天使、サタン、悪霊(その⑪)
(その⑩)の続き。
13日の金曜日の夜に、悪魔サタン崇拝をする秘密組織が森の奥深くやビルの地下の薄暗い場所でいけにえの儀式をする、という映画のワンシーンがあったりします。
映画のワンシーンではなく、現実に悪魔サタン崇拝をする人もいるのでしょう。
しかし、「悪魔サタン崇拝」というオドロオドロしたものは自分には全く関係ないと思っている人が世の大多数ですが、前々回のブログから取り上げたように、悪魔サタンは聖書的には「この世の神」なのですから、蛇信仰などのように神社仏閣の参拝や仏壇の前で礼拝する行為自体が「悪魔サタン崇拝」に他ならない、と私は考えますが、皆さんはどう思われますか。
一般のイメージの悪魔サタンの存在は、映画小説マンガ等のメディアでオカルト的に描かれていますが、聖書に基づく現実の悪魔サタンは表面上それと分かりません。
つまり、悪魔サタンや悪霊の存在を知らないか、認めていない日本人の誰一人として神社仏閣や仏壇の礼拝が、「この世の神」である「悪魔サタン礼拝」をしていることになるなどと思ってはいないでしょう。
詐欺師は、自分はウソつきの詐欺師だと名乗って人をダマすわけではありません。
悪魔サタンは人間の詐欺師以上の詐欺師であることを忘れてはなりません。
何も神社仏閣の柱に「この神社の神は悪魔サタンである」などと張り紙をするはずがありませんよね。
「わたしを拝めば商売繁盛するヨ(商売繁盛の神)」、「わたしを拝めば交通事故に遭わないヨ(交通安全の神)」、「わたしを拝めば豊年満作間違いないヨ(五穀豊穣の神)」、「わたしを拝めば病気が治るヨ(無病息災の神)」など、悪魔サタンは巧妙に己を拝ませることによって、創造主である真の神から人間を遠ざけようとするのです。
このように「この世の神」である悪魔サタンのことを捉える私の考えは、思い過ごしでしょうか。
冒頭の画像の聖句にあるように、悪魔サタンは「人々の目をくらます」ことができる天才であって「神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないように」しているのです。
次の聖書箇所をご覧ください。
コリント人への手紙第一10:19~20
この聖書箇所はパウロが語った言葉ですが、プロテスタントの奥山実牧師は次のように解説しています。
「『あなたがたは、偶像に(肉の供え物を)捧げた、偶像に捧げた、と言っているけれど、そうじゃない。偶像の神なんかないんだ。つまり学問の神様とか、収穫の神様なんかないんだ。あなたがたは悪霊に捧げているんだ』と言っているのです。ですから、偶像には悪霊がいるのです。例えば、仏壇には先祖の霊などいません。ですから、偶像には悪霊がいるのです。・・・中略・・・サタンは神様のようになりたいわけだから、拝まれたいのです。その手下どもの悪霊も人が拝むところにいるのです。供え物をしたりするところに悪霊がいます。ですから、神社やお寺に悪霊がいるのです。そして、仏壇に悪霊がいるのです。」
続いて、次の二つの聖書箇所をご覧ください。
エペソ人への手紙6:12
ペテロの手紙第一5:8~9
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https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。