星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

カインの「しるし」はタトゥー(刺青)か?

 

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人類最初の殺人を犯したカインについて旧約聖書・創世記4章8節に次のように書かれています。

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カインが弟アベルを殺したあと、創造主(神)とカインの間で次のような会話がなされます。

少し長くなりますが創世記4:9~16をご覧ください。

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本日のブログでは、15節の創造主(神)がカインにつけた「しるし」に注目したいと思います。

 

この「しるし」が具体的にどんな物であったかについて聖書には詳しく書かれていないので、いくら聖書を読み返してみても分かりません。

 

過去及び現在多くの人たちの間で議論がなされ、いくつかの説があります。

 

最も一般的な説は「タトゥー(Tatto)刺青」です。

 

カインの体に刺青の刻印をしたのではなく、たとえばノアの時代の大洪水の後に、創造主(神)が大洪水を二度と起こさないと約束した「しるし」としての「虹」のように、ある自然現象であったのではないかという説もあります。

 

また、過去のある時期には、カインが創造主(神)からつけられた「しるし」は肌の色が黒くなるというものだったという人たちもいました。

この考えによって、黒人はカインが受けた呪いを受け継いだ人種だという見解があったのです。

この見解は黒人たちが呪われているならば彼らを奴隷として扱っても良い、また彼らを差別しても良いというひどい差別の正当化に使われたのです。

当然、この見解は全く聖書的ではありません。

この「しるし」と訳されている単語が色黒な肌と訳されている箇所は一つもありませんし、カインが創世記4章で受けた呪いはカインのみに与えられたもので、その呪いがカインの子孫に受け継がれるなどという内容はどこにも書かれていません。

また、カインの子孫が色黒であったという記録は聖書には書かれていません。

 

いずれにして、カインの「しるし」が具体的にどんな物であったかは謎のままなのです。

 

ここから、私の個人的な考えを少し述べたいと思います。

創世記はカインが生きている時代にカインに直接取材して書かれたわけでは当然ありません。

カインの時代よりもずっと後の時代に書かれたものです。

恐らく、口伝えでカインの「しるし」について語り継がれていったのでしょうが、カインの時代に近い時代の人たちの間ではカインの「しるし」がどんなものであったか具体的に語れたのではないでしょうか。

しかし時代がすすむにしたがって、カインの「しるし」がどんなものであったのかが少しずつ希薄になっていったのではないかと私は考えます。

ですから、カインの時代よりもずっと後の時代の創世記の著者もカインの「しるし」が具体的にどんなものであったか書きたくても書くことができなかったのでしょう。

もし、聖書がウソでっち上げの作り話であれば、カインの「しるし」についてもっと具体的に書いたのではないでしょうか。

たとえば、「神はカインの額(ひたい)にカインの名をしるしとして刻んだ」というように。

聖書がウソでっち上げの作り話ではないからこそ、聖書の著者は自分が知り得た情報に、知り得た情報以外のものを一切付け加えることも、余計な脚色もすることがなかったのです(と私は考えています)。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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わたしは本当のことが知りたい!

 

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私が、聖書を本格的に学びたいと思ったきっかけはいくつかあるのですが、最も大きな理由は次の3つだったように記憶しています。

(1)聖書に書かれている神が真(まこと)の神なのかどうか

(2)イエス・キリストとは何者なのか

(3)聖書に書かれていることは真実なのか、それとも作り話なのか

 

本当のことが知りたい、別の言い方をすれば「真理」を知りたいという欲求です。

 

神がいるのか、いないのか、どちらが真理なのか。

 

神がいないことが真理であるならば(逆に言えば進化論が真理ならば)、何も恐れることもなく、自分の生きたいように好き勝手に生きればいい、という結論に至っていたでしょう。

 

人間が死んだ後どうなるのか、来世はあるのか、ないのか、どちらが真理なのか。

 

とにかく、全人類に共通する普遍的な真理というものが、そもそもあるのか、あるとすれば、その真理を知りたい!

 

私は、神に私の願い事をかなえて欲しからという理由で神を信じているわけでも、聖書研究をしているわけでもありません。

 

とにかく、本当のことが知りたい。

「真理が知りたい」という、この一点です。

この私の欲求を満たしてくれているのが聖書であり、ヨハネ福音書18章37節に書かれているイエス・キリストの次のことばほど、力強いものはありません。

「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

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もしも、聖書に「わたしは、全人類を幸せにするために生まれ、そのために世に来たのです。」というように書かれていたのなら、いかにも人間が考えそうなこと(作り話)ですが、そうではなく、「真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。」との言葉は、人間の知恵では吐けない言葉(聖書が作り話ではなく真実の書)だと私は理解しています。

このイエス・キリストのことばの中の「真理に属する者」とは、自分の利益を求める者や自分にとって都合の良いことを求める者ではなく、「真理を求める者」ないし「真理を受け入れる者」というように私は理解しています。

ですから、自分の利益にならないことや自分にとって都合の悪いことであっても、そのことが真理であるならば、素直に受け入れる者ということです。

 

ここで、ヨハネ福音書14章8節を引用します。

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とにかく、私は本当のことが知りたい、真理が知りたいだけなのです。

ですから、今の私は、金持ちになりたいとか、ビジネスに成功したいなどという気持ちはなく、「真理を求める者」として、真理について証しするためにこの世に来られた「道であり、真理であり、いのち」であるイエス・キリストの声に従いたいという思いなのです。

 

少し脱線しますが、「繁栄の神学」という言葉をご存知ですか。

簡単に書けば、イエス・キリストを信じていれば、クリスチャンが神に願ったことはかなえられる(繁栄する)という教えです。

この「繁栄の神学」を私は否定するつもりはありませんが、興味がありません。

優等生的な言い方になりますが、「本当のことが知りたい」「真理が知りたい」だけなのです。

 

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ルーツ・系図

 

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皆さんは「ルーツ」という言葉を使うことがありますか。

「私のルーツは武士だ」などと言われる人もいたりします。

そもそも「ルーツ」とは、「祖先、始祖」「物事の根源、起源」という意味を持ちます。

1977年にアメリカのテレビドラマ「ルーツ」が放映され、日本でもヒットしました。

西アフリカのガンビアで生まれた黒人少年クンタ・キンテを始祖(ルーツ)とする、親子三代の黒人奴隷の物語を描いています。

アメリカという国家の歴史上、最も暗い側面のひとつである黒人奴隷の問題を真っ正面から描き、社会現象と言えるような大反響を巻き起こしました(ウィキペディアより)。

このテレビドラマがヒットして多くの日本人のそれぞれが自分のルーツ探しをするブームに発展しました。

そして、ある人は「私のルーツは武士だ」、あるいは「私のルーツは近江商人だ」などと言う人もいたりして、系図を作ったりもしました。

 

ここで読者の皆さんに質問です。

皆さんがご自分のルーツを辿っていくと、先祖に残虐な殺人者がいたり、近親相姦をしたり、不倫(姦淫)をしたりして子を生んだ人がいたりしたら、正直にそのことを系図に書いて、子孫に残そうと考えますか。

ちなみに、戦国時代や江戸時代の大名は、系図を偽って、源氏や平家になったりしたらしいですね。

自分の出自(ルーツ)を立派なものにしたいという意識が働くのでしょうか。

 

さて、新約聖書の冒頭のマタイの福音書第1章1節を見るとイエス・キリスト系図、すなわちルーツが記されています。

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この系図の中に登場する「タマル」という女性に注目したいと思います。

このタマルは旧約聖書・創世記38:1~30に出てきますが、少し長いので全文の引用は避けて概略を書くことにします。

 

タマルはユダという男の長男エルの嫁になるのですが、夫エルが結婚してまもなく亡くなります。

ユダヤでは昔から結婚した兄が子のないままに死んだ場合、弟が兄嫁と結婚して子どもを生んで、その後継ぎをさせるという義務(慣習)があったようです。

ですから、タマルはユダの次男オナンに嫁ぐようになるのですが、オナンは「兄嫁のところに入る度に子種を地面に流す」(創世記38:9)行為をしてタマルの夫となることを拒否します。

そして、このオナンもまもなく亡くなります。

ちなみに、オナンが子種(精液)を無駄に地面に流した行為が後にオナニー(自慰行為)の語源となっていることはよく知られているところです。

ユダは、残されたタマルを三男シュラの嫁に迎えて家を継がせようとするのですが、まだシュラが幼かったので、タマルを実家に返します。

それから年月がたち、ユダが羊の取引にやってきた時に、シュラに嫁がせてもらえないと知ったタマルは顔を覆い路傍の娼婦となってユダを誘い、ユダは「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と関係を結んでしまいます。

ユダは娼婦が息子の嫁タマルだとは気がつかなかったのです。

タマルは三月後、姦淫の罪で人々から責められると、タマルはユダから行為の証にもらった証拠の品を示して難を逃れ、義父ユダとの間、つまり近親相姦の結果の子である双子のベレツとゼラフを生みます。

 

このように、イエス・キリストの「ルーツ」には近親相姦をした祖先(ユダとタマル)がいることがしっかりと系図として書かれているのです。

 

さらに、イエス・キリスト系図にはダビデが書かれていますが、このダビデ王は部下ウリヤの妻バテ・シェバと不倫(姦淫)をして、不倫の子ソロモン(後に王)を生むことになります。

このようにイエス・キリストの「ルーツ」つまり系図は、人間の欲望が丸出しになっていることを隠すこともなく赤裸々に語っているのです。

 

私は、イエス・キリストの祖先には義人や清廉潔白な人ばかりがいる(偽りの)系図ではなく、近親相姦をした人間や不倫(姦淫)をした人間などの罪人がいることが書かれていることから聖書が作り話などでは決してなく、真実を間違いなく伝えるために書かれたものであると確信しています。

皆さんの感想はどうでしょうか。

 

最後に私自身のルーツですが、もちろん、聖書に書かれた人間アダムが私の始祖であると確信しています。

進化論者が言うようなアメーバーなどの単細胞生物が、私のルーツ・始祖であるはずがありません。

私たち人間は天地万物の創造主(神)に似せて造られた尊い存在です。

 

 

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トンボと蝶々は何故飛び方が異なるのか?

 

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昨日、卓球の練習に行くために川沿いを、自転車を走らせているとトンボが悠々と飛んでいました。

トンボを見ながら、この世界で「空を飛ぶ生き物」はどれだけいるのだろう、とふと思いました。

トンボのほかに、蝶々、蜂、蚊、ハエなどの昆虫、ハト、カラス、スズメ、タカ、クジャク、ハクチョウなどの鳥、たくさんの生き物が空を飛んでいますが、それぞれ体の構造や羽の構造が異なり、飛び方(動き)も千差万別です。

 

これらの生き物が気の遠くなるような長い年月をかけて進化してそれぞれ異なった飛び方(動き)をするようになったなどとは、到底受け入れることは私には出来ません。

 

百歩譲って、もし、生き物の種類によって空の飛び方が異なるのではなく、ほとんど同じ飛び方か、似ているよう飛び方であれば、まだ、進化論を受け入れる余地があるかもしれません。

しかし、トンボと蝶々の飛び方だけを観察しただけでも、明らかに全く異なった飛び方をしています。

 

進化論は馬鹿げています。

 

自分で言うのも何ですが、私は筋金入りの進化論否定者です。

 

さらに、同じ哺乳類でありながら、ブタとイノシシの肉を食べた時の味が何故異なるのでしょうか?

 

馬肉を好んで食べる人、ジビエと称してシカ肉を食べる人もいます。

 

それぞれ食べた時の味が異なっています。

 

このように動物の肉の味が種類によって異なることについて、進化論者はその動物が食べるものが異なるからだと説明するのかもしれません。

それなら、同じ環境と同じ物を食べているそれぞれの動物にオスとメスの違いがあるのはどうゆうことでしょうか。

同じ環境と同じ物を食べた人間に凸のある男と凹のある女の違いがあることの違いはどういうことでしょうか。

進化論の主張である環境によって進化したというなら、同じ環境であれば同じ様な種類の動物が生じていいはずなのに、オスとメスという明らかな違いが生じているのは、進化論の主張では説明できないはずです(と私は考えています)。

 

多様な空の飛び方をする生き物たち、多様な肉の味がする生き物たち、オスとメスの違いがある生き物たちは、聖書が啓示する天地万物の創造主(神)の創造の御業であることを私は確信しています。

 

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私の恐怖体験、アミトロ

 

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「アミトロ」という言葉をご存知でしょうか。

 

一昨日の参議院議員選挙で当選した「れいわ新選組」の舩後靖彦さんはALS(筋委縮性側索硬化症)という難病を患っている方ですが、このALSが「アミトロ」とも呼ばれているのです。

 

そして、アミトロことALSという難病の存在を知ったのは34年前の私が28歳の時です。

「この世にこんなにも凄まじい苛酷な病があるのか」と当時私は心底恐怖しました。

 

私の恐怖体験は何も幽霊を見て恐怖したとか、殺されそうになって恐怖したなどの体験ではなく、このALSという苛酷な難病の存在を知った時に覚えた恐怖なのです。

もし、自分自身がこの苛酷な難病のALSに罹患することになったらどうしよう、という恐怖でした。

 

ALS(筋委縮性側索硬化症・きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)とはどんな病なのでしょうか。

以下、ウキペディアを引用します。

筋萎縮性側索硬化症(英語: Amyotrophic lateral sclerosis、略称: ALS)は、重篤な筋肉の委縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で、運動ビューロン病の一種。治癒のための有効な治療法は現在確立されていない。」

 

徳洲会病院の創設者の徳田虎雄氏(1938年~)がALSに罹患し、昨年亡くなった理論物理学の権威スティーヴン・ホーキング博士がALSに罹患していました。

 

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(若き日の徳田虎雄

 

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(車イスのスティーヴン・ホーキング博士)

 

いまだ聖書が啓示する創造主(神)を知らなかった28歳の私は、ALSに限らず何故人間は様々な病を患うのか?

いや、患わなければならないのか?

と言う疑問をこの時以後持ち始めることになりました。

そして、同時に「神などいない」「もし、神がいるとしたら、何故神はこんな苛酷な難病の存在を許すのか」という思いを持ち続けるのです。

このような疑問を持ちながら、この時以降、聖書が啓示する創造主(神)の存在を知らないまま多忙なビジネスマンとしての年月が過ぎていくことになります。

・・・・・

途中の年月に私が経験したことは割愛します。

・・・・・

あることがキッカケで聖書を本格的に学び始める時がやってきます。

28際の時に持った「何故人間は様々な病を患うのか?いや、患わなければならないのか?」という疑問と「何故地震や大洪水など自然災害によって多くの人間が死ぬことになるのか」という疑問の答えを聖書の中から見い出そうとし、「そもそも聖書に書かれている神は本当に存在するのか」という答えを得るべく聖書を本格的に学ぶことにしました。

・・・・・

すでに、このブログで書き続けてきたことですが、28際の時以後思い続けた上記の疑問の答えは「全て聖書の中」にありました。

 

「何故人間は様々な病を患うのか?・・・いや、患わなければならないのか?」という疑問の答えが聖書に書いてありました。

 

「何故地震や大洪水などの自然災害によって多くの人間が死ぬことになるのか」という疑問の答えが聖書に書いてありました。

 

聖書が啓示する天地万物の創造主(神)であり私を創造してくださった御方が間違いなく存在します。

 

地震や大洪水など自然災害によって多くの人間が死ぬことになるこの世の現実があっても「神などいない」と心のうちで叫ぶことはありません。

間違いなく創造主(神)は存在します。

 

私は、特別(俗に言う奇跡)な体験をしたり、わけのわからない幻を見たり夢を見て、神を信じたわけではありません。

 

この世の不条理な現実を踏まえた上で理性的に聖書を学ぶことによって天地万物の創造主(神)を信じ、主イエス・キリストを信じ、死後の復活と永遠のいのちを信じています。

 

聖書には、既に死んだ人たちを含めての「神の人類救済計画」が書かれています。

ただし、この「神の人類救済計画」を聖書から読み解き、そして、信じることができるためには、天地万物の創造主(神)と主イエス・キリストを信じることがなければ到底理解することはできないことでしょう。

 

一人でも多くの方が一日でも早く聖書の学びをすることを願っています。

 

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ネコは物を創造することができるか?

 

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人間は色々と様々な物を造る、つまり、物を創造することができます。

 

人間以外の動物は自らのアイデアで物を創造することができないことは、誰も否定しない事実のはずです。

 

確かにハチはハチの巣を作ったり、クモはクモの巣を作ったりはしますが、自らのアイデアで作っているわけではなく、俗に言う「本能」によって作っているに過ぎません。

 

地球上の数え切れない数多くの動物の中でも人間だけが自らのアイデアで物を創造することが出来るのは何故でしょうか?

 

進化論者は、当然それは「進化」によって出来るようになったと言うことでしょう。

 

進化論など信じていないとこのブログでも繰り返し主張してきている私には、進化論ごときは眼中に全くありません。

 

旧約聖書の創世記1章26節には次のように書かれています。

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神は他の動物とは異なり「人間だけ」を「神にかたちに似せて」創造されました。

 

「かたち」というのは外面的なものだけでなく、神の能力や性質や特徴などのこともいっています。

 

つまり、神の能力(全能)の現われであるところの天地万物を創造するように、人間に物を創造する能力を人間だけに授けたのです。

 

決して、人間が物を創造できるのは当たり前のことではなく、全ては神から授かっているものなのです。

 

人間を愛しているからこそ、神は人間だけを「神に似せて」創造してくださったことに感謝し、人間は尊い存在であることを改めて認識したいものだと私は考えています。

 

そして、神に似せて創造された尊い存在である自分自身を汚すようなことはくれぐれもしないようにしたいものです。

 

冒頭で書いたハチがハチの巣を作ったり、クモがクモの巣を作ったりの行為は本能であり、さらに、ネコが狭い空間を好んで入ったりする行動も外的から己を守るための本能だと考えられますが、この「本能」も動物自身が進化の過程で自然に身に着けたものなどでは決してなく、創造主である神が授けたものであることは言うまでもありません(と私は考えています)。

 

なお、「神のかたちに似せて創造」というタイトルで2017年12月5日にアップしている下記のブログを未読の方は、ぜひ、ご覧ください。

タイトルまたは画像をクリックして下さい。 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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汝の敵を愛せよ

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聖書を読んだことがない人でも「汝の敵を愛せよ」と言う言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

プロテスタントのクリスチャン作家の三浦綾子さんが書いた「氷点」では、この「汝の敵を愛せよ」という言葉と人間の原罪をテーマにした小説で朝日新聞に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載されて話題となり、その後出版もされ、幾度もテレビ化や映画化もされました。

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(文庫本の裏表紙の紹介文)

 

イエス・キリストが弟子たちに語った言葉ですが、聖書には次のように書かれています。

マタイの福音書5:44

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『はい、そうします。』と言ってすぐ実行出来るような人がいるでしょうか。

 

ほとんどの人は「そんなこと私には出来ません」と思うことでしょう。

 

キリスト者(クリスチャン)になれば、すぐ出来るというものでもないでしょう(と私は思います)。

生身の人間には到底不可能なことです。

 

創造主(神)及びイエス・キリストが遣わしてくださる「助け主(パラクレートス)」すなわち聖霊の助けがなければ、「自分の敵を愛する」ことなど出来ません。

 

使徒パウロは、「聖霊」を受けつづけることによって、人間の中に「愛」が成長することを教えています。

コロサイ人への手紙1:8をご覧ください。

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御霊(みたま)とは聖霊のことであり、愛に不完全な人間が聖霊によって人間の中に愛を芽生えさせ成長させてくれるのです。

 

さらに使徒パウロは次のように語っています。

ガラテヤ人への手紙5:22をご覧ください。

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御霊(聖霊)の助けによって人間に「愛」「喜び」「平安」「寛容」「親切」「善意」「誠実」「柔和」「自制」という9つの「御霊(聖霊)の実」が育ってくるのです。

 

結局、「自分の敵を愛する」などということは人間業(わざ)では不可能であり、「聖霊」の助けが必要なのです。

 

私は愛に欠ける出来そこないで劣等生のキリスト者です。

正直「自分の敵を愛する」境地には全く達していません。

ただただ、主イエス・キリストに赦しを願い、そして、「聖霊」の助けをいただくことを求めて祈るだけです。

 

ここで、あるクリスチャンではないA氏とクリスチャンのB氏との会話を紹介します。

A氏:「よくもまあ、お前みたいな悪いことばかりしてきたヒドイ奴がクリスチャンになれたもんだ」

B氏:「ヒドイ人間だったからこそ神(創造主)に赦しを求め悔い改めてクリスチャンになる必要があったんだ。もし、クリスチャンになっていなかったら、もっとヒドイ人間になっていたよ。クリスチャンになったから少しはまともな人間になれているのかもしれない。」

 

最後にカトリック教徒のマザー・テレサの言葉を引用します。

「この世界における核爆弾の存在は国家間に恐怖と不信を引き起こしています。それは、この世界の中で神のすばらしい存在である人間の命を破壊してしまうもうひとつの手段です。一体どうやって平和は打ち立てられるのでしょうか?私たちが愛し合う以外にはないのです。権力やお金のために戦っている強欲な人たちは、愛を知らないのです。ただ愛だけが家庭に、社会に、そしてこの世界に平和をもたらすことができるのです。」

 

今更、愛に欠ける私が言うことでもないのですが、全人類に「愛」が満ち溢れれば全世界は平和になることでしょう。

しかし、創造主(神)から遣わされた「聖霊」が人間に注がれることなしには人間の中で「愛」が成長することはないのだということは、上記の使徒パウロが語りました。

天地万物の創造主である真の神に背を向けたままでは、罪深き人間の努力だけで「愛」を実現することは不可能です。

 

一人でも多くの方一日でも早く聖書を学び、主イエス・キリストを信じることによって、助け主である「聖霊」が注がれることを願っています。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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