星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

年に数回

忘年会シーズンですね。

20歳代は、休肝日などなく毎日二日酔い状態で出勤していました。

博多には九州最大の歓楽街の中州があるので、スナックはもちろんクラブなどもよく行っていました。

ところが、30歳前後に一転ほぼ飲むことがなくなりました。

特に酒で大失敗をしたということもなかったのですが、あることがキッカケで酒を飲む欲求がなくなりました。

それ以来、年に数回(片手で足りる)ほんの少し飲む程度です。

きょうはいつも行くスーパーでアジの刺身が安かったので、数か月振りに酒を飲むつもりですが、お猪口で2、3杯程度になると思います(笑)。

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次回は聖書に関するブログをアップします。

 

 

永遠のいのちは妄想か?(パートⅢ)

昨日は、福岡市内も雪が降りましたが、市民プールに行きました。

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雪が降っていることもあり、いつもより利用者が少なく、1コースを一人悠然と泳ぐことができました。

お腹の脂肪もかなり取れ、体の各所の筋肉も少し付いてきたようです。

 

公立のプールや図書館を利用する私ですから、本を多く置ける本棚のある広い書斎や敷地にプールがある豪邸は不要です。

負け惜しみではなく、専用プールを自宅の敷地に持っている人のことを考えると、清掃をしたり、水を入れ替えたりと多額の維持費がかかり、冬は水が冷たくて利用できないなど、つくづく大変だなと思ってしまいます。

その昔、身の丈にあわない、つまり分不相応の英国の高級車を乗っていた時期がありましたが、ある日ふと、お金に余裕があるわけでもないのに何で俺は金属の塊のただの箱にすぎないクルマなんぞに乗っているんだろうとの思いがよぎり、バカバカしくなりスグに売却したことがあります。

現在は、お金自体を持たないこともあり質素倹約に努めていますが、世の中のすべての人が、今の私のように質素倹約に努め、公立の施設ばかり利用していたら、経済が成り立ちませんね。

自宅にプールを持つ人、豪邸を建てる人、高級外車に乗る人、高価な宝石を身に着ける人がいるから、建築工事業者、清掃業者、カーディーラー、車修理工場、宝石デザイナーなどの様々な仕事に携わる人へお金が回っていくのです。

私が質素倹約できるのも、お金を持っている人が散財してくれるからこそですね(笑)。

 

さて、昨日に続き、永遠のいのちについて語りたいとおもいます。

 

永遠のいのちを持つことができることを私が信じることができる大きな理由があります。

永遠のいのちを釈迦や親鸞日蓮が保証してくれているわけではありません。

永遠のいのちをメディアで取り上げられるゴッド・ハンド(神の手)を持つ医者が保証してくれているわけでもありません(本人もゴッド・ハンドと紹介されて否定しない不思議)。

 他でもない、父なる神とキリスト・イエスが保証してくれているからです。

 

何だ、そんなことかと、みなさんは言うでしょう。

 

しかし、これは、極めて重要なことだと私は考えています。

 

もし、イエスを信じた者が永遠のいのちを持つことができても、天から雷が落ちて人のいのちを脅かさないとも限りません、地震によって地が揺らぎ人のいのちが脅かされては、永遠のいのちも絵に描いた餅になりかねません。

 

聖書の3つの聖句をご覧ください。

旧約聖書・創世記1:1

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旧約聖書・創世記1:16

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新約聖書ヨハネ福音書1:1~3

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天地万物を創造されたのは、三位一体の第一位格の父なる神と第二位格の子なる神イエス・キリストです。

 

天地万物を創造されただけではなく、当然、今現在も支配されているのです。

(ただ、この世の支配者はサタンであると新約聖書ヨハネ福音書12:31にあります。このことについては、別の機会に取り上げます。)

 

ノアの時代に天にある水の門がひらいて大洪水が起こり、地球は傷付いて今現在に至っています。

 

しかし、天地万物の創造主である神とイエス・キリストによって、アダムが最初に住んだエデンの園のように今の地球は将来新しくされて地震や台風などの災害の存在しない完全な地(神の御国)が与えられ安心して永遠のいのちを持ち続けることができるのです。

 

もし、神が動植物だけ創造したお方で、天地を創造したお方でないとすれば、「永遠のいのち」は疑わしいものでしょう。

 

聖書の神は「天地万物」の創造主なのです。

 

永遠のいのちが実現する神の御国では、天地を支配する神がおられるので、天から雷が落ちることも、地が地震によって揺らぐこともありません。

 

聖書の神は、天地をどのようにもすることができるお方であることを認識しなければなりません。

★7月22日のブログ「消えた一日」をご覧ください。

 ↓ ↓ ↓

hoshishusaku.hatenablog.com

  

最後にもう一度言います。

天地を自由にあやつることができる創造主である父なる神と子なる神イエス・キリストが永遠のいのちを保証してくれているのです。

揺らぐことのない盤石の保証です。

 

一人でも多くの人が、イエスを信じることによって永遠のいのちを持つことを祈ります。

アーメン。

 




★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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永遠のいのちは妄想か?(パートⅡ)

昨日、「永遠のいのちは妄想か?」のテーマでアップした後、書き足りなかったことがあったので、パートⅡということで書き足します。

 

まず、イエスが語ったたとえ話を読んでください。

新約聖書・ルカの福音書12:17~21

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このたとえの金持ちのように、私たちがこの世で成功してありあまるほどのお金を得たとしても、今日地震による建物の倒壊でその下敷きになって死ぬようなことが起きないとは限りません。

 

話は変わりますが、スピリチュアルということばがメディアで賑わった時期があります。

そして、自称霊感が働くという触れ込みのスピリチュアル・カウンセラーなどという人が、相談者の死んだ母親の霊を呼び出して語るなどということをしていました。

スピリチュアル・カウンセラーなどと横文字を使っても、やっていることは東北地方の「イタコ」と呼ばれる口寄せする巫女や霊媒師と何ら変わりません。

 

私が、改めて言いたいことは、私たちが、この世で金持ちになったり、健康ブームに乗り健康になることやアンチエイジングを追い求めたり、祖先の霊と会話ができたり、漢字の羅列を熱心に唱えたり、木や石や黄金などで作られた〇〇像を拝んでご利益(ごりやく)を得ることがあっても(?)、今日死んですべてが終わりであれば、何の「救い」にもならないということです。

 

「永遠のいのち」を持たずして、真の「救い」はありません。

また、「永遠のいのち」だけでも不十分です。

神との交流がなければ、「永遠のいのち」を持つことさえ虚しいものとなります。

 

アダムとエバの罪により神との交流が断絶した私たち人間ですが、イエスを信じることによって「永遠のいのち」を持ち、神との交流を回復することができるのです。

エスを信じることによって父なる神との交流が回復することで救いが完成します。

 

エスは、メシア(ヘブル語)、キリスト(ギリシャ語)、クライスト(英語)、「救い主」です。

エス以外に「救い主」がいないことを肝に銘じる必要があります。

 

エスを信じる道だけが、真の「救い」となります。

それ以外の道は、滅びの道です。

新約聖書ヨハネ福音書14:6
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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永遠のいのちは妄想か?

私は61歳ですが、もし、聖書に書かれている「永遠のいのち」というものがありもしない妄想であったとしたら、仮に日本人の平均寿命を私が生きたとして、あと20年前後で死を迎えて全て終わりということになります。

 

しかし、私が全身全霊で信じたイエス・キリストは、次のように語ったのです。

新約聖書ヨハネ福音書3:15

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<参考>「人の子」とは、イエス・キリストのこと。

 

エスが地上で活動していたときにイエスに従い、イエスから直接教えを受けた使徒ヨハネも次のように語りました。

新約聖書ヨハネ福音書3:36

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エスを信じた者が永遠のいのちを持つことは、聖書の最重要の中心的教えです。

 

神とイエス・キリスト聖霊が存在すること、神によって天地万物が創造されたこと、ノアの大洪水があったこと、出エジプトの時に海が割れたことなどが事実であったとして、聖書に書かれていた通り事実であったことが立証され全人類が認めたとしても、「永遠のいのち」だけが妄想であるとすれば、聖書に何の価値があるのでしょうか。

 

つまり、イエスの行った数々のしるし(奇蹟)を含む聖書の記事の99%が事実であるが、1%の「永遠のいのち」だけは妄想であるとしたら、神を信じることや、イエスを信じた者は「救われる」とする教えに何の意味があるのでしょうか。

 

例えば、イエスを信じたある人が、イエスのことばによって末期ガンが治癒しました。

エスの奇蹟によって、この人は救われたのでしょうか。

ところが、この人は、ガンが治癒してから5日後に交通事故で死にました。

「永遠のいのち」が妄想だとすれば、これでも、この人は、イエスを信じて「救われた」と言えるのでしょうか。

 

エスのことばに偽りは一切ありません。

エスを信じて「救われた」と言えるためには、「永遠のいのち」を持つことが出来て、真に「救われた」と言えるのです。

 

永遠のいのちは死の後に始まるのではなく、主イエスを信じた時、つまり、信じた瞬間から始まっているのです。

すでにイエスを信じた者にとって、2017年12月11日(月)のこの日この時は、「永遠のいのち」という遥かな時の流れの中のほんのわずかな時を過ごしているに過ぎません。

 

もちろん、今の肉体は死によって滅びますが、イエスが復活したように、私たち信者も病や障害などに無縁な完全な体で復活して永遠のいのちを生きていくことになります。

 

最後に、もう一度言いたいと思います。

「永遠のいのち」は妄想ではありません。

「神の御子イエスを信じる者は、必ず永遠のいのちを持ちます。」 

 

次回に続く。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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ストリート・オブ・ファイヤー

 

★コーヒーブレイク★

 

聖書からちょっと離れて、私の好きな映画ミュージックを紹介したいと思います。

 

33年前の1984年公開の映画ストリート・オブ・ファイヤーです。

 

還暦を過ぎた61歳のオヤジの私ですが、ストリート・オブ・ファイヤーの挿入ミュージックの2曲を聴くと血がたぎるというか、気合が入るというか、アドレナリンが分泌するような気がします。

 

当時、映画を観て、この2曲が気に入りカセットテープを買って何度も聴いていました。

 

好きな映画ミュージックは多数ありますが、一番多く聴いている曲は、ストリート・オブ・ファイヤーです。

 

最近はユーチューブで何度も聴いていますが、飽きることがありません。

 

因みに、公開された年に映画雑誌・キネマ旬報の読者が選ぶベストワンになったということです(ウィキペディアより)。

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 

 

 

全身全霊

聖書を学び始める前までは、そもそもこの世にないもの乃至いない者を、まるであるものとして乃至いる者として信じ込んでしまっていることが信仰だと思っていました。

 

しかし、聖書の学びが深まるにつれ、天地万物の創造主である神の存在を確信し、イエス・キリストの十字架の意味を理解し、イエス・キリストが道であり真理であり命であることを確信するに至っています。

 

間違いなく万物の創造主である神が存在し、イエス・キリストが存在し、御霊(聖霊)が真理に導いてくださっていることを、私のからだの全て(全身)と私の魂(霊)が感じているのです。

 

聖書が啓示する真理を全身全霊で確信した以上もう後戻りすることはできません。

 
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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マザー・テレサのことば

本日午後、「聖書検定」というテーマで、すでにブログをアップしました。

アップ後に日課として読んでいる数冊の本のうち、「マザー・テレサ日々のことば」の本日12月8日のことばを読んで戸惑いを覚えたので、皆さんにも考えていただきたく、このブログを書くことにしました。

まず、下の写真のことばを読んでみてください。

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皆さんはどう感じましたか。

 

私が感じたことを書く前に次のことを申し添えておきます。

私は、どの教会にも属していない無教会者ですが、カトリックプロテスタント等のどの教会に属している人であっても、聖書の本質的教えに反しない信仰を持っている方を尊重し、敬意を払っています。

 カトリック教徒であったマザー・テレサは、私が聖書の神を知る前から今に至るまで尊敬するお方です。

 

さて、私が戸惑いを感じたことばは、終わり4行です。

「私たちはもっと善いヒンズー教徒、もっと善いイスラム教徒、もっと善いカトリック教徒、その他なんであっても、もっと善い人になり、もっと神に近い者になるのです。」

 

信仰の対象が何であっても、「もっと善い人」であれば、聖書の神に近い者となるのでしょうか。

 

以下、いくつかの聖句を引用します。

新約聖書・エペソ人への手紙2:8~9

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新約聖書・ローマ人への手紙11・6

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新約聖書ヨハネ福音書3:15~16

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新約聖書ヨハネ福音書14:6

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わたしたち人間が救われるのは、「信仰と恵み」によります。

 

つまり、聖書の唯一の神とイエス・キリストを信じる信仰によって、神が恵みによって救ってくださるのです。

 

信仰がなければ、いくら善行を積もうが、いくら徳を積もうが、いくら苦しい修行をしようが、イエス・キリストの道(真理)を歩むことにはなりません。

そして、永遠のいのちを得ることもできません。

 

「もっと善い行い」とは何でしょうか。

この世の人からいくら善人と評価されようが、真の神及びイエス・キリストを信じていなければ、アダムとエバが「善悪の知識の木」を食べる道を選んで、善悪を神の基準ではなく人間の基準で「この行いが善」だと勝手に決めて生きる道に過ぎないのです。

 

「この行いが善」だと人間自身で決めて生きていくことこそが、神に背く最大の罪なのです。

 

「もっと善い人」になろうとして、仮に善い人になったつもりでも、真の神に対する信仰がなければ虚しいものです。

神への道にはつながっていません。

イエス・キリストを通してでなければ、父なる神に近づくことはできないのです。

 

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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