イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その③)
(その②)の続き。
イスラエルの十二部族が約束の地カナンを征服し、各部族に土地が割り当てられたことは旧約聖書のヨシュア記に書かれていますが、前回のブログでも触れたようにすべての部族がそれぞれに割り当てられた領土を完全に征服できたわけではないのです。
そこで、その後に続く「士師記(ししき)」では、イスラエルの民は部族単位で長期間にわたり複雑な経緯で土地を取得した、と書かれています。
そのため、イスラエルの民は、土着のカナン人の影響を受け、異教に傾倒してしまいますが、このことに怒った創造主(神)は、周囲の国々にイスラエルを攻撃させました。それで、悔い改めた民が助けを求めると、創造主(神)は「士師」と呼ばれる指導者を遣わし、民を救出します。
しかし、士師が死ぬと、民はまた異教に傾倒することになります。
「士師記」の時代には、このサイクルが7回も繰り返されます。
なお、「士師」とはイスラエルの民がカナン定着から王政成立までの間に民を導いた指導者ですが、彼らは裁き司(さばきつかさ)つまり裁判官であり、政治的・軍事的指導者でもあり、敵からイスラエルの民を解放する解放者、救済者でありました。
「士師記」には映画「サムソンとデリラ」で有名なサムソンを含む全部で十二人の士師が登場しますが、当ブログでは詳細は割愛します。
士師記の時代にはイスラエルには中央政府というものはなく、異教の他民族のような王もいなく、組織化された状態ではありませんでした。
ですから、周囲に割拠する諸王国にとっては、攻めやすい状況だったといえます。
士師記21:25をご覧ください。
士師の時代の最後に預言者サムエルが登場しますが、イスラエルの民はサムエルに王を立てることを求めます。
少し長くなりますが、サムエル記第一8章全部をご覧ください。
8章を要約すると、サムエルに後継者がいないので、イスラエル人は王を求めたのですが、これは他国と戦う軍事的リーダーを求めるものでした。
しかし、王を求めることは神を拒否したことです。
王は、民に大きな犠牲を強いることになるとサムエルは説明するのですが、それでもイスラエル人は他のすべての国民のようになることを求めたのです。
そして、この求めに応じてイスラエル人に最初の王サウルが立てられ、次にダビデが登場し、その子ソロモンとつながっていきます。
本日はここまでです。次回以降にダビデ、ソロモン等の時代からイスラエル王国の南北分裂、アッシリア捕囚及びバビロン捕囚等に触れたいと思います。
今回のブログのテーマは「イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人について」ですが、この3者の違いなどに焦点を当ててブログを書いていますので(つもり)、聖書記事の詳細はかなり割愛することになりますが、予めご了承ください。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。