東方の博士たちとは何者か(最終回)
(その②)の続き。
前回見ていただいた聖書箇所のマタイの福音書2:2~6を再度表示します。
3節では、「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。」とありますが、何故、ヘロデ王は恐れたのでしょうか?
このことに関し、新改訳聖書の注解書に簡潔に説明されていますので引用します。
「ヘロデ王は前37年~前4年にかけて、ローマ元老院からユダヤ王に任ぜられた。エルサレム神殿の再建に着手し、『ヘロデ大王』と呼ばれたが、その家系は純粋なユダヤ人ではなく、エドム人であった。『ユダヤ人の王としてお生まれになった』(2節)イエスを恐れたのも、そのためであった。」
聖書を学び始めた頃は、聖書が歴史的事実を記した真実の書なのか、または作り話なのかと半信半疑で読んでいたので、聖書が作り話であればヘロデ王がユダヤ人の王(イエス)の誕生を何故恐れたのかなどという疑問を持つこと自体に何の意味もないので、この聖書箇所に限らず、もしかしたら聖書は歴史的事実を記した真実の書なのではないかと感じ始めるまでは、聖書に書かれている文字を表面的に読んでいただけだったことを思い出します。
ユダヤ人にとって聖書に書かれているメシア預言(キリスト誕生)は特別なものであり、ヘロデ王にとっても自分の王の地位を脅かすことになるユダヤ人の王(キリスト)の誕生は見のがすことのできない脅威であったのです。
そこで、ヘロデ王は4節に書かれているように、聖書に精通している祭司長や学者にキリスト誕生を問いただしているわけです。
問いただされた祭司長たちの回答が聖書記事の引用になるのは当然なのであって、6節はミカ書5:2の引用です。
ミカ書5:2をご覧ください。
ミカ書は預言者ミカが書いたとされる書ですが、ベツレヘム・エフラテはエルサレムの南南西8キロほどにあった寒村です。
イスラエルの支配者(キリスト)は当時の大都市エルサレムではなく、誰も関心を持たない目立たない小さな村のベツレヘムから出るという預言なのです。
そして、この預言がまさに成就してイエス・キリストはベツレヘムで生まれたのです。
続いて、東方の博士たちは、ひとところに止まる星ではなく東西南北と動く星(シャカイナ・グローリ)を見て、異様な星と感じただけでなく、ユダヤ人の王として生まれた方(キリスト)がいると、何故考えたのでしょうか。
これに対する答えは「東方の博士たち」の東方がバビロンの地であることにヒントがあるようです。
そして、このバビロンという地がユダヤ人にとって歴史的に重要な地であることです。それはユダヤ人の「バビロン捕囚」(または、バビロニア捕囚)です。
この「バビロン捕囚」は聖書の学びの際に頭に入っていなければならない知識ですが、詳細は近日中に当ブログでアップします。
本日は簡単に以下説明します。
バビロン捕囚とは、バビロニア帝国のネブカデネザル王がユダ王国を滅ぼし、多くの住民をバビロンを初めとしてバビロニア地方に連れ去った事件のことです。
注目すべきはバビロンに連れてこられた人々の中に、将来預言者となるユダヤ人貴族の少年ダニエルがいたことです(ダニエル書1:1~6)。
この預言者ダニエルは、バビロニアの知者(占星術師)の誰も解き明かすことができなかったバビロニア帝国の王ネブカデネザルが見た風変わりな夢を解き明かすことが出来た功績もあって、ネブカデネザル王はバビロニア帝国の知者(占星術師)の長官に任命したのです。
ダニエル書2:47~48をご覧ください。
このように、知者(占星術師)の東方の博士たちは、自分たちの先祖に関係する人の中にユダヤ人の長官ダニエルがいたこともあり、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」を礼拝し、ダニエルの預言及びその他の預言者の預言も先祖から受け継がれていたはずです。
そして、預言の中にユダヤ人の王(キリスト)が将来現れるとするメシア預言も当然知っていたのです。
このメシア預言が「ヤコブの星」と呼ばれるものです。
「ヤコブの星」が記されている民数記24:17をご覧ください。
これは異邦人の預言者バラムが語るメシア預言です。
この民数記24:17についてメシアニック・ジュー(キリスト者)のアーノルド・フルクテンバウムの説明を引用(要約)します。
「バラムは、モアブの王に雇われ、ユダヤ人を呪うように求められた。バラムはユダヤ人を4度呪おうとしたのだが、そのたびにアブラハム、イサク、ヤコブの神がバラムの口を支配し、ユダヤ人を呪う代わりに祝福してしまうのだった。そのようにユダヤ人を祝福をしている中で、バラムは4つのメシア預言を語る。そのうちの一つが民数記24:17の預言である。バラムは、嫌々ながらも神に強いられてユダヤ人のメシアが来ることを預言し、メシアを一つの『星』と関連づけた。これが文字どおりの星ではないことは、この星について『イスラエルから一本の杖が起こり』とも言われていることからわかる。この『星』と『杖』は同じものである。『杖』という言葉は王権を象徴している。このヤコブから上る『星』は王である。さらに、バラムの職業は占星術師で、しかもベトルというバビロニアのユーフラテス川流域にある町の出身である(民数記22:5、申命記23:4)。バラムはバビロンの占星術師一門に属していた。メシアの誕生に関係する『星』が現われるという預言は仲間の占星術師たちにも伝えただろう。(マタイの福音書2章の)東方の博士たちがユダヤ人の王(キリスト)の誕生を知ったのは、占星術という似非科学を信じて星を見つめていたからではない。聖書に記されている神の啓示、バラムとダニエルの預言によって知ったのである。」
ところで、ある教会では牧師が信徒に「聖書はキリストの福音が記されている新約聖書だけ学べばよい。」と語っていると耳にしたことがあります。
しかし、新約聖書のマタイの福音書2章に記されている東方の博士たちの見た「星」の真の意味を知るには、旧約聖書を学ばなければ決して理解できるものでないことがよく分かるのではないでしょうか。
今回のブログを書くに当たって東方の博士たちが見た「星」について改めて聖書を学ぶことによって、聖書が歴史書であり真理の書であるとの確信がさらに深まります。
確信とは、かたく信じていること、信じて疑わないことなので、確信に深いも浅いもないはずですから「確信がさらに深まります。」という表現は可笑しな表現ですが、今の私の心境はこれなのです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。