星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

世界の中心

世界の中心はどこでしょう?

 

世界の中心は、(世界人口)70億と数億ヶ所あります。

自分を中心として世界が回っているという意味ではもちろんありません。

私たち個々人が自分を中心に、この世界全体のことを見ているということです。

 

相思相愛の男女が恋愛の絶頂にいるときは、世界は自分たちのためにある、世界は自分たちを中心に回っていると錯覚するときがあります。

 

錯覚ならよいのですが、独裁者が自分以外の人間を虫けらのように扱い、まさに、世界は己を中心に回っていると本気で考えていたりします。

 

世界の中心であり、「神の作品」である私たち人間は、何故、いずれこの世界から消滅しなければならないのでしょうか。

死にたくないのに、何故、死ななければならないのでしょうか。

何故、死が恐いと感じるのでしょうか。

死後の世界があるのか、ないのか、何も知らないのに、何故、死を恐れるのでしょうか。

 

その昔、孔子は、弟子に死について問われ次のように答えたと言われます。

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」、生についてさえわかっていないのに、死のことがわかるはずがないじゃないかということですね。

 

米国の女優アンジェリーナ・ジョリーさんのことが話題になったことがあります。

ご存知の方も多いと思いますが、祖母と母親のガン遺伝子を怖れ、まだガンを発症してもいない時期に乳房を切除しました。

現在は抗がん剤さえも服用しているということです。

彼女の行為をとやかく言うのではなく、誰しも表面に出さなくても、死にたくないのです。

死を恐れているということです。

 

秦の始皇帝は、不老不死の薬を探し求めたと伝えられています。

かなうものなら、誰しも死にたくなんかないのです。

 

俺の人生に悔いはない、いつ死んでもいい、と公言する人がいます。

その方の歩んできた人生には悔いはないのでしょう。

しかし、死ぬことに関しては、心の底では死にたくなんかないと思っているはずです。

 

聖書に次の聖句があります。

旧約聖書・伝道者の書3:11

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<参考> 新改訳聖書で「伝道者の書3:11」とされる箇所は、新共同訳聖書では「コヘレトの言葉3:10」に記されています。

 

神は人間を創造される際に「人の心に永遠」を植え付けておきながら、せいぜい生きて80数年の苦難ばかり多い人生を過ごさせて、ハイそれまで!死んで終わりなんて、それはないでしょう、と皆さんは言いたくはありませんか。

 

突然ですが、NHKテレビドラマで「植木等(ひとし)とのぼせもん」の番組が9月2日(土)から始まりました。

その植木等の歌に次のようなフレーズがあります。

「ハイそれま~で~よ~~ふざけやがって、ふざけやがって、コノヤロー」

まさに、このように言ってみたくなります。

 

しかし、言わなくてよいのです。

神に二言はありません。

神にウソ偽りはありません。

当ブログで何度も書いてきました。

神は創造の始めから人間を永遠に生きるように造られたのです。

 

上記引用した「神はまた、人の心に永遠を与えられた」とする聖句は、神とイエスが「神、イエスを信じる者は死んでも復活し永遠の命を与える」と約束されたことを裏付ける、私にとって9月5日のブログテーマ「ジグソーパズル」のピースが収まるべきところにピッタリと収まる聖句となりました。

 

<余談> リアルタイムで植木等を知っている人は、私のブログを見てくださっている読者の皆さん方の中にはいないと思いますが、「スーダラ節」だけは聞いた覚えがあるのではないでしょうか。

ユーチューブで数十年ぶりに「ハイそれまでよ」を聞きました。

やはり、笑えます。

NHKテレビドラマの植木等を演じた山本耕史さん、いい味出していました。

興味のある方は、毎週土曜日20:15~20:45放送です。

ついでながら、放送終了時間がいつもの私の就寝時間です(笑)。

 

今日のブログは「ハイここまでよ」

次回もよろしくお願いします。

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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何という勘違い

「神は、心の中にいる」「神の国は、心の中にある」「天国は、心の中にある」あるいは「永遠の命は、心の中にある」という言葉を聞いたり、何かの本で見たような気がします。

皆さんはどうですか?

 

その昔、テレビの時代劇でキリシタン(キリスト信者)が迫害に遭いながらも、パライソ(天国)を心に秘めながら殉教死する場面があったような気がします。

突き詰めて考えていたわけではありませんが、キリシタンの人たちは、現実に存在するパライソではなく心の中にあるパライソを思い描きながら死んでいくんだなあ、と幼いながら思っていました。

 

長い間、神の存在、神の国、天国、永遠の命などは、客観的な実体のあるものではなく、観念的なものだと思っていました。

聖書にも次の聖句があるのです。

新約聖書ルカによる福音書17:20~21

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神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」と記されています。

 

聖書を紐解き始めた超初心者の頃、「ああ~、神の国は心の中にあるんだ」と読み、理解したのです。

そして、イエスの言っている「永遠の命」も心の持ちようのことを言っているのだと思っていました。

 

しかし、引用した聖句をよく読むと「神の国は、あなたがたのただ中にある」と書いているのであって、「心の中にある」などとは書いていません。

 

エスはパリサイ人の形式的な心の中から出ない信仰を痛烈に批判していました。

その形式的な信仰しかないパリサイ人の心の中に神の国がある、とイエスが言われるはずがないのです。

 

エスがパリサイ人に言っているこの聖句は神の国を支配する権威を持っている神の御子エス自身が、パリサイ人や人々の間にいると言っているのです。

聖書の注解書でも、そのように説明しています。

 

おそらく、多くの人達が「勘違い」している聖句ではないでしょうか。

 

「神は、心の中にいる」「神の国は、心の中にある」ということも間違いではなく、そういう側面もあります。

しかし、神は間違いなく、客観的な存在として存在しています。

 

ここで旧約聖書出エジプト記3:14を引用します。

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神は「わたしはある」というお方です。

神が私たち人間に「わたしは存在する』わたしを信頼せよ!」と言っているようです(これは、私の訳です)。

 

創造主である神は、客観的存在として生きて天地万物を支配しておられます。

 

神が定めた「その時」がくれば、「新しい天と新しい地(新天新地)」が実現し、神を信じ、イエスを信じた人達が、心の中ではなく現実として「永遠の命」を得ることになります。

 

キリシタンの人達も、心の中だけで存在する観念的なパライソではなく、現実に必ずや到来するパライソを思いながら迫害に耐えていたのです。

 

聖書を知る前と同じように「神は心の中にいる」「神の国は心の中にある」「永遠の命は心の中にある」だけで、客観的事実として存在もせず、実現もしないものであるとしたら、聖書を信じる価値は全くありません、イエスを信じる価値は全くありません。

 

聖書研究をすればするほど、神及びイエスが語り、イエス使徒たちも語った通り、イエスを信じた者が、死んでも復活し、新天新地で永遠の命を得ることを確信します。

使徒ペテロは、イエスから直接教えを受け、復活を目撃した者として、説得力を持って次のように信者に語っています。

新約聖書・ペテロの手紙第一1:3~5
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https://bible-seisho.jimdo.com/



 ★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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ジグソーパズル

私は、ほぼ毎日21時前後に就寝し、3時から4時の間に起きてゴソゴソと動き出します。

 

きょうは1時頃に目が覚め、それ以降寝つけずまどろんでいたところ、突然、私の聖書研究は「ジグソーパズルのピース埋めだなあ」という考えが閃きました。

ジグソーパズル自体は好きではありませんので全くしないのですが、なぜだかこのように閃いたのです。

閃いたと言っても、神から啓示があったわけでもなんでもありません、念の為(笑)。

 

聖書は、創造主である神の御計画のほんの一部を明らかにされた書物です。

その神の御計画の一部を解明しようとして、私は聖書研究をしているわけです。

 

聖書全体を木にたとえるならば、聖書の本筋の幹となる教えは単純なのですが、聖書の一節一節の枝葉は複雑であったりします。

この枝葉が、ジグソーパズルのピースのようなものです。

 

聖書研究の超初心者の頃は、聖書の主要舞台であるエルサレムがどこにあるのか、ナザレはどこか、出エジプト後にさまよった荒れ野の地カデシュ・バルネアがどこにあるのかを地図上で確認するわけです。

この地図確認作業が超初心者であった頃の最初のピースとして埋まるわけです。

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創世記のノアの洪水であれば、古代に洪水が起こったとされる神話が書かれている「ギルガメシュ叙事詩」やその他の文献をあたりピースを埋めていくことになります。

もちろん、聖書のノアの洪水は神話ではなく歴史上起こった事実だと私は考えています、念の為。

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聖書研究の過程では、時には、仏教関係の本を購入し、般若心経や大乗仏教小乗仏教のこと、日蓮親鸞のことを調べたりしました。

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釈迦、三蔵法師最澄空海日蓮親鸞などみんな私たちと同じように、万物の創造主の神より創造された被造物です。

罪人の人間として、もがき苦しみ一生を終えたのです。

新約聖書・ローマ人への手紙3:9~10

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命の源である万物の創造主の神によってでなければ、人間は救われることはないことが、仏教関係の本を読むことによって、あらためて認識できます。

 

 

聖書研究をしていく過程で難解なピースを解明して、その解明できたピースを埋めていくことが私の喜びであり、聖書研究の快楽です。

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/


 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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神を感じる〈 追伸 〉

<前回からの続き:追伸>

 

前回、「繁栄の神学」と言われるものに触れました。

私は、救いの本質を語らないで、祝福だけを強調する「繁栄の神学」に懐疑的です。

次の聖句を引用します。

新約聖書・テモテへの手紙第一6:3~10

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旧約聖書箴言30:7~9
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<注> 当ブログにおいて引用する聖句は、主に「新改訳聖書」からのものです。例外的に「新共同訳聖書」「口語訳聖書」「リビングバイブル」を引用する場合もあります。ご了承ください。

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

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・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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神を感じる

「神を信じ、祈り続けることでガンが消滅した。」「神を信じ、祈り続けることでビジネスに成功した。」と某宗教の信者の体験を直接聞いたり、あるいは本で読んだりした方も多いことでしょう。

 

キリスト教世界でも「繁栄の神学」とか「繁栄の福音」と言われるものがあり、イエスを信じればビジネスで成功するとか、健康になるとかを説く人もいるようです。

一般書店にも、そのような本が出回っています。

 

聖書には、アブラハムのように多くの子孫を授かる祝福を受けたり、ソロモンのように栄華を極める祝福を受けたりした人物が、何人か登場します。

しかし、その他大勢は、依然として貧しく、病を抱えています。

エス使徒は、迫害を受け殉教死しました。

 

エスがタイムスリップして現代社会に現れて、救いの本質を語らないで祝福だけを語る「繁栄の神学」を見たり聞いたりしたら、「サタンよ、去れ」と一喝することでしょう。(もちろん、イエスはタイムスリップの必要はなく、常に天よりご覧になっています。)

新約聖書・テモテへの手紙第二3:12

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確かに、貧しさから脱出することも救いであるし、病が癒されることも救いでしょう。

ただ、そこだけが強調される「繁栄の神学」は危険を孕んでいると考えます。

 

では、「救い」とはなんでしょうか。

キリスト教神学の本を読めば、神学者の先生方や牧師さんが丁寧に説明されています。

それらの本を読んで下さい、と私が言えば、安倍首相の国会答弁のように「読売新聞を読め」と同じになってしまいます。

 

神学者や牧師が書かれた本を読み、「救い」とは何ぞや?・・・に対する私なりの答えを得ています。

もちろん、これらの本に書かれていることと本質的には同じですが、ほんの少しだけ先輩諸兄の先生方とは違う見方をしています。

ただ、私ごときがブログで語るには時期尚早のような気がしています。

気持ちが固まれば、いつの日かアップしたいと思います。

 

神に対して、優等生ぶるつもりも、良い子ぶりっ子するつもりもぜんぜんありませんが、私は三度の食事をいただく際、食事を美味しくいただくことができる味覚を授けてくださった神の愛を感じます。

擦り傷を負った時に、いつの間にか出血が止まり癒される奇跡を目の当たりにして神の愛を感じます。

 

創造主である神を確信した瞬間やイエスをメシア(救い主・キリスト)と確信した瞬間に、私には何も劇的なことは起こりませんでしたし、特別何かを感じることはありませんでした。

ただ、止めどなく涙が溢れたことを思い出します。

しかし、日に日に、そして、徐々に神を愛することができるようになり、静かに燃えながら神(の御霊)を感じるようになって来ています。

 

F・B・マイアー(生1847年~没1929年)は、その著書「きょうの力」の中で次のように書いています。

「それは感情というよりも、ただ信仰によって受けることを知って、心は澄むのです。燃え上がる感情の炎も、感激の電光も、感情の嵐も必要条件ではありません。私たちが自分の神に正しく向けて霊魂を開く時、驚くべき約束の御霊は与えられるのです。」

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9月1日のブログでも引用した聖句です。

新約聖書・ローマ人への手紙1:20

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神の永遠の力と神性は、被造物に現れていることは間違いない事実です。

 

キリスト教関連の本によく書かれていることですが、花々の美しさを観察するとき、世界各地に数千?数万?種類もいる蝶の華やかな姿を観察するとき、芸術家である神を見ることができます。

 

70数億人の中の一人である米粒のような私の全存在にも神の愛が注ぎ込まれています。

 

言うまでもなく、皆さん各人の全存在にも、間違いなく神の愛が注ぎ込まれているのです。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

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私は、いくら・・・?(パートⅡ)

<前回からの続き>

 

ウサイン・ボルトのような走りとは言いません。

ぐっとハードルを下げた小学生並みの走りを実現するにも多額の開発費を要するでしょう。

 

各種の製造工場では人間の手指に代わるロボットが活躍しています。

しかし、一体のロボットに人間の手指と同じような機能を凝縮させることは不可能でしょう。

魚を三枚におろす、玉ねぎのみじん切り、卵の殻むき、針に糸を通す、背中を掻くなど、人間の手指は何と多様な動きができるのでしょうか。

 

歩くこと、走ること、母親が子供をやさしく撫でることができることを当たり前だと思い日常生活を送っている私たちですが、ASIMOの開発を見るとき、歩くこと、走ることが、何も当たり前のことではないことを思い知らされます。

 

すべて、創造主である神の恵みであることに気付かされます。

 

私たちは神の作品です。

新約聖書・エペソ人への手紙2:10

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私たちは、「おぎゃー」と生まれた瞬間から死に向かっています。

 

成長し20歳頃に若さのピークを迎え、老化が始まります。

(ネットを見ると若さのピークが何歳頃かは、種々雑多、色々な考え方があるようです。)

 

人によっては障害を持って生まれ、例外なく人は病に苦しみます。

 

近年頻発している洪水などの大災害に見舞われ、テロの恐怖、戦争の恐怖におびえながら、そして、不慮の事故やガン等の病に侵され死を迎えることになります。

 

アダムが神に背き、罪が人間に入り、苦難の果てに私たち子孫も死を迎えることになりました。

 

日本人の平均寿命は80数歳です。

私も60歳になって気が付きましたが、振り返って見れば80数歳などあっと言う間でしょう。

苦難ばかりの短い人生を終えるために、わざわざ、創造主である神は、溢れんばかりの愛を注いで私たち人間を創造するはずはありません。

旧約聖書エゼキエル書18:32

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神は一人の人間の死も喜びません。

神は一人の人間も障害者として生まれることを喜びません。

神は一人の人間も病に苦しんで死ぬことを喜びません。

神は一人の人間も災害や戦争で死ぬことを喜びません。

 

人間が苦難の中で短い一生を終えることを神は決して望んでいません。

 

新約聖書・ローマ人への手紙3:23~24

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神は、罪人の哀れな人間を救う御方、文字通りの「救い主・キリスト」を世に遣わして下さいました。

 

神は、御子キリスト・イエスを信じて一人でも多くの人間が救われることを忍耐しながら待ち望んでいます。

 

神が行動する時がいずれ来ます。

 

神の「その時」がくれば、災害、病、老化、死、すべてが一掃されます。

 

天地万物を創造した「全能の神(エル・シャダイ)」です。

 

溢れんばかりの愛を注いで人間を創造された「全能の神(エル・シャダイ)」に私は全幅の信頼を寄せます。

 

神の「その時、歴史が動き」ます。

聖書は人類の再生を預言しています。

 

新約聖書ヨハネの黙示録21:3~4
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「全能の神(エル・シャダイ)」の「ことば」には、「権威と力」があり、必ず実現します。

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

私は、いくら・・・?(パートⅠ)

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ホンダが開発した2足歩行ロボットASIMO(アシモ)を覚えていますか。

初めてテレビで話題になったのはいつ頃だったでしょうか。

テレビで見たときの感想は、すごいと思うより人間と比べたらあまりにも不恰好な歩みに・・・・・?でした。

 

現在もAI搭載のASIMO開発は進んでいるようですが、人間と同じように滑らかな歩行は実現できているのでしょうか。

 

これまでの開発費の累計はいくらぐらいでしょうか。

 

全く予想はつきませんが、数億円?数十億円?でしょうか。

 

車輪ではもちろんなく、2足で小学生程度の走りができる日がくるのでしょうか。

その日が来るとして、はたしてどのくらいの開発費がかかるのか見当もつきません。

走り幅跳びやサッカーボールのリフティングが出来るようになるには(ホンダはそのような機能は考えていないでしょうが)、その開発費は・・・と言うより不可能では?

と言うことは、私の足は、不可能な機能を予め身に着けているのでは・・・・・。

 

医学の分野では様々な人工臓器が開発されています。

人工心臓の開発費はどのくらいでしょうか。

私たち人間が人体の全てと同様の機能を持った人工パーツを開発できると仮定した場合、その開発費の総額はいくらになるのでしょうか?

 

言うまでもなく天文学的な金額になるでしょう。

 

だとしたら、「私は、いくら?」の回答は、天文学的金額ということですね。

 

いやいや、そうではなく、私たち人間は金銭に換算することはできない凄まじい驚異の存在ということですよね。

 

そもそも、私たち人間の人体と同様の機能をもった全てのパーツを人間の実物と同様の一体のロボットを造ることは不可能でしょう。

 

さらに、活動のエネルギー源であるガソリンや電気はロボットにとっての食物ですが、ロボットは食物を味わう喜びなどはもちろんありません。

 

被造物の人間に食べ物を味わうことができる味覚など色々な感覚を授けてくださり、なによりも「愛と命」を授けてくださった神に感謝せずにはおれません。

新約聖書・ローマ人への手紙1:20~23

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私たち人間の体の全ては、人間的知恵では造れるはずのない不可能な機能を予め身に着けていることは疑いようのない事実です。

 

被造物の人間は、命の源である万物の創造主である神に、間違いなく愛されて創造されたと実感することができます。

 

このように人間を愛してくださった神に感謝することは、ごく当たり前のことでしょう。

 

しかし、遥か昔の古代から現代に至るまで、人間は神に背を向けて来ました。

 

ある人は「神はいない」と心の内で叫び、古代エジプトでは鷹(ホルス神)や蛇、ライオンなどをあがめ、別の民族は狐、牛、竜などをあがめ、滅ぶべき運命にある人間(王、現人神、北朝鮮の〇〇書記、カルトの教祖など)を神のようにあがめ、木や金、銀、銅の〇〇座像、〇〇立像、〇〇涅槃像をわけもなく拝みます。

 

その昔、「神はいない」と無神論者を気取っていた私です。

今では、恥じ入るばかりです。

旧約聖書詩篇14:1

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地上での私の人生も決して長くない年齢になりました。

地上での肉体が滅びる前に、私を創造してくれた万物の創造主の神がおられることを知ることができ、そしてキリスト・イエスを信じることが出来て本当に感謝している毎日です。

<次回に続く>

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/


 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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