(その①)の続き。
まず、マタイの福音書9:13に記されているイエスのことばをご覧ください。
冒頭の「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」は旧約聖書・ホセア書6:6の引用です。
ホセア書6:6
続いてイザヤ書1:11をご覧ください。
このように、創造主(神)は、いけにえの動物の血が欲しいわけでも何でもないのです。
いけにえの動物の血は、あくまでも人間の罪を贖うためのものであり、人間のために創造主(神)が備えてくださった儀式なのです。
ただ、いけにえの動物の血は一時的に人間の罪を贖うことしか出来ませんでした。ですから何度も繰り返し動物をほふり(殺して)血を注ぐ必要があったのです。
これに対して十字架上で流されたキリストの血は、ただ一度だけで人間の罪を贖うことが出来たのです。
ヘブル人への手紙9:22~28をご覧ください。
最後の28節後半の「二度目は・・・」の二度目とは、私たち人間を救うために主イエス・キリストが再度現れてくれることですが、これは「携挙(けいきょ)」のことを言っているのです。
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「携挙」については、本年1月5日のブログ「復活と永遠のいのち(その5)」で書いているので、未読の方はこちらをご覧ください。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。