日本人は「祈り」といえば、「神に何かをお願いすること」と考えているようです。
つまり、ご利益(ごりやく)を求めて多くの日本人は八百万(やおよろず)の神に「祈り」をするのです。
これに対して、聖書が教える「祈り」の中心は、天地万物を創造された偉大な創造主(神)を「賛美」することです。
いま私は、卓球をしたり、水泳をしたり、楽器演奏をしたり、カメラ撮影をしたりと、貧乏であっても日々楽しく暮らすことができています。
しかし、これらの楽しみが、予期しない重い病気になることによって失われることがあるかもしれません。しかし、創造主(神)との霊的な繋がりがありさえすれば満足するのです。
逆に言えば、創造主(神)との霊的な繋がりがないのであれば、一切の楽しみや富も、空しい(むなしい)ものとなるのです。
ここで、旧約聖書・伝道の書1章2節~3節を引用します。
「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。」(口語訳聖書)
創造主(神)との霊的な繋がりがなければ、人の一生は空(くう)であり、なんの益もありません。
あらためて、私を創造してくださった創造主(神)に感謝し、創造主(神)の栄光を賛美(祈り)いたします。
聖書を独りで学びたい人をサポート(無料)
↓ ↓ ↓ こちらをクリック
聖書を独りで学びたい人をサポート(無料) - bible-seisho ページ!
https://bible-seisho.jimdo.com/