星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

創造か、進化か(その②)

(その①)の続き。

 

天地創造の流れ。

<第一日>

初めに、神は天と地を創造された。

光を創造され、光とやみを区別。

<第二日>

大空を造り、水を上の水と下の水に区別。

<第三日>

陸地と海、そして植物を創造。

<第四日>

太陽、月、星を創造。

<第五日>

海の生き物、飛ぶ生き物の創造。

<第六日>

神のかたちに人間を創造、陸の生き物・家畜を創造

旧約聖書・創世記1:31

f:id:hoshishusaku:20180113125157j:image

<第七日>

神の休息。

 

天地万物を神は六日間で創造されたわけですが、この一日は24時間の一日ではなく、地質年代カンブリア紀など)を指す、あるいは、一日は千年のことを指すなど様々な説があります。

果たして、そうでしょうか。

 

聖書を字義通り解釈する人たちは、一日は24時間、つまり六日間は144時間と理解しています。

私もその一人です。

 

一つ一つの説に反論しようとするとかなり長い文章になるので、当ブログではポイントだけ述べたいと思います。

 

次の聖書箇所が一日は24時間などではないと主張する人たちの根拠の一つです。

新約聖書・ペテロの手紙第二3:8

f:id:hoshishusaku:20180113125211j:image

この聖句は、いつまで待ってもキリストの再臨がない、世の終末も来ないと言っている者たちに対して反論する場面ですが、聖書に書かれている一日がすべて千年などと言っているわけではありません。

あくまでも、この聖句の千年は比喩的表現です。

創造の一日とは千年のことだとする説は、この聖句の前後の文脈を無視した、明らかな誤用です。

 

昆虫の活動によって、多くの植物の受粉が行われていることは小学生の時に教えられた自然界の仕組みの基本の一つですね。

植物は第三日目に創造されました。

しかし、昆虫は第五日か第六日までは創造されませんでした。

もし、創造の一日が何億年以上の地質年代又は千年を意味しているのなら、植物の生存のための受粉はどうなっていたのでしょうか?

 

受粉が行われない植物は昆虫が登場する前に絶滅し、その植物を食料とするはずの動物もこの世界に登場することもなかったはずです。

植物と昆虫、それに動物は複雑な共生関係によって命を保っています。

同時期にこの世界に登場したと考える方が理に適ってはいないでしょうか。

2、3年前にミツバチが減少していることが話題になり、このまま減少が続くと世界的な食糧危機に陥ると警告する学者の話など、記憶に新しいところです。

 

創造の各段階のおわりに「夕があり、朝があった」という記述は地球が自転を開始していることがうかがえ、時間の経過があり、一日が24時間であることを示しているのではないでしょうか。

 

創世記1:14には「季節のため、日のため、年のためにあれ」とあり、日と月(季節)と年を区別しており、同じ創世記一章の中で創造の一日だけを地質年代あるいは千年間だと解釈するのには明らかに無理があるでしょう。

f:id:hoshishusaku:20180113140027j:image

 

さらに次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書出エジプト記20:11

f:id:hoshishusaku:20180113140044j:image

もし、一日が千年のことだとする説を採用すると安息日も千年間という途方もない期間になります。

 

皆さんは、創造の一日は「24時間」であるとする解釈に、ガッテンしましたでしょうか・・・?

 

エスは、その公生涯で様々な癒し(奇蹟)を行いました。

例えば、病人を癒す時に、手をかざしてから「一ケ月程養生しなさい。そうすればよくなります。」などと言って、人間の医者がするようなことをしたわけではありません。

「ことば」を発すると瞬時に病は癒えたのです。

距離を置いた遠く離れた人も瞬時に癒しました。

 

物理法則、化学法則、生物学的法則など自然界のすべての法則は、全知全能の創造主である神によって定められました。

自然界の法則が先にあって、その法則に神が従って、天地万物を創造したわけではないのです。

人間が生きるものになったのは、神のいのちの息(霊)が吹き込まれたからでした。

自然界の法則とは別次元の神の御業ではないでしょうか。

神のなさる御業は人間の知恵の範疇を超えたものです。

神の力を過小評価してはなりません。

われわれ人間には到底信じられれないことをなさるのです。

誰もがすぐ信じてしまうようなレベル程度しか出来ないのなら、神と崇める対象とする気持ちには、他の人はどうかわかりませんが、私はなれません。

 

天地万物を六日(144時間)で創造されたお方だからこそ神として崇め、讃える価値があるのではないでしょうか。

 

だからこそ、死者の復活や永遠のいのちも確信できるのではないでしょうか。

 

天地万物の創造は、神の栄光そのものです。

 

↓ ↓ (その③)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

f:id:hoshishusaku:20190227033640j:plain

https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image