ノアの時代の大洪水に関して神によるテスト(試み)を考えたいと思いますが、その前に検討したい事柄があります。
まず、次の聖書箇所をご覧ください。
旧約聖書・創世記6:3
旧約聖書・創世記6:5~7
3節で「・・・それで人の齢は、百二十年にしよう。」とありますが、人間の寿命を120歳とすると神が定めたと解釈する説と大洪水によって人間を地上から消し去ることになる猶予期間(悔改める期間)が120年間であるとする説があります。
2説あることを数種類の聖書注解書にも書かれていますが、東大総長であった無教会主義のキリスト者の矢内原忠雄(1893年~1961年)の著書には次のように書かれています。
「・・・百二十年の短命を以て(ノアの時代までは長寿であった)人の寿命を終らせ給ふとのことであった。即ち人の罪に対する罰を加へつつも、なほ悔改めて神に立ち帰るべき余裕を残し、滅亡を免れる機会を与へ給うたのである。・・・<中略>・・・或ひは『洪水の来る迄百二十年なるべし』と解釈する説もある。・・・」
<注>カッコ書きの「ノアの時代までは長寿であった」は私が入れたものです。
当初私は人間の寿命が120歳だと理解しましたが、前後の文脈を正しく読み取ると後者の説が正しいと判断するに至っています。
実際私たちの寿命は、長寿国の日本であっても平均寿命は80歳程度であることを考えれば、人間の寿命が120歳だとする説には無理があり、後者の説を採用すべきだと考えます。
大洪水を乗り越えて生き残るために箱舟を造ることを命じられたノアは、洪水が来るまでの120年間をどのような気持ちで過ごしたのでしょうか。
アメリカの牧師リック・ウォレン(1954年~)の著書「人生を導く五つの目的」では、洪水の来るまでが120年間であるとする説を採用し次のように語っています。
「ノアは、箱舟を造るのに百二十年を要しました。落ち込む日々も多かったことでしょう。雨の降る気配など全くないまま何年も過ぎ、『神の啓示を受けたと思い込んでいる気違い』呼ばわりされる日々が続いたことでしょう。ノアの子供たちは、自分の家の前で父が造っている巨大な箱舟のせいで、しばしば恥ずかしい思いをしたに違いありません。しかしノアは神を信頼し続けたのです。」
続いて、次の聖書箇所をご覧ください。
旧約聖書・創世記9:11~17
聖書初心者であった頃の私の疑問の一つに、地球のすべてを覆う大洪水が起こる前に、ノアは虹を見たことがなかったのか?・・・というものです。
神は雲の中に虹を立てたとありますが、洪水前に空に虹が出たことは一度もなかったのでしょうか?
もし、洪水前も空に虹が出たことがあったのであれば、神がノアに語った契約のしるしとされる虹に意味がないような気がします。
ある神学者は、次のように説明します。
「洪水前も虹は出ていた。洪水後の美しい虹を、感動の虹として、神がお見せになって、新たな約束を与える場面を設定・演出したのであろう。」
この神学者の説明だと、洪水前に虹が出ていたということは、当然、洪水前にも雨が降っていたということになります。
そこで、洪水前にも雨が降っていたのか?
済みません。
今日は、ここまでです。
次回は、聖書の記事に基き洪水前に雨が降っていたのか、否か、検証したいと思います。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。