ジグソーパズル
私は、ほぼ毎日21時前後に就寝し、3時から4時の間に起きてゴソゴソと動き出します。
きょうは1時頃に目が覚め、それ以降寝つけずまどろんでいたところ、突然、私の聖書研究は「ジグソーパズルのピース埋めだなあ」という考えが閃きました。
ジグソーパズル自体は好きではありませんので全くしないのですが、なぜだかこのように閃いたのです。
閃いたと言っても、神から啓示があったわけでもなんでもありません、念の為(笑)。
聖書は、創造主である神の御計画のほんの一部を明らかにされた書物です。
その神の御計画の一部を解明しようとして、私は聖書研究をしているわけです。
聖書全体を木にたとえるならば、聖書の本筋の幹となる教えは単純なのですが、聖書の一節一節の枝葉は複雑であったりします。
この枝葉が、ジグソーパズルのピースのようなものです。
聖書研究の超初心者の頃は、聖書の主要舞台であるエルサレムがどこにあるのか、ナザレはどこか、出エジプト後にさまよった荒れ野の地カデシュ・バルネアがどこにあるのかを地図上で確認するわけです。
この地図確認作業が超初心者であった頃の最初のピースとして埋まるわけです。
創世記のノアの洪水であれば、古代に洪水が起こったとされる神話が書かれている「ギルガメシュ叙事詩」やその他の文献をあたりピースを埋めていくことになります。
もちろん、聖書のノアの洪水は神話ではなく歴史上起こった事実だと私は考えています、念の為。
聖書研究の過程では、時には、仏教関係の本を購入し、般若心経や大乗仏教と小乗仏教のこと、日蓮や親鸞のことを調べたりしました。
釈迦、三蔵法師、最澄、空海、日蓮、親鸞などみんな私たちと同じように、万物の創造主の神より創造された被造物です。
罪人の人間として、もがき苦しみ一生を終えたのです。
新約聖書・ローマ人への手紙3:9~10
命の源である万物の創造主の神によってでなければ、人間は救われることはないことが、仏教関係の本を読むことによって、あらためて認識できます。
聖書研究をしていく過程で難解なピースを解明して、その解明できたピースを埋めていくことが私の喜びであり、聖書研究の快楽です。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。