古代人の知能指数は現代人より低い?
進化論の影響を知らず知らずのうちに受け、現代人は古代人が自分たちより知能が少なからず劣っていたはずだと考えていないでしょうか。
ですから、高度な技術を要したエジプトのピラミッドやスフィンクス、マチュピチュの空中都市などを古代人が作ることが出来たことがなかなか理解できないのです。
私自身も古代人が現代人よりも知能が劣っていたという考えに影響されていたのでしょうか、ノアがタンカー並みの構造を持つゴフェルという木で三階建ての箱舟を造り(創世記6:14~16)、そこに多数の動物を収容しても水漏れもせず壊れて沈むこともない堅牢な構造の舟が造れたことがもう一つ信じられずにいた頃がありました。
ここで皆さん想像してみてください。
大工や職人でもないサラリーマンが、ある日2階建ての本格的な木造住宅を建てることを思い立ちました。建築業者に依頼するのではなく、全て自分自身の手でやるつもりでいます。意気込みだけでは事は成就しません。山の木を切倒し製材をすることからしなければならないとしたらどうですか。
自分の手で建築することを諦めるはずですね。
多くの船を目にしている現代人が、仮に大型の旅客船の設計図や建造するための様々な機械工具を手渡されも、旅客船はおろか一人乗りの小船すら造った経験もなかったとしたら大型の旅客船を建造することなど不可能でしょう。
ノアは一度も水に浮かぶ箱舟を見たこともないのに、何故、水漏れもしない頑丈なタンカー並みの箱舟を建造することが出来たのでしょうか。
ここで、次の聖書箇所をご覧ください。
創世記1:26~28
詩篇8:4~8
ヘブル人への手紙2:6~9
上記のヘブル人への手紙2:6~7は上記の詩篇8:4~8の引用ですが、このヘブル人への手紙の記者も言っているように詩篇8:5の「神」とは「御使い(天使)」を指すことがわかります。
そして、ヘブル人への手紙の記者は詩篇8の「人」をイエスを指すものとして適用しています。
そこで、聖書を研究する学者や牧師などの中には、詩篇8の「人」は人間全体を指すものではなくイエスを指すものであって、この詩篇8の聖句をメシア預言の中でもメシア(キリスト)の「初臨(しょりん)」(受肉したキリストの誕生)の預言と解釈する人たちもいます。
ちなみに、新改訳聖書の注解書では、ヘブル人への手紙2:7の「しばらくの間」に関して次のように解説し、詩篇8の「人」を人間と解釈しています。
「『しばらくの間』とは、時間的、あるいは程度において少し、という意。ここでは、人間は創造の秩序において御使いより少し低い者とされたという本来の意味が、キリストが受肉して人間の形をとってしばらくの間だけ、人間と同様に御使いよりも低いものとされたという意味に解される。」
私はこの新改訳聖書の注解書の説を支持します。
人間が創造された当時の人間の能力(知恵)は現代人と比較すると「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力を持っていたのです。
ここから先は「番外編」として私の個人的考えを述べたいと思います。
ですから、読者の皆さんは軽く読み流していただいても結構です。
私は、アダムが創造主(神)に背いたことにより創造された当時の「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力は、後の世代になればなるほど徐々に減退したと考えるのです。
現代人はスマートフォンやAIロボットを製造する能力があって古代人よりも知的能力が一見高そうですが、この能力は過去の多くの人たちの知識や経験の積み重ねの上に成り立っている能力です。
しかし、大洪水を乗り切った箱舟を造ったノアの能力は過去の知識や経験の積み重ねによるのではなく、まさに「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力がアダムより引き継いだ後まだほとんど減退しない状態の能力があったと考えられます。
私たち現代人がエジプトのピラミッド建造の技術の高さに驚きを覚えるように、もしノアの箱舟の現物を見ることが出来たなら、ノアの箱舟がただの木造船ではなく、その構造の精密さや堅牢さにピラミット同様に驚きを覚えたはずでしょう。
エジプトのピラミッドやスフィンクスの設計や建造技術を開発した人間も「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力がまだまだ十分に残っていた状態の人間だったはずです。
今風に言えば大天才がピラミッドやスフィンクスの建造を主導したのです。
ピラミッドがどのような技術で建造されたのか多くの学者によって研究されていますが、いまだに、これだとする証明はされていないようです。
ピラミッドの建造を主導した「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力を持った人間が考案した技術をもし見ることができるとしたら、アッと驚くような予想外の方法であるが、目からウロコの極めて合理的で単純な方法であったのかも知れない、と私は勝手に想像しています(ニヤリ)。
ピラミッド建造の技術力の高さは人間業では理解できないとして、宇宙人建造説を主張する人もいますが、ナンセンスです。
もし、宇宙人が地球に来たとするなら、宇宙人が乗って来た宇宙船は何らかの金属のはずです。ですから、ピラミッドを建造する際に何らかの金属を地球の資源より精製して構造体の全体ないし一部で使われていてもいいはずなのに、すべてが「石」ということは宇宙人関与説に何ら根拠がないことを物語っているのです。
過去ブログでも書きましたが、そもそも宇宙人など存在していないのです。
古代の遺跡が発掘されると、その遺跡そのものや発掘品の技術力の高さに驚かされるのですが、それは、人間が「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力を持っていたことを証明するものではないでしょうか。
本日の表題(テーマ)「古代人の知能指数は現代人より低い?」に対する私の下した結論は、「古代人は現代人より知能指数は高い」です。
皆さんはどのように考えますか?
最後まで私の個人的な考えに付き合っていただき、ありがとうございます。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。