星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

キリストは実在の人か?

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キリストが実在したことについて疑う歴史家は、今日おりません。ですから、キリストの実在を疑う人がいれば、その人は歴史の事実を知らない人です。つまり、キリストの実在ということは、クリスチャンだけがそう思い込んでいる事柄なのではなく、クリスチャンであろうとなかろうと、だれもが認めなければならない事実だからです。そこで、まずキリスト教が発生したころの、ユダヤ人以外の人による資料を引用してみましょう。

代表的なローマの歴史家タキトゥスは、その著「年代記」にティベリウス(テベリオ)からネロまでのローマ帝国の皇帝の歴史を書きました。この「年代記」は、紀元54年から68年までの皇帝ネロの治世を含んでおります。紀元64年に、首都ローマを焼き尽くした大火の責任は、ネロ自身にあるといううわさが全市に広まった時「ネロはこのうわさをもみ消すために、普通『クリスティアノス』(クリスチャンのこと)と呼ばれ、その嫌悪すべき行為のゆえに憎まれていた一団の人々を犯人とし、彼らを、もっと念の入った残忍な方法で処罰した。クリスティアノスという名が由来する『クリストス』(キリストのこと)という人は、皇帝ティベリウス(テベリオ)の治世に、総督ポンティウス・ピラトゥス(ポンテオ・ピラト)の手で死刑に処せられた」と記しています。

また有名なユダヤ人歴史家で、イエスと同時代人であったヨセフォス(ヨセフス)は、その著『古代史』に次のように記しております。『そのころイエスという者は現れた。もし彼を人と呼ぶべきであるとすれば、まことに賢人そのものであると言わねばならない。なぜなら、彼は驚嘆すべき業(わざ)を行ない、喜んで真理を受け入れる人々の教師であったからである。彼はユダヤ人ばかりでなく、多くのギリシア人をも指導した。この人がキリスト(救い主)であった。そして彼は、われわれの間の指導者たちの非難を受け、ピラトゥス(ピラト)が彼を十字架の死刑に処した時でさえ、先にキリストを愛した人々はとだえることがなかった。というのは、彼は三日目によみがえって、人々に現われたからである。神の預言者たちは、彼について、これらのことのほか、多くの不思議なことを預言していた。そして今でも、彼にちなんで名づけられた『クリスティアノス』の一族は、消滅しないのである。」

またユダヤ教の『タルムード』には、ナザレのイエスは弟子たちを集め、「魔術を行い、イスラエル人を迷わした」かどで罪に定められ、過越(すぎこし)の祭りの前夜、十字架に付けられた者であった、と記されています。

これらの資料は、すべてキリスト教以外の資料です。そしてこれらの資料が、キリスト教の資料である新約聖書、とくに四福音書の記録と、その詳細な点に至るまで一致しているということは、実に興味あることです。こうしたことから、キリストの実在については、無知による以外、だれ一人として否定する人はおりません。

・・・・・

上記は尾山令仁牧師の著書からの引用です。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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神を見た人

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ある人が、商売繁盛するように、病気が治りますように、子供が希望の大学に合格できますように、と日々神に祈り、願い事をしています。

しかし、いくら神に祈り願い事をしても、神は応えてくれません。

そこで、この人は「神なんかいない」と叫びました。

ところが、ある時この人の目の前に正真正銘の神が現われ、この人は神を見ることができました。

そしてこの神は世界中の人々の願い事を次々と叶えてあげたのですが、この人の願い事だけは叶いませんでした。

神を見たはずのこの人は自分の願い事を叶えてくれないのは「神なんかじゃない」と叫んだそうです。

 

私たちの目の前には間違いなく神(創造主)は存在しているのです。

ただ、人は自分の思う通りに神が応えてくれないからと言って神の存在を認めようとしないだけなのです。

 

神(創造主)は人間の願い事を聞いて回る御用聞きではありません。

神(創造主)は人間に仕える僕(しもべ)ではないのです。

しかし、神(創造主)が愛であることには間違いはありません。

神(創造主)の愛を信頼する者でありたいものです。

 

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

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<私は聖書の神を信頼する>

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全人類は死刑宣告を受けた身の上

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ご存知のように「GAFA(ガーファ)」とは、GoogleAppleFacebookAmazonの頭文字を並べたものですが、これらの企業の創業者及び現在のCEOなどの役員たちは巨万の富を得ることが出来ました。

しかし、いくら巨万の富を得、世界最高の医療を受けたとしても死から決して逃れることは出来ません。

 

私たち人間の祖アダムが禁断の果実を食べたことによって、神(創造主)より死刑宣告を受けたのです。

 

改めて創世記2章17節を引用します。

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死刑宣告を受けた私たち人間は、(自死を除き)自分の死が何時どのように訪れるか予め知ることはできません。

 

ただ間違いなく死ぬことだけは分かっています。

 

いやな表現ですが、敢えて書きます。必ず死刑は執行されるのです。

 

何らかのウイルスに感染して死ぬこともあれば、ガンや糖尿病、交通事故、災害などによって・・・・・死刑が執行されます。

 

死刑宣告を受けた私たち人間ではありますが、イエスが全人類の罪を一身に背負って十字架上で血を流されたことによって、新しい世界への道を切り開いてくださいました。

 

死から逃れることは決して出来ませんが、イエスを救い主(キリスト)と信じることによって、死の先にある新しい世界への希望を持つことができます。

 

一人でも多くの人が一日でも早く聖書を学び、イエスが切り開いてくださった新しい世界を知ることを願っています。

 

死の先にある新しい世界は絶対に存在するのです!

 

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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新しい世界へのいざない

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今から30数年前の20代後半の時、神の存在をうすうす感じていたけれど聖書自体をまだ読むことはなく、クリスチャン作家の三浦綾子さんの本を好んで読んでいました。

本日は、その三浦綾子さんの著書「ちいろば先生物語」を読んで知った「ちいろば」の愛称で知られる榎本保郎牧師(1925年~1977年)の著書から引用します。

 

「『こころの貧しい人たちは、さいわいである(マタイの福音書5章3節)』

(マタイの福音書)5、6、7の各章は、いわゆる山上の垂訓と言われているもので、イエスが伝道を始められたときに、これからもたらされる世界の憲法というか、そういうものを語られた言葉が記されている。

3節から言われていることは、私たちの考え方とはおよそ逆説的なものである。貧しい者が幸いであるということはこの世ではありえないことであり、富んでいる者が幸いであって、貧乏人は不幸なのである。それはこの世の道理である。悲しんでいる者よりも、喜んでいる者が幸いなのであり、強い者が地を継ぐのであって、弱い者や柔和な者はいつも放置される。憐れみ深いようなことをしていたら人生の落後者になってしまうし、心の清いということも、この世では通用しないものになってきた。

ところが、イエスが来られることによって、貧しい人が幸いになる世界がもたらされた。なぜそうなるかということは、私たちのレベルで考えてもわからないが、イエスがもたらされた新しい世界がどんなものであるかが書かれている。

『昔の人々に「殺すな。殺す者は裁判を受けなければならない」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う』(マタイ5:21~22)とあって、昔はこれが道徳、道理として言われていたが、イエスはそうではなく、新しい世界のことを語っておられる。イエスは旧約の世界とイエスが来られて始められる新約の世界の違いを、このところではっきりと言われておられる。

エスの誕生日を12月25日にしているが、それはローマ帝国冬至の日を誕生日に選んだのである。冬至の日というのは、これからだんだんと日が長くなっていく太陽の祭の日である。イエスが来られることにより、闇の世界が終って光の世界がやってくるということで冬至の日にしたのである。

貧乏人がいつまでも不幸な生活をしなければならない世界にあって、幸いであるという光がもたらされた。新しい世界は、イエスという光が来ることによって知らされる、この世では理解できない世界である。山上の垂訓は、イエスを除いては理解できないものである。たとえば、『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである』とあるが、これは、イエスが心の貧しい人のところを選んで行かれるから、その人たちは幸いなのである。

エスは、だれも相手にしてくれず、自分はだめだと絶望している人のところへ行って友達になってくださる。罪を犯しているからどうしようもないというその罪を、イエスは引き受けてくださる。悲しんでいる人をさがし求めてその人のところへ行かれる。だから、イエスに出会ってイエスからの慰めが与えられるのである。不公平なようであるが、イエスは悲しんでいる人を求めていかれるのである。

義に飢え渇いている人、柔和な人、憐れみ深い人、心の清い人、平和を作り出す人、義のために迫害されてきた人たちもみなそうである。こういう人たちを、イエスが尋ねていかれるから幸いなのである。

もし、私たちがイエスに出会い、イエスの言葉を聞き、手にふれ、足にふれようと思うなら、ここに書かれているような人となり、そういう生活をしていかねばならない。

富める青年が、ある日イエスのところに来て、『どんなに一生懸命がんばっても、自分は永遠の生命を得ることができない。何か足りない。安心できない。どうしたらあなたのように永遠の生命に生かされるという確かさを持つことができるのですか』と尋ねた。それに対してイエスは、『あなたの持ち物が、それを邪魔している』と言われた。貧しくなるために持ち物をみな人にあげたらよい、そうしたら永遠の生命をうけることができるというのである。

私が京都にいたとき、ある画家と知り合いになった。その人は人間的にもりっぱで、生活もきちょうめんな人であった。熱心に教会へ来て、聖書研究会にも通い、信仰を求めておられた。あるとき私が洗礼を受けてはどうかと言った。すると彼は、『そうしたいのだが、何十代もつづいる位牌を守っていかねばならず、自分が信者になっては先祖を守ることができない』と言われた。先祖の遺産を持ち、生活も安定しているのだから、幸せな人だと思う。しかし、これが本物だ、真実なものだとわかったら、そのためにはいっさいのものを捨てていく情熱が、信仰には必要である。

エスは、自分の目が罪を犯させるなら、目をくりぬけ!片目でもよいではないか。五体満足で地獄へ行くよりも、片目で天国へ行ったほうがよいではないかと言われた。問題は、私たちがどこまで本気で地獄とか天国というものを信じているか、どこまでほんとうに神を信じているかということである。神の言葉を『もてあそぶ』ようなことをしていては、イエスと出会うことはできない。あなたのためにこれもあれも捨てます、片目を失ってもがまんしますというほどに神を慕い、イエスを慕ってこそ、イエスに出会うことができる。

そこに私たちが貧しくなっていく世界がある。山上の垂訓は、逆説を逆説でないもののように説いていくのではなく、イエスがそういう人のところへ来られたのだというように解釈すれば解けてくるのである。」

 

<参照聖句>

マタイの福音書5章1節~10節(口語訳聖書)

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最後までご覧いただきありがとうございます。

 

一人でも多くの人が一日でも早く聖書を学ぶことによって主イエス・キリストが開かれた新しき世界の奥義を知ることを願っています。

 

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・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

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沈黙する神?

人間の一生は苦難の連続です。

世界中の人々が苦難を前にして神に助けを求めても、神が応えてくださらず、「神などいない」あるいは「神は沈黙している」と感じていることでしょう。

 

カトリック信者であった作家の遠藤周作も「沈黙」という作品で神の沈黙について書きました。

 

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ちなみに私が小説「沈黙」を読んだのは、30数年前の20代後半の聖書をまだ読んでいない頃でした。

 

旧約聖書詩篇著者は次のように書いています。

詩篇83篇1節

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本当に神は沈黙を続けているのでしょうか。

 

結論を先に書きます。

 

神は沈黙などしていません。

 

すでにキリストによって、そして聖書によって、いっさいのことは語り尽くされています。

 

イギリスの牧師であり著述家のフレデリック・B・マイヤー(1847年~1929年)は、神の沈黙について次のように書いています。

「神よ沈黙しないでください。たとえ一言半句でもよろしいですからお語りください。ご自身が存在しておられることを、その一言によってたしかめたいのです。私たちが信じていることがほんとうだということをたしかめるためにも、その一言が今の思い煩いにとどめをさすのですから。こんなことを、わたしたちは心の中で叫びます。しかし、ほんとうは神は沈黙しておられるのではありません。みことばはあきらかに示されているのです。キリストにおいて、その十字架において、いっさいのことはすでに語り尽くされているのです。聞く耳ある者は聞くべし、なのです。

もし、私たちが神のみことばを聞くことができないならば、むしろ、私たちこそ沈黙すべきなのです。そして、静まって神の語りたもうところを聞くべきなのです。キリストにおいて沈黙は永遠に破られているのですから。

はじめにあった『ことば』、神とともにあった『ことば』、神であられる『ことば』は人となって来ておられるのです。やはり聞く耳ある者は聞くべし!なのです。

 

神は沈黙などしてなくて、私たちは『ことば』であり神であられるキリストの教えに耳を傾けていないだけなのです。

聖書のみことばに関心を持たなければ、いつまで経っても神のみことばは聞こえてきません。

さらに聖書に書かれていることが100%全て真実であり真理であると心底信じなければ、聖書に書かれていることが神のみことばだとは気付きもしない事でしょう。

丹念に聖書を読み学べば神が沈黙などしていないことに気付くはずです。

聞く耳ある者は聞くべし!

 

参照聖句を2箇所引用します。

ヨハネ福音書1章1節

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ルカの福音書8章8節

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神(創造主)は沈黙などしていなくて、神(創造主)のみことばは聖書の中に息づいています。

一人でも多くの人が一日でも早く聖書を学び、今まさに現在進行形で息づいている神(創造主)のみことばに触れることを願っています。

 

 

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互いに愛し合いなさい

早速ですが、ヨハネ福音書13章34節を引用します。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

さらに、このヨハネ福音書13章34節の文語訳を引用します。

「われ新しき戒めをなんじらに与う。すなわちなんじら相愛すべしとのこれなり。わがなんじらを愛するごとくなんじらも相愛すべし。」

 

エスが弟子たちに語った有名な言葉ですが、「互いに愛し合いなさい。」「相愛すべし」、何と重い言葉でしょうか。

 

愛の乏しい私にとって極めて重い言葉なのです。

ですから、私が愛とは何かを語ることなどできるものではありません。

この聖句について、私の敬愛する内村鑑三が深い洞察によって興味深いことを書いています。

文語調で読みづらいとは思いますが、そのまま引用します。

「ここにキリストはその弟子たちに新しき戒めを与えたまいしとあります。そうしてその戒めとは、なんじら相愛すべしとのことであるとあります。しかしながら、私どもにわからないことは、なんじら相愛すべしとの戒めは、はたして新しい戒めであるか、そのことであります。旧約聖書レビ記19章18節を見ますれば、こう書いてあります。すなわち

『なんじ、あだを返すべからず、なんじの民の人々にむかいて恨みをいだくべからず。おのれのごとくなんじの隣を愛すべし』

と。かくもすでにモーセによりて与えられし戒めは決して新しい戒めではないはずであります。キリストもまた一人の教法師に答えて、モーセの律法の中で最も大なるものの第二は、おのれのごとくなんじの隣を愛すべしということであると述べられました(マタイの福音書22:39)。ゆえになんじら相愛すべしとの戒めをもって、キリストがその弟子に与えたまいし新しき戒めであるとは、どう見てもわかりません。

ゆえにここに聖書の誤解がなくてはなりません。あるいは誤訳がなくてはなりません。そうして少しく原文に照らして見ますると、その誤訳であることがわかると思います。『与う』の下に句切りをつけたのがそもそも誤解の始めであると思います。新しき戒めとは、34節全体にわたるべきものであると思います。

いまギルシャ文にしたがって、言葉なりにこれを直訳しますれば、こうなろうと思います。すなわち

『なんじらもまた相愛せんがためになんじらを愛せしごとくなんじら相愛すべし。これわがなんじらに与う新しき戒めなり』

普通の日本訳に『わがなんじらを愛するごとく』とあるのは、どうしても『愛せしごとく』でなくてはなりません。

さて、こう改訳しまして、その意味はこれを探るに難しくありません。キリストがここに与えたまいし、なんじら相愛すべしとの戒めの新しきわけは、その愛の性質に存します。単に相愛すべしとのことではありません。わがなんじらを愛せしごとく相愛すべしとのことであります。キリストが在世中、弟子たちの模範とならんために彼らを愛したまいしごとく、そのごとく、またはそれと同じ性質の愛をもって、彼ら互いに相愛すべしとのことであります。そうしてキリストの愛が一種特別、世のいまだ知らざりし愛であったことは、われらキリスト信者にはよくわかります。キリストの愛そのものが新しい愛でありましたから、この愛をもって相愛すべしとの戒めは新しい戒めでなくてはなりません。

 

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シャカイナ・グローリー

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私たち人間は神(創造主)を直接見ることができません。

神(創造主)はモーセに次のように語られました。

出エジプト記33章20節

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さらに、次の2つの聖句を引用します。

ヨハネ福音書1章18節

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テモテへの手紙第一6章16節

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上記聖句に書かれているように人間の目で神(創造主)を見ることはできないのですが、ただ、「シャカイナ・グローリー」という「目に見える神の栄光」を見ることはできます。

「シャカイナ」はヘブル語で、「グローリー」は英語で「栄光、誉れ」という意味です。

 

それでは「シャカイナ・グローリー」とは何か。

それは、エジプトの地で奴隷状態であったイスラエルの民をモーセが指導者としてエジプトから救い出した時に荒野(あらの)の幕屋(移動式の神殿)の上に「雲」「火」として現れました。

少し長い引用ですが、民数記9章15節~23節をご覧ください。

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このように「目に見える神の栄光」すなわち「シャカイナ・グローリー」である「雲」「火」がイスラエルの民を導いたのです。

「シャカイナ・グローリー」は「雲」「火」だけでなく、「光」「煙」「雷」「雹(ひょう)」としても現れます。

 

続いて、ヨハネ福音書14章8節~9節をご覧ください。

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この聖句の中でイエスが12使徒の一人ピリポに対して「わたしを見た者は、父を見たのです。」と語りましたが、まさにエスご自身こそが「目に見える神の栄光」すなわち「シャカイナ・グローリー」なのです。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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