聖書の矛盾? 聖書は作り話?(その⑤)
(その④)の続き。
前回引用した創世記2:24の「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」という記事をパウロはエペソ人への手紙の中で引用しています。
エペソ人への手紙5:31をご覧ください。
パウロは、エバがアダムのあばら骨から造られたことが作り話ではなく、事実として捉えているからこそ、このように手紙の中に書いているのです。
マタイの福音書17:1
ルカの福音書9:28
マタイは「六日」と書いているのに、ルカは「八日ほど」と書いています。
私の個人的見解ですが、ルカは「八日ほど」と書いているところからすると確実な日数を把握していないようです。
それに対してマタイは「六日」と明確に書いています。
この違いは矛盾でも何でもないですよね。
私たちの日常生活でもよくあることで、ある出来事が起こった日のことを、ある人は「7日前」と言い、別の人は「数日前」と言うことがあります。
同じ状況説明でもマタイとルカに微妙な日数の違いがあるからこそ、この聖書の記事に私は信憑性を感じますが、皆さんはどう感じますか。
続いて、次のマタイの福音書とルカの福音書を見比べてください。
マタイの福音書10:29
ルカの福音書12:6
マタイは「二羽の雀は一アサリオン」と書いているのに、ルカは「五羽の雀は二アサリオン」と書いていますが、この違いは何でしょうか。
聖書は(書き写しの)写本の繰り返しであるから、その書き写しの際に写本に誤字脱字等のミスがあったり、故意に改竄(かいざん)があったはずだから、聖書は信憑性に疑いがあり信用できないと主張する学者がいます。
もしそうなら、バラバラであった写本を一冊の今あるような聖書にする際に、「二羽の雀は一アサリオン」か「五羽の雀は二アサリオン」のどちらかに統一する改竄をしてもよかったのではないでしょうか。
それをしていないところに聖書編集者の誠実性を私は感じます。
ただ、結論は簡単ですよね。
マタイとルカの表現の違いは矛盾でも何でもなく、当時、雀は最も安い食用の鳥でしたが、露店では、雀を「二羽の雀が一アサリオン」で売り、かつ、同時に「五羽の雀が二アサリオン」でも売っていただけのことなのでしょう。
マタイとルカの焦点の当て方が異なっただけのことだと私は考えます。
<参考>
「アサリオン」は、一デナリの16分の1に相当するローマの小銅貨であり、一デナリは当時の労働者の一日の労賃です。
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https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。