星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

聖霊と三位一体(その③)

突然ですが、もし全人類が言葉をしゃべること以外はイヌと同じような動作しかできないと想像してください。

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想像しましたか?

ところが、全人類の中であなただけが、イヌには出来ないクロールや平泳ぎの水泳をしたり、スケートやスキーをしたり、絵を描いたり、作曲をしたり、針の穴に糸を通したりといった本来の人間が出来る様々な細かい作業も出来るとしたら、あなたのしていることを他の人間はどのように感じるでしょうか。

イヌと同じような動作しかできない人間は自分と比較して、あなたの一つ一つの動作を奇蹟だと賛美しないでしょうか。

多くの人間は、様々な動作が出来ることを「当たり前」、食物を食べた時に美味しいと感じる味覚があることを「当たり前」、この世で生きていることさえも「当たり前」と思い込み、創造主(神)が私たち人間に授けてくださった多くの奇蹟の賜物に気が付くことがないようです。

鳩や雀はやすやすと空を飛び廻りますが、一羽の鳥以外は全てダチョウと同じで空を飛ぶことができないとしたら、鳥が空を飛べること自体も決して「当たり前」ではなく奇蹟であり、創造主(神)から与えられた賜物ではないでしょうか。 

 

さて、前回の続きに入ります。

エスを救い主(キリスト)と信じる者には聖霊が注がれますが、パウロは教会の信者(兄弟たち)に、聖霊の働きとしての「御霊の賜物」について、次のように語っています。

コリント人への手紙第一12:1~10

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クリスチャンであっても、上記の聖句にあるような奇蹟を行う賜物が授けられたわけでもなく、異言(いげん)を語ることもできないので、自分には「聖霊の内住」が感じられないという人たちが結構たくさんいるようです。

 

なぜでしょうか?

 

おそらく、ペンテコステの日のように聖霊が「炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった(使徒の働き2:2)」という経験を実体験したわけでもなく、真偽のほどは分かりませんが一部の人が言うような「体中を電気のような力強い流れを感じて聖霊が注がれた」、「イエスが夢に出てきて語ってくださった」、「まばゆいばかりの真っ白な衣を着たイエスが現われてくださった」というような劇的な体験をほとんどのクリスチャンはしていないからかもしれません。

 

前回も引用したアンドリュー・マーレーは次のように語っています。

聖霊の内住はまず何よりも徹底的に信仰によって認められなければなりません。たとい、信者がその働きの証拠をほとんど認めないときでさえも、信者は、静かに敬虔に聖霊がうちに住んでいることを信じるべきなのです。この信仰によって、信者は安心し信頼して、その働きを待ち望むべきなのです。その信仰によって信者は、断固として自分自身の知恵と力とを拒絶し、子どものような自己否認をもって、聖霊により頼みつつその働きを待つのです。その最初の働きは、この上なく弱く、ひそかであって、それが聖霊から来たものであることをほとんど認めることができないかもしれません。それは良心のささやきとか、聞きなれた聖句のひびきにすぎないと思われるかもしれません。このようなときこそ、信仰をもって主イエス・キリストのお約束と父なる神の賜物をしっかりとらえ、聖霊がうちにいまして導いてくださることを信じるべきです。信仰は、それがどんなにありそうもないように見えても、神についてのことがらを認識する私たちの霊的性質の能力です。どうか私たちが、父なる神がその御子イエス・キリストを通して与えてくださる唯一の賜物は私たちのうちに住んでおられる御霊であるということを信じる信仰を、さらに養い訓練することができますように。また、御子を、その人格もみわざも栄光も、すべてこの内住の御霊に帰着するのだと信ずる信仰を、さらにあつくすることができますように。」

 

「創造主(神)の存在」や「聖霊の内住」を認識するために劇的な体験を待ちわびるより、信仰によって認めるべきなのです。

 

前々回の「聖霊と三位一体(その①)」で引用した聖句を再度ご覧ください。

ヨハネ福音書14:16~17

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過去を振り返ってみれば、表面的には理解できないあの時のあの事が神のメッセージだったのかなと思える体験がないではありませんが、私の目の前にイエスが現われたなどという顕著な劇的体験は私にはありません。

しかし、私が絶対的に信頼しているイエスが「その方(聖霊)はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」と断言してくださったのです。

私は、イエスの御言葉を信じ、聖霊が私に内住してくださっていることを信じています。

 

冒頭で書きましたが、創造主である三位一体の神は、人間に他の生物とは全く異なる様々な賜物を授けてくださっています。

この特別の賜物に気付くならば、体中に電流が流れるような体験によって聖霊の存在を感じることがなくても、イエスが目の前に現れるなどの劇的体験がなくても、イエスを救い主(キリスト)と信じた時に三位一体の第三位格の神である聖霊が内住しているという確信を持つことが出来るのではないでしょうか。

 

次回に続く。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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