星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

被造物はうめいている(その①)

春夏秋冬、それぞれの季節の穏やかな日に山に登ったり、海に出掛けたりして、自然の中に身を置くと、自然の素晴らしを感じないではいられません。

 

しかし、一転して、自然災害が世界的に頻発し、多くの人たちの命が失われたり、家屋が倒壊するなどして避難生活を余儀なくされている人たちがいて、自然の素晴らしさを賛美することができない現実があります。

使い古された言葉ですが、自然の猛威の前に人間は為す術がありません。

 

また、数十年の短い人間の一生の中で、自然災害の心配をしないで暮らせる日々や様々な病気に悩まされないでいられる日々は、ほんの僅かな時期ではないでしょうか。

伝道者の書の著者(ダビデの子ソロモンと考えられている)も人間の一生が苦難の連続であることを次のように記しています。

伝道者の書(新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」)2:23

f:id:hoshishusaku:20180906025553j:image

 

人間の始祖アダムとエバが禁断の果実を食べたことによって創造主(神)に背き、原罪を負った人間は死に至るようになりました。

 

創造主(神)に背いた罪人の人間が苦難の一生をすごして死に至るだけでなく、罪を犯してもいない動物までも動物特有の病気になるなどして、人間と同じように死に至るのは何故なのでしょうか。

 

また、地震や火山の噴火、津波、台風等の災害が頻発する地球自体も悲鳴を上げているのはどうしてなのでしょうか。

 

人間だけでなく動物や地球自体も含む被造物全体が言葉にならない「うめき」を発しているようです。

 

ここで、ローマ人への手紙8:18~22をご覧ください。

f:id:hoshishusaku:20180906025605j:image

f:id:hoshishusaku:20180906025616j:image

 

パウロは20節で驚くべきことを語っているのですが、「被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです」とはどういうことなのでしょうか。

新改訳聖書の注解書には「被造物が虚無に服した」とは、本来の目的を失ってむなしいものとなった状態を指すと説明していて、「服従させた方によるのであって、望みがあるからです」とは、被造物が虚無に服したのは、それ自身の意志によるのではなく、アダムの犯した罪に対する神のさばきの結果である。それゆえ、神によって解放される希望がある、と説明しています。

 

ただ、この説明では、人間だけが苦しむのではなく、動物や地球自体も苦しんでいることの理由が分かりません。

そこで内村鑑三が20節の「被造物が虚無に服した」ことについて、どのように理解したのか、参考のため次に引用します。

「これに答えるものは創世記3章17、18節である。いわく「人に仰せられた。」『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。』と。これ神がアダムに告げたまいし語である。すなわち始祖堕落のために地もまた虚空に帰せしめられて(虚無に服した)敗壊のしもべとなったというのである。実に天然と人とはふしぎの糸をもってつながっている。人死して天然もまた死し、人生きて天然もまた生きる。人類の堕落明らかに天然の敗壊を引き起こしたのである。人と万物とは運命を同じゅうする。人が罪の捕囚(とりこ)となって堕落して、万物もまた虚空に帰せしめられつつ(虚無に服しつつ)ある。人と天然とを一貫して一つの心が流れている。天然は、人と共に苦しみつつ、今に至ったのである。かくて万物は人とひとしく、その創造された目的を達することができずに、苦悶のうめきを続けている。これ天然界の実情であると。これがパウロの天然観である。」

 

昔、聖書を学び始めた頃に、あるキリスト教徒の男性に「人間はアダムが禁断の果実を食べて原罪を負ったことにより病気などをして死に至ると聖書に書いてますが、ペットの犬や猫は罪を負っているのですか?」と質問したことがあります。

その男性が動物は罪を犯していませんと答えたので、私は次に「罪を犯してもいない動物も病気になり死に至るのは何故ですか?」と質問しましたが、返答はなく、「ウ~ン」と唸って黙してしまいました。

 

聖書を真剣に学ぶようになった私は、内村鑑三の書籍や様々な文献を読むうちに徐々に聖書の真理に触れることができるようになり、創造主(神)が、人間のために地球や動植物等の万物を創造されたことを理解できるようになり、そして、人間と地球と動植物等の万物は一体であり運命共同体なのだと私は考えることができるようになりました。

皆さんはどう思われますか。

一体として機能している被造物の中心である人間が罪を犯すことによって、被造物全体が、「のろわれて」しまったのです。

ある目的のために造られた大規模な機械(システム)の中の主要な歯車が故障すれば、その歯車だけが異常な動きをするだけでなく、機械(システム)全体が異常な動きをすることになる、つまり、悲鳴を上げるようになることと同じなのでしょう。

 

私が聖書を学ぶ中で、聖書が作り話などではなく、真実の書、真理の書であると感じる聖句を聖書のいたるところで見い出すのですが、上記の創世記3:17の「土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。」という箇所とローマ人への手紙8:20の「被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって」という箇所もその一つです。何故かと言うと、聖書が作り話であれば、別の言い方をすれば普通の人間の知恵であれば、悪魔(サタン)が被造物をのろったり、虚無に服させたと創作することでしょう。

賛美の対象である創造主(神)が被造物をのろい、虚無に服させるなどとは人間の知恵では思いもよらないことだ、と私は考えるのです。

人間の知恵を超えているからこそ、聖書が真実の書であり、真理の書だと私は確信しているのです。

皆さんはどのように捉えますか。

 

創世記5:29でも、創造主(神)が「この地をのろわれた」と記しています。

f:id:hoshishusaku:20180906025627j:image

 

アダムが禁断の果実を食べたことは小さな罪であり、その小さな罪によって人間が死に至り、そして、被造物全体が「のろわれる」などというのは、罪に対する罰としては重すぎると考える方も多いかと思います。

アダムの犯した罪が本当に小さな罪だったのかどうかについて、4月24日の当ブログ「罪とは何ぞや(その②)」で書いています。未読の方はこちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

次回に続く。

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は9月10日(月)にアップします。    

f:id:hoshishusaku:20180427063953j:plain

https://bible-seisho.jimdo.com/

 

f:id:hoshishusaku:20180820170720j:plain


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

f:id:hoshishusaku:20180519173944j:plain