星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

ヨセフスのいわゆるキリスト証言

 

フラウィウス・ヨセフスは、ユダヤの歴史家です。

ヨセフスのいわゆるキリスト証言」が書かれている「ユダヤ古代誌」の著者です。


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ちくま学芸文庫ユダヤ古代誌」の訳者(秦剛平)前書きを以下引用します。

 

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ちくま学芸文庫ユダヤ古代誌」「ヨセフスのいわゆるキリスト証言」以下引用。

 

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エスが十字架上で刑死したのは紀元30年頃ですが、ヨセフスが生まれたのは紀元37年頃だとされていますので、イエスときわめて近い時代を生きた人物であることを考えると、「ヨセフスのキリスト証言」は、イエス・キリストの実在証明に信憑性を与えるものではないでしょうか。

疑う学者もいるようですが、皆さんはいかがですか。

ヨセフスのプロフィールに興味のある方は、ウィキペディアで各自ご確認下さい。

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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イエスの奇跡が見たい!

エスの奇跡を見たいと思っても、私たちは見ることができません。

聖書の記事を読んで確認するしかありません。

 

新約聖書福音書と呼ばれる4つの書にイエスの行った36回の奇跡が記されています。

4つの福音書とは、マタイによる福音書、マルコによる福音書ルカによる福音書ヨハネによる福音書です。

 

エスの奇跡(36回)(出典:聖書大百科・創元社刊) ↓


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聖書に書かれているイエスの奇跡の他に、聖書に書かれていない奇跡も数多くあったようです。

聖書に書かれているイエスの活動はほんの一部に過ぎないのです。

 

新約聖書ヨハネによる福音書21:25に次の聖句があります。
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聖書を読みたいけど、どこから読み始めたらいいか分からない人は、イエスの奇跡36箇所からチャレンジするのも一つの方法かもしれませんね(*^_^*)

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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当たり前の世界? 奇跡の地球(ほし)?

ある日A君は運転ミスをして、大切に乗っているマイカーのボディにキズを付けてしまいました。

無神論者の彼ですが、冗談半分にキズが直るよう神に祈りました。

翌日、ボディを見るとキズが見当たりません。

奇跡が起きたと思いました。

神に感謝しました。

その後、何度か小さな事故を起こしましたが、修理工場に出す事もなくキズは直っていました。

何度も続く奇跡は、A君にとっては、もはや奇跡ではなく、当たり前のことになり、神に感謝することもなくなりました。

 

人間がころんで擦り傷をしても、数日で擦り傷は治っています。

当たり前なのでしょうか?

 

日常生活で人間の体の中で手はよく活躍してくれます。

手の爪が擦り切れたまま伸びなかったら、どうでしょうか?

皆さんは、考えたことがありますか。

爪が伸びるのは当たり前でしょうか。

 

桑田佳祐の「奇跡の地球(ほし)」という歌がありました。

 

奇跡を目の当たりにしていても、それが、日常的に繰り返して起こると慣れてしまって、奇跡を奇跡と感じることができず、当たり前になっている・・・とは考えられないでしょうか。

 

神様は、恩着せがましくありません。

押し付けがましく奇跡を見せつけません。

 

親は、子に愛情を注ぎます。

しかし、親は、何か子供にしてあげる度に「これは、わたしの愛の証しだよ」などと恩着せがましくはありません。

押し付けたりはしません。

親は、あふれる程の愛を子に注ぐことが喜びなのです。

親の愛は、「与える愛」なのでしょう。

 

神は、私たち人間の「父(親)」なる神です。

神は人間にあふれる程の愛を注ぎました。

神は、「与える神」なのです。

特にイエスを信じた者に究極の愛の証しである「永遠の命」を授けると聖書では教えています。

 

私たち人間は、神を目で見ることはできません。

しかし、神の創造した被造物である人間の造り(治癒力)や自然の豊かな恵みを感じることによって神を認識することができるのではないでしょうか。

 

しかし、現在の私たちの住む「奇跡の地球(ほし)」は、神が創造した当時と異なり傷付いた地球(ほし)であり、傷付いた人間の姿です。

 

歴史的に二つの大事件によって傷付いてしまったことが旧約聖書に記されています。

 

一つ目が、最初の人間アダムの神に対する背任です。

創造時の人間は病とは無縁であり、老化もなく、死もありませんでした。

しかし、このアダムの罪によって、人間には病が棲みつき、美貌は老化とともに衰え、死に至ることになりました。

 

二つ目は、ノアの大洪水です。

大洪水によって、地球のバランスが不安定になってしまったのです。

 

アダムが「善悪の知識の木」の実を食べたことが、何故、神に対する背任(罪)になるのでしょうか。

また、人間には「原罪」があるとキリスト教は教えます。

 

「原罪」とは何でしょうか。

 

聖書の記事を丹念に読み込み学び探究することにより、アダムが「善悪の知識の木」の実を食べたことの深い意味を「聖霊」に導かれて、答えを得たような気がします。

 

神の性質を知り、神を信じて、神を信頼しないと納得できない答えかもしれません。

 

逆に、神を信じることができれば、答えはシンプルです。

 

「真理」はシンプルです、修行・苦行した人だけのものではありません。

 

私が得た答えは、別の機会に語りたいと思います。

期待させて、申し訳ありません。

 

私は、毎日、(爪が伸びる)奇跡を見ています
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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天地創造6日間

超高層ビルのナンバーワンはドバイのブルジュ・ハリファの高さ828メートルで工期は6年程です。

神だったら、どのくらいの期間で完成させるでしょうか。

神の存在を信じていない人は、神が存在すると仮定して考えてみて下さい。

どうですか。

神だから、人間の6分の1の期間の1年間でしょうか。

それとも、1ケ月間でしょうか。

仮定上の神とは言え、神である以上、1ケ月間でもかかり過ぎでしょう。

それはもう神とは言えないのではないでしょうか。

 

以前テレビ番組でアメリカのマジシャンのデビット・カッパーフィールドがイリュージョンとやらを披露していました。

トリックによって一瞬でジャンボ・ジェット機を消したり、出現させたりしました。

1時間、2時間かけて消したり、出現させたりしていたら番組が終わってしまいます(笑)。

 

神であるなら一瞬のうちに私たちの目の前に超高層ビルを現してくれるはずです。

 

旧約聖書出エジプト記の記事に出てくる海を裂くことを神は一瞬にされました。

イスラエルの民が通れるように海底トンネルを日数をかけて悠長に掘ったわけではありません。

 

神の創造の御業は人間の技とは、根本的に違うのです。

 

サルの世界で一番の知恵のあるサルでも、人間の知恵との間には、超えることができない裂け目があるように、「神の知恵と御業」、「人間の知恵と技」との間には、大きな裂け目があるのです。

 

この裂け目を人間は超えることができないのです。

 

神の創造の御業は人間が物を造るような過程を経るのではないのです。

 

したがって、人間の知恵で天地創造の神の御業を解明することは不可能なのです。

 

今後、科学などのあらゆる〇〇学の世界最高峰の学者を総動員しても、人間の知恵の延長線で考える限り解明される日が来ることはないでしょう。

 

神にとって不可能なことは一つもありません」(新約聖書ルカによる福音書1:3)

 

神が動いた場合は一瞬に事は成就します。

 

旧約聖書の創世記第1章から第2章の記事である天地万物を神が文字通り6日間で創造し、7日目に休息をとったことを私は確信します。

 

キリスト教徒の有名な作家(複数の方々)の聖書に関する本を読むにつけ、少々ガッカリすることがあります。

天地創造旧約聖書の箇所を伝説だと書いていたりして聖書記事を信じていないようなのです。

キリスト教徒だからと言って信じられないものを無理に信じる必要もないのは分かってはいるのですが、私としては、やはりガッカリです。

 

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以上が天地創造の私の見解(全てではなく一部)です。

全ての見解については、別の機会に語ります。

学生時代、私は劣等生でした。

高名な学者でもなく、私には何の権威もありません。

私の見解と書きましたが、実際は、聖書に記されている私に内住する「聖霊」が示してくれた真実だと思っています。

聖霊」の力は、イエスを信じるキリスト教徒にとって最重要なものです。

聖霊」の活動なくしてキリスト教徒の信仰の成長はありません。

この「聖霊」については、別の機会に語りたいと思います。


新約聖書・コリント人への手紙第一6:19
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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世界最大のことば

このブログで何度も引用した「わたしは道であり、真理であり、命であるヨハネによる福音書14:6)」という言葉を、イエスは何の根拠があって言えたのでしょうか。

その根拠は、以下に引用する聖句によって明らかにできます。

新約聖書ヨハネによる福音書1:1-4
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<注釈>「ことば」とは、イエスのこと。

 上記のヨハネによる福音書1章1節「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」の聖句を内村鑑三は「聖書之研究(1905年)」の中で「世界最大のことば」と書いています。


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新約聖書ヨハネによる福音書1:10

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新約聖書ヨハネによる福音書1:14
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新約聖書マタイによる福音書28:18
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個人的に私は「わたしは道であり、真理であり、命である」とイエスが語った言葉が、聖書全体の中心聖句だと考えています。

旧約聖書は神と人間の関係と救い主(メシア、キリスト)待望の預言がメインに記され、新約聖書ではまさに救い主キリスト・イエスのことが記されているからです。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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真理はシンプル 真理は自由

新約聖書・マタイによる福音書11:28~30
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 (出典:「聖書大事典」教文館刊) ↑

 

うつ病患者が減りません。

減るどころか増えるばかりです。

うつ病になる原因は、人により様々で、単純にこれが原因だと言い切ることはできません。

ただ言えることは、その患者さんにとって許容限度を超える負荷が脳細胞に加えられたことが、うつ病発症の一番の原因ではないでしょうか。

「負荷」を別の言葉で表現すれば「ストレス」ですね。

 

エスが活動した当時、ユダヤ人は、日常生活のあらゆる場面でユダヤ人の行動を規制(束縛)する宗教指導者(特にパリサイ派)が定めた細かな定め(口伝律法)によって、疲れ果てていました。

安息日は、本来、労働をしないで十分な休息をとり、神を思い神を讃える日であるはずなのに、いつのまにか、安息日には病人をいやすことはできない、その病人を運ぶこともできないという定め(口伝律法)を付け加えて変質していったのです。

 

ビジネスの現場でも、サービス残業が常態化したり、パワハラがあったりで、その会社の創業時の理念からかけ離れた定め(口伝律法)が幅を利かせてストレスをため込んでいるビジネスマンが多いような気がします。

うつ病予備軍が潜在化しているようです。

 

昨日のブログでも紹介した二つの聖句です。

わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書14:6)

真理はあなたがたに自由を得させる」(ヨハネによる福音書8:32)

 

エスの教え、聖書の教えを変質させ不要な「くびき」を作り出した、過去のキリスト教や現在のキリスト教と称する宗教団体やカルトもあるようです。

 

イスラム教徒は、日に3度メッカに向かって祈りをしなければいけないようです。

強制的な定めは形式的になりがちで、心からの祈りとはならないでしょう。

 

聖書の神は「霊」です。

空間と時を超越されているお方です。

祈りの場所(方向)や祈りの回数を定めてはいません。

 

神は心から祈る者の声を聞かれるのです。

 

「真理」はシンプルであるはずです。

だから、「真理」は人を「自由」にします。

エスの「くびき」は「真理」です。

シンプルです。

「自由」です。

人を軽やかにします。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉(ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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真理がわたしを自由にした

わたしの大切にしている本の一つにD(ドワイト)・L(ライマン)・ムーデー(1837年~1899年)の「聖書研究の快楽」があります。

D・L・ムーデーは、アメリカの有名な牧師であり大衆伝道者です。

 
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昭和5年出版(初版明治42年)ですから、今から87年前の古い本ですが、聖書についての本ですから、内容に古さがあるはずもありません。

 

みなさんは、どんな本を読むときに喜びを感じますか?

読書が趣味の方は、読書自体が喜びなのかもしれませんね。

ゴルフが趣味の方は、ゴルフ自体はもちろんですが、ゴルフ関連の本を読むことも喜びとなるでしょう。

わたしは、時代小説や海外ミステリーを読むことが趣味なのでいつも何かしらの文庫本を手にしています。

 

昔、聖書を手にする前までに、聖書に持っていたイメージは「汝、姦淫するなかれ」に代表される、「あれをしてはならない、これもしてはならない」という人間の欲望を押さえつける教えばかりが書かれている道徳書だという先入観でした。

別の言い方をすれば、わたしたち人間の「自由」を制限する書物だと思っていたわけです。

当然、今は、聖書を「自由」を制限する書物などと思うことなど一切ないことは言うまでもありません。

 

新約聖書ヨハネによる福音書8:32に次の聖句があります。

 

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視点は少し違いますが、みなさんは結婚式などの特別の日に「大安」「仏滅」などを気にしますか。

聖書的に言うと、神が創造したこの世界に「良い日」「悪い日」という捉え方は一切ありません。

毎日が良き日です。

それが真理の一つです。

 

何が、「真理」であるかが発見できれば、それまで心や行動を縛っていた教えや迷信から解放され自由を得て人生を喜びに導くことができるのではないでしょうか。

 

エスが宣言した言葉「わたしは道であり、真理であり、命である」、このブログで何度も引用してきました。

新約聖書ヨハネによる福音書14:6

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「真理」であるイエスを知ることはわたしたちを「自由」にします。

エスを知るには聖書を学ぶことです。

 

法事のときに住職から手渡された「経典」を読むことと住職の説教は、わたしに喜びをもたらしてくれたことは一度もなく、苦痛でした。

 

聖書が「真理の書」であることを確信しているわたしにとって「聖書研究は快楽」です。

 

毎日の聖書研究は、わたしにとって「お勤め」ではありません。

私は、どこそこの教会や教団に属しているわけではないので、クリスチャン仲間(兄弟)の目を気にして「聖書を読まなければならない」ということもないのです。

聖書を「読みたい、学びたい」という心からの欲求なのです。

 

みなさんはどうでしょうか。

日常生活で何かしら疑問に思っていたことで、ある時、人から教えられるか、本を読むかして「本当のこと」を発見したときは、嬉しく感じませんでしたか?

 

本当に本当のことである「真理」を知ることは、わたしたちを「自由」にし「喜び」をもたらしてくれます。

 

エスは「真理」です。

 

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 ★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

☆星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室☆


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