神のかたちに似せて創造
人類の祖アダムは神のかたちに似せて創造されたと聖書に書かれています。
旧約聖書・創世記1:26
この聖句に、少なからず違和感を持ち続けていました。
それは、神は霊であり、人間は神を見ることができない、神を見ると死ぬと聖書には書かれているのに、何故、神のかたちに人間が似せて造られたのかということです。
必ずしも聖書は、神にかたちがないと言っているのではなく、神は霊であり、人間には神をかたちとして認識できないと言っているのでしょうか。
アレコレ思いを巡らせても頭の出来がよくない私には、やはり、霊であり、人間には見えないはずの神のかたちに似せてという表現に違和感があり、その違和感を拭い去ることが出来ませんでした。
多くの神学者や牧師は、「人間(アダム)は、主として精神と意志において神に似たものである」というような似たり寄ったりの説明をしています。
しかし、私の求めていた答えは聖書にありました。
「聖書のことは、聖書に聞け」ですね。
神のかたちに似せてとは、どういうことか、次に引用する3つの聖句によって読み解くことができるのではないでしょうか。
新約聖書・コリント人への手紙第二4:4
新約聖書・コロサイ人への手紙1:15
新約聖書・ローマ人への手紙8:29
<参考>「御子」とは、イエス・キリストのこと。
聖書のある聖句が難解であるときには、別の聖書の聖句を読むことによって、その答えを得ることができるのはよく経験することです。
本日のテーマから脱線しますが、難解とされるヨハネの黙示録は、旧約聖書を理解していなければその意味を理解することは困難です。
旧約聖書を理解していない多くの人たちは自分勝手な独自の解釈をしているようです。
逆に旧約聖書を理解していれば、難解とされるヨハネの黙示録も驚くほど理解がすすみ、この世の終末があざやかに見えてきます。
話を戻します。
創世記1:26「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。」の「われわれ」である神は、三位一体を表しています。
因みに、主なる神は第一位格、キリストは第二位格の神、聖霊が第三位格の神です。
難解な三位一体の教理を理解することは、私にとっても、かなり大きなチャレンジでした。
正直、長い期間、三位一体の教理を理解することができませんでした。
三位一体の教理を理解するためには、旧約聖書の原語であるヘブル語の理解が必要です。
私自身は、ヘブル語は全く分かりませんが、ユダヤ人の神学者(メシアニック・ジュー)によるヘブル語文法に基づくヘブル語的聖書解釈のセミナーを聞くことによって、はじめて明確に三位一体の教理を理解することができました。
三位一体の教理だけではなく、聖書全体を理解するためには、聖書時代のユダヤ人の置かれた状況を踏まえ、ヘブル語的に聖書理解をする必要があるようです。
有名な聖句を引用します。
カッコつけて言えば、私は、創造主である神のこと、イエス・キリストのこと、聖霊のこと、永遠のいのちのこと、この世の終末のことなど、つまり「真理」を求めています。
難解な聖書の聖句も、求める姿勢があれば、その答えである真理を神は必ず与えてくれると確信しています。
そして、日々、実感しています。
本日のテーマの結論です。
私たち人間は、神の御子キリスト(第二位格の神)に似せて創造されたのです。
人間を神は愛したからこそ、神に似せて創造してくださったのです。
愛してくださった神に、感謝の祈りを捧げたいと思います。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。