星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

復活と永遠のいのち(その2)

(その1)の続き。

 

エスの復活などなかったと批判する説がいくつかありますが、その内の二つを取り上げたいと思います。

そもそも、イエスは死んでなどいなくて、仮死状態であったとする説です。

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書ヨハネ福音書19:30~35

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十字架刑に処せられた罪人は数時間から数日間生き延びる例があり、死期を早めるために、すねを折ったのです。

しかし、イエスはすでに死んでいると判断されたので死期を早めるための「すねを折る」必要がなくて兵士はすねを折らなかったのですが、確実な死を確認するために、わき腹を槍で突き刺したのです。

すると、血と水が出て来たとあります。

 

現代のあるキリスト者(クリスチャン)の医師は、槍で心臓あるいは大血管系を突き刺したために、すでに血清と血餅(けっぺい)に分離した血液が流れ出たと考えられると説明します。

 

そもそも血液は血球と血漿から成り立っていますが、採取した血液を容器に入れてしばらく放置すると血球などの有形成分は凝固して血餅となり、液体成分は黄色の上澄みになって別れ、この液体成分を血清と言います。

 

「血とが出て来た」と書かれている水とは、液体成分の血清なのでしょう。

 

以上のことから、イエスは心停止してしばらく時間が経っていたから、液体成分の血清と有形成分の凝固した血餅が流れ出たことになります。

 

つまり、イエスは仮死状態などではなく、すでに死んでいたことがわかります。

 

聖書が作り話であれば著者は「が流れ出て来た」と書くのではないでしょうか。

真実の出来事であったからこそ、目撃情報をそのまま「血と水が出て来た」と書いたのです。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(その1)

驚き!

黄金の馬、初めて見ました。

昨日放送されたテレビですが、画面に釘付けでした。

文字通り、光り輝く美しさです!

創造主の神の御業にただただ感じ入るばかりです。


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黄金の馬を見たことがない方は、ネットで「黄金の馬」と検索すれば、ユーチューブで見ることができます。

 

今日から復活について検討しますが、黄金に輝く馬を見て、将来キリストを信じる者が経験する死後の復活が、死ぬ前の姿に戻るのではなく驚きの姿に変えられることであると確信すると同時に復活への希望を新たにしました。

 

まず、イエスの復活を検討したいと思います。

次の聖書箇所は、復活後のイエスと遭遇したマグダラのマリヤの様子です。

新約聖書ヨハネ福音書20:11~16

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死んでから数日しか経っていないイエスを見ても、マリヤは何故、イエスと分からなかったのでしょうか。

聖書は作り話であり、イエスの復活などあるわけがないと考えている人たちにとって、このような疑問を持つこと自体意味のないものでしょう。

しかし、イエスの十字架上の死と復活を信じているキリスト者にとって、重要な意味をもっているのです。

 

マリヤだけでなくイエスの弟子も復活後のイエスを見極めることができませんでした。

これは、復活後のイエスがわずかに変容していたからです。

 

何故、完全な復活ではなく、わずかな変容なのかと言うと、十字架上でイエスが死んでいるかどうかを確認するためにローマ兵がわき腹を槍で突き刺した痕と手足を釘付けした痕がまだ残っていたからです。

 

栄光の体を持った完全な復活は、イエスが天に昇られて完成するのです。

 

復活(よみがえり)について、パウロは次のように語っています。

新約聖書・コリント人への手紙第一15:39~44

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エスの復活後の姿は、将来、キリストを信じた者に訪れる死後の復活を予感させます。

すなわち、死ぬ前の不完全な状態の体に戻る復活でなく、新しい栄光の体を身に着ける復活なのです。

 

私の手許にある本に次のように書かれています。

「復活は、死体が生気を取り戻すだけのことではありません。復活では、神は何か新しいことをするのです。・・・<中略>・・・復活したイエスは、肉体的に変容していました。彼は、ドアを通り抜けたように見えます。時に、人々は彼がイエスとわかりましたが、わからなかった時もあります。彼は変わったのです。」

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障害があった人は障害などない体で復活し、高齢で死んだ人は瑞々しい若さで復活するので、生前にアンチエイジングの努力をする必要はないのです。

 

馬でさえ光輝く黄金の姿が与えられているのですから、神(イエス)の姿に似せて創造された人間の死後の復活の姿が、イエスに似た栄光の姿に変えられるのも何の不思議もないはずです。

 

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・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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神によるテストと試練(パートⅤ)

前回の続き。

 

聖書が啓示する神は、次の二つのことをするお方でもあることを知る必要があると、パートⅠの冒頭で書きました。

(1)神は人間をテストするお方である。

(2)神は人間に試練を与えるお方である。

 

本日は、(2)について、考えたいと思います。

 

少し長い引用ですが、新約聖書・ヘブル人への手紙12:5~11をご覧ください。

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この聖句は、キリストを信じた信者に対して語っているのですが、父なる神は、信者に試練を与え訓練するとあります。

 

クリスチャン作家の三浦綾子さんは、若いころ13年間の闘病生活をしましたが、その後亡くなるまで様々な病に襲われ続けました。

あるテレビのインタビューに三浦綾子さんが、一字一句同じではありませんが、次のように答えていたのを思い出します。

「こんなに病気ばかりする私ですが、私ほど、神様に愛された者はいない。本当にそう思っています。」

恐らく、上記引用のヘブル人への手紙12章を念頭に語っていたのでしょう。

 

話は少し変わりますが、一般書店で、聖書の聖句を引用して聖書には人生で成功するための法則が書かれていると謳っている本を見かけます(参考のために中古本を買って読みました)。

神への信仰により、アブラハムやノア、そしてソロモンだけでなく、今現在もキリストを信じた多くの信者が何らかの祝福を受けていることは間違いのない事実だと私も認めます。

しかし、聖書が人生成功のノウハウ書のようにアピールする本には違和感を覚えざるを得ません。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書詩篇119:71

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人類創造のアダムから現在に至るまで、全人類はこの世にあって常に神のテストを受けているようです。

つまり、創造主である神の存在を認めて神に従う人生を選ぶか、神の存在を認めないで神に背を向けて生きていく人生を選ぶかが問われているのです。

 

キリストを信じた者が、祝福を受けて平穏無事にこの世の人生を全うできるとは限りません。

時には試練を受け、時代によっては迫害の対象にもなります。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・ペテロの手紙第一2:11

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新約聖書・ピリピ人への手紙3:20

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ペテロが語ったように、この世では、キリストを信じる者は旅人であり寄留者なのです。

この世で、はかない一時的な成功を求める必要はないのです。

もちろん、決して、いい加減に生きていいと言うことではなく、この世の生も創造主が与えてくれたものです。

神のみことば(聖書)に従い、しっかりと生きていく必要があります。

 

復活して天に昇られたキリストが、聖書に啓示されている通りに王として支配する神の御国がたてられることを、私たちキリストを信じる者は確信しています。

神の御国が私たちキリストを信じる者の国籍なのです。

 

私が日課として読んでいる数冊の本の一つに「みことばの糧」があります。

その本の中に次のように書かれています。

地上ですらこのように麗しいのですから、神の御国はどんなにすばらしいことでしょう。

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私は、この世の人生は、第一ステージであり「神によるテストと試練」の人生だと考えています。

キリストを信じた者の本当の人生は、死がなく永遠のいのちを神とともに歩むことができる本来の国籍である神の御国において第二ステージとしてスタートすると考えています。

 

次回のテーマを「この世の支配者サタン」か「復活と永遠のいのち」のどちらにしようか迷っていましたが、後者にすることにしました。

次回も宜しくお願いします。

 



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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神によるテストと試練(パートⅣ)

前回の続き。

 

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・ヘブル人への手紙11:7

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新約聖書・ヘブル人への手紙11:1

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ノアは、箱舟を造るように神に命じられましたが、120年後に起こる洪水の時期までは明示されてはいませんでした。

 

前回のブログで書いたように、ノアは雨を見たこともなく、小規模の洪水すら経験していません。

しかし、ノアは、何時洪水が起こるか分からないまま、神のことばを信じ続けて箱舟を造り続けたのです。

 

ノアは、陸地で箱舟を造り続けていましたが、それを眺めていた隣人たちは、何故、そんな巨大な箱(隣人には舟という認識はなかったでしょう)を造っているのか?、とノアに尋ねたことでしょう。

しかし、ノアが神から受けた啓示を話して聞かせても信じることはなく、そして罪を悔い改めることもなく、ただ、ノアをキチガイ呼ばわりして嘲笑うばかりだったでしょう。

 

昔も今も、創造主である神を信じ、イエス・キリストを信じるキリスト者は、進化論ではなく天地万物の創造主を信じる者、ありもしない永遠の命を信じる者と、この世の人々から頭のおかしな人と嘲笑の対象となり、時には迫害の対象にもなります。

 

ノアは神のみことばを、恐れかしこんで聞き入れることによって、信仰を証ししました。

神のテスト(試み)にみごと合格したのです。

 

今、私たちは、ノアと同じように、聖書によって、まだ見ていない事がら(例えば、永遠のいのち、この世の終末)について神から啓示を受けています。

一人でも多くの人が、神のみことば(啓示・聖書)を恐れかしこんで聞き入れる者となることを祈ります。

アーメン。

 

次回パートⅤに続く。

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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神によるテストと試練(パートⅢ)

前回の続き。

 

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記1:6~7

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旧約聖書・創世記7:11~12

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私たちは、小学生の時に、地球のあらゆるところにある水が蒸発し雲がつくられて雨となって降り注ぐと水の循環を教えられました。

 

しかし、ノアの時代の大洪水は、水の循環による雨が大量に降り注いだものではなく、大空の上にあった水の層が開かれることによって起きたと聖書では説明しています。

 

水の循環による雨では、地球のすべてを覆う大洪水は起こることはないでしょう。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記2:5~6

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上記の聖書箇所により、前回のブログの終わりに書いた、洪水前にも雨が降っていたのか?という疑問の答えが出たのではないでしょうか。

 

洪水前には雨は降らず、動植物の水分補給は地から湧き出る水によっていたのです。

 

常々ブログで書いてきましたが、私は、聖書を真理の書であるとして受け入れて丸ごと信じています。

前回パートⅡでも引用したリック・ウォレン著「人生を導く5つの目的」に次のように書かれています。

「ノアはいまだかって雨というものを見たことがなかったのです、なぜなら洪水が起こる前には雨というものはなく、地下から水が湧き出していたからです。」

 

結局、洪水前に雨が降らなかったのであれば、洪水前に虹を見ることもなかったということです。

 

神は、契約のしるしとして雲の中に虹を立てると宣言しました。

 

ある神学者が説明したような「洪水前も虹は出ていた。洪水後の美しい虹を、感動の虹として、神がお見せになって、新たな約束を与える場面を設定・演出したのであろう。」とは考えられません。(私は、この神学者を尊敬しています。念の為。)

 

神は小手先の誤魔化しをするお方ではありません。

 

洪水前に雨は降らず、虹も出ていなかったのです。

 

世界各地に洪水伝説があります。

この洪水伝説は地球規模の大洪水ではなく、地域的な洪水です。

ですから、聖書に書かれている地球の全てを覆う大洪水などはなかったんだと主張する人達がいます。

 

次の聖句をご覧ください。

旧約聖書・創世記9:14~16

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「大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とはならない。」という神のことばから、二つのことを読み取ることができます。

一つは、ノアの時代の大洪水後は、大洪水とはならない地域的な大水(洪水)は起こるということ。

もう一つは、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水はないが、地域的な大水(洪水)によって滅ぼされる肉なるものがあるということです。

 

地球規模の大洪水が起こったことを示す痕跡(地層や化石)が地球のあらゆるところにあります。

この痕跡(地層や化石)については、別の機会に必ずブログアップします。

 

次回パートⅣに続く。

 

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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神によるテストと試練(パートⅡ)

ノアの時代の大洪水に関して神によるテスト(試み)を考えたいと思いますが、その前に検討したい事柄があります。

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記6:3

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旧約聖書・創世記6:5~7

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3節で「・・・それで人の齢は、百二十年にしよう。」とありますが、人間の寿命を120歳とすると神が定めたと解釈する説大洪水によって人間を地上から消し去ることになる猶予期間(悔改める期間)が120年間であるとする説があります。

 

2説あることを数種類の聖書注解書にも書かれていますが、東大総長であった無教会主義のキリスト者矢内原忠雄(1893年~1961年)の著書には次のように書かれています。

「・・・百二十年の短命を以て(ノアの時代までは長寿であった)人の寿命を終らせ給ふとのことであった。即ち人の罪に対する罰を加へつつも、なほ悔改めて神に立ち帰るべき余裕を残し、滅亡を免れる機会を与へ給うたのである。・・・<中略>・・・或ひは『洪水の来る迄百二十年なるべし』と解釈する説もある。・・・」

<注>カッコ書きの「ノアの時代までは長寿であった」は私が入れたものです。

 

当初私は人間の寿命が120歳だと理解しましたが、前後の文脈を正しく読み取ると後者の説が正しいと判断するに至っています。

実際私たちの寿命は、長寿国の日本であっても平均寿命は80歳程度であることを考えれば、人間の寿命が120歳だとする説には無理があり、後者の説を採用すべきだと考えます。

 

大洪水を乗り越えて生き残るために箱舟を造ることを命じられたノアは、洪水が来るまでの120年間をどのような気持ちで過ごしたのでしょうか。

 

アメリカの牧師リック・ウォレン(1954年~)の著書「人生を導く五つの目的」では、洪水の来るまでが120年間であるとする説を採用し次のように語っています。

「ノアは、箱舟を造るのに百二十年を要しました。落ち込む日々も多かったことでしょう。雨の降る気配など全くないまま何年も過ぎ、『神の啓示を受けたと思い込んでいる気違い』呼ばわりされる日々が続いたことでしょう。ノアの子供たちは、自分の家の前で父が造っている巨大な箱舟のせいで、しばしば恥ずかしい思いをしたに違いありません。しかしノアは神を信頼し続けたのです。」

 

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続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記9:11~17

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聖書初心者であった頃の私の疑問の一つに、地球のすべてを覆う大洪水が起こる前に、ノアは虹を見たことがなかったのか?・・・というものです。

 

神は雲の中に虹を立てたとありますが、洪水前に空に虹が出たことは一度もなかったのでしょうか?

 

もし、洪水前も空に虹が出たことがあったのであれば、神がノアに語った契約のしるしとされる虹に意味がないような気がします。

 

ある神学者は、次のように説明します。

「洪水前も虹は出ていた。洪水後の美しい虹を、感動の虹として、神がお見せになって、新たな約束を与える場面を設定・演出したのであろう。」

この神学者の説明だと、洪水前に虹が出ていたということは、当然、洪水前にも雨が降っていたということになります。

 

そこで、洪水前にも雨が降っていたのか?

 

済みません。

今日は、ここまでです。

次回は、聖書の記事に基き洪水前に雨が降っていたのか、否か、検証したいと思います。

 

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・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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神によるテストと試練(パートⅠ)

私たち人間は、神の愛をひたすら求め、神が人間に愛を示してくださることを期待します。

しかし、聖書が啓示する神は、次の二つのことをするお方でもあることを知る必要があります。

(1)神は人間をテストするお方である。

(2)神は人間に試練を与えるお方である。

 

本日は、(1)について、検討したいと思います。

 

最初の人類であるアダムとエバを神はテストされました。

食べることを禁じられた「善悪の知識の木」は、神に従うかどうかのテストでした。

つまり、神への信仰が試されるテストです。

しかし、アダムとエバは、このテストに不合格となりました。

 

続いて、神はアブラハムに子イサクをいけにえとして捧げることを求め、アブラハムの信仰をテストしました。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記22:2

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旧約聖書・創世記22:10~13

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アブラハムは、何故、イサクをいけにえとして神に捧げる決心ができたのでしょうか。

それは、アブラハムには、神が真実なお方であり神のことばに偽りがなく必ず実現するとの信仰があったからです。

神はアブラハムにイサクを捧げることを求める前に次のことを約束されました。

旧約聖書:創世記21:12

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「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」とあるように、イサクがいけにえとして死んでも、死後必ず復活して子孫をつないでいくとの信仰がアブラハムにあったのです。

このことは、新約聖書・ヘブル人への手紙11:17~19に次のように書かれています。

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キリストは、十字架の上で死んでから3日後に復活しました。

キリストの復活は、私たちキリスト者の初穂です。

新約聖書・コリント人への手紙第一15:20~25

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(23節のキリストの「再臨」については、別の機会にブログアップします。)

 

キリストを信じた私たちキリストに属している者(クリスチャン)は、死後、復活の初穂であるキリストに続く者として、死後必ず復活することを確信します。

 

聖書の神のみことばは、必ず成就します。

 

聖書の学びが日々深まるにつれ、死者の復活は絵空事でもなんでもなく、確実にリアリティを持って実現することを私は感じています。

 

キリストを信じた一人一人が神にテストされることがあっても、決してぐらつくことのないアブラハムの信仰に見倣う者となれるよう祈りたいと思います。

アーメン。

 

次回パートⅡにつづく。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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