星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

いけにえの血と贖い(その②)

2,3ケ月前からサングラスが欲しくなりメガネ屋さんに行き、予算の範囲内でお気に入りデザインの(度付き)サングラスを探したのですが、残念ながら見つからずにいました。予算額を超えるものであれば、お気に入りデザインのサングラスはもちろんあったのですが、何分低予算なので買えずにいました。

仕方なく、100円ショップのダイソーで買った着脱式のサングラス(下の画像)で我慢していたのですが、数日前にやっと低価格のお気に入りデザインのサングラスを買うことができました。

 

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買ったら直ぐに着けたいのが人情です。

早速、アウトドアにゴー! 

と言うことで、せっかく付いてきた脚力も維持したかったので、一昨日の日曜日(20日)に最近よく行くことになった油山にまたまた登りました。前回と違うコースで山頂を目指したのですが、この日は快晴で湿度も低く最高に気持ちよく登ることが出来ました。

この日は、いつもの高齢者や山ガールの他に地元福岡の山岳会の人たちによる年一度の清掃登山ということで、前回登った時以上の賑わいでした。山岳会の人の中には80歳前後とおぼしき男女もいて、まだまだ私も老け込むことなく今後益々心身の鍛錬に努めようと心を新たにしました。

 

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100円ショップの着脱式のサングラスと違い、この度付きサングラスは見やすかったですね。いくら低価格とは言え100円と〇〇円(シークレット、秘密にすることじゃないけど<笑>)では当然でしょうか。

 

ところで、寝ても覚めても聖書のことを考えていますが、この日も登り下りの道中で聖書のこと、創造主(神)のこと、主イエス・キリストのことを歩きながら考えていると、新たな発見と確信が生まれました。

聖書研究は快楽ですが、このような新たな発見や確信が訪れることは最高の歓びの瞬間でもあります。

2,3の発見と確信を得たのですが、その一つを紹介すると次のようなことです。

「真理から外れた生き方をするということは、人間が歩むべき道つまり創造主(神)の道から外れるということであり、創造主(神)の道に外れる生き方をしていては命があっても、その命に意味がなく死に至るしかない。真理に従って生きるということは、人間が歩むべき道つまり創造主(神)のを歩んでいるということであり、生きるに値する生き方であり永遠のいのちに至ることになる。まさに、『わたしはであり、真理であり、いのちです。』(ヨハネ14:6)とイエス・キリストが語られた通りである。この『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』ということばは人間が考えつくことばではなく、真理そのものである創造主(神)でなければ出てこないことばなのである。」

何だそんなことか、と思われるかもしれませんが、これは極めて重要なことだと思います。と言うのは、自称クリスチャンの人たちの中でナザレのイエスは「主(神)」ではなく、私たち人間と同じように創造主(神)によって創造された被造物であると考える人たちがいるからです。

 

さらに、もう一つ確信したこと。

「人は、お金持ちになることやこの世の成功者になることを願い求めているが、創造主(神)は主イエス・キリストを信じる者に、そんなものよりも遥かに勝る祝福を与える準備をしておられる。これは真理です。」

 

さて、前回の続きに入ります。

まず、マタイの福音書9:13に記されているイエスのことばをご覧ください。

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冒頭の「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」は旧約聖書・ホセア書6:6の引用です。

ホセア書6:6

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続いてイザヤ書1:11をご覧ください。

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このように、創造主(神)は、いけにえの動物の血が欲しいわけでも何でもないのです。

いけにえの動物の血は、あくまでも人間の罪を贖うためのものであり、人間のために創造主(神)が備えてくださった儀式なのです。

ただ、いけにえの動物の血は一時的に人間の罪を贖うことしか出来ませんでした。ですから何度も繰り返し動物をほふり(殺して)血を注ぐ必要があったのです。

これに対して十字架上で流されたキリストの血は、ただ一度だけで人間の罪を贖うことが出来たのです。

 

ヘブル人への手紙9:22~28をご覧ください。

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最後の28節後半の「二度目は・・・」の二度目とは、私たち人間を救うために主イエス・キリストが再度現れてくれることですが、これは「携挙(けいきょ)」のことを言っているのです。

「携挙」については、本年1月5日のブログ「復活と永遠のいのち(パートⅤ)」で書いているので、未読の方はこちらをご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

過去のブログでも書きましたが、当ブログでは、聖書を学び始めた初学者を念頭に聖書のエッセンスを私なりに理解したことを出来るだけ簡潔に書いているつもりです。

初学者の方が、私ごときが書いた稚拙なブログであるにも関わらず見てくださることをキッカケにして、次の成長の段階に進まれること、つまり、「あなた自身の聖書研究」に進まれることを心より願っています。

 

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は5月24日(木)にアップします。

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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