星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

義認 → 聖化 → 栄化(その①)

「ヒゲのすすめ!」

前回、髪の毛について少し書きましたので、ついでにヒゲについても書きたいと思います。

私がヒゲを生やし始めたのは平成3年前後だったように記憶しています。ですから、約27年間のヒゲ歴ということになります。

下の画像は確か平成5年頃の写真ではないでしょうか。

髪の毛がこの頃になると随分と後退していますが、髪にしろヒゲにしろまだ黒々としていますね。

 

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当時は今と違って街の中を歩いていてもヒゲを生やしている男性を見かけることは稀だったような気がします。

自由業、自営業の方がヒゲを生やしているのをたまに見かけることがあっても、会社員の方がヒゲを生やすことは、まだタブーだったようです。

 

私が思うに、せっかく男性にヒゲが生えるように創造主(神)がしてくださったのだから、創造主(神)が髪の毛を授けてくださり色々なヘアースタイルを楽しめるようになっているのと同様に、男性は大いにヒゲを生やして色々なヒゲスタイルを楽しんではどうでしょうか。と言う意味で冒頭の「ヒゲのすすめ!」でした。

実際、最近ヒゲを生やしている男性が多くなってきていることは、私の考えではいい傾向のような気がします。

 

さて、本日のテーマに入ります。

表題の「義認→聖化→栄化」のうち、まず、「義認」ついて考えたいと思いますが、その前に、皆さんに次の質問をします。

創造主(神)は、どんな御方でしょうか。

次の3つの中からお選びください。

(1)創造主(神)の全人格のうち10%が聖い

(2)創造主(神)の全人格のうち50%が聖い

(3)創造主(神)の全人格の全て100%聖い

 

愚問でしたが、未だ創造主(神)を知らない、または信じていない人でも「神」をイメージするとすれば、神の全人格が100%聖い御方であることを望むでしょう。

そうなのです。聖書が教える「神」である創造主は、完璧に聖い御方なのです。

 

続いて、次の仮定を想像してください。

日本の総理大臣Aがいます。ある日、国会議員でもなく総理大臣の知人でもない一般人のBがA総理大臣に面会を求めて来ました。

A総理大臣はすぐに面会するでしょうか。聞くまでもないことですね。

仮に、面会が可能だとしても様々なハードルをクリアし様々な手続きを経た後でなければならないでしょう。

また、別の一般人のCが「俺はAを総理大臣とは認めない。ただ、俺と面会してくれるんだったら総理大臣と認めてやる。」と言います。

当然A総理大臣はCの要求を一笑し無視するでしょう。

 

このように人間社会であっても、一般人が総理大臣にコンタクトすることは容易ではありません。

 

よく無神論者が「神が俺の目の前に現れてくれたら信じる。」と言ったりしますが、言いたい気持ちはわかりますが、実は傲慢な要求なのではないでしょうか。

つまり「俺の目の前に現われたら信じてやってもいい。」と言ってるも同然なのです。

 

つまり、私が言いたいことは、人間社会でも総理大臣に容易にコンタクトすることができないのに、万物の中の一被造物にすぎない人間が、天地万物を創造した偉大な御方であり完璧に「聖」である創造主(神)に気軽にコンタクトできるわけでもないし、人間の要求に応じて現れる必要もないのです。

 

ここで、次の聖書箇所をご覧ください。

ローマ人への手紙3:9~12
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10節以降はパウロ旧約聖書詩篇14:1~3を引用して語ったものですが、人間は例外なく一人残らず罪人であると言っているのです。

詩篇14:1~3
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万物の中の一被造物に過ぎず、かつ、罪人の人間が、完璧に「聖」である創造主(神)に気軽にコンタクトなど出来るはずはないのです。

 

しかし、創造主(神)は「いけにえの血」と祭司制度を設けることによって、人間とのコンタクトの道を備えてくださったのです。

つまり、祭司の中でも大祭司が動物の「いけにえの血」によって人間の罪の贖いをして初めて神殿(神殿が造られる前は幕屋)の至聖所に入ることが許され、創造主(神)とコンタクトできたのです。

<注>「至聖所」はエルサレムの神殿の最奥部に位置する最も神聖な区域。

 

このように創造主(神)とコンタクトできる道が開かれることになっても一人一人の人間がコンタクトできるわけでなく、大祭司だけだということが、主イエス・キリストがこの世に現れる前の旧約時代(旧約聖書の時代)の在り様だったのです。

 

新約時代(新約聖書の時代)に入り、主イエス・キリストが十字架にかけられて血が流され人間の罪が贖われることによって、大祭司だけでなく、主イエス・キリストを信じる信仰によって一人一人の人間も創造主(神)にコンタクトすることができる道が開かれることになったのです。これを「万人祭司(ばんにんさいし)」と言います。

 

何故、一人一人の人間が創造主(神)とコンタクト出来るようになったのか、それは主イエス・キリストの血の贖いによって罪人の人間が「義」と看做される(認められる)ことになったからです。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

ローマ人への手紙3:23~26

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<注>25節の「なだめの供え物」とは、神の怒りをなだめるための「いけにえ」のことです。

26節後半に「エスを信じる者を義とお認めになる・・・」とありますが、イエスを「信じる」とは、イエスの何を信じるというのでしょうか。

このことについてパウロは次のように語っています。

コリント人への手紙第一15:3~5

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<注>5節の「ケパ」とは、イエスの弟子のペテロのこと。

 

私たちの罪のために死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目に復活したこと」を信じることがイエスを信じるということなのです。

 

このイエスを信じる信仰によって罪人の人間である私たちではありますが、義と認められることになるのです。

これが「義認」なのです。

 

本日はここまでですが、義認について引き続き次回も述べたいと思います。

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は5月29日(火)にアップします。

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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