いけにえの血と贖い(その③)
(その②)の続き。
前回のブログで引用した聖句でも確認したように、創造主(神)ご自身が、牛や羊などの動物を欲しているのではなく、必要としているのでもありません。何故なら、いつでも創造主(神)は牛や羊を創造できるのであって、わざわざ、ほふられた(殺された)動物など必要としないのは当然なのです。
人間を愛してくださっている創造主(神)は、罪を犯した人間を直ちに罰するのではなく、人間の身代わりとして牛や羊の動物の「いけにえの血」をささげるという儀式を設けることによって、人間がいつまでも罪責感を持たないでいいように、のがれの道を用意してくださったのです。
ところで、聖書を本格的に読み始めた頃、読み進むうちに聖書が驚きの書であることを少しずつ実感することになりました。
この驚きの中には二つの驚きがありました。その一つは私が求めていた「真理」を書いている書という意味の驚きであり、もう一つは単純にこんなことがあるのかという驚きでした。
過去ブログでも紹介したのですが、内村鑑三はこのヨハネの福音書1:1を「世界最大のことば」と語っています。再度引用します。
「世界最大のことばは新約聖書ヨハネ伝第一章の第一節においてある。このことばより大なることばは論語にも、孟子にも、古事記にも法華経にも、プラトンにも、アリストテレスにも、ダンテにもシェイクスピアにも、ゲーテにもない。これ実に世界、いな、宇宙最大のことばであって、このことばこそ実に世に戴せ尽くすことあたわざるものである。」
私は主イエス・キリストが「ことば」であり天地万物を創造した御方であると記されていることに単純に驚きました。
そして、創造主(神)である主イエス・キリストが天から地に降りて、創造した被造物の人間と同じ体になって、自ら人間の罪の贖いのために十字架上で血を流されたことを知ることになった時は最大の驚きでした。
次の聖書箇所をご覧ください。
ピリピ人への手紙2:6~9
ヘブル人への手紙12:2
エペソ人への手紙1:7
ロイ・ヘッション著の「カルバリの道」という本を既に購入しているのですが、読みたい本が多くて後回しになっています。近いうちに読みたいと思っています。
なお、聖書の中身を全く知らなかった頃は、マンガの「ゴルゴ13」の「ゴルゴ」がイエスが十字架につけられたゴルゴタの丘からヒントを得た名称であることを知っていた程度でした。
次にコロサイ人への手紙1:14~20をご覧ください。
そもそも、創造主(神)でもある主イエス・キリストは、自ら創造した人間の罪の贖いのために、創造主(神)のあり方を捨てて被造物の人間として地上に来られて辱めを受けて十字架につけられるなどとするストーリーを人間の知恵で考えつくことでしょうか。
要するに、聖書が人間によって創作された作り話などと、私には到底考えることは出来ないのです。
聖書が真実の書であると確信します。
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https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。