聖書の矛盾? 聖書は作り話?(その⑥)
(その⑤)の続き。
新約聖書のルカの福音書2章42節から51節に、12歳の少年イエスがエルサレムの神殿で学者や祭司たちと、対等に議論をかわしたという話が記されています。
ところが、その後の具体的な活動は何一つ語られていません。
ただ、「イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人とに愛された」と同書2章52節に書かれているだけです。
同書3章22節で「教えを始められたとき、イエスはおよそ30歳で、人々からヨセフの子と思われていた。」と記されるまでの13歳以後29歳までの17年間について、他の福音書なども含めてイエスの活動が語られていません。
この空白の17年間について多くの学者たちは研究していますが、確かなことは不明のままです。
ただ、新約聖書外典の中に「トマスによるイエスの幼時物語」というものがあり、イエスの5歳から12歳までのエピソードが書かれています。
一部要約して紹介します。
「イエスの噂を聞いた律法学者アンナスの息子がやって来て、イエスがせき止めておいた水を流してしまいます。するとイエスは怒り、『不義にして不敬にして愚かなる者よ。この穴と水がお前に何の不正をなしたというのか。みよ、今やお前は木のように枯れる』と言うと、アンナスの息子は本当に枯れてしまった。また、駆けて来た子供がイエスの肩にぶつかると、イエスは怒り『お前はもう道を歩けない』と言うと、たちまちその子供は死んでしまいました。」
このような内容でかなりひどいものであり、全く信頼性に欠けます。
なお、「新約聖書外典」とは、現行の新約聖書の27の文書が正典として成立する過程において、内容的に信憑性に欠けるために正典として採用されなかった諸文書のことです。
イエスは、およそ30歳から宣教を始め、十字架にかけられるまで、3度過越(すぎこし)の祭りに参加したというマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書の記事から、33歳で処刑されたと推定されます。
何故、4福音書の記者はイエスの13歳から29歳までの17年間のことを書かなかったのでしょうか。
聖書が作り話だと主張する人たちの言うとおりであれば、イエスの成長の過程をいかにもありそうな逸話を挿入しながら作り話を書いてもいいはずです。
作り話ではないからこそ、4福音書の記者は、イエスに重要な出来事が起こった30歳の時とそれ以後のことを中心に書いたのだと私は考えます。
30歳の時のイエスに起こった重要な出来事とは何でしょうか。
それは、イエスがバプテスマ(洗礼)を受けた際に聖霊が注がれたことです。
次の聖書箇所をご覧ください。
ルカの福音書3:21~23
イエスに聖霊が注がれ聖霊の力を帯びることによって、公生涯がスタートし数々の奇蹟を起こし、救い主(キリスト)であることが証しされるのです(ルカ4:14~19参照)。
聖霊が注がれてからイエスの公生涯がスタートすることは、イエスに限られたことではなく、ペンテコステ(五旬節)の日にイエスの使徒たちに聖霊が注がれてから、使徒による宣教もスタートすることになるのです(新約聖書・使徒の働き2章)。
(ペンテコステについては、近日中にアップする予定の「聖霊」の説明をする際に触れたいと思います。)
いずれにしても「聖霊」の存在が聖書の中で極めて重要な意味を持っていることは間違いありません。
この重要な存在の「聖霊」については、「三位一体」と一緒に近日中にアップします。
<番外>
聖書に書かれていないイエスの13歳から29歳までの空白の17年間を探し求めたエリザベス・クレア・プロフェット著「イエスの失われた十七年」という本がありますが、私の読後の感想は、信憑性を全く感じませんでした。
↓ ↓ (その⑦)はこちらをクリック
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。