聖霊と三位一体(その②)
(その①)の続き。
前回、助け主(パラクレートス)である聖霊がイエスを救い主(キリスト)と信じた者に授けられて、聖霊が信者の内に宿られる(聖霊の内住)ということを新約聖書の聖句によって確認しましたが、聖霊について語られている箇所は新約聖書では388あり、旧約聖書では88の箇所で記されています。
イザヤ書44:3
この聖句は創造主(神)が預言者イザヤをとおして御霊を注ぐことを約束されたのものです。
エゼキエル書36:26~27
この聖句は創造主(神)が預言者エゼキエルをとおして御霊を授けると語ったものです。
前回引用したドワイト・ライマン・ムーデー牧師と同様に有名な牧師のアンドリュー・マーレー(1828年~1917年)は、著書で次のように語っています。
「神は、二つの偉大な約束によって、ご自身を啓示されました。旧約と新約がそれです。旧約は約束と準備の時代でしたが、新約はその完成と領有の時代です。この二つの時代の相違と調和を知ろうとするなら、神の御霊には二重の働きがあることを知らなければなりません。旧約においては、神の霊は人々の上に臨んで働き、特別な時と特別な方法により、上から外に向かって働かれました。新約においては、聖霊は、まず人々の心にはいり、そのなかに住み、内から外に向かって、また上に向かって働かれるのです。」
ところで、イエスは十字架の後、40日間復活の姿を現して天に昇られる(昇天)までのある時点で使徒に対して聖霊について語っています。
次の聖書箇所をご覧ください。
使徒の働き1:3~10
5節の洗礼者ヨハネの水のバプテスマ(洗礼)は、人間を神に立ち返らせる悔い改めのバプテスマですが、キリストが授ける聖霊のバプテスマは聖霊を満たすバプテスマです。
この聖霊のバプテスマが使徒たちに授けられる約束は五旬節(ごじゅんせつ)の日に成就しますが、これを「聖霊降臨」と言い、新約聖書・使徒の働き2章に記されています。
使徒の働き2:1~4をご覧ください。
五旬節(ギリシア語で「ペンテコステ」)とは、第五十を意味する言葉で「五十日祭」と訳される場合もあり、「過ぎ越しの祭り」と「仮庵(かりいお)の祭り」と並ぶユダヤの三大祭りの一つです。
ユダヤ教では五旬節を「七週の祭り(シャヴオート)」と呼びますが、イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出した救いを確認する「過ぎ越しの祭り」より第五十日目、すなわち全七週後にあたる祝祭です。
ユダヤ人にとっては祭りですが、キリストを信じるクリスチャンにとっては「聖霊降臨」の記念日となったのです。
ペンテコステの日の聖霊降臨は、イエスが十字架で死んで50日後のこと、昇天して10日後のことです。
4節の「他国のことば」とは「異言(いげん)」と呼ばれるものですが、この「異言」は現実のクリスチャンの信仰生活の中でかなり問題があるものです。
「異言」の問題点については、この「聖霊と三位一体」のテーマの中で後日アップします。
なお、ペンテコステの日に教会(ギリシア語で「エクレーシア」)が誕生したとされています。
この教会は建物の教会堂ではなく、イエスを信じる人々の集まりである「人々の群れ」を指して教会と呼ぶのです。
なお、教会がキリストのからだであることが次の聖書箇所で分かります。
コロサイ人への手紙1:18
内村鑑三は「聖霊降臨」の意義について次のように語っています。
「ペンテコステの日の聖霊降臨は二大事件を引き起こした。第一は使徒たちがその時から福音宣教者となったことである。第二にはエクレーシアすなわち教会の成立せしことである。」
↓ ↓ (その③)はこちらをクリック
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。