星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

肉体の死と復活

まず、ヨハネ福音書11:25をご覧ください。

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上記の聖句について内村鑑三の著書から一部意訳して引用します。

 

「肉体は一種の牢獄である。その中に宿るは一種の禁錮である。しかして死によって人間の霊は肉の束縛より脱して、その禁錮を解かれるのである。肉に宿る間は人間に完全なる自由はない。いかなる憲法の保証をもってしても、人間に完全なる自由を供することはできない。束縛は肉にあってゆえの束縛である。肉を離れるまでは霊に完全なる自由はないのである。死は最大の解放である。肉の奴隷は死によってはじめて自由の天地に出るのである。ゆえに真の自由を愛する者は、死を歓迎するのである。・・・・・中略・・・・・信者の復活の希望は自己によるのではない。主イエス・キリストによるのである。信者は人間として復活することを欲するのではない。復活は人間が望んで出来ることではない。人間は主イエス・キリストにあって復活するのである。ことばをかえていえば、キリストにありて復活をするのである。信者はキリストの宿るところの者である。『わたしは、よみがえりです。いのちです。』(ヨハネ福音書11:25)と言ったキリストは、信者の体に宿って復活するのである。イエスの霊のあるところには必ず復活がある。イエスの霊を受けて、復活はこれを自然の結果と見ることができる。」

 

イエス・キリストを真に信じる者は、復活の希望を確信することができるからこそ、肉体の死を恐怖することなく、肉体の死を、平常心を持って歓迎することができるのです。

 

復活は特別なことなどでは決してなく、果てしなく続く広大な宇宙を創造された天地万物の創造主(神)の大いなる全能の御力(みちから)からすれば当然のことなのです。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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現代は短命社会?(その2)

前回のブログでは、聖書を学べば古代の方がはるかに長寿社会であり、現代の方が短命社会であると書きました。

 

聖書に啓示されている天地万物の創造主(神)は、長寿の人間を創造したわけでもなく、短命の人間を創造したわけでもなく、人間が永遠に生きることを前提に人間を創造されました。

 

アダムの前に人間は存在していなかったのですから、人間が死ぬ存在などという概念は、最初の人間アダムには、そもそもなかったはずです。

 

ですから、アダムにとって生き続けることが当たり前だったのです。

 

しかし、アダム以後の人間は、自分が生まれる前から存在している人間が死んでしまう現実を目撃することによって、人間はいずれ死ぬことが当たり前で人間は永遠に生きる存在などとは考えることすらなくなって現在に至っているのです。

 

人間は経験の動物です。

自分が経験しないことや、見えないものを信じることは中々出来ないものです。

ですから、経験上一般の人間は自分が見てきた人間の死が当たり前だと考えているのです。

 

繰り返しますが、アダムにとって人間の「死」などは経験しないことであり、永遠に生き続けることが当たり前だったのです。

 

創造主(神)が創造した人間の姿は永遠に生き続けることだったはずです。

人間にとって「死」は決して当たり前のことではなかったのです。

ここで、ローマ人への手紙5:12をご覧ください。

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このようにローマ人への手紙を書いたパウロは、ひとりの人であるアダムが創造主(神)に背いたことにより全世界に「罪」がはいり、「罪によって死」がはいり、死が全人類に広がったと明確に語っています。

人間が死ぬことは決して当たり前などではなく、アダムが創造主(神)に背いた結果招いたものなのです。

 

続いて、ローマ人への手紙5:21をご覧ください。

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この聖句では、罪によって死ぬことになった人間も主イエス・キリストによって永遠のいのちが回復される道が開かれることになった、とパウロは書いています。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

ヨハネ福音書3:16

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私は、この聖句の「主イエス・キリストを信じる者は永遠のいのちを持つこと」を信じています。

 

80歳や90歳程度の僅かな年数を生きることを私は「長寿」などとは言わないし、認めもしません。

人間が死ぬことが当たり前とも思いません。

人間は永遠に生きる存在として、創造主(神)に創造されたのです。

 

今日このブログを読んでいただいている皆さんも人間が病気をしたりして、年老いて死ぬのが「当たり前」などと思わないでください。

 

一人でも多くの方が、聖書を学び主イエス・キリストを信じる信仰によって「永遠のいのち」の扉が開かれることを願っています。

アーメン。

 

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次回は2月25日(月)にアップします。

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現代は短命社会?(その1)

日本では65歳以上の高齢者の割合が増え続けていて、高齢化社会と言われるようになって久しいのですが、聖書を学ぶとアダムやノアが生きた古代の方がはるかに長寿社会であり、現代は高齢化社会ではなく実は短命社会であることが分かります。

 

何故、そう言えるのか以下検討したいと思います。

 

歴史上、不老不死の薬を求めた王様や皇帝もいたようですが、誰しも健康でさえあれば少しでも長生きができればと思っている事でしょう。

 

驚くことに969歳まで生きた人間がいるのをご存じですか。

実は、旧約聖書に登場するメトシェラという人物は、何と969歳まで生きたと書かれています。

創世記5:27をご覧ください。

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最初の人間アダムは930歳、ノアの箱舟で有名なノアは950歳まで生きたと書かれています。

 創世紀5:5

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 創世紀9:29

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人によっては、聖書は神話に過ぎず架空の物語(フィクション)であり信じるに値しないといいます。

しかし、私は聖書を丸ごと信じています。

 

古代に書かれたものは、現代の本のように多くの読者を対象にベストセラー作家になってお金を稼ごうと様々な架空の物語(フィクション)が書かれる時代とは異なり、明らかに神話であるものを除き、架空の物語を書くことに意味はなく、事実を書いて後世に伝えることこそが重要だったはずです。

 

紙が発明され印刷技術が発達する遥か以前の旧約聖書が書かれた遠い時代では、羊の皮などで作った高価な羊皮紙に書いたようですが、読み書きができる人間がそんなに多くいなかった(もちろん割合は不明)古代社会で高価な羊皮紙に架空の物語を書く余裕も必要もなかったはずです。

 

上記の長寿の記事が書かれている旧約聖書の箇所は何の誇張も脚色もなく、事実だからこそ聖書の筆者は淡々と書いたはずです。

ところがアダムやノアの時代より後の時代になると一転して人間の生きた年数が短くなります。

次の聖書箇所をご覧ください。

創世記23:1

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創世記25:7

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申命記34:7

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このようにアブラハムの妻のサラは127歳、アブラハムは175歳、十戒で有名なモーセは120歳と書かれています。

 

皆さん不思議だとは思いませんか?

もし、聖書が架空の作り話なら、アブラハムが175歳、サラが127歳、モーセが120歳で死んだなどとは書かずに、アダムやノアやメトシェラと同じように900歳以上生きたと書いてもよかったはずです。

 

何故でしょうか?

 

私の結論。

聖書は架空の作り話などではなく、現実に起こった事実を事実として後世の人間に伝えるために、聖書の筆者は誠実に書いたのです。

聖書を学べば古代の方がはるかに長寿社会であり、現代の方が短命社会であることが分かります。

 

本日はここまでです。

次回(その2)に続く。

 

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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なぜ偶像崇拝はいけないのか?

なぜ偶像崇拝がいけないのか?

 

次のようなことを考えれば答えは簡単です。

 

ある人に子供がいたとします。

俗に言う目に入れても痛くないほど愛しています。

誰よりもその子供の将来を案じてもいます。

ところが、その子供が赤の他人を「父(あるいは母)」と呼んでいて、本当の親に背を向けたままだとしたらどうでしょうか。

 

答えは明白です。

 

真(まこと)の父なる神は、自分の子(神の子)である人間が偽りの神を「父(あるいは母)」として崇拝することを、当然ですが喜ぶはずがないのです。

 

続いて次のようなことを考えみてはどうでしょうか。

ペットの犬又は猫を可愛がっている人は、愛しているペットと一緒にいるだけで幸せな気持ちになるはずですね。

もちろん、愛している対象が人間であれば、その愛している人と一緒にいるだけで最高に幸せな気持ちになるはずです。

ですから、私たち人間も偽りの神ではなく、真の神を愛して幸せな気持ちになって日々過ごしたいものです。

 

ここで、次の2つの聖書箇所をご覧ください。

ヨハネの手紙第一4:9~10

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マタイの福音書22:36~38

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神が人間に、神を愛することを無理やり強制しているわけではなく、まず神が私たち人間を愛してくださったことを心に留めて、私たち人間も「心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして」神を愛することが人間にとって何ものにも代えがたい最高の状態であることを、当然に神がご存知だからなのです。

 

実体のない、人格もない「商売繁盛の神」や「交通安全の神」「龍神」などが人間を愛してなどいるはずもなく、人間側もこれらの偽りの神を愛しているわけでもなく、ただ「ご利益(ごりやく)」だけを願って礼拝しているに過ぎないはずです。

 

イザヤ書44:9~11をご覧ください。
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続いて、コリント人への手紙第一6:9~10をご覧ください。
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偶像崇拝は百害あって一利なし」です。

 

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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死者の復活

早速ですが、次の聖書箇所をご覧ください。

コリント人への手紙第二5:1~2(新改訳聖書

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<注>

「幕屋」とは設営及び撤去が容易なテントのようなものですが、この箇所で言う「幕屋」とは人間の肉体を意味し、「神が下さる建物」は復活のからだを意味しています。

 

上記の聖句について、イギリスのキリスト教の説教者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)が著書で的確に解説しているので引用します。

「痛みと苦痛にしばしば苛まれるこのあわれむべき肉体が、ある日、栄光ある肉体に場所を譲るためにこの地上から連れ去られます。今あるこの肉体はすでに擦り切れ、その一部は衰えています。それは古びた薄い木片のようであり、漆喰だけでできた建物のようです。それが長持ちすることは不可能です。九十九年もの長期の賃貸にはとても耐えられません。それは、ほどなく崩壊し始め、やがて全身に及び、さらに、朽ちかかったその古い家は粉々に砕け、ついに、その役割を終えるのです。そのとき、あなたは思い悩みますか。あるいは、『ああ悲しいかな、兄弟姉妹たちよ』と肉体についてともに泣き叫びますか。そうであってはなりません。聖書は『第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです』(ヘブル人への手紙10:9)と言います。私たちは今はこの卑しい体の中に地上的な姿を身に着けていますが、しかし、後者の体は天国にふさわしい姿を身に帯びるのです。『死者の復活もこれとおなじです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです』(コリント人への手紙第一15:42~44)と言われているからです。『第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。』第一のものは栄光に富んだものに変えられます。私たちの復活の体は痛みも、疲れも、弱さも、病の兆候も、罪も、腐敗や死のいかなる可能性も全くありません。この貧しい体は救い主、イエス・キリストの栄光ある体と同じように変えられます。」

 

イエス・キリストを信じるキリスト者は何ものにも代えがたい「死者の復活」と「永遠のいのち」という希望を持っています。

一人でも多くの人が一日でも早く主イエス・キリストを信じることによって、この希望を持つことを願っています。

 

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天国や地獄は存在するのか?

早速ですが、過去のブログでも取り上げた次の2箇所の聖句をご覧ください。

新約聖書・マタイの福音書10:28(口語訳聖書より引用、以下の聖句も同じ)

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<参考> 新改訳聖書では地獄を「ゲヘナ」と訳しています。

 

新約聖書・ルカの福音23:39~43

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上記の2箇所の聖句はイエスが語られた言葉です。

エスは「地獄」と「パラダイス(天国)」があることを前提に明確に語られています。

 

話は横道にそれますが、少しだけご辛抱ください。

1956年公開のアメリカ映画の「王様と私」を1970年代になってテレビ放映された時に観たある場面がうろ覚えではありますが、常に忘れられずにいます。

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シャム王国(現在のタイ)の王子たちが、イギリス人(またはアメリカ人)の家庭教師から教えられた「雪」を見たことがないから信じられないユル・ブリンナー扮する王様に言います。

王様は、このように言う王子を諭すのですが、今から約45年程前に観た時の記憶ですから、一字一句覚えているわけではありませんが、だいだい次のような趣旨のものでした。

見たことがないから信じないというのは、学びをする者の姿勢ではない。見たことがないことであっても、信頼できる人から教えられるのであれば、それを信じることが学ぶというものだ。

 

天国や地獄が存在するかどうかを検討するにしても、そもそも、天国に行ったり、地獄に行ったりして戻って来た人間など人類の歴史の中で一人もいないのですから、検討のしようもありません。

 

そこで、シャム王国の王様が語ったように天国や地獄の存在を語った人物が信頼できる人物かどうかが最も重要だと、私は考えるのです。

 

神学者歴史学者のように長い年月をかけて聖書を一字一句綿密に研究したとしても、イエス・キリストが架空の人物としてしか認識できず、歴史的に間違いなく存在した人物だとの確信がなければ、天国の存在も地獄の存在も架空の場所ということになるのではないでしょうか。

 

さらに、イエスが我々と同じ人間に過ぎないとの認識しか持てないのであれば、どんなに善良で人格的にも優れているように世間的に評価されようとも人間である以上100%完璧に真実を語ることはあり得ず、文字通り万が一ウソ偽りを語ることがあるかもしれません。

ですから、イエスが神ではなくて私たちと同じ人間に過ぎないという認識しか持てないならば、もう一つその語る言葉に信頼が持てないとの結論に達せざるを得ないことになります。

しかし、イエスは「救い主(メシア、キリスト)」であることが心底信じることが出来るのであれば、話は変わります。

「救い主」を平仮名で書けば「すくいぬし」ですが、「主」とは「ぬし」というより「しゅ」つまり「神」そのものなのです。

エス様の実体は「神」であり、神の口からウソ偽りの言葉など絶対に出ることはありません。

 

ここで、次の2つの聖句をご覧ください。

新約聖書ヨハネ福音書1:1~3

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新約聖書ヨハネ福音書14:6

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上記の聖句からわかるように、「ことば」であるイエス様は神そのものです。

天地万物の創造主です。

 

「道」であるイエス様の口から出る「ことば」にウソ偽りはありません。

「真理」であるイエス様の口から出る「ことば」にウソ偽りはありません。

「いのち」であるイエス様の口から出る「ことば」にウソ偽りはありません。

 

恐縮ですが私の結論を申し上げます。

「天国」や「地獄」の存在の有無だけでなく、聖書に書かれた事柄が信じられるかどうかは、イエス様が「天地万物の創造主(神)」であるかどうかにかかっています。

エス様が「天地万物の創造主(神)」であることを確信出来れば、イエス様が語った「天国」及び「地獄」の存在は当然信じることが出来、聖書全体の理解もスムーズに進みます。

エス様が語られた「悪魔(サタン)」や「天使」の存在についても同様のことが言えます。

逆に、イエス様が「天地万物の創造主(神)」であることを確信出来なければ、聖書記事の中の色々な箇所で疑いばかりが生じて、長い年月をかけて聖書研究をいくらしても、結局はただ聖書に詳しい人間になるだけで救われることはありません。

 

もし、キリスト者(クリスチャン)の中に「神が愛なら、愛の神が地獄など造るわけがない。だから俺は地獄の存在なんて信じない。」と言う人がいるようでしたら問題ではないでしょうか。

何故ならイエス様がウソつきだと言っているも同然です。

 

自分にとって心地良い言葉だけを信じ、自分にとって受け入れがたい言葉や事柄は信じないという姿勢はどうなのでしょうか。

 

そもそも、地獄がどんな場所か誰一人として体験して、この世に戻ってきたことが無いのですから、自分勝手なイメージを創りあげない方がいいのではないでしょうか。

 

創造主(神)が地獄を造った真の意図あるいは目的を誰一人知り得ないのですから、私たち人間が出来ることは、ただひたすら主イエス・キリスト様を仰ぎ、そして全幅の信頼を寄せるだけで十分なのでは、と私は考えています。

 

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★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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カトリックとプロテスタントの違い(最終回)

基本的に信徒個人の信仰にまかせているプロテスタントとは異なり、ローマ・カトリックは神のもたらす救いの仲介者として教会に大きな権威を認めるのが特色です。

 

イエス・キリストの十字架上の血による罪の贖い(あがない)、つまり贖罪(しょくざい)がもたらす恩恵を欲するには、ローマ・カトリックの信徒は教会が定めた救済の手段、すなわち秘跡サクラメント)にあずからなければならない。

 

秘跡サクラメント)という言葉の意味は、目に見える儀式(水を注ぐなど)である「跡」で、目に見えない恵みの「秘」が授けられるということです。

 

なお、ローマ・カトリックでは「洗礼」「堅信」「聖体」「ゆるし」「病者の塗油」「叙階」「婚姻」の七つ秘跡サクラメント)としています。

 

この七つの秘跡サクラメント)について一つ一つ説明しようとすると長文になってしまうので、詳細をお知りになりたい方は、下記のサイト(ウィキペディア)をご覧ください。

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秘跡 - Wikipedia

 

秘跡サクラメント)の一つ「洗礼」だけ簡単に説明しておきます。

「洗礼」は、それを授ける人(神父など)が、受ける人の額に水を注ぎながら「〇〇さん、私は父と子と聖霊とのみ名によってあなたに洗礼を授けます」と唱えることによって行われます(カトリックの場合)。

 

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創造主(神)の存在やイエス・キリストの存在を理解していない、つまり、聖書に書かれていることを理解していない段階の「幼児洗礼」がローマ・カトリックでは行われています。

「幼児洗礼」は両親の信仰に基づいて受ける洗礼ですが、幼児が洗礼を受けたことを明示する聖書の記述はありません。

 

「幼児洗礼」は5世紀頃から行われるようになったのですが、当時は幼児の死亡率が高く、洗礼を受けずに死ぬと「救いの恵み」を受けることができないとの理由から行われるようになったのではと考えられています。

しかし実際は紀元60年代にすでに行われたいたとする見解もあります。

なお、一部の教派のプロテスタントも「幼児洗礼」をしています。

 

ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。

次回は2月7日(木)にアップします。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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