神によるテストと試練(パートⅤ)
前回の続き。
聖書が啓示する神は、次の二つのことをするお方でもあることを知る必要があると、パートⅠの冒頭で書きました。
(1)神は人間をテストするお方である。
(2)神は人間に試練を与えるお方である。
本日は、(2)について、考えたいと思います。
少し長い引用ですが、新約聖書・ヘブル人への手紙12:5~11をご覧ください。
この聖句は、キリストを信じた信者に対して語っているのですが、父なる神は、信者に試練を与え訓練するとあります。
クリスチャン作家の三浦綾子さんは、若いころ13年間の闘病生活をしましたが、その後亡くなるまで様々な病に襲われ続けました。
あるテレビのインタビューに三浦綾子さんが、一字一句同じではありませんが、次のように答えていたのを思い出します。
「こんなに病気ばかりする私ですが、私ほど、神様に愛された者はいない。本当にそう思っています。」
恐らく、上記引用のヘブル人への手紙12章を念頭に語っていたのでしょう。
話は少し変わりますが、一般書店で、聖書の聖句を引用して聖書には人生で成功するための法則が書かれていると謳っている本を見かけます(参考のために中古本を買って読みました)。
神への信仰により、アブラハムやノア、そしてソロモンだけでなく、今現在もキリストを信じた多くの信者が何らかの祝福を受けていることは間違いのない事実だと私も認めます。
しかし、聖書が人生成功のノウハウ書のようにアピールする本には違和感を覚えざるを得ません。
続いて、次の聖書箇所をご覧ください。
人類創造のアダムから現在に至るまで、全人類はこの世にあって常に神のテストを受けているようです。
つまり、創造主である神の存在を認めて神に従う人生を選ぶか、神の存在を認めないで神に背を向けて生きていく人生を選ぶかが問われているのです。
キリストを信じた者が、祝福を受けて平穏無事にこの世の人生を全うできるとは限りません。
時には試練を受け、時代によっては迫害の対象にもなります。
次の聖書箇所をご覧ください。
新約聖書・ペテロの手紙第一2:11
新約聖書・ピリピ人への手紙3:20
ペテロが語ったように、この世では、キリストを信じる者は旅人であり寄留者なのです。
この世で、はかない一時的な成功を求める必要はないのです。
もちろん、決して、いい加減に生きていいと言うことではなく、この世の生も創造主が与えてくれたものです。
神のみことば(聖書)に従い、しっかりと生きていく必要があります。
復活して天に昇られたキリストが、聖書に啓示されている通りに王として支配する神の御国がたてられることを、私たちキリストを信じる者は確信しています。
神の御国が私たちキリストを信じる者の国籍なのです。
私が日課として読んでいる数冊の本の一つに「みことばの糧」があります。
その本の中に次のように書かれています。
「地上ですらこのように麗しいのですから、神の御国はどんなにすばらしいことでしょう。」
私は、この世の人生は、第一ステージであり「神によるテストと試練」の人生だと考えています。
キリストを信じた者の本当の人生は、死がなく永遠のいのちを神とともに歩むことができる本来の国籍である神の御国において第二ステージとしてスタートすると考えています。
次回のテーマを「この世の支配者サタン」か「復活と永遠のいのち」のどちらにしようか迷っていましたが、後者にすることにしました。
次回も宜しくお願いします。
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。