュは列王記第一22:48(引用省略)やイザヤ書60:9(引用省略)の記事で分かるのですが、鉱石などの貿易が盛んな商業都市で、おそらくスペイン南部のタルテソスと考えられます。

そして、ヨッパはエルサレムの北西、地中海に面した港町です(新改訳聖書・注解書より)。

 

本日はここまでです。

次回は、預言者ヨナの経験から異邦人のアッシリヤ人を創造主(神)がどのように見ているのか、を確認したいと思います。

↓ ↓ (その④)はこちらをクリック

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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異邦人(その②)

 

(その①)の続き。

 

前回に続き本日も異邦人であるアラブ人の祖イシュマエルについて見ていきたいと思います。

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

創世記17:15~21

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19節後半で創造主(神)は「わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」と宣べられています。

これは、アブラハム契約は、長男のイシュマエルではなく、次男のイサクとその子孫に継承されるという創造主(神)の宣言です。

しかし、イシュマエルの子孫であるアラブ人たちは、これを承認していません。

ここで、アラブ人のムハンマドから始まり大多数のアラブ人が信奉しているイスラム教について少し触れたいと思いますが、私が中学生の時の歴史ではムハンマドではなくマホメットと教えられ、イスラム教ではなくマホメット教ないし回教(かいきょう)と教えられていました。

イスラム教徒(ムスリム)にとって旧約聖書新約聖書も一応聖典ではあるのですが、コーランクルアーン)が最も重要な聖典として位置付けられています。

旧約聖書ではイサクがアブラハム契約を継承する者としているのに対して、コーランではイシュマエルが契約継承者だとしているのです。

さらにアブラハムが創造主(神)に「いけにえ」として捧げようとしたのは(創世記22章)イサクではなく、イシュマエルであったと教えています。

周知のことと思いますが、ムハンマドの生誕地はアラビア半島の現在のアラブ諸国の一つサウジアラビアのメッカ(マッカとも言う)であることを念のため付け加えておきます。

 

20節ではイサクの息子ヤコブからイスラエルの12人の族長が出ましたが、イシュマエルからも12人の族長が出ると創造主(神)は宣べています。

 

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続いて、創世記25:12~18をご覧ください。

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13節から16節は前記した創世記17:20に記されているイシュマエルから12人の族長が出ると創造主(神)が約束されたことの成就です。

 

18節では「イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき」とありますが、ハビラはユーフラテス川上流地域にある地と考えられ、アシュルはアッシリヤを、シュルはエジプトからアッシリヤに至る主要な道(幹線道路)のシナイ半島の北西の地と考えられます。

つまり、北はユーフラテス川から南は紅海まで、西はシナイ半島の北西から東はアッシリヤ(帝国)の東(バビロンの西)までの地に住みついたということです。アラブ人がイシュマエルの末裔であることは、この地理的なものから充分推測できるのです。

 

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同じ18節の後半の「それぞれ自分のすべての兄弟たちと敵対して住んだ。」とあるようにアラブ人たちは部族抗争が絶えるだけでなく、前回ブログでも扱ったようにイスラエル人(ユダヤ人)に対する敵対意識が現在に至るまで続いているのです。

しかし、紀元前8世紀頃に南のユダ王国で活動した預言者イザヤは、この世の終末のことを次のように預言しています。

イザヤ書19:23~25

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このように終末には、異邦人のエジプト(アラブ)及び当時残虐非道さで知られていたアッシリヤでさえも創造主(神)に仕える民となり、イスラエルとともに祝福すると万軍の主(創造主)は宣言しておられるのです。

現代のアラブ人とイスラエル人(ユダヤ人)の中東戦争及びその後のパレスチナの地での敵対を見ると政治的な解決はとても難しいように思われます。

しかし、創造主(神)のみことばに偽りはありません。

必ず成就します。

 

過去のブログで何度も引用したイザヤ書55:11を再度引用します。

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聖書に基づくイシュマエルについての説明はここまでです。

次回も引き続き異邦人について触れますが、登場人物(主役)は一体誰でしょうか? 

本日はこれで終わりません。

第一次世界大戦(1914年~1918年)の最中に起こった「アラブの反乱」を描いた大作映画「アラビアのロレンス」(1962年公開)のことを少し書きたいのです。

皆さんは、映画「アラビアのロレンス」を観ましたか。

観ていない方はぜひレンタルDVDで観ることをお勧めします。

 

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まだ観ていない方が、イシュマエルの末裔のアラブ人がオスマン帝国の支配から独立するための戦いを描いた映画「アラビアのロレンス」を楽しむために、予め知っておいた方がより一層映画を楽しむことができる事柄を、老婆心ですが以下書きたいと思います。

 

第一次世界大戦は連合国(イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・日本ほか多数)と同盟国(ドイツ・オスマン帝国オーストリア=ハンガリー帝国ブルガリア王国)との戦争でしたが、当時のアラブ人は自らの国家を持っておらず、そして、オスマン帝国の支配に不満を持つアラブ人が多くいました。

そこで、連合国のイギリスは戦いを優位に進めるためにアラブ人にオスマン帝国への反乱を起こさせるために、アラブ人の有力者フサイン接触し「アラブの人々がオスマン帝国に勝利した暁には、アラブ独立国家の建設を支援する」と約束します(1915年のフサイン・マクマホン協定)。マクマホンとはイギリスの外交官ヘンリー・マクマホンのことであり、当時駐エジプトの高等弁務官でした。

そして、アラビア語やアラブ文化に詳しいイギリスの陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスが工作員としてアラブ人の元に送り込まれ、フサインの息子ファイサルの軍事顧問として、当時アラブの各部族は部族間の争いが絶えなかったのですが、各部族を一時的に束ねてオスマン帝国と戦うことになったのです。

オスマン帝国が占拠する港湾都市アカバを陥落し、(ヒジャース)鉄道を爆破し、オスマン帝国の主要都市ダマスカスも陥落させたロレンス率いるアラブ人でしたが、「フサイン・マクマホン協定」に基づくアラブ独立国家の約束をイギリスは果たすことはありませんでした。

それは、イギリスはアラブとの約束の他に、オスマン帝国領土をイギリスとフランスとロシアの三国協商で分割統治する秘密協定(サイクス・ピコ協定)を結び、さらにユダヤ人にもパレスチナの地にイスラエル建国の約束(バルフォア宣言)をするという、よく知られている「イギリスの三枚舌外交」があったからです。

上記の「サイクス・ピコ協定」は第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリスの中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ピコによって原案が作成されたものです。

また、「バルフォア宣言」は第一世界大戦中の1917年11月2日にイギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ貴族院議員の第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡のことです。

 

第一次世界大戦の末期にイギリスはフランスとともにオスマン帝国領土の山分けをさっさと進め、アラブ人が住んでいた領域はシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナイラクなどと(人工的に)小分けにして独立させ、シリアと北アフリカ諸国は主にフランスが、イラク、ヨルダン、パレスチナはイギリスが、直接、間接に統治するようになったのです。

要するに「イラク」とか「ヨルダン」とか、歴史的にはあまり馴染みのない地名を冠した人工的な国に分けられてしまったのです(酒井啓子著「中東の考え方」より一部引用)。

 

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以上のことを踏まえ、雄大な砂漠の中をラクダに乗って駆け巡るロレンスとアラブ民族を描く映画「アラビアのロレンス」(DVD完全版)をお楽しみください。

 

因みに、映像の中で私が感動した10数秒前後の際立ったワンシーンがあるのですが、DVDに収められている特典映像の中で「未知との遭遇」「E・T」などの監督スティーブン・スピルバーグも「奇跡」と絶賛したワンシーンです。

初めて映画を観る方は、どのシーンがその「奇跡」のシーンなのか、貴方の感性がスティーブン・スピルバーグの感性と一致するか、探してみてはどうでしょうか(特典映像は本編の後で観ることをお勧めします)。

 

最後に手許にある映画パンフレットの記事を一部引用します。

「私はロレンスを現代に生きた最も偉大な人物と信じる。私は二度と彼のような男を見ることは出来ないだろう。彼の名前は歴史の中に生きている戦史の中に、そしてアラブの伝説の中に生きている(イギリスの元首相:ウィンストン・チャーチル)」

「謀略、反乱、闘争に明け暮れるアラビアの天地に登場したのが『アラビアのロレンス』と呼ばれ、『無冠の帝王』と恐れられたT・E・ロレンスだった。すぐれた指導者そして卓越した謀略家、さらにたぐいまれな戦術家としての素質と天賦の才能は中東、英、米、仏、独の政府当局に脅威を与え、彼の一挙一動が戦局に動揺をもたらした。そして、アラビアにおける彼の行動は以後、世界各国の情報謀略活動に大きな影響を与えた。日本でもロレンスのやり方を手本にして謀略活動を行ったといわれる。満州事変の口火となった盧溝橋(1928年)と柳条橋における鉄道爆破がそれで、この事実はあまりに有名。」

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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