イザヤ書45:7をご覧ください。
創造主(神)は、光を造り、やみを造り、水を造り、酸素を造り、物理の法則を造り、目にすることが出来る全てのものはもちろん、目にすることが出来ない全てのものも創造された御方です。
この地球には創造主(神)の恵みで溢れています。
動植物が死ねば腐敗が始まりますが、この腐敗というメカニズムも創造主(神)が創造されたものです。
もし、腐敗というメカニズムがなく、動植物が死んでも腐らずに姿形がそのまま残るとしたら、この地球上には動植物の死骸の山で埋め尽くされていたことでしょう。
腐敗というメカニズムにも創造主(神)の恵みを感じることが出来るのではないでしょうか。
ところで、人間の作った物はどうでしょうか。
最近、海洋投棄されたプラスチックごみが話題となっています。
腐敗しないプラスチックが、プラスチックを作った人間自身の首を絞める結果をもたらすのです。
また、創造主(神)は、必要があれば「災いを創造」して人間に試練を与え、時には人間や動植物を滅ぼすこともされます。
しかし、創造主(神)が創造する「災い」は、人間を苦しめるだけの災いで終始することはありません。
それは、どういうことかと言うと、一つの例として、創造主(神)が創造された災いの中でも最大級のノアの時代の大洪水を思い浮かべてください。
この最大級の災いである大洪水によって8人のノアの家族と一定の種類の動物以外は大洪水に飲み込まれ死滅しましたが、洪水によって倒れた大量の樹木の一団は地中に埋没し時の経過によって石炭が出来、また、ある海中動物の死骸の一団は地中に埋没した結果石油が出来たのです(化学者の分析によると、石油は昔、大量の海中動物の死骸が地層内にまとまって堆積した結果出来たものだと説明しています)。
このように災いの結果生まれた石炭や石油によって現代の私たち人間は恩恵を受けていることを忘れてはならないのではないでしょうか。
つまり、創造主(神)の創造される「災い」は災いで終わることはなく、「恵み」に成り得るのです。
ノアの時代の大洪水によって石炭が生成されたことについて、「創造か、進化か(その⑧)」で書いています。未読の方は、こちらもご覧ください。
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最近、世界各地で自然の猛威による災害が頻発しています。
これらの災害が創造主(神)が直接関与して発生しているのかどうかは、私には分かりません。
直接関与していないにしても、災害を止める力があるにも拘わらず、それを為さらずに黙認していることは確かなようです。(自然災害を含む地球自体の苦悶について、次回のブログで触れたいと思います)。
いずれにしても、創造主(神)の為さること、為さらないことに何一つ無駄なものはないのです。
必ずや、人間にとって「恵み」として現れる時が必ず到来する、と私は理解して、徹頭徹尾、創造主(神)を信頼いたします。
災いが災いだけで終わることはありません。
創造主(神)の為さることに何一つ無駄はなく、災いが災いだけに終わることはなく、凡てのことが相働きて益となる日が必ず訪れるのです。
たとえ益となる日が私が地上で生きている時に来なくても、死後復活の命が授けられた時に、実感することが出来るのです(と私は確信しています)。
ローマ人への手紙8:28(文語訳聖書)
聖書に記された預言通り、時が来れば、主イエス・キリストの信仰により、この地上から姿を消した人間も「復活」する、という希望を私は持ち続けます。
希望は失望に終わることはありません。
日々、感謝の気持ちを持ち続けたいと思います。
アーメン。
最後にパウロのことばを2箇所引用します。
ローマ人への手紙5:1~5
テサロニケ人への手紙第一5:16~18
↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。