星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

異邦人(その⑤)

 

 

(その④)の続き。

 

異邦人による反ユダヤ主義というものがあり、その顕著な現われがヒトラーホロコーストでしたが、この反ユダヤ主義に陥る人たちの心の中にはどういう思いがあるのでしょうか。

人それぞれ、反ユダヤ主義に陥る理由は様々なようですが、代表的な理由として挙げられるのが「キリスト殺し」という汚名です。

キリストを十字架で殺したユダヤ人は赦せないという感情なのでしょう。

ここで、マタイの福音書27:22~25をご覧ください。

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25節の記事によって反ユダヤ主義の人たちは、キリスト殺しの責任をユダヤ人が負い、そして創造主(神)からユダヤ人は見棄てられたと主張します。

また、ある人たちは見棄てられたユダヤ人に代わってキリストを信仰する教会(建物ではなくキリスト者の群れ)がユダヤ人の役割を担うようになったと主張します。

このような主張を置換神学(ちかんしんがく)と言い、ユダヤ人(イスラエル)が異邦人の教会に置き換えられたと主張し、旧約聖書イスラエルに与えられた多くの約束は、キリストの教会において成就したと考えており、そのように信者にも教えているのです。

この主張は、一部の人たちが最近言い出したものではなく、初代教会時代からあったもので、残念ながら世界全体のキリスト教会に広く普及しています。

因みに置換神学の主張の根拠とされるおもな聖書箇所は、マタイの福音書21:43、ローマ人への手紙2:28~29、ガラテヤ人への手紙3:6~9などがありますが、ここでは、マタイの福音書21:43及び同21:45~46をご覧ください。

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置換神学を主張する人たちは、43節の「あなたがた」をユダヤ人(イスラエル)全体と考え、「神の国の実を結ぶ国民」を教会と考えるのですが、これは明らかな誤りです。

何故なら、45節で分かるように「あなたがた」とは祭司長やパリサイ人のことであり、ユダヤ人全体を指していないことを明らかです。

46節では、ユダヤ人の群衆はイエス預言者と認めているのです。

ただ、預言者と認めていてもメシア(救い主)と認めることまでは出来ずにいるユダヤ人が圧倒的多数であり、当時は僅かなユダヤ人だけしかイエスをメシアと信じることが出来なかったのです。

そして、パウロは次のように語り、置換神学を否定しています。

ローマ人への手紙11:1~6

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1節でパウロユダヤ人が創造主(神)から見棄てられてなどいない、と断言しています。

2節の聖書のエリヤに関する箇所とは列王記第一に記されている北王国イスラエル預言者エリヤの活動を指していて、偶像神バアルの預言者450人と偶像神アシュラの預言者400人(列王記第一18:19)と戦いました。

3節の「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らは私のいのちを取ろうとしています。」は列王記第一19:10と14からの引用です。

4節の「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」は列王記第一19:18からの引用ですが、偶像神を礼拝しない真の神である創造主(神)を礼拝する者が残されているのです。

この真の信仰者をレムナントイスラエルの残れる者)といいますが、メシアニック・ジュー(ユダヤ人のキリスト者)のアーノルド・フルクテンバウム博士は次のようにレムナントのことを説明しています。

ユダヤ人全体の中には、いつの時代も信仰あるものが必ずいる。その人々をイスラエルの残れる者(レムナント)という。つまり、全体としてのイスラエルと、残れる者としてのイスラエルと、二種類のイスラエルがあるのだ。両者は民族的には同一だが、霊的には異なる。過去の歴史において、人数の多少はあったとしても、残れる者がいなかったことは決してない。・・・中略・・・ですから、現在の『残れる者』であるイエスをメシアと信じ従うユダヤ人(メシアニック・ジュー)が、ユダヤ人の1%しかいないとしても、神はユダヤ人全体を捨てられたことにはなりません。決してなくなることはないのです。」

 

引き続き、ローマ人の手紙11:7~14をご覧ください。

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聖書を学ぶ中でいい意味で私が衝撃を受けた聖句がいくつかありますが、11節の「彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。」を初めて読んだ時は、目からウロコでした。

それは、創造主(神)がご計画されたユダヤ人と異邦人の関係がこの聖書箇所によって初めて理解できたからです。

 

 突然ですが、皆さんはどのような時に「ねたみ」を覚えますか。

東京オリンピックが2年後に迫ってきましたが、お家芸と言われる柔道で外国人が全ての階級でメダルを独占することがあれば、日本人として悔しいと感じ、「ねたみ」を覚えるのではないでしょうか。

ユダヤ人は(旧約)聖書は自分たち民族に与えられたものだと考えていますが、異邦人がいつの間にか、(旧約)聖書を信じ、そして、イエスをメシア(救い主)と信じて、どんどん多くの異邦人が救われている姿を見て「ねたみ」を覚えることでしょう。

 

この「ねたみ」は、「卑しいねたみ」ではなく「聖なるねたみ」なのです。

 

イエス・キリストを信じる異邦人のキリスト者が増え続けることは、ユダヤ人に「聖なるねたみ」を起こさせ、未だイエスをメシアと認めていないユダヤ人も主イエス・キリストをメシアと信じる時が必ずやって来るのです。

それで、先に引用したマタイの福音書21:43の「神の国の実を結ぶ国民」とは主イエス・キリストをメシアと信じる異邦人だけでなくユダヤ人を含むのです。

 

聖書を素直に読めば、ユダヤ人が見棄てられていないことは明らかであり、教会がユダヤ人に代わって受け継いだなどという可笑しな主張の置換神学が出てきたことが私には理解できません。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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