(その⑧)の続き。
前回、石炭の形成について、化石の形成と同様に短い期間で出来ることを取り上げましたが、ダイヤモンドなどの宝石はどうなのでしょうか。
天然で出来るダイヤモンドではなく、合成ダイヤモンド(人工ダイヤモンド)について、下記のサイト(日本経済新聞の記事)の中で次のように書かれています。
「合成ダイヤは研磨材として工業用途で広く活用されてきたが、合成技術が進展して、最近では宝飾品としても販売されるようになった。人工的に合成するとはいえ、天然品と同じ炭素から作られる本物のダイヤモンド。輝きや性質に差はなく、海外では合成ダイヤの市場も存在する。・・・中略・・・合成ダイヤモンドは地中から採掘されないだけで、偽物ではない。マグマの近くで時間をかけて生成される天然ダイヤモンドに対して、合成品は高温高圧という状況で炭素から人工的に作り出す。掘り出されるまでに何万年もかかる天然品に比べ、合成品は機械の中で1~2週間でできてしまう。」
進化論を疑っていない・・・?この記事では、天然ダイヤモンドは何万年もかかると書いています。
しかし、当ブログでは、化石の形成、地層の形成、石炭の形成が長い年月を必要とせずに、短い期間で出来ることを紹介してきました。
天然ダイヤモンドが長い年月を必要だと考えるのも、進化論によって目が曇らされてきた結果なのです。
この記事にも書かれているように、合成ダイヤモンドが極めて短い期間で出来るように、天然ダイヤモンドも長い年月ではなく、「高温高圧」が重要な要素です。
地中深く、かつ、マグマに近い所であれば、機械的に「高温高圧」の状況を作り出す以上に、天然ダイヤモンドが出来る「高温高圧」の環境下にあるはずです。
このことは、他の宝石のエメラルドやオパールなども同様です。
次に下の図をご覧ください。
先の当ブログでも取り上げましたが、化石が発見されない一番下の基盤岩を先カンブリア時代と言い、その上の化石が発見される上の層を顕生代(古生代、中生代、新生代)ということでした。
この二つの地層について、創造論の立場の地質学者イ・ジェマンはその著書で次のように書いています。
「この二つの地層の境界は非常に明瞭で、地球上のどこでも簡単に発見できるため、地質学者たちはその境界を大不整合(Great Unconformity)と呼びます。ところで、地質学者たちがこの二つの地層を区別し、先カンブリア時代と顕生代、そして、その境界を大不整合と名づけたのは、その原因を理解したことを意味するのではありません。単に差が明瞭だという表現に過ぎず、ともすれば、その用語は『不明』という意味を強調したのではないかと考えられます。これに対して、創造論者たちは、本格的な化石が発見されない下部の岩石を『先洪水岩石(pre flood rock)』、上部の岩石を『洪水岩石(flood rock)』と呼びます。創造論者たちがこのように呼ぶことについてはいかがでしょうか。『先洪水岩石』と『洪水岩石』という区分は、二つの岩石の明瞭な差だけでなく、その現象の原因まで十分に理解したという意味であり、さらには聖書的な地質学の歴史を明確に裏付けているという意味です。地球上に例外なく見られるこの二つの境界は、創世記1章の記録通りに地が創造された後、全地球上に起こった大激変によって容易に説明できるものです。まさしく、創造のときの地とノアの洪水の裁きのときに出現した地です。」
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。