異邦人(その④)
(その③)の続き。
残虐非道なことをする異教徒(異邦人)のアッシリヤ人を預言者ヨナは極度に嫌っていたので、創造主(神)からアッシリヤ帝国の首都ニネベに行くことを命じられても、それに背いて反対方向のタルシシュに向かう途中大魚に三日三晩飲み込まれますが、ヨナが創造主(神)に祈ることによって、創造主(神)が大魚に命じてヨナを陸地に吐き出させることになります(ヨナ書2章)。
そして、ヨナはニネベに向かうことになるのですが、ここからはヨナ書3章をご覧ください。
ヨナ書3:1~10
5節に「荒布を着た」とありますが、やぎの毛で織った黒く目の粗い布で、悲しみや後悔の念を表す時に着たようです。
6節の「灰の中にすわった」とは、恥辱、悲しみ、悔い改めを表現する行為です。
7節の獣や家畜にも断食を求めているのは、悔い改めが非常に徹底していたことを示しています。
預言者ヨナが、そもそもニネベに行くことを嫌がったのは、ニネベ(アッシリヤ)が3章に記されているように、創造主(神)のことばによって悔い改めることを予測していたからです。
つまり、ヨナはイスラエルの敵であるニネベ(アッシリヤ)が悔い改めなどしないで、滅ぼされることを願っていたのです。
ヨナ書4:1~2をご覧ください。
私たちキリスト者が信じる創造主(神)は、悔い改める者を赦す「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かな御方」なのです。
続いてヨナ書4:3~11をご覧ください。
6節以降に出てくる「とうごま」という植物が何なのか、聖書中ここにしか出てこないので詳細は不明ですが、下の写真(バチカン、キリスト教美術館蔵)は初期キリスト教時代のコップに描かれたヨナの絵では「ひょうたんの木」となっています。
ヨナは12万のニネベの人々が全滅させられたかもしれないことにさほど心を痛めず、むしろ自分に日陰を作ってくれた植物(とうごま)が枯れたことに腹を立てています。
しかし、ヨナに代表される私たち人間の心根と異なり、創造主(神)の慈しみは、選民イスラエルだけに向けられたものではなく、創造主(神)は御自分が創造されたすべてのものを愛しておられるのです。
つまり、異邦人も間違いなく愛しておられ、家畜すら愛しておられるのです。
私が聖書を学び始めた頃に感じていた、「異邦人」という言葉に対する違和感は、創造主(神)がアブラハムの長男イシュマエルの末裔の異邦人のアラブ人を愛し、そして、アッシリヤ人だけでなく家畜をも深く愛しておられることを知って解消されることになったのです。
ユダヤ人と異邦人(全ての民族)に上下関係や優劣はなく、創造主(神)は分け隔てなく平等に愛しておられます。
↓ ↓ (その⑤)はこちらをクリック
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。