星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

とてつもない話<永遠の命>

神が「愛」「霊」「全能」であることが認識できれば、私たちの疑問は全て解決します。

アメリカの20世紀最大の伝道者と言われたビリー・グラハム(1918年~)もその著書「神は遠くにいない」の中で次のように語っています。

「神がどのようなお方であるかをあなたが一度理解するなら、すべては解決するのである。神をほんとうに知れば問題は実に簡単だ。」

 

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特に「愛」であることを言葉としてではなく、神の本質が「愛」であることを理解することがポイントです。

 

まず始めに、神はわれわれ人を創造する際に、いいかげんに、又は、ちょっとした思い付きで創造したのでしょうか。

障害を持っている方は、中々、そうは思えないかもしれませんが、今から言うことを少し立ち止まって考えて見て下さい。

あなたの脳の構造はどうですか?いいかげんな構造ですか?

目の構造はどうですか?いいかげんな構造ですか?

心臓はどうですか?いいかげんな構造ですか?

指先や体中に張り巡らされた神経はどうですか?この神経がなかったらどうなるのでしょうか?

食べ物をおいしく食べることができる味覚がなかったらどうでしょうか?

喜怒哀楽の感情や愛の感情がなかったら私達の人生はどうでしょうか?

自分に似た子供を持つことができる恵みはどうですか?

 

いいかげんに、ちょっとした思い付きで神が人間を創造したのではないことは明らかではないでしょうか。

 

人間は神の「愛」の結晶であり宝なのです。

 

結晶であり宝である人間を、神はそうたやすくお見捨てにはなりません。

 

そこで、神が「愛」であることを真底心から理解すれば、神に対する信頼は否が応でも芽生えますよね。

 

人間の親は見返りなしに無条件に子を愛します。

その親の示す愛ゆえに子は親を信頼することでしょう。

親が時として子を厳しくしかるのも愛ゆえのことです。

その時の親のすることが不当に思えても、何らかの意味なり理由があってのことです。

大人になってみれば親の真意がわかるものです。

 

神の基準からすれば人間の愛は不完全なものです。

 

不完全な人間の親の愛ですら、子にとって全人類の誰よりも最も信頼できるものです。

 

神の愛は人間の親の愛をはるかにしのぐものなのです。

 

人類の歴史は、戦いの歴史だと言っても過言ではないでしょう。

隣人とのいさかい、部落どうしの戦い、国どうしの戦い、民族間の戦い、そして、地震、洪水、津波などの自然との戦い、人間の体をむしばむ病との戦い、最後には死との戦いです。

 

「愛」の神は何故、このような戦いをしなければならない人間をそのままにしておられるのでしょうか。

 

そのままにしなければならない原因があったはずなんです。

 

そのままにしなければいけない何らかの意味ないし理由があるはずなんです。

 

原因、意味、理由がなく、「愛」の神が、「愛」の結晶であり宝である人間をそのままにしておくわけがないんです。

 

みなさん、そう思いませんか?

 

この原因、意味、理由が書かれているのが「聖書」なのです。

 

この何らかの意味ないし理由の先に大いなる神の恵みが待受けているのです。

 

最近、相撲取りの高安が大関になりましたね。

入門当時は何度も部屋を抜け出したけれども、その度に、親に説得されて部屋に戻ったエピソードが語られていました。

親は心を鬼にして部屋に帰したことでしょう。

子が苦労の末、親の家に帰って来たならば、いうまでもなく食べきれないほどのご馳走で迎えることでしょう。

 

そうなのです。

我々人類の「父」(親)なる神は、大いなる恵みをご用意されているのです。

 

千年王国」「新天新地」「永遠の命」が、それです。

ただ、この大いなる恵みを受けるには、イエスを救い主(キリスト)と信じることが必要だと聖書は教えています。

 

新約聖書ヨハネによる福音書3:16
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<注釈>「世」とは人間のこと。「御子」とはイエスのこと。

 

新約聖書ヨハネによる福音書3:17
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とてつもない話で信じられないと言う方ばかりでしょう。

確かにそうでしょう。

日本のクリスチャン人口は1%と言われているのですから。

ただ、真底このことを信じている人は、1%よりもっと少ないのではと私は感じています。

 

聖書の天地創造、万物創造の神は、とてつもないお方なのです。

 

人間の尺度で測れるほどのことしかできないのであれば、人間は「なんだ、その程度のことしかできないんだ」とあなどるのではないでしょうか。

 

とてつもないお方だからこそ、神として崇めることができるのです。

 

神の栄光を讃えることができるのです。

 

新約聖書ルカによる福音書1:37に次の聖句があります。
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そうなのです。

神の辞書に不可能の文字はないのです。

だってそうでしょう。

神社にお参りに行ったら、

「われは交通安全を守るだけの神であって人類を救うことはできないのだ」

「われは安産だけの神であって人類を救うことはできないのだ」

「われは商売繁盛だけの神であって人類を救うことはできないのだ」と言われたのでは興ざめですよね。

神に得意不得意があっては困ります。

 

神にとって不可能なことは一つもありません

永遠の命」を人間に授けることも、神にとっては、とてつもないことではなく、たやすいことなのです。

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉(ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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