星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その⑧)

 

(その⑦)の続き。

 

アッシリヤ帝国によって北のイスラエル王国が滅びイスラエル人がアッシリヤに強制移住させられたアッシリヤ捕囚は紀元前722年であったことを前回確認しました。

 

南のユダ王国の最初の王はソロモンの息子レハブアムでした。

それから数代の王が立てられましたが、それぞれの王たちの治世は割愛して、本日はユダ王国の滅亡とバビロン捕囚を取り上げます。

このユダ王国を滅亡させたバビロニア帝国は、北のイスラエル王国を滅亡させたアッシリヤ帝国を滅亡させた(紀元前609年頃)帝国でもあり、カルデヤ人のナボポラサル王により創設され、このあとを継いだネブカデネザル2世によって一躍強国へとのし上がりました。

参考のためバビロニア帝国の歴代諸王をご覧ください。

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バビロニアの頭に「新」がついているのは、バビロニア帝国がアッシリヤ帝国の属国の時代があって、ナボポラサルが紀元前626年にアッシリヤ帝国からの独立を宣言してバビロニアの王位に就いたからです。

 

バビロン捕囚は、バビロニア帝国の王ネブカデネザル2世の治世の時に行われたのですが、一度だけ行われたわけでなく、数度にわたって行われました。

聖書では強制移住させた際の人数が書かれていない箇所もあってなのか、2度と説明する人、3度と説明する人、4度と説明する人など様々です。

 

まずは、次の聖書箇所をご覧ください。

列王記第二24:1

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ダニエル書1:1~6

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上記のように2つの書にバビロンの王ネブカデネザルがユダ王国を攻めてきたことが書かれています。

当ブログの「東方の博士たちとは何者か(最終回)」で取り上げたダニエルがバビロンへの強制移住つまり捕囚の中の一人として含まれているのですが、この後数度ある捕囚の最初の捕囚であり紀元前605年頃だと思われます。

なお、ユダ王国の王エホヤキムは新共同訳聖書ではヨヤキムと訳されています。

 

「東方の博士たちとは何者か(最終回)」を未読の方は、こちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

エホヤキムが死に、その子のエホヤキン(新共同訳聖書ではヨヤキン)が王となります。

それから、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムを包囲するために軍隊を先に送っていたのですが、ついに王自らエルサレム包囲作戦の指揮を執るために上ってきました。

このあたりの経緯を聖書で確認してみましょう。

列王記第二24:6~17

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14節の記事でわかるようにバビロンの王ネブカデネザルが強制移住させた人々は高官や有力者、職人などで、国家の支柱となる人々ばかりであったのです。

そして、この時の捕囚が二度目の捕囚であり紀元前597年頃のことです。

ここで、バビロンへ強制移住されたユダ族の人々はどのような扱いを受けていたのでしょうか。

バビロンの地で奴隷的な生活を強いられたのではなく、上記のダニエル書1:5に書かれているように、王に仕える重要な地位に就く者もいたり、職人として生きることも許され、バビロンという国で重要な役割を担うようにもなっていたのです。

ただ、ユダ王国の王エホヤキンは牢獄に入れられていましたが、バビロンの王ネブカデネザルの次の王エビル・メロダクの時に釈放され(紀元前560年頃)、丁寧な扱いを受けることになります(列王記第二25:27~30)。

 

捕囚されたユダ王国の王エホヤキンの代りに、バビロンの王ネブカデネザルによってゼデキヤが王とされ、このゼデキヤ王の時に、首都エルサレムが崩壊しソロモン王が建てた宮(第一神殿)が破壊されることになります(紀元前586年)。

このあたりのことは列王記第二25章に書かれていますが長い箇所ですので、1節から9節だけを引用します。

列王記第二25:1~9

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5節の「カルデヤの軍勢」はバビロン軍と同義です。

7節で書かれている、目をつぶされてバビロンに連れていかれたゼデキヤのことはエレミヤ書52:11にも書かれており、ゼデキヤは死ぬまで牢獄に入れられていたのです。

エレミヤ書52:11

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次回は捕囚後のイスラエル人が辿る経緯を取扱います。

↓ ↓ (その⑨)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その⑦)

 

(その⑥)の続き。

 

前回はソロモンの息子レハブアム王の治世にイスラエル王国が南北に分裂したことを聖書で確認しました。

分裂後の南北の王国のたどった経緯は割愛して、本日は北のイスラエル王国のアッシリヤ捕囚と南のユダ王国のバビロン捕囚を取り上げる予定でしたが、本日はアッシリヤ捕囚だけにして、次回バビロン捕囚を取り上げます。

アッシリヤ捕囚の経緯を聖書記事を基に詳細に書こうとするとかなりの量になり、聖書の学びの初学者を念頭に置いて書いている当ブログでは、ポイントを出来るだけ簡潔に書きたいと考えています。

 

アッシリヤ捕囚について書く前にお断りしたいことがあります。

アッシリヤという帝国名は、新共同訳聖書では「アッシリ」と書かれていて、新改訳聖書では「アッシリ」と書かれています。

そこで、当ブログでは新改訳聖書を引用していますので、「アッシリヤ」で書くように致します。

なお、アッシリヤは紀元前2000年紀にメソポタミア(現在のイラク)の北方で興った帝国です。紀元前8世紀のティグラトピレセル3世の時代に改革を行なって強大化し、最盛期にはイラン西部からエジプト本土全域にまで及ぶ版図を獲得しました。

 

北のイスラエル王国の第13代の王ヤロブアム2世(治世紀元前783年~745年頃)の時代に王国は繁栄の絶頂を迎えます。

しかし、この時代に現れた預言者アモスは富める者だけが繁栄を謳歌する社会を批判し、ひいてはイスラエルの滅亡を預言します。

アモス書6:14をご覧ください。

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イスラエルの家」とは、北イスラエル王国のことであり、「一つの民」とはアッシリヤを指します。

 

さらにアモスの次に登場した預言者ホセアは、創造主(神)に対して繰り返し背く罪を犯す(主に姦淫である偶像崇拝イスラエル王国の民に悔い改めをするように説くのですが、一向に人々は改めることがなく、創造主のさばきが下ることを預言します。

ホセア書5:1をご覧ください。

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「王の家」は政治的指導者を指しています。

 

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北のイスラエル王国の最後の王となったのは、第19代のホセア(名は同じですが預言者ホセアとは違う)でした。

彼はアッシリヤの援助を得て王となったものの、両国の間には次第に摩擦が生まれていきました。

エジプトの援助に加え、アッシリヤの王位がシャルマヌエセル5世からサルゴン2世に移ったのを機にホセアはアッシリヤへの貢物を中止します。

これがアッシリヤの怒りを買うことになります。

イスラエル王国の首都サマリヤは包囲され、3年後の紀元前722年ついにイスラエル王国はアッシリヤに降伏し、この時イスラエルの北の10部族の民がアッシリヤの領土に強制移住させられます。

この強制移住が所謂アッシリヤ捕囚と呼ばれるものです。

 

上記の内容を聖書で確認したいと思います。

列王記第二17:1~6

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アッシリヤ帝国はイスラエル人をゴザン川(ユーフラテス川に注ぎ込む川)のほとりハラフとハボルに、またメディヤの町々(ニネベの北方)に住まわせたのですが、この捕囚(強制移住)のことは聖書に記されているだけでなく、アッシリヤ王朝の記録にも残っており、サルゴン2世の年代記に「私はサマリヤを包囲して、これを征服し、その住民27290人を捕虜として連れ去った」と記されているのです。

サマリヤの住民全員を連れ去ったのではなく、イスラエル王国の指導階級の貴族や技術者や有能な人材をいなくなるようにしたのです。

これはそういう人材を残しておけば、いつ国を再建するか分かりませんから、後顧の憂いを断ったということでしょう。

なお、アッシリヤ帝国の政策は、住民を他国に強制移住させるだけでなく、別の民族をそこに住まわせるものでした。

 

このアッシリヤ捕囚が起こった理由を列王記第二17:7~41で説明されているのですが、長い箇所なので7節から12節だけ以下引用します。

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最後に参考のため、次の画像をアップします。

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これは、画像下にも書いているようにアッシリヤ帝国の王シャルマネセル(シャルマヌエセル)3世の「黒いオベリスク」(ロンドン大英博物館)です。周囲4面に彫られた5段の絵それぞれに5ヶ国からの貢物を納める場面が描かれています。上から2段目(下の拡大画像)にはイスラエル王国の王エフー(イエフ)(又は王の全権代理人?)の貢物を納める場面ですが、アッシリヤ王の前でひざまずき平伏しています。

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↓ ↓ (その⑧)はこちらをクリック

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イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その⑥)

 

 

(その⑤)の続き。

 

ソロモンは近隣諸国から700人の妻を娶り、300人の側室、合計1000人もの女を迎え入れたのですが、当初はあくまでも外交を目的としたものでしたが、次第に国のためでなく、自身の満足のためとなっていきました。

妻たちから「故郷の神に祈りたい」とねだられたソロモンは、エルサレムの近くに偶像神のための宮を建てることになります。

それだけでなく、自らも偶像神を拝むようになってしまったのです。

これは、偶像崇拝を許さない創造主(神)に対する大いなる裏切りでした。

怒った創造主(神)は、ソロモンの王国が将来分裂し、家来のものとなることを告げます。

これらのことを聖書で確認したいと思います。

前回アップした聖書箇所と一部重複しますが、次の箇所をご覧ください。

列王記第一11:1~13(新改訳聖書)

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1節の「パロ」は新共同訳聖書では「ファラオ」と書かれていますが、王のことです。

4節に「主と全く一つにはなっていなかった」と書かれているように、ソロモンが完全に唯一の神から離れたというのではなく、他の神々をも認める混合主義に陥ったということです。

5節のアシュロテとはシドン人が礼拝していた豊穣と性の女神です。

ミルコムは偶像神モレクの別名で子供をいけにえとして捧げる(人身供養)アモン人の偶像神です。

11節の「あなたの家来に与える」と書かれている家来とは分裂後の(北)イスラエル王国の王となるヤロブアムです。

13節の「一つの部族だけをあなたの子に与えよう」と書かれている一つの部族とはユダ族のことです。ベニヤミン族もユダ族に付き従ったのですが、ベニヤミン族は弱小部族であったため、ここでは一部族として数えられていないようです。ユダ族とベニヤミン族がひとつになって、(南)ユダ王国を形成するようになります。

 

エルサレムに神殿も建設し(列王記第一6:1~38)栄華を極めたソロモン王が死ぬと、彼の息子レハブアムが代わって王となります。

しかし、イスラエル王国では内乱の兆しが芽生えていました。それは、それまで栄華を極めていたダビデ、ソロモンが民衆に課していた負担があまりにも大きく、人々は不満を抱いていたからです。

ソロモンの跡を継いだレハブアムでしたが、王の信任を巡って開かれたユダ族とベニヤミン族を除く北の10部族が集まったシュケム(エルサレムの北約50キロのところにある町)の地で開かれた集会では、かつてソロモンに仕え、叛旗を翻したためにエジプトに亡命していたヤロブアムも出席し(列王記第一12:1~3)民衆を代表してレハブアム王に苦役の軽減を要求しました。

ソロモンを支えてきた長老たちも民の声に耳を傾けるよう助言しましたが、レハブアムは彼とともに育ち彼に仕えていた若者たちの助言に従い次のように北の10部族に告げます。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」その結末はイスラエル王国の南北分裂となるのです。

列王記第一12:13~24をご覧ください。

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15節では、シロ人の預言者アヒヤがヤロブアムに対して北の10部族の離反を預言したことが書かれていて(列王記第一11:31~39)、「主がそうしむけられた」とは、ソロモン王の背信に対する創造主(神)のさばきなのです。

16節の「全イスラエル」とは北の10部族のことであり、カッコ書きの言葉は40数年前にダビデに反抗したシェバが語ったものです(サムエル記第二20:1)、それだけの年数が経過してもいても、北の10部族の間にはダビデ王朝(家系)に対する不満がうっ積していたのです。なおエッサイはダビデの父ですが、ここのダビデ及びエッサイの子と書かれている言葉は南のユダを指していて、イスラエルは北の10部族を指しています。

レハブアムは北の10部族の怒りがいかに深いものであるか理解しておらず、従来の方法で北の部族を統治しようとして、18節に書かれているように長官アドラムを派遣しますが石で打ち殺され、レハブアムはシュケムからエルサレムに逃げ帰ることになったのです。

逃げ帰ったレハブアムは武力によってイスラエル(北の10部族)を取り戻そうとしますが、22節から24節に書かれているように預言者シェマヤを通して創造主(神)のことばが語られます。

レハブアム王も民も創造主(神)のことばに聞き従い、その結果、当面の悲劇は回避され、ヤロブアムを王とする(北)イエスラエル王国とレハブアムを王とする(南)ユダ王国に分裂することが確定したのです。

この南北分裂は紀元前930年頃のことです。

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(出典:創元社「聖書大百科」)

 

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イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その⑤)

 

 

(その④)の続き。

 

士師の時代から王政の時代に移行することになったイスラエルですが、最初の王サウルからダビデ、ソロモンが王となり、その後、イスラエル王国は南北に分裂し、(北)イスラエル王国と(南)ユダ王国のそれぞれに王が立てられます、下記の画像が王たちの一覧です。

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(出典:創元社「聖書大百科」)

 

一人一人の王たちには、それぞれの王の時代に発生した興味深い事件があったりするのですが、本日のブログでは主にダビデ王とソロモン王についてポイントだけを概観します。

 

ダビデは30歳で王となり、70歳まで王としてイスラエル王国を統治しました。その治世はヘブロンの地で7年6ヶ月、ついでエルサレムで30年、合計40年の長きにわたります。

ダニエルはエルサレムイスラエル王国の首都としたのですが、このエルサレムは、もとエブス人が占拠していた要害の地でエブス人は「この町は難攻不落なので、目の見えない者でも足の不自由な者でも守り切ることができる」と豪語していましたが、ダビデが攻め落としエブス人を追い出して、「ダビデの町」と呼んだ所です。

サムエル記第二5:4~10をご覧ください。

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7節の「シオン」とはエルサレムのことですが、聖書大事典(教文館)では次のように説明しています。

「シオンは、エルサレムの一区域の名称ないしエルサレム全市およびその住民全体を指す呼称。元来シオンはイスラエル以前のエルサレムの名称ないしエブス人の町のあった丘、すなわちエルサレム南東部にある丘の名称である。」

因みに、パレスチナ問題を語る時「シオニズム」という言葉が出てくることがありますが、シオンすなわちエルサレムに象徴される約束の地カナンに帰り、ユダヤ人固有の国家を建設しようとする近代ユダヤ人の運動を指す言葉です。

 

ダビデの町」について新約聖書のルカの福音書2:11では次のように記されています。

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ただ、ここで記されている「ダビデの町」はエルサレムの南約8キロにあるダビデの故郷でもあるベツレヘム(サムエル記第一16:18、20:6)であることを付言しておきます。

 

ダビデは、モーセ十戒が書かれた石が納められた「神の箱(契約の箱)」のために神殿を立てたいと願うのですが、預言者ナタンを通して創造主(神)のことばが告げられます。それは、ダビデではなく、ダビデから出る世継ぎの子(ソロモン)が神殿を建設するというものです(サムエル記第二7:1~29)。

天地万物の創造主である唯一の神を篤く信仰するダビデでしたが、偶像崇拝をする周辺諸国の王と同じように、多数の妻妾(さいしょう)を持つことになります。

モーセは「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。」と命じていました(申命記17:17)。

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しかし、ダビデの魂は、いつしか官能の深みに嵌っていたようです。

 

今も昔も男という生き物の本性は変わらないようで、金や権力を持ち、そして、体が健康で頑健であればあるほど性的誘惑に嵌りやすいのです。

だから、貧しく権力も持たない健康な男が不倫をしないのは(例外の男性もいますが)、しないのではなくて、性的欲求を押さえざるを得ないだけのことであり、何かのキッカケで大金を手にしたり、特別の地位(政治家、社長など)を持つと本性が顕在化することがままあるのです。どこかのお寺の偉いお坊さんも例外ではありません(そんなニュースがありましたね)。

 

ダビデが犯した罪の中で注目すべきは、ダビデの部下のウリヤの妻バテ・シェバの美しさに目を奪われ姦淫したことですが、ダビデは姦淫の事実を隠すためウリヤを戦場に赴かせ死に追いやります。

しかし、このことがダビデを苦しめることになるのです(詳細は割愛)。

 

イスラエル王国の第三代の王ソロモンはダビデが姦淫したバテ・シェバとの間の子ですが、ソロモンは自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めずに「善悪を判断してイスラエルの民をさばくために聞き分ける心を与えください。」と創造主(神)に求めるほどの信仰篤い人でした。

しかし、ダビデと同じように多数の妻妾を持つことになります。

そして、ソロモンの心はいつしか唯一の神から離れていくことになるのです。

列王記第一3:9~12

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列王記第一11:3~4

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★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その④)

 

(その③)の続き。

 

前回の続きに入る前に約束の地カナンについて次のことを確認して置きたいと思います。

創造主(神)から約束された土地カナンには、カナン人が先住民としていました。

このカナンは、ノアの3人の息子のうちのハムの子孫です。

念の為、次の聖書箇所をご覧ください。

創世記10:1及び10:6

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創世記10:15~19

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前回、イスラエル人が王を立てることを求めたことをサムエル記第一8章で確認しましたが、イスラエル人が王政を求めた理由の一つは、ペリシテ人の脅威だと言われています。

ペリシテ人は「海の民」の一派としてエジプトを攻撃し、のちにカナン沿岸部(地中海沿い)に定着した人々です。

鉄製の武器を用いて、内陸部へと侵入しました。彼らに対抗するため、イスラエル人は中央集権的な統治体制と軍人組織を持つ王政へと移行したのです。

 

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(出典:創元社「聖書大百科」)

 

なお、このペリシテ人の名称から転化したのがパレスチナと言われていて(ペリシテが訛って?パレスチナ)、パレスチナという名称は聖書では用いられていませんが、ギリシア人が初めペリシテ人の地と呼び、その名称が後に彼らの住む地の名称となり、その後更にその範囲が拡げられ今日に至っているようです。

 

時代を紀元130年頃に進ませると、当時、この地はローマ帝国が支配していたのですが、ユダヤ人のローマに対する反乱(バル・コクバの反乱)を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスが、ユダヤという名をこの地上から抹殺するため「ユダヤ領」を「シリア・パレスチナ領」に変えたため、パレスチナの名が定着しました。

 

ちなみに現在のパレスチナ人は、その後この地に定着したアラブ人で、ペリシテ人とは直接関係はありません。

パレスチナ民族というパレスチナ人がいるのではなく、パレスチナ人とは単純にパレスチナ地方に住んでいる人々ということなのです。

 

話は変わりますが、聖書を学ぶ前までの私は中東情勢及びパレスチナ問題に全く無知であり、ニュースでパレスチナ問題が放送されても全く理解不能であり、パレスチナ問題に少し興味を持ち始めて新聞を読み始めてみたもののパレスチナ人、イスラエル人、ユダヤ人の違いすら分かっていなかったので、何を書いているのかさっぱり分からず数行を読んだだけで挫折したことが何度あったことでしょうか。

こういう私の体験もあって、今回このブログのテーマ「イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人について」をアップする気になったのです。

 

聖書の学びを生きたものにするためにも、現代の世界情勢を知って置くことも必要だとの考えもあり、パレスチナ問題は聖書的には約束の地カナン問題でもあるのでカナンがパレスチナと呼ばれるようになった経緯も知って置く必要を感じたのです。

 

本日はここまでです。

本日のブログではイスラエルが士師の時代から王政に移行した後のサウル王、ダビデ王、ソロモン王について書く予定でしたが、パレスチナの語源のブログになってしまいました。済みません。

なお、バル・コクバの反乱については別の機会にアップする予定です。

 

↓ ↓ (その⑤)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その③)

 

 

(その②)の続き。

 

イスラエルの十二部族が約束の地カナンを征服し、各部族に土地が割り当てられたことは旧約聖書ヨシュア記に書かれていますが、前回のブログでも触れたようにすべての部族がそれぞれに割り当てられた領土を完全に征服できたわけではないのです。

そこで、その後に続く「士師記(ししき)」では、イスラエルの民は部族単位で長期間にわたり複雑な経緯で土地を取得した、と書かれています。

そのため、イスラエルの民は、土着のカナン人の影響を受け、異教に傾倒してしまいますが、このことに怒った創造主(神)は、周囲の国々にイスラエルを攻撃させました。それで、悔い改めた民が助けを求めると、創造主(神)は「士師」と呼ばれる指導者を遣わし、民を救出します。

しかし、士師が死ぬと、民はまた異教に傾倒することになります。

士師記」の時代には、このサイクルが7回も繰り返されます。

なお、「士師」とはイスラエルの民がカナン定着から王政成立までの間に民を導いた指導者ですが、彼らは裁き司(さばきつかさ)つまり裁判官であり、政治的・軍事的指導者でもあり、敵からイスラエルの民を解放する解放者、救済者でありました。

士師記」には映画「サムソンとデリラ」で有名なサムソンを含む全部で十二人の士師が登場しますが、当ブログでは詳細は割愛します。

 

士師記の時代にはイスラエルには中央政府というものはなく、異教の他民族のような王もいなく、組織化された状態ではありませんでした。

ですから、周囲に割拠する諸王国にとっては、攻めやすい状況だったといえます。

士師記21:25をご覧ください。

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士師の時代の最後に預言者サムエルが登場しますが、イスラエルの民はサムエルに王を立てることを求めます。

少し長くなりますが、サムエル記第一8章全部をご覧ください。

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8章を要約すると、サムエルに後継者がいないので、イスラエル人は王を求めたのですが、これは他国と戦う軍事的リーダーを求めるものでした。

しかし、王を求めることは神を拒否したことです。

王は、民に大きな犠牲を強いることになるとサムエルは説明するのですが、それでもイスラエル人は他のすべての国民のようになることを求めたのです。

そして、この求めに応じてイスラエル人に最初の王サウルが立てられ、次にダビデが登場し、その子ソロモンとつながっていきます。

 

本日はここまでです。次回以降にダビデ、ソロモン等の時代からイスラエル王国の南北分裂、アッシリア捕囚及びバビロン捕囚等に触れたいと思います。

 

今回のブログのテーマは「イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人について」ですが、この3者の違いなどに焦点を当ててブログを書いていますので(つもり)、聖書記事の詳細はかなり割愛することになりますが、予めご了承ください。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その②)

 

(その①)の続き。

 

前回イスラエルの十二部族を確認しましたが、この部族のことが記されている新約聖書ヨハネの黙示録7:4~8をご覧ください。

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ヨハネの黙示録は、十二弟子のひとりであるヨハネが見た幻を記した書ですが、上記の記事で皆さんは何か気づかれたことがありませんか?

 

そうですね。ヨセフの息子のマナセ部族があるのにエフライム部族がなくてヨセフ部族が書かれていることと、ダン部族が書かれていません。

 

ある人たちはダン部族が書かれていないのは「十二」という数字に拘った聖書記者ヨハネが数字合わせのためにダン部族を除いたのだと解釈します。

新改訳聖書の注解書では次のように説明されています。

「十四万四千人はユダヤ人の十二部族から一万二千人ずつを選んだ総計であり、ユダヤ人の救われた者を指すと考える者もいるが、むしろ霊的な意味でのイスラエルととり、すべての救われた者を指すと考える者もいる。ダンの部族の名があげられていないのは、この部族がしばしば偶像崇拝をしたためかもしれない。旧約偽典の『十二族長の遺言』に、ダンの部族から反キリストが出ると言われているからだとする者もいる。」

 

私は、ダン部族が除かれたのは、新改訳聖書の注解書の説明のようにダン部族の偶像崇拝のためである可能性が高いのではと考えています。

だから、数字合わせ説に反対するのですが、十二という数字に合わせるのならエフライム部族とマナセ部族を除いて父親のヨセフ部族一つに統一して書き、ダン部族を入れたほうがまだスッキリとして納得できるような気がします。

そして、聖書が作り話であればダン部族を除いて書くなどの不可解な書き方はしないはずです。

ダン部族を除いている点などの不可解さが却って、聖書の真実性を高めているのではないでしょうか。

 

なお、十四万四千人について、神学者やある宗教団体(エホバの証人)などが様々な解釈をしていますが、当ブログでは今回は触れずに別の機会にアップするつもりです。

 

次に進む前に、ここで、アブラハムの時代に逆戻りします。

アブラハムの父はテラといい、ウルという地で暮らしていましたが、ある日、テラは息子のアブラハムとその妻サライ、そしてアブラハムの甥にあたる孫のロトを連れてハランという地へ移り住みました。

このハランの地で、創造主(神)はアブラハムに次のように告げます。「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へいきなさい。」(創世記12:1)

アブラハムはこれに従い妻のサライ、甥のロト、そしてすべての財産を持って約束の地カナンへと旅立ちます。

そしてカナンの地に入ったアブラハム一族でしたが、当時、カナンにはカナン人がいました。

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上記のことを次の聖書箇所で再度確認したと思います。

創世記11:31

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創世記12:1

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創世記12:5~6

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何故、私が上記に書いたようにアブラハムの時代に逆戻りしたかというと、創造主(神)が約束した地のカナンは先住民のいない未開の地ではなく、カナン人という先住民かすでにいたことを確認して置きたかったのです。

 

それでは、前回のブログに続き、イスラエルの十二部族に土地が割り当てられたことに話を戻しますが、そもそも割り当てられた土地には、イスラエルの民が430年間エジプトにいる間(出エジプト記12:40~41参照)にすでにカナンの地に住んでいた他民族がいて、モーセをリーダーとして、モーセ亡き後はヨシュアをリーダーとして、カナンの地の他民族を征服した結果割り当てられたものです。

しかし、すべての部族がそれぞれに割り当てられた領土を完全に征服できたわけではないのです。

一例としてヨシュア記15:63をご覧ください。

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出エジプト記12:40~41

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皆さん、ここで少し立ち止まって考えてみませんか。

創造主(神)が約束した地カナンは、その最初のアブラハムの時からすでに先住民カナン人がいて、イスラエルの十二部族の時も争いの地であり、現在もパレスチナの地と呼ばれるようになっても依然として争いの地であり続けているのです。

 

約束の地カナンとはつくづく不可思議な地だと、皆さん思いませんか。

 

この不可思議な地カナン、現在ではパレスチナの地を私は今まで以上に注目したいと思います。

 

約束の地カナンにおけるイスラエル人、ユダヤ人の苦難の歴史を思う時、創造主(神)の御心は一体どこにあるのだろうか、と考えさせられます。

しかし、私たち土の器に過ぎない被造物の人間の考えることと、全知全能の創造主(神)の御心は自ずと異なるのかもしれません。

ただただ創造主(神)を信頼するだけです。

イザヤ書55:8~9をご覧ください。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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