星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

エバをそそのかした蛇の真実

40数年前のテレビの記憶です。

アメリカの映画だったのか、アメリカのニュース番組だったのか、はっきり記憶していませんが、40数年経った今も覚えているシーンがあります。

裁判所か集会所で、大勢の聴衆の前で、ある男性がキリスト教徒の人を問い詰めているのです。

「あんたは、ヘビがエバを騙したなんて馬鹿げたことを本当に信じているのか?」

「神がヘビに呪いをかけて地を這うように命じた、と本当に信じているのか?」

覚えているのは、たったこれだけです。

キリスト教などにまったく関心などなかった私が何故40数年も覚えていたのか不思議です。

 

<追記>

上記の事をこのブログを書いて後、ネットで調べてみて判明しました。

1960年のアメリカ映画「風の遺産」であり、それをテレビで放映されたのを見て覚えていたのです。

この映画は、1925年に実際にテネシー州で起こった有名な「モンキー裁判」を題材に採り、ある教師が公立学校で進化論を教えるという「違法行為」により検挙され、それをめぐる裁判を描いたものです。

「モンキー裁判」について下記のウィキペディアでご確認ください。

↓ ↓ こちらをクリック

モンキー裁判 - Jinkawiki

 

まず、下記の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記3:1~6

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旧約聖書・創世記3:14

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聖書を信じていない人はもちろんですが、聖書を信じているはずのキリスト教徒であっても、ヘビがエバをそそのかして禁断の果実(善悪の知識の木)を食べさせた場面になると途端に歯切れが悪くなるようです。

多くの神学者や牧師が書いた本でも、神話程度の扱いしかしておらず、真正面から歴史的事実として説明している本は稀なようです。

 

7月27日のブログでも紹介した東大総長を経験した無教会者の矢内原忠雄(1893年~1961年)も、その著書に次のように書いています。

「之は一つの物語である。従って詩の心を以て読むべきであって、西洋の学者が往々にして為す如く、重箱の隅を箸にてつつくような詮索を試みるべきではない。彼らは言う、神が人に命じて『善悪を知るの樹は汝その果実を食うべからず』と言ったことを、どうして蛇は知ったのであろうか。どうして又蛇は人間の言葉を語り得たのであろうか。いや、この事件以前においては事実において蛇は立って歩み、又人語を解したものと考えなければならぬ等々。およそかかる種類の詮索はこの物語の文学的妙味を害するものであって、正しき解釈の態度ではない。今日の動物学者は蛇に足の痕跡あることを発見した。さればとて我々はそれに基き、創世記記事の科学的正確を証明しようなどとは思わない。之は科学の記事ではなく、詩的物語である。物語もしくは詩にありては蛇が人語を語ることを妨げない。・・・」

 

私は、聖書を丸ごと信じていると当ブログで何度も書きました。

 

アダムとエバが禁断の果実を食べたことから人類の苦難の歴史が始まったと聖書に記されています。

したがって、禁断の果実を食べたということは、人類にとって最重要の問題のはずです。

その最重要の問題が発生した根本原因が、事実ではなく、単なる神話や作り話というのでは、私は断じて納得できません。

事実としてあったことであり、あやふやにしたままではいけないと私は考えます。

 

よく例えられる建物の基礎です。

基礎が揺らいではいけません。

アダムとエバが神に背いて禁断の果実を食べたことによって、私たち人類の苦難がスタートしました。

つまり基礎の最重要問題であるヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面が、歴史的事実ではなく神話や作り話では、聖書を信じる価値が損なわれる、と私は考えます。

 

ところで、イエスが十字架上で死んで三日後に復活して天に昇られるまでの40日間に弟子たちに現れて、イエスが語る言葉の中で次の聖句があります。

新約聖書・ルカの福音書24:44

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モーセの律法と預言者詩篇とに書いてあること」とは、創世記から始まるヘブル語聖書の3区分のこと、つまり、旧約聖書全体を指します。

この聖句は、キリスト(メシア)の復活について語るイエスの言葉ですが、イエス自身も創世記3章のヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面を含む旧約聖書全体が神話や作り話ではなく事実として認めた上で語っているのです。

 

ヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせたことが事実ではなく、単なる神話や作り話であるとすれば、イエスが語った言葉の信憑性に重大な疑義が生じるのではないでしょうか。

 

イエス・キリストは真実のお方です。

イエス・キリストの語った言葉にウソ偽りはありません。

イエス・キリストは真理です(ヨハネ福音書14:6)

 

私は、イエス・キリストを信じています。

私は、イエス・キリストが語った言葉を信じています。

イエス・キリストは、様々な場面で旧約聖書を引用して語りました。

イエス・キリストを信じている私が、イエスが引用した旧約聖書を信じることは当然のことです。

私は、イエス・キリストの語った言葉を聖書によって知ることができたのです。 

 

パウロも、ヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面を神話や作り話ではなく歴史的事実として捉えており、新約聖書コリント人への手紙第二11:3では次のように記しています。

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聖書を真剣に学ぼうとする人は、聖書を理解する補助として、聖書注解書や聖書事典を持っていると思います。

私も必要に応じて参照しますが、この聖書注解書や聖書事典では、ヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面について、事実としてではなく神話として捉えて説明しています。

 

因みに、日本基督教団出版局「新共同訳・旧約聖書注解」には次のように解説されています。

「(創世記3章)1節の『蛇』は古代の神話・民話の世界では生命・知恵・富・生殖・癒しなどをつかさどる神(しばしば原初の混沌の神、地下世界に住む神、その姿形から両性具有、脱皮することから再生・回帰・復活などの力をもつ神)の象徴。ここでも古代のエジプトやメソポタミヤで蛇が知恵の象徴であることから、(新共同訳聖書では)『最も賢い』とされている。」

 

聖書注解書などの解説では納得できない私は、他の様々な本を購入して調べたり、図書館で調べたりしましたが、中々、納得できる説明に出会えずにいました。

 

しかし、私の尊敬するキリスト者内村鑑三は、やはり、私の求めている答えを持っていました。

その著書の「聖書之研究」には次のように書かれています。

「(創世記3章1節が)事実であるか、比喩であるか、明白に識別することができない。しかしながら、これを原語(ヘブル語)にて読むときは、その困難の大部分を解き去ることができる。蛇の原語(ヘブル語)ナカシュは、その字義によれば『光あるもの』または『りこうそうに見ゆるもの』の意である。すなわち一見して博識多才、世事に精通し、人心の機微をうがつがごときものを『ナカシュ』という。その注解を得んと欲すれば、コリント人への手紙第二11章14節を見よ。『サタンさえ光の御使いに変装するのです。』と。アダムとエバとの前にあらわれたる蛇すなわちナカシュは、光の御使いのかたちに変じたるサタンである。ゆえにこれを訳語にて蛇と読まずして、むしろ原語のまま『ナカシュ』と読むをよしとする。・・・・・<中略>・・・・・ナカシュは蛇を代表するものたることは疑いがない。蛇そのものにはあらざるも、蛇のごときものである。」

〈参考〉ヘブル語「ナシュ」は、訳者によっては「ナシュ」と書いています。

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(出典:教文館刊「聖書大事典」)↑

 

新約聖書・コリント人への手紙第二11:14

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なお、新約聖書ヨハネの黙示録12:9では、サタンのことを「あの古い蛇」と表現していますが、「あの古い蛇」がエバをそそのかした蛇を指していることは明らかです。

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この「ナカシュ」は賢く、話すことも出来た生物であり、足もあったようです。

6月10日のブログでも登場したフラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ古代誌」には次のように書かれています。

「神は、アダムにたいする蛇の悪意ある態度に立腹し、蛇からその言語を奪われた。・・・・・<中略>・・・・・神はまた、蛇から足を奪って地上を這い廻るようにもされた。

 

<参考>

旧約聖書ヨブ記40:15~24に神が創造した「ベヘモット」という生物が登場しますが、新共同訳・聖書では次のように書かれています。

「見よ、ベヘモットを。お前を造ったわたしはこの獣をも造った。これは牛のように草を食べる。見よ、腰の力と腹筋の勢いを。尾は杉の枝のようにたわみ、腿の筋は固く絡み合っている・・・・・」

新改訳・聖書では、「ベヘモット」を「河馬」と訳しています。
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「尾は杉の木のように垂れ」とありますが、動物園で実際に見た河馬の尾が杉の木のようには私には見えないのですが、皆さんにはどう見えますか?

ここは、河馬と訳すよりも、新共同訳・聖書のように原語のヘブル語「ベヘモット」としておくのがベターだと私は考えます。

 

そこで、創世記3:1の「蛇」も、内村鑑三が言うように原語のヘブル語「ナカシュ」と読んだ方がベターではないでしょうか。

 

結局、エバが対面した生物は、私たちが現在眼にする地を這う「蛇」ではなく、「ナカシュ」という生物だと考えた方が良いでしょう。

そして、神の呪いをうけた「ナカシュ」が、地を這う姿に変えられて「蛇」になった、と私は解釈します。

 

過去、多くの芸術家の絵画には、聖書本来のナカシュではない、足のない蛇が描かれて、その絵画を見た我々に聖書が神話や作り話だと誤解を与える一因になった、と私は考えています。

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アルブレヒト・デューラー作)↑

 

↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 


 ★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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