愚かな方法
まだ、神を知らなかった時、聖書に見向きもしなかった時、おぼろげながら「神様が自分に現れてくれたらいいのになあ、キリスト教でも何でも信じるのになあ」と思っていた頃があったような気がします。
数多くの方が、今なお、このように思っているのかもしれません。
聖書を学び始めた頃、新約聖書コリント人への第一の手紙1:21の聖句を初めて見た時は、目からウロコでした。
熱心にキリスト教を宣教して来た外国人宣教師や現在進行形で宣教しているキリスト者(クリスチャン)の行動が理解できる聖句との出会いでした。
新約聖書コリント人への第一の手紙1:21
一見愚かしくもある方法(宣教)ですが、宣教によって神の福音を受ける側の受け手にとって福音を信じることができれば、この上のない喜びであり救いですが、宣教する側も宣教するには、まず自分自身が聖書の学びを日々充分行い、聖書の教えを行動として示さなければ説得力をもちません。
宣教者自身も宣教を通じてキリスト者(クリスチャン)として成長することになるのです。
宣教は愚かな方法ではなく、理に適っているのですね。
神の知恵は計り知れません。
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「○○神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
☆星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室☆