沈黙する神?
人間の一生は苦難の連続です。
世界中の人々が苦難を前にして神に助けを求めても、神が応えてくださらず、「神などいない」あるいは「神は沈黙している」と感じていることでしょう。
カトリック信者であった作家の遠藤周作も「沈黙」という作品で神の沈黙について書きました。
ちなみに私が小説「沈黙」を読んだのは、30数年前の20代後半の聖書をまだ読んでいない頃でした。
詩篇83篇1節
本当に神は沈黙を続けているのでしょうか。
結論を先に書きます。
神は沈黙などしていません。
すでにキリストによって、そして聖書によって、いっさいのことは語り尽くされています。
イギリスの牧師であり著述家のフレデリック・B・マイヤー(1847年~1929年)は、神の沈黙について次のように書いています。
「神よ沈黙しないでください。たとえ一言半句でもよろしいですからお語りください。ご自身が存在しておられることを、その一言によってたしかめたいのです。私たちが信じていることがほんとうだということをたしかめるためにも、その一言が今の思い煩いにとどめをさすのですから。こんなことを、わたしたちは心の中で叫びます。しかし、ほんとうは神は沈黙しておられるのではありません。みことばはあきらかに示されているのです。キリストにおいて、その十字架において、いっさいのことはすでに語り尽くされているのです。聞く耳ある者は聞くべし、なのです。
もし、私たちが神のみことばを聞くことができないならば、むしろ、私たちこそ沈黙すべきなのです。そして、静まって神の語りたもうところを聞くべきなのです。キリストにおいて沈黙は永遠に破られているのですから。
はじめにあった『ことば』、神とともにあった『ことば』、神であられる『ことば』は人となって来ておられるのです。やはり聞く耳ある者は聞くべし!なのです。」
神は沈黙などしてなくて、私たちは『ことば』であり神であられるキリストの教えに耳を傾けていないだけなのです。
聖書のみことばに関心を持たなければ、いつまで経っても神のみことばは聞こえてきません。
さらに聖書に書かれていることが100%全て真実であり真理であると心底信じなければ、聖書に書かれていることが神のみことばだとは気付きもしない事でしょう。
丹念に聖書を読み学べば神が沈黙などしていないことに気付くはずです。
聞く耳ある者は聞くべし!
参照聖句を2箇所引用します。
ルカの福音書8章8節
神(創造主)は沈黙などしていなくて、神(創造主)のみことばは聖書の中に息づいています。
一人でも多くの人が一日でも早く聖書を学び、今まさに現在進行形で息づいている神(創造主)のみことばに触れることを願っています。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。