驚き!
黄金の馬、初めて見ました。
昨日放送されたテレビですが、画面に釘付けでした。
文字通り、光り輝く美しさです!
創造主の神の御業にただただ感じ入るばかりです。
黄金の馬を見たことがない方は、ネットで「黄金の馬」と検索すれば、ユーチューブで見ることができます。
今日から復活について検討しますが、黄金に輝く馬を見て、将来キリストを信じる者が経験する死後の復活が、死ぬ前の姿に戻るのではなく驚きの姿に変えられることであると確信すると同時に復活への希望を新たにしました。
まず、イエスの復活を検討したいと思います。
次の聖書箇所は、復活後のイエスと遭遇したマグダラのマリヤの様子です。
死んでから数日しか経っていないイエスを見ても、マリヤは何故、イエスと分からなかったのでしょうか。
聖書は作り話であり、イエスの復活などあるわけがないと考えている人たちにとって、このような疑問を持つこと自体意味のないものでしょう。
しかし、イエスの十字架上の死と復活を信じているキリスト者にとって、重要な意味をもっているのです。
マリヤだけでなくイエスの弟子も復活後のイエスを見極めることができませんでした。
これは、復活後のイエスがわずかに変容していたからです。
何故、完全な復活ではなく、わずかな変容なのかと言うと、十字架上でイエスが死んでいるかどうかを確認するためにローマ兵がわき腹を槍で突き刺した痕と手足を釘付けした痕がまだ残っていたからです。
栄光の体を持った完全な復活は、イエスが天に昇られて完成するのです。
復活(よみがえり)について、パウロは次のように語っています。
新約聖書・コリント人への手紙第一15:39~44
イエスの復活後の姿は、将来、キリストを信じた者に訪れる死後の復活を予感させます。
すなわち、死ぬ前の不完全な状態の体に戻る復活でなく、新しい栄光の体を身に着ける復活なのです。
私の手許にある本に次のように書かれています。
「復活は、死体が生気を取り戻すだけのことではありません。復活では、神は何か新しいことをするのです。・・・<中略>・・・復活したイエスは、肉体的に変容していました。彼は、ドアを通り抜けたように見えます。時に、人々は彼がイエスとわかりましたが、わからなかった時もあります。彼は変わったのです。」
障害があった人は障害などない体で復活し、高齢で死んだ人は瑞々しい若さで復活するので、生前にアンチエイジングの努力をする必要はないのです。
馬でさえ光輝く黄金の姿が与えられているのですから、神(イエス)の姿に似せて創造された人間の死後の復活の姿が、イエスに似た栄光の姿に変えられるのも何の不思議もないはずです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉(ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。