イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その②)
(その①)の続き。
前回イスラエルの十二部族を確認しましたが、この部族のことが記されている新約聖書のヨハネの黙示録7:4~8をご覧ください。
ヨハネの黙示録は、十二弟子のひとりであるヨハネが見た幻を記した書ですが、上記の記事で皆さんは何か気づかれたことがありませんか?
そうですね。ヨセフの息子のマナセ部族があるのにエフライム部族がなくてヨセフ部族が書かれていることと、ダン部族が書かれていません。
ある人たちはダン部族が書かれていないのは「十二」という数字に拘った聖書記者ヨハネが数字合わせのためにダン部族を除いたのだと解釈します。
新改訳聖書の注解書では次のように説明されています。
「十四万四千人はユダヤ人の十二部族から一万二千人ずつを選んだ総計であり、ユダヤ人の救われた者を指すと考える者もいるが、むしろ霊的な意味でのイスラエルととり、すべての救われた者を指すと考える者もいる。ダンの部族の名があげられていないのは、この部族がしばしば偶像崇拝をしたためかもしれない。旧約偽典の『十二族長の遺言』に、ダンの部族から反キリストが出ると言われているからだとする者もいる。」
私は、ダン部族が除かれたのは、新改訳聖書の注解書の説明のようにダン部族の偶像崇拝のためである可能性が高いのではと考えています。
だから、数字合わせ説に反対するのですが、十二という数字に合わせるのならエフライム部族とマナセ部族を除いて父親のヨセフ部族一つに統一して書き、ダン部族を入れたほうがまだスッキリとして納得できるような気がします。
そして、聖書が作り話であればダン部族を除いて書くなどの不可解な書き方はしないはずです。
ダン部族を除いている点などの不可解さが却って、聖書の真実性を高めているのではないでしょうか。
なお、十四万四千人について、神学者やある宗教団体(エホバの証人)などが様々な解釈をしていますが、当ブログでは今回は触れずに別の機会にアップするつもりです。
次に進む前に、ここで、アブラハムの時代に逆戻りします。
アブラハムの父はテラといい、ウルという地で暮らしていましたが、ある日、テラは息子のアブラハムとその妻サライ、そしてアブラハムの甥にあたる孫のロトを連れてハランという地へ移り住みました。
このハランの地で、創造主(神)はアブラハムに次のように告げます。「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へいきなさい。」(創世記12:1)
アブラハムはこれに従い妻のサライ、甥のロト、そしてすべての財産を持って約束の地カナンへと旅立ちます。
そしてカナンの地に入ったアブラハム一族でしたが、当時、カナンにはカナン人がいました。
上記のことを次の聖書箇所で再度確認したと思います。
創世記11:31
創世記12:1
創世記12:5~6
何故、私が上記に書いたようにアブラハムの時代に逆戻りしたかというと、創造主(神)が約束した地のカナンは先住民のいない未開の地ではなく、カナン人という先住民かすでにいたことを確認して置きたかったのです。
それでは、前回のブログに続き、イスラエルの十二部族に土地が割り当てられたことに話を戻しますが、そもそも割り当てられた土地には、イスラエルの民が430年間エジプトにいる間(出エジプト記12:40~41参照)にすでにカナンの地に住んでいた他民族がいて、モーセをリーダーとして、モーセ亡き後はヨシュアをリーダーとして、カナンの地の他民族を征服した結果割り当てられたものです。
しかし、すべての部族がそれぞれに割り当てられた領土を完全に征服できたわけではないのです。
一例としてヨシュア記15:63をご覧ください。
出エジプト記12:40~41
皆さん、ここで少し立ち止まって考えてみませんか。
創造主(神)が約束した地カナンは、その最初のアブラハムの時からすでに先住民カナン人がいて、イスラエルの十二部族の時も争いの地であり、現在もパレスチナの地と呼ばれるようになっても依然として争いの地であり続けているのです。
約束の地カナンとはつくづく不可思議な地だと、皆さん思いませんか。
この不可思議な地カナン、現在ではパレスチナの地を私は今まで以上に注目したいと思います。
約束の地カナンにおけるイスラエル人、ユダヤ人の苦難の歴史を思う時、創造主(神)の御心は一体どこにあるのだろうか、と考えさせられます。
しかし、私たち土の器に過ぎない被造物の人間の考えることと、全知全能の創造主(神)の御心は自ずと異なるのかもしれません。
ただただ創造主(神)を信頼するだけです。
イザヤ書55:8~9をご覧ください。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。