星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

義認 → 聖化 → 栄化(その②)

 

(その①)の続き。

 

前回の「義認」の続きに入りますが、J・I・パッカーは「義認」について次のように説明しています。

「義認とは、罪人(邪悪で不敬虔な者)を赦す神の法的な行為であり、彼らを義と認められた者として受け入れ、以前は神から離れていた彼らと神ご自身との関係を永遠に正しいものとする。この義と認める宣告は神が与える義の恵み(賜物)であり、キリストのゆえに神が私たちを受け入れてくださっているという立場を与えるものである。・・・中略・・・義と認められるために必要な手段は、イエス・キリストが十字架につけられた救い主であり復活した主であると信じる個人的な信仰である。」

少し難しい説明だったかもしれませんが、つまり「義認」とは創造主(神)の恵みによって主イエス・キリストを信じた者を「義(人)である」と認めてくださることです。

 

しかし、ここで注意すべきことは「義認」によって私たち人間の本質が「義」となるわけではなく、あくまでも、創造主(神)の恵みによって「義である」と看做してもらえるということなのです。

創造主(神)が主イエス・キリストを信じた者を「義である」と宣言してくださっても、アダムから引き継いでいる堕落した本能、罪を犯す旧い性質(これをパウロ「肉」の性質と表現する)を持っている人間であることに変わりがなく、主イエス・キリストの「義」が、信じた者の上に「転嫁てんか)」(別の言い方をすれば義が移る)されるということなのです。

 

パウロが「肉」の性質について語っている聖書箇所を一つ引用します。

ガラテヤ人への手紙5:16~21

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<注>「御霊」とは「聖霊」のことです。

 

前回のブログで「義人はいない、ひとりもいない。」(ローマ人への手紙3:10)という聖書箇所を引用したように「義人はいない」のです。

しかし、主イエス・キリストを信じる信仰によって、創造主(神)の恵みによって「義」とされるのです。

 

ですから、いくら人間が多くの徳を積んだり、座禅をしたり、滝に打たれる修行をしたり、護摩業をしたり、千日回峰行を死ぬ思いでしても、「義人」となることは不可能なのです。とにかく「義人はいない」のです。

 

人間の努力、業(わざ)で「義」に到達することは不可能です。

何故なら、創造主(神)が人間を創造する際に、罪を犯さない義人を創造すれば済むことなのに、それをしないでいるところに奥義(神が人間に秘密にしていること)があり、創造主(神)が求めているのは人間の虚しい努力や業(わざ)ではなく、創造主(神)を信じること、つまり、主イエス・キリストを信じること、この一点を求めているのです。と私は理解しています。

 

全ては創造主(神)の恵みです。

命を授けてくださったことが第一の恵みであり、主イエス・キリストを信じる信仰により「義」とされることも恵みです。

次の三つの聖書箇所をご覧ください。

ガラテヤ人への手紙3:26

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ヨハネ福音書1:12

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ローマ人への手紙8:17

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「義認」の恵みは、主イエス・キリストを信じる信仰により創造主(神)の子としての立場をもたらすものです。

これは、創造主(神)がキリストを信じる者の天の父であるという永遠に続く親密な関係を持つことなのです。

そして、創造主(神)の恵みによってキリストを信じる者をご自分の子にするということは、何のとりえもない者が「神の相続人であり、キリストとの共同相続人」になるという祝福をもたらすことになるのです。

相続とは受け継ぐということであり、父なる神のものをキリストと一緒(共同)に相続(受け継ぐ)するという、これ以上大きな祝福はないというほどの祝福を受けることになるのです。

父なる神はキリストを信じる者である自分(神)の子たちに様々な財産(恵み・賜物)を与える準備をしており、一人でも多くの人間がキリストを信じる者となることを望んでいて、その時(キリストの再臨)が来るまで忍耐しておられるのです。

 

ここで再度J・I・パッカーの著書から引用します。

「義認は土台となる祝福であり、神の子とされることは義認に基づいている。神の子とされることは最高の祝福であり、義認はそのための道を開く。神の子としての身分は、キリストを受け入れるすべての者に与えられる。キリストを信じる者が子としての身分を持つということは、キリストにあって、そしてキリストによって、神がご自身のひとり子を愛するように彼らを愛し、そして今はキリストのものであるすべての栄光を彼らに分け与えるということを意味する。」

 

テレビ番組で、その言動からキリスト教徒とは思えないアナウンサーが、同じくその言動からキリスト教徒とは思えないある特別の才能を持つ人を「神の子」と呼ぶことがありますが、聖書に基づく「義認」の恵みを理解すればキリストを信じていない者を「神の子」と呼ぶことは相応しくないことがわかります。

 

「義認」についてもっともっと書きたいことがありますが、当ブログでは出来るだけ簡潔に聖書のエッセンスを書くことに努めているので、「義認」の説明はここまでにして、次回は「聖化」について検討したいと思います。

 

↓ ↓ (その③)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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