私は61歳ですが、もし、聖書に書かれている「永遠のいのち」というものがありもしない妄想であったとしたら、仮に日本人の平均寿命を私が生きたとして、あと20年前後で死を迎えて全て終わりということになります。
しかし、私が全身全霊で信じたイエス・キリストは、次のように語ったのです。
<参考>「人の子」とは、イエス・キリストのこと。
イエスが地上で活動していたときにイエスに従い、イエスから直接教えを受けた使徒のヨハネも次のように語りました。
イエスを信じた者が永遠のいのちを持つことは、聖書の最重要の中心的教えです。
神とイエス・キリストと聖霊が存在すること、神によって天地万物が創造されたこと、ノアの大洪水があったこと、出エジプトの時に海が割れたことなどが事実であったとして、聖書に書かれていた通り事実であったことが立証され全人類が認めたとしても、「永遠のいのち」だけが妄想であるとすれば、聖書に何の価値があるのでしょうか。
つまり、イエスの行った数々のしるし(奇蹟)を含む聖書の記事の99%が事実であるが、1%の「永遠のいのち」だけは妄想であるとしたら、神を信じることや、イエスを信じた者は「救われる」とする教えに何の意味があるのでしょうか。
例えば、イエスを信じたある人が、イエスのことばによって末期ガンが治癒しました。
イエスの奇蹟によって、この人は救われたのでしょうか。
ところが、この人は、ガンが治癒してから5日後に交通事故で死にました。
「永遠のいのち」が妄想だとすれば、これでも、この人は、イエスを信じて「救われた」と言えるのでしょうか。
イエスのことばに偽りは一切ありません。
イエスを信じて「救われた」と言えるためには、「永遠のいのち」を持つことが出来て、真に「救われた」と言えるのです。
永遠のいのちは死の後に始まるのではなく、主イエスを信じた時、つまり、信じた瞬間から始まっているのです。
すでにイエスを信じた者にとって、2017年12月11日(月)のこの日この時は、「永遠のいのち」という遥かな時の流れの中のほんのわずかな時を過ごしているに過ぎません。
もちろん、今の肉体は死によって滅びますが、イエスが復活したように、私たち信者も病や障害などに無縁な完全な体で復活して永遠のいのちを生きていくことになります。
最後に、もう一度言いたいと思います。
「永遠のいのち」は妄想ではありません。
「神の御子イエスを信じる者は、必ず永遠のいのちを持ちます。」
次回に続く。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉(ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。