星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

オールイン

9月も中旬になり秋の気配をほんの少しだけ感じることができるようになった福岡ですが、秋に相応しくイチョウとモミジの葉のペンダントを作りました。

 

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出来は稚拙でも自分の作ったものですから愛着があり、外出する時は、その日の気分次第で、すでに作った他のペンダント・トップの中から選んで身に着けています。

過去にペンダントやネックレスを身に着けることは全くなかったのですが、自分で作った木彫りのものは、オジンの私ですが、眺めるだけでなく身に着けたいのです。

これから先も色々なペンダント・トップを作りますが、ブローチも作る予定です。

 

また昨日は、端材で本のしおりを2種類作りました。

シナ材をニンジンが土に埋まっているイメージで削り、水性アクリル塗料で着色しました。

もう一つは、カリン材の素材の色が好きなので角の面取りだけして着色はしないで、シナ材でイチゴを作りストラップを付けることにしました。


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木彫りは本当に楽しいです。

彫りの工程だけでなく、下絵を描いたり、各種の塗料を塗ったり、彫刻刀を砥石で研いだり、全ての工程がおもしろく楽しいです。

 

さて、本日のテーマに入ります。

私の信仰を支えているのは、前回のブログでも書きましたが、「復活の希望」です。

そして、栄光のからだを備えて「永遠のいのち」を生きるという希望です。

 

私の信仰など、苛酷な迫害に遭っても主イエス・キリストへの信仰を守り続け殉教の死を遂げた多くのキリスト者の信仰から比べれば(比べることも恐れ多いのですが)、足元にも及ばないものだと自認しています。

 そんな私ですが、創造主(神)を(100%ではなく)200%信頼しています。

 

天地万物を創造された創造主(神)の辞書に不可能の文字はありません。

「復活」と「永遠のいのち」は必ず実現するのです。

 

聖書を学び始めて上記のように思えるようになったのは何時頃だったでしょう。

このように思えるようになった頃に私の心境をメモに書き、パソコンを置いている机の前の壁に貼り付けました。

このメモは今でも壁に貼り付けています。

全ての希望を失い、私にとって精神的に人生最大の危機の状態にあり、自殺願望から解放されて落ち着いた頃に書いたものです。

今、読み直すと自己陶酔している内容のような感じもありますが、その当時の私の偽らざる心境を表現したものです。

以下紹介します。

「何度も死を覚悟した身の上である」

「一度は失った命である」

「生きる希望を完全に失った人間である」

「失うものは文字通り何ひとつなし」

「聖書が救ってくれた命である」

「聖書が生きる希望を与えてくれた」

「聖書を信じ尽くすことによって頭がオカシイと嘲笑されても平気である」

「新しい命と希望を授けてくださった創造主(神)様と主イエス・キリスト様に感謝します」

「徹底的に信じ尽くす」

「聖書を信じている自分を信じる」

 

私としては、創造主(神)と主イエス・キリストに私自身を明け渡したような心境でした。

 

話は変わりますが、韓流ブームが始まったのは何時頃だったでしょうか。

私自身も少しだけはまり、レンタルDVDで「冬のソナタ」「チャングムの誓い」「美しき日々」そして「オールイン」を観ました。

特にドラマ「オールイン」の中で流れる音楽が好きで、今でもユーチューブでたまに聞きます

オールインという言葉は、ギャンブルで手持ちのお金を全て賭けるということです。

 

私には財産と呼べるものは、何一つありません。

土地や家屋など、自慢ではありませんが、何一つないのです。

(ただ、頭のテッペンから足の爪先まで、創造主(神)から授けられた何ものにも代えがたい恵みという財産を身に着けていることは感謝です。)

しかし、メモ書きした時の心境は、聖書、創造主(神)、主イエス・キリストに私の精神的なもの全てを賭ける、つまり魂をオールインした瞬間でした。

聖書、創造主(神)、主イエス・キリストに私の魂をオールインしたことで、この地上の世界の見え方が変わり、「復活と永遠のいのちの希望」を持ちながら充実した日々を過ごすことが出来ています。

 

本日は聖書の内容に触れず個人的なことばかりを書いてしまいました、お許しください。

 

<ご連絡>

いつも、つたない当ブログを読んでいただき感謝ですが、2ヶ月半程お休みしたいと思います。

申し訳ありません。

それで次回は12月3日(月)にアップ致します。

なお、当ブログでは聖書の学びをメインに書いていますが、次回の12月3日(月)以降は聖書の学びをメインに置きつつ、少し範囲を広げてキリスト教の歴史、ユダヤ人関連、パレスチナ中東問題、イスラム世界などについてもランダムに触れていきたいと考えています。

ご興味のある方は引き続き当ブログを宜しくお願いします。 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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被造物はうめいている(最終回)

食事を美味しくいただくことが出来る「味覚」は、人間が生を楽しむための一つとして創造主(神)が授けてくださった恵みだ、と私は理解しています。

人間は、アダムが禁断の果実を食べて創造主(神)に背いたことにより、被造物全体がのろわれて創造の本来の姿から、かけ離れた状態で現在に至っています。

ですから、アダムが創造主(神)に背いてから現在に至るまで、人間は真の意味での人生を楽しめずにいます。

「いや、私は充分に人生を楽しんでいる」と言われる方もおられるでしょうが、そのように言われる方も、人知れず仕事上のストレスを抱えている時があったり、人間関係に悩んだりすることもあったり、家族との別離(死別)で涙することもあったり、予期せぬ病に冒されることもあったり、自然災害に遭遇することもあったりするのではないでしょうか。

 

創造主(神)が人間を創造した目的は、仕事上のストレスを人間に抱えさせるためではなく、人間関係に悩ませることにあるのではなく、家族との別離で涙を流させることでもなく、病に冒させることではなく、もちろん自然災害に遭遇させるためでももちろんありません。

 

今は、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの状態であり、必ずや被造物自体も滅びの束縛から解放される日が訪れて、創造主(神)が想定されている麗しい本来の状態に回復されることを、前回のブログで確認しました。

 

ただ、その回復される日が何時なのか創造主(神)がお決めになることで私たち人間には分かりません。

回復される日までに私を含め多くの人間たちはガンなどの病気、交通事故、地震、台風、津波などの自然災害によって命を失っている可能性が高いと思われます。

 

イエス・キリストを信じるキリスト者だけは創造主(神)から守られて不慮の事故によって命を失うことはないなどということはなく、全ての人間たちと同様に例外なく、何時予期せぬ事故や自然災害によって死に至るかもしれません

 

だからこそ、私たち主イエス・キリストを信じるキリスト者にとって「復活の希望」を抱きつつ、のろいから解かれて回復されるその日を待ちわびるのです。

 

「復活の希望」があるからこそ、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの状態、つまり、のろいの状態にキリスト者は忍耐することができるのです。

 

「復活」が現実に必ず起こることだと心底信じることができるかどうか、これが、最も重要な信仰の鍵だと私は考えています。

 

「復活」の信仰が確かなものでなく不安定であれば、自分の最も愛する人との死別など、人生の中で遭遇する様々な患難の際に、創造主(神)の愛を疑ったり、創造主(神)の存在を否定するといったようなことになりかねないのではないでしょうか。

 

過去のブログ「復活と永遠のいのち」の中で復活について書いていますが、本日は内村鑑三が明治33年(1900年)9月に創刊した「聖書之研究」という月刊誌の1914年7月の復活に関する記事を以下一部引用したいと思います。

「信者に復活の希望がある。これがなくして彼は信者ではない。『とにもかくにも死にたる者のよみがえりにあずからんことを』(ピリピ人への手紙3:11)とは、使徒パウロの希求(ねがい)であってまた信者各自の希求である。信者の希望というは実にこの復活の希望である。彼はただ漫然として未来の希望をいだくのではない。彼はキリストのごとくよみがえりて、永遠の栄光(さかえ)に入らんと欲するのである。・・・中略・・・信者にありては復活は現世の終わりにおこなわるる事である。・・・中略・・・信者が復活を待ち望むは、目的(めあて)なき根拠(よりどころ)なきものを望むのではない。すでにキリストの霊を受け、彼の心の深き所に復活の力を実験するがゆえに、その、ついに彼の死すべき肉体(からだ)をも生かすに至るべきを望みかつ信ずるのである。・・・中略・・・イエスは信者の内にありて復活したもうて、信者と共に復活したもうのである。信者はイエスの復活の同伴にあずかるのである。彼と共に挙げられるのである。『われ生くるれば、なんじらも生くべし』(ヨハネ福音書14:19)と彼が言いたまいしはこの事である。・・・中略・・・吾人が今日有する肉体のみが霊魂を宿すに足るの唯一の機関であると言うことはできない。血肉は神の国を嗣(つ)ぐことあたわずというは、神の国に入りてその市民たるの特権にあずかる者は血肉以外のさらに巧妙なる身体を備えたる者ならざるべからずとの意(こと)ではあるまいか。パウロの言えるがごとく、すべての肉同じ肉にあらず、人の肉あり、獣の肉あり、鳥の肉あり、魚の肉あり。さらばその他にさらに天使の肉あり、霊体を構成する救われし信者の肉ありと言うを得ざるか。神の能(ちから)は吾人の肉眼に触るるところの造化もって尽きたりと言うことはできない。彼があるいは吾人が今日なお知らざるところの元素をもって、あるいは今なお人に知られざるところの動力をもって、この肉体よりさらに精巧なる身体をもって、イエスによりてあがなわれし信者の霊魂を装いたもうとは、信じがたいことではない。」

 

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2017年12月20日のブログ「復活と永遠のいのち」を未読の方は、こちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

内村鑑三が言うように、獣の肉体、鳥の肉体、魚の肉体があり、又、クラゲのような透明な肉体や光を発する動物の肉体があるように、主イエス・キリストを信じるキリスト者の復活は「栄光のからだ」を備えたものであり、病に冒されることもなく、もちろん死にいたることもないものだと理解することができるのです。

 

もし、キリスト者が死後に主イエス・キリストの再臨の時に復活するということが空想の世界の絵空事であるのであれば、聖書を学ぶ必要性は全くなく、イエスをキリスト(メシア)と信じる必要もなく、創造主(神)の存在を信じる必要さえもない、と私は考えています。

 

イエス・キリストの復活と信者の復活の奇跡が非理性的で非合理なものではなく、理性的であり合理的であることを2017年9月9日のブログ「理性的、合理的」に書いています。未読の方は、こちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

「復活の希望」はキリスト教信仰の最重要の要です。

 

私を含め一人でも多くの人たちが「復活の希望」の信仰を強固に持ち、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの現在の状態(のろいの状態)を耐え忍んで、主イエス・キリストの再臨を待ち望むことを願います。

アーメン。

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は9月17日(月)にアップします。    

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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被造物はうめいている(その②)

悪魔(サタン)が被造物をのろっているのではなく、創造主(神)がアダムの罪のゆえに被造物をのろうことになり、被造物全体が言葉にならないうめきの悲鳴を上げている、この世です。

 

被造物をのろうことをされたのが創造主(神)ということは、そののろいを解くことができるのも創造主(神)だということです。

このことをパウロは次のように語っていました。

前回引用したローマ人への手紙8:18~22を再度ご覧ください。

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被造物が虚無に服している(うめいている)のは、服従させた方である創造主(神)によるのですから、虚無に服している状態から解放する力を有するのは他の誰でもなく創造主(神)だけだという希望を持つことができます。

 

今は、将来訪れる栄光までの産みの苦しみの状態であり、必ずや被造物自体も滅びの束縛から解放される日が訪れるのです。

 

私たち人間だけでなく他の被造物も滅びの束縛から解放される栄光の時を待ち望んでいるのですが、この栄光の時は何時実現するのでしょうか。

 

それは、この世の終わり(大患難時代の終わり)にキリストが天から降りてこられて(再臨)実現することになります。

このことを聖書には次のように記しています。

使徒たちの働き3:20~21をご覧ください。

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新改訳聖書の注解書では20節を次のように説明しています。

「人間の堕落によって罪ののろいのもとに置かれた万物が、この世の終わりにキリストが来られ、救いが完成することで、のろいから解放されて、再び神の前に自由とされる。」

キリストがこの世の終わり、つまり、大患難時代の終わりに地上に再び来られて(再臨)、万物の被造物が改まる(回復する)ことになるのです(21節)。

21節にイエスが「聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた」と記されているように、イエス・キリストが誕生する700年以上も前に預言者たちの中の一人イザヤは将来キリスト(メシア)が来臨(初臨と再臨)されて、被造物がのろいから解放され、救いが完成すると預言しています。

イザヤ書11:1~9をご覧ください。

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1節のエッサイとはダビデ王の父ですが、ダビデの家系から新芽であるキリスト(メシア)が出るという預言です。

そして、キリストが聖霊に満たされることが2節で強調されています。

3節から5節はキリストが再臨された時の預言であり、キリストが王として正義と公正をもって統治することを描写しています。

6節から9節は、被造物ののろいからの解放が描写されています。

のろいの前の被造物の世界に回復され、弱肉強食の世界ではなく、肉食動物が草食動物に変ることが分かります。

 

万物の創造の初めが記されている創世記1:29~30をご覧ください。

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内村鑑三は、パウロが語った上記引用したローマ人への手紙8章19節から20節について著書「ロマ書の研究」で次のように書いています。

少し長くなりますが、参考のため一部要約引用します。

「この敗壊されし天然は、人類の完成と共に完成せらるとパウロはいうのである。イザヤ書11:1~9における預言者イザヤの大希望が、すなわちロマ書(ローマ人への手紙)8:19~20における使徒パウロの大希望である。これ使徒行伝(使徒の働き)3:20の『万物の復興』である。この全き平和、万物の救いの完成の希望を、迷信としてあざける人多い。しかしわれらはこの事をあえて確信するものである。・・・中略・・・人が良くなる時は天然も良くなり、人が全く救わるる時は天然もまた全く救わるると見るは、決して不合理ではないのである。・・・中略・・・神はある時、その無現の力をもって吾人を復活せしめ、同時に天然を復活せしめ、かくして宇宙万物を創造したまいし最初の目的を完成したもうに相違ない。神はキリストにありて、われらの深き罪をゆるして、われらを義とし、われらを聖め、すでに大なる恩恵を雨のごとくわれらに注いだ。この恩恵はわれらの完全なる救いにまで至らずばやまないのである。われらはまたそれまで至らずば満ち足らない。今まで受けたる恩恵より推して、さらに大なるこの恩恵を賜うことをわれらは信ずる。そしてわれらは天然の敗壊を深く悲しむがゆえに、天然もまた復興せんことを望む。しかして神はその所造たる天然の荒廃を必ず癒したもうのである。かくて人と天然と共に救われて、万物ことごとく完成し、ただ平和と歓喜のみが全天全地に満つるに至るのである。この大希望なくして、福音は福音ではない。この大実現なくして、神は神でない。もし福音がこれ以下のものならば、福音は福音ではない。もし神がこれ以下のものなれば、神は神でない。人と天然と共に救わるる事、これ実に福音的救済である。ここに人類の希望がかかっているのである。」

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は9月13日(木)にアップします。    

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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被造物はうめいている(その①)

春夏秋冬、それぞれの季節の穏やかな日に山に登ったり、海に出掛けたりして、自然の中に身を置くと、自然の素晴らしを感じないではいられません。

 

しかし、一転して、自然災害が世界的に頻発し、多くの人たちの命が失われたり、家屋が倒壊するなどして避難生活を余儀なくされている人たちがいて、自然の素晴らしさを賛美することができない現実があります。

使い古された言葉ですが、自然の猛威の前に人間は為す術がありません。

 

また、数十年の短い人間の一生の中で、自然災害の心配をしないで暮らせる日々や様々な病気に悩まされないでいられる日々は、ほんの僅かな時期ではないでしょうか。

伝道者の書の著者(ダビデの子ソロモンと考えられている)も人間の一生が苦難の連続であることを次のように記しています。

伝道者の書(新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」)2:23

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人間の始祖アダムとエバが禁断の果実を食べたことによって創造主(神)に背き、原罪を負った人間は死に至るようになりました。

 

創造主(神)に背いた罪人の人間が苦難の一生をすごして死に至るだけでなく、罪を犯してもいない動物までも動物特有の病気になるなどして、人間と同じように死に至るのは何故なのでしょうか。

 

また、地震や火山の噴火、津波、台風等の災害が頻発する地球自体も悲鳴を上げているのはどうしてなのでしょうか。

 

人間だけでなく動物や地球自体も含む被造物全体が言葉にならない「うめき」を発しているようです。

 

ここで、ローマ人への手紙8:18~22をご覧ください。

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パウロは20節で驚くべきことを語っているのですが、「被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです」とはどういうことなのでしょうか。

新改訳聖書の注解書には「被造物が虚無に服した」とは、本来の目的を失ってむなしいものとなった状態を指すと説明していて、「服従させた方によるのであって、望みがあるからです」とは、被造物が虚無に服したのは、それ自身の意志によるのではなく、アダムの犯した罪に対する神のさばきの結果である。それゆえ、神によって解放される希望がある、と説明しています。

 

ただ、この説明では、人間だけが苦しむのではなく、動物や地球自体も苦しんでいることの理由が分かりません。

そこで内村鑑三が20節の「被造物が虚無に服した」ことについて、どのように理解したのか、参考のため次に引用します。

「これに答えるものは創世記3章17、18節である。いわく「人に仰せられた。」『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないと、わたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。』と。これ神がアダムに告げたまいし語である。すなわち始祖堕落のために地もまた虚空に帰せしめられて(虚無に服した)敗壊のしもべとなったというのである。実に天然と人とはふしぎの糸をもってつながっている。人死して天然もまた死し、人生きて天然もまた生きる。人類の堕落明らかに天然の敗壊を引き起こしたのである。人と万物とは運命を同じゅうする。人が罪の捕囚(とりこ)となって堕落して、万物もまた虚空に帰せしめられつつ(虚無に服しつつ)ある。人と天然とを一貫して一つの心が流れている。天然は、人と共に苦しみつつ、今に至ったのである。かくて万物は人とひとしく、その創造された目的を達することができずに、苦悶のうめきを続けている。これ天然界の実情であると。これがパウロの天然観である。」

 

昔、聖書を学び始めた頃に、あるキリスト教徒の男性に「人間はアダムが禁断の果実を食べて原罪を負ったことにより病気などをして死に至ると聖書に書いてますが、ペットの犬や猫は罪を負っているのですか?」と質問したことがあります。

その男性が動物は罪を犯していませんと答えたので、私は次に「罪を犯してもいない動物も病気になり死に至るのは何故ですか?」と質問しましたが、返答はなく、「ウ~ン」と唸って黙してしまいました。

 

聖書を真剣に学ぶようになった私は、内村鑑三の書籍や様々な文献を読むうちに徐々に聖書の真理に触れることができるようになり、創造主(神)が、人間のために地球や動植物等の万物を創造されたことを理解できるようになり、そして、人間と地球と動植物等の万物は一体であり運命共同体なのだと私は考えることができるようになりました。

皆さんはどう思われますか。

一体として機能している被造物の中心である人間が罪を犯すことによって、被造物全体が、「のろわれて」しまったのです。

ある目的のために造られた大規模な機械(システム)の中の主要な歯車が故障すれば、その歯車だけが異常な動きをするだけでなく、機械(システム)全体が異常な動きをすることになる、つまり、悲鳴を上げるようになることと同じなのでしょう。

 

私が聖書を学ぶ中で、聖書が作り話などではなく、真実の書、真理の書であると感じる聖句を聖書のいたるところで見い出すのですが、上記の創世記3:17の「土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。」という箇所とローマ人への手紙8:20の「被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって」という箇所もその一つです。何故かと言うと、聖書が作り話であれば、別の言い方をすれば普通の人間の知恵であれば、悪魔(サタン)が被造物をのろったり、虚無に服させたと創作することでしょう。

賛美の対象である創造主(神)が被造物をのろい、虚無に服させるなどとは人間の知恵では思いもよらないことだ、と私は考えるのです。

人間の知恵を超えているからこそ、聖書が真実の書であり、真理の書だと私は確信しているのです。

皆さんはどのように捉えますか。

 

創世記5:29でも、創造主(神)が「この地をのろわれた」と記しています。

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アダムが禁断の果実を食べたことは小さな罪であり、その小さな罪によって人間が死に至り、そして、被造物全体が「のろわれる」などというのは、罪に対する罰としては重すぎると考える方も多いかと思います。

アダムの犯した罪が本当に小さな罪だったのかどうかについて、4月24日の当ブログ「罪とは何ぞや(その②)」で書いています。未読の方はこちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

次回に続く。

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は9月10日(月)にアップします。    

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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創造主の御業には無駄がない

一ケ月程前にネットのニュース(下の画像)で火星に液体の水が存在している可能性があると告げていました。

あくまでも、可能性であって、水の存在が確認できたわけではありません。


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皆さんは、火星だけではなく、未だ人間に知られていない遠い遠い何処かの惑星に水が存在する可能性があると思いますか。

 

私は、火星はもちろん、地球以外の惑星に水が存在することはありえないと考えています。

 

過去のブログ「創造か、進化か」の中で宇宙人の存在を否定したのと同じ論理です。

創造主(神)の御業でしか、生命が誕生することがないのと同じように、水ももちろん創造主(神)が創造されたものである以上、創造主(神)の御手から離れて、自然に水が発生することはありえないからです。

 

何処かの惑星で水が自然に発生しているかもしれないと考えてしまうのも、進化論の影響を受けているものと私は考えますが、皆さんはどう思われますか。

 

ここで、イザヤ書45:7をご覧ください。

数日前に引用した聖句ですが、再度引用します。

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創造主(神)は、光を造り、やみを造り、水を造り、酸素を造り、物理の法則を造り、目にすることが出来る全てのものはもちろん、目にすることが出来ない全てのものも創造された御方です。

 

この地球には創造主(神)の恵みで溢れています。

 

動植物が死ねば腐敗が始まりますが、この腐敗というメカニズムも創造主(神)が創造されたものです。

もし、腐敗というメカニズムがなく、動植物が死んでも腐らずに姿形がそのまま残るとしたら、この地球上には動植物の死骸の山で埋め尽くされていたことでしょう。

腐敗というメカニズムにも創造主(神)の恵みを感じることが出来るのではないでしょうか。

ところで、人間の作った物はどうでしょうか。

最近、海洋投棄されたプラスチックごみが話題となっています。

腐敗しないプラスチックが、プラスチックを作った人間自身の首を絞める結果をもたらすのです。

 

また、創造主(神)は、必要があれば「災いを創造」して人間に試練を与え、時には人間や動植物を滅ぼすこともされます。

 

しかし、創造主(神)が創造する「災い」は、人間を苦しめるだけの災いで終始することはありません。

それは、どういうことかと言うと、一つの例として、創造主(神)が創造された災いの中でも最大級のノアの時代の大洪水を思い浮かべてください。

この最大級の災いである大洪水によって8人のノアの家族と一定の種類の動物以外は大洪水に飲み込まれ死滅しましたが、洪水によって倒れた大量の樹木の一団は地中に埋没し時の経過によって石炭が出来、また、ある海中動物の死骸の一団は地中に埋没した結果石油が出来たのです(化学者の分析によると、石油は昔、大量の海中動物の死骸が地層内にまとまって堆積した結果出来たものだと説明しています)。

このように災いの結果生まれた石炭や石油によって現代の私たち人間は恩恵を受けていることを忘れてはならないのではないでしょうか。

 

つまり、創造主(神)の創造される「災い」は災いで終わることはなく、「恵み」に成り得るのです。

 

ノアの時代の大洪水によって石炭が生成されたことについて、1月22日のブログ「創造か、進化か(その⑧)」で書いています。未読の方は、こちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 最近、世界各地で自然の猛威による災害が頻発しています。

これらの災害が創造主(神)が直接関与して発生しているのかどうかは、私には分かりません。

直接関与していないにしても、災害を止める力があるにも拘わらず、それを為さらずに黙認していることは確かなようです(自然災害を含む地球自体の苦悶について、次回のブログで触れたいと思います)。

 

いずれにしても、創造主(神)の為さること、為さらないことに何一つ無駄なものはないのです。

必ずや、人間にとって「恵み」として現れる時が必ず到来する、と私は理解して、徹頭徹尾、創造主(神)を信頼いたします。

 

災いが災いだけで終わることはありません。

 

創造主(神)の為さることに何一つ無駄はなく、災いが災いだけに終わることはなく、凡てのことが相働きて益となる日が必ず訪れるのです。

たとえ益となる日が私が地上で生きている時に来なくても、死後復活の命が授けられた時に、実感することが出来るのです(と私は確信しています)。

 

ローマ人への手紙8:28(文語訳聖書)

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聖書に記された預言通り、時が来れば、主イエス・キリストの信仰により、この地上から姿を消した人間も「復活」する、という希望を私は持ち続けます。

希望は失望に終わることはありません。

日々、感謝の気持ちを持ち続けたいと思います。

アーメン。

 

最後にパウロのことばを2箇所引用します。

ローマ人への手紙5:1~5

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テサロニケ人への手紙第一5:16~18

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ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は9月6日(木)にアップします。       

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

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 ★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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異邦人(最終回)

創造主(神)は全ての人間に直接語りかけることが出来るにも拘わらず、敢えて宣教という効率の悪い方法を取られていますが、この宣教についてコリント人への手紙第一1:21には次のように記されています。

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イエス・キリスト大宣教命令(マタイの福音書28:19~20)があってから2000年弱の時が経ちましたが、この宣教はいつまで続くのでしょうか?

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

テサロニケ人への手紙第一4:16~17

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この聖句はキリストが信者を空中に携え挙げられる、つまり、携挙(けいきょ・空中再臨)を説明している聖句でした。

「携挙」について、1月5日の当ブログ「復活と永遠のいのち(パートⅤ)」で書いていますが、未読の方はこちらをご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

この携挙は何時実現されるのでしょうか?

 

また、何時になったらキリストは(地上)再臨されるのでしょうか?

 

また、大患難時代やハルマゲドンの戦いがあり、その後キリストの再臨と神の御国(千年王国)が実現し、そして新天新地において永遠のいのちに到ると預言されていますが、それは何時実現するのでしょうか?

それが何時なのかは、私たち人間には分かりません。

全ては創造主(神)が定められることです。

ただ、聖書には次のように記されています。

ローマ人への手紙11:25~26

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創造主(神)は、異邦人の完成がなる時までユダヤ人(イスラエル人)の多くを一時的にかたくな(盲目)にされました。

異邦人の完成とは、宣教によって主イエス・キリストを信じる者の数が満ちることを指しています。

エスをメシアと認めないユダヤ人が未だ多くいることを顧みると、創造主(神)が計画されている諸々の計画の中の一つである異邦人信者の数が現時点ではまだ満ちていないということが分かります。

ということは、異邦人信者の数が創造主(神)の計画されている人数に達しさえすれば、その他の諸々の計画は急速に動き出すことでしょう。

 

冒頭に書いた最初の疑問「宣教はいつまで続くのでしょうか?」の答えは、現時点では異邦人信者の数は満ちていないのでキリスト者は引き続き熱心に宣教する必要があります。

ただ、ネット時代の到来によって異邦人信者の数が急速に増えつつあるようです。

つまり、創造主(神)が定めた時が近づきつつあるのではないでしょうか。

したがって、携挙の時、大患難時代の到来、キリストの再臨、ユダヤ人(イスラエル人)の大多数がイエスをメシアと信じる時も近いことが理解できます。

 

創造主(神)の計画が前進する鍵は「異邦人信者の数がより一層増え、異邦人信者の数が満ちること」にあるのです。

 

一日も早く一人でも多くの異邦人及びユダヤ人が、イエスをメシアと信じることができるようお祈りいたします。

アーメン。

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は9月3日(月)にアップします。       

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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異邦人(その⑤)

7月24日に自転車で転倒して膝を怪我をした時には血が吹き出し、その後、浸出液が出て、次に徐々にカサブタが出来、カサブタの下に新しい皮膚が出来、そのカサブタが少しずつ取れると下の写真のように新しい皮膚が顔を覗かせたのです。

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怪我をした最初だけ消毒をして絆創膏を貼りましたが、その後は薬を付けず絆創膏もしないで自然治癒に委ねたのです。

半ズボンの状態で転倒したのですが、長ズボンを履いていたらズボンが破れていたことでしょう。一ケ月経過しても破れたズボンが自然治癒して元の破れる前のズボンに戻ることはありえません。

傷の自然治癒力は、人間の努力や修行によって身に着けたものではなく、もちろん進化によって動植物が偶然に身に着けたものでも決してありません。

創造主(神)がご自分の創造したものを愛しているからこそ、創造主(神)が授けてくださった恵みなのです。

 

さて、本日のテーマに入ります。

 

異邦人による反ユダヤ主義というものがあり、その顕著な現われがヒトラーホロコーストでしたが、この反ユダヤ主義に陥る人たちの心の中にはどういう思いがあるのでしょうか。

人それぞれ、反ユダヤ主義に陥る理由は様々なようですが、代表的な理由として挙げられるのが「キリスト殺し」という汚名です。

キリストを十字架で殺したユダヤ人は赦せないという感情なのでしょう。

ここで、マタイの福音書27:22~25をご覧ください。

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25節の記事によって反ユダヤ主義の人たちは、キリスト殺しの責任をユダヤ人が負い、そして創造主(神)からユダヤ人は見棄てられたと主張します。

また、ある人たちは見棄てられたユダヤ人に代わってキリストを信仰する教会(建物ではなくキリスト者の群れ)がユダヤ人の役割を担うようになったと主張します。

このような主張を置換神学(ちかんしんがく)と言い、ユダヤ人(イスラエル)が異邦人の教会に置き換えられたと主張し、旧約聖書イスラエルに与えられた多くの約束は、キリストの教会において成就したと考えており、そのように信者にも教えているのです。

この主張は、一部の人たちが最近言い出したものではなく、初代教会時代からあったもので、残念ながら世界全体のキリスト教会に広く普及しています。

因みに置換神学の主張の根拠とされるおもな聖書箇所は、マタイの福音書21:43、ローマ人への手紙2:28~29、ガラテヤ人への手紙3:6~9などがありますが、ここでは、マタイの福音書21:43及び同21:45~46をご覧ください。

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置換神学を主張する人たちは、43節の「あなたがた」をユダヤ人(イスラエル)全体と考え、「神の国の実を結ぶ国民」を教会と考えるのですが、これは明らかな誤りです。

何故なら、45節で分かるように「あなたがた」とは祭司長やパリサイ人のことであり、ユダヤ人全体を指していないことを明らかです。

46節では、ユダヤ人の群衆はイエスを預言者と認めているのです。

ただ、預言者と認めていてもメシア(救い主)と認めることまでは出来ずにいるユダヤ人が圧倒的多数であり、当時は僅かなユダヤ人だけしかイエスをメシアと信じることが出来なかったのです。

そして、パウロは次のように語り、置換神学を否定しています。

ローマ人への手紙11:1~6

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1節でパウロユダヤ人が創造主(神)から見棄てられてなどいない、と断言しています。

2節の聖書のエリヤに関する箇所とは列王記第一に記されている北王国イスラエルの預言者エリヤの活動を指していて、偶像神バアルの預言者450人と偶像神アシュラの預言者400人(列王記第一18:19)と戦いました。

3節の「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らは私のいのちを取ろうとしています。」は列王記第一19:10と14からの引用です。

4節の「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」は列王記第一19:18からの引用ですが、偶像神を礼拝しない真の神である創造主(神)を礼拝する者が残されているのです。

この真の信仰者をレムナントイスラエルの残れる者)といいますが、メシアニック・ジュー(ユダヤ人のキリスト者)のアーノルド・フルクテンバウム博士は次のようにレムナントのことを説明しています。

ユダヤ人全体の中には、いつの時代も信仰あるものが必ずいる。その人々をイスラエルの残れる者(レムナント)という。つまり、全体としてのイスラエルと、残れる者としてのイスラエルと、二種類のイスラエルがあるのだ。両者は民族的には同一だが、霊的には異なる。過去の歴史において、人数の多少はあったとしても、残れる者がいなかったことは決してない。・・・中略・・・ですから、現在の『残れる者』であるイエスをメシアと信じ従うユダヤ人(メシアニック・ジュー)が、ユダヤ人の1%しかいないとしても、神はユダヤ人全体を捨てられたことにはなりません。決してなくなることはないのです。」

 

引き続き、ローマ人の手紙11:7~14をご覧ください。

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聖書を学ぶ中でいい意味で私が衝撃を受けた聖句がいくつかありますが、11節の「彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。」を初めて読んだ時は、目からウロコでした。

それは、創造主(神)がご計画されたユダヤ人と異邦人の関係がこの聖書箇所によって初めて理解できたからです。

 

因みに「目からウロコ」の語源について、2016年11月24日に当ブログで書いています。未読の方はこちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 突然ですが、皆さんはどのような時に「ねたみ」を覚えますか。

東京オリンピックが2年後に迫ってきましたが、お家芸と言われる柔道で外国人が全ての階級でメダルを独占することがあれば、日本人として悔しいと感じ、「ねたみ」を覚えるのではないでしょうか。

ユダヤ人は(旧約)聖書は自分たち民族に与えられたものだと考えていますが、異邦人がいつの間にか、(旧約)聖書を信じ、そして、イエスをメシア(救い主)と信じて、どんどん多くの異邦人が救われている姿を見て「ねたみ」を覚えることでしょう。

 

この「ねたみ」は、「卑しいねたみ」ではなく「聖なるねたみ」なのです。

 

イエス・キリストを信じる異邦人のキリスト者が増え続けることは、ユダヤ人に「聖なるねたみ」を起こさせ、未だイエスをメシアと認めていないユダヤ人も主イエス・キリストをメシアと信じる時が必ずやって来るのです。

それで、先に引用したマタイの福音書21:43の「神の国の実を結ぶ国民」とは主イエス・キリストをメシアと信じる異邦人だけでなくユダヤ人を含むのです。

 

聖書を素直に読めば、ユダヤ人が見棄てられていないことは明らかであり、教会がユダヤ人に代わって受け継いだなどという可笑しな主張の置換神学が出てきたことが私には理解できません。

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は8月30日(木)にアップします。       

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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