星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

創造か、進化か(最終回)

前回の続き。

 

「創造か、進化か」の最終回です。

 

前回のブログでは、ネフィリムはノアの洪水によって滅ぼされたことを聖書記事から理解しました。

ところが、ノアの洪水よりもずっと後の時代にネフィリムということばが聖書記事に出てきます。

旧約聖書民数記13:32~33

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滅んだはずのネフィリムが何故ここで登場しているのでしょうか。

 

詳細を書こうとすると出エジプト記から説明しなければならないので、結論だけを書きます。

イスラエル人たちが約束の地に入ることを止めさせるために偵察隊がついた嘘だったようです。

創造主(神)は偽りの報告を持ち帰った偵察隊を罰しました(民数記14:11、36~37)。

偵察隊の嘘の報告から、ノアの子孫たちには、昔、ネフィリムがいたということが伝え続けられていたことを知ることができます。

32節に「背の高い者たち」と書かれていることから、ネフィリムは巨人ではないかと考えても不思議ではないでしょう。

しかし、これは、偵察隊が約束の地には手強い民族が居て入ることは困難であるという虚偽報告だということを忘れてはなりません。

前回のブログで書いたように旧約聖書の言語であるヘブル語のネフィリムの意味は「堕落した存在」です。

このヘブル語の「ネフィリム」を紀元前250年頃に七十人のユダヤ人学者が、ギリシア神話を参考に巨人を想像させてしまうギリシア語の「ギガンテス」と訳してしまい、ギリシア語「ギガンテス」を更に英語訳するときに「ジャイアント」と訳したことが巨人と思われてしまった、とするアーノルド・フルクテンバウムの説を私はあくまでも支持します。

繰り返しになりますが、ネフィリムは、巨人ではなく、普通の人間よりも知的能力及び身体能力の高い超人であるが、堕落した存在だったと考えます。

賢明にも日本語訳聖書では「巨人」と訳さずに、新改訳聖書及び新共同訳聖書は「ネフィリム」、文語訳聖書及び口語訳聖書では「ネピリム」としたことは評価できるのではないでしょうか。

 

話は変わりますが、アダムとエバにはカインとアベルという子供がいました。

カインは弟アベルを殺した人類最初の殺人者になりました。

アダムとエバには、セツという男の子も生まれています(創世記4:25)。

カインは、妻を知り彼女はみごもりエノクを産んだと創世記4:17に書かれています。

聖書初心者の頃、私は戸惑いました。

カインの妻は、どこから来たのか?

人類はアダムとエバからスタートしたのですから、カインの妻は、カインの妹・・・?

ということは近親婚?

この疑問は私だけでなく、多くの人が持つ疑問のようです。

聖書を信じない人たちから攻撃される箇所でもあります。

聖書には、一見すると意味不明、理解不能の箇所が出てきます。

聖書を信じようとしない人たちは、このような箇所を恰好の攻撃対象とします。

しかし、聖書は真理の書だと考える人、創造主(神)に信頼を置く人は、今は理解出来なくても、よく調べれば、時が来れば、きっと解明されるはずだと考えます。

そして、必ずその時が来て解明され、やはり聖書が真理の書であり、創造主(神)の偉大さを知ることになるのです。

 

カインの妻は誰か、近親婚か?

済みませんが、今回のブログでは説明を省略します。

まず、皆さんで答えを求めてみませんか。

「求めよ、さらば与えられん」ですネ(笑)

別の機会に必ずブログアップします。

 

私が聖書初心者の頃、一般書店のキリスト教関連書をアレコレと買って読んでみたものの、キリストの愛を強調するばかりで、結局どれも似たり寄ったりのものでした。

キリスト教が愛の宗教だと主張するばかりで(もちろん最重要のことですが)、聖書が本当は面白い本であることが伝わって来なかったのです。

天地創造、復活、永遠のいのちなどに真正面から向き合って書かれている本に出会うことが出来ず、少しずつ聖書から離れてしまいました。

しかし、あるキッカケから聖書を本格的に学び始めると、これ程面白い本はないことが発見されました。

一般書店で売られているキリスト教関連書には書かれていない、今回の「創造か、進化か」で取り上げた創世記の創造の箇所は面白いのはもちろんですが、信仰の土台となる箇所だと思います。

なぜなら、もし、天地万物の創造が創造主(神)の御業でなく、ノアの洪水が歴史的事実でなければ聖書の土台が失われ、キリストの教えも無意味になってしまうからです。

また、先に取り上げた「復活と永遠のいのち」については、聖書の中心箇所であるはずなのに、一般書店で目にするキリスト教関連書では表面的なことしか書かれていません。

私自身がそうであったように、聖書を知りたいという欲求があっても日々忙しく働いている現代人には自分では調べる時間がなかなか取れないのが現状です。

そこで、もし、私が聖書初心者を対象にした本を書くのではあれば、いち早く知りたい箇所を伝えたいという思いから、先に取り上げた「復活と永遠のいのち」と今回の「創造か、進化か」を書くことにしました。

ただ、あまり詳しく書きすぎると冗長になってしまうので、私の個人的感覚で、これはと思う箇所、つまり、エッセンスだけを書くことに努めました。

本当はもっと書かなければならないことが数多くあります。

「斉一説」「激変説」「間隙説」など取り上げればきりがありません。

今後は皆さんの聖書の学びの過程で研究してくださることを願います。

また、今後別の機会に取り上げたいと思います。

次回は、これだけは知っていて欲しいと勝手に私が思っている「悪魔、悪霊、天使」についてアップします。

あくまでも、聖書に基づき「悪魔、悪霊、天使」について検証します。

聖書に書かれていないことに立ち入るのは、オカルトの世界に迷い込むことになります。

要注意です。

興味のある方は、また、お付き合いください。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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