創造か、進化か(その⑭)
(その⑬)の続き。
恐竜が存在していたことは化石が証明していますが、巨人は存在したのでしょうか。
上の写真は、いったい何なのでしょう?
次の聖書箇所をご覧ください。
旧約聖書・創世記6:1~4
2節の「神の子ら」と4節の「ネフィリム」とは、いったい何者でしょうか。
聖書研究者の中には、宇宙人だと主張する人もいるようです。
しかし、1月26日のブログでも書いたように、創造論的な考え(私の考え)では宇宙人は存在しないので、当てはまりません。
旧約聖書・ヨブ記1:6には「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。」とあり、同じヨブ記38:7にも「そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子らたちはみな喜び叫んだ。」とあります。
天使(御使い)を指していることは明らかです。
つまり、創世記6:2の「神の子ら」とは、天使の中でも堕落した天使のことです。
この「神の子ら(堕天使)」は、人間の娘を妻として、ネフィリムが誕生しました。
このネフィリムとは何者でしょうか?
聖書大事典(教文館)には、次のように書いています。
「太古の世代に巨人がいたとの神話的観念は、あらゆる民族の伝承にその記憶をとどめている。・・・中略・・・バビロニアの神話においては、特にウルクの太古の王ギルガメッシュが、ライオンを打ち負かす巨人として描かれる。・・・中略・・・ギリシア神話には、ティタン族、巨人族(ギガンテース)、ヘカトンケイレスたち、キュクローブスたち、ライストルュゴン人たちが巨人として知られている。」
このような神話の影響もあって、聖書を信じている人たちでさえもネフィリムを巨人と考えています。
私もそのひとりでした。
しかし、私が信頼するユダヤ人の神学者でありキリスト者(メシアニックジュー)のアーノルド・フルクテンバウムは次のように語っています。
「第一に、『ネフィリム』という名称である。一部の英語訳聖書では、ネフィリムという言葉は『giant(巨人)』と訳されている。それを読むと巨大な人間を想像してしまうが、ネフィリムの意味は『巨人』ではなく『堕落した存在』である。この言葉は巨大な人間ではなく、堕落した種族を指している。『giant』と訳された理由は、紀元前250年頃に(ヘブル語の)旧約聖書をギリシア語に訳した『七十人訳聖書』で(七十人の)ユダヤ人学者が4節をギリシア語の『gigentes(ギガンテス)』という言葉を使って訳したからである。英語の『giant』は、この『gigentes(ギガンテス)』というギリシア語に由来している。ギリシア神話では、ギガンテスは神々と人との間に生まれた、神と人の性質を併せ持った存在として描かれている。ユダヤ人学者が『ネフィリム』をギリシア語に翻訳した時に『ギガンテス』という訳語をあてはめたのは、それが2種類の人間の間ではなく、御使い(堕天使)と人間の間に生まれた存在で、御使いでも人間でもない種族だという認識を持っていたからである。そのため、少なくとも紀元前250年頃のユダヤ人学者たちは、それが御使いと人間の女性の間の雑婚であると認識していたことになる。この学者たちは、現代よりもモーセが(旧約聖書の)創世記を執筆した時代にずっと近い時代に生きていたことを忘れてはならない。この雑婚の結果、ネフィリムという堕落した種族が誕生した。ネフィリムは人としての性質を持っていたが、超人でもあった。精神面でも肉体面でも人にはない能力を持っていたが、必ずしも通常の人よりも大きかったわけではない。ギリシア神話やローマ神話は、オリンポス山の神々がどのようにして地上の人間と結婚し、超人的な性質を持った半神半人の子供を生んだかを記している。(旧約聖書の)創世記は実際に起こった歴史を記録しているが、ギリシア、ローマ神話はそれを歪めて記しているのである。ギリシア、ローマ神話は人間の視点で書かれているので、この雑婚を何か特別で賞賛すべきことのように描いているが、神はそれを罪と呼んでおられる。」
ネフィリムは巨人ではなく超人である、とするアーノルド・フルクテンバウムの説明を、皆さんは、どう思いますか。
私は、ネフィリムは巨人などではなく、人間の知能を超える「堕落した超人」であるとする説を支持します。
だとすると、冒頭の写真は何なのでしょうか。
答えは、次の写真で明らかです。
この本物の写真に人骨をはめ込んで加工したフェイク写真だったのです。
デジタル写真家たちが行った「人をだます考古学的な捏造写真コンテスト」の作品だそうです。
ネットで見られる巨人をイメージさせる人骨の写真は、よく調べると全てフェイク写真です。
巨人の足跡らしく見える写真も同じくフェイク写真でしょう。
続いて、次の聖書箇所をご覧ください。
新約聖書・ペテロの手紙第二2:4~5
4節で罪を犯した御使いたち(堕天使)を地獄に閉じ込めたとありますが、この御使いたち(堕天使)とは、創世記6章2節の「神の子ら」のことでしょう。
なぜなら、5節でノアの洪水のことが記されているからです。
ネフィリムが生まれたのは、創世記を読むとノアの洪水の前であることがわかります。
つまり、ノアの洪水は、「神の子ら」つまり堕天使と人間の女性との間に生まれたネフィリムを滅ぼすことも目的だったのです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。