星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

創造、神の栄光(その⑤)

前回の続き。

 

当ブログの1月5日(金)に数週間で化石が出来るというサイトを紹介しました。

再度アップします。

↓ ↓ ↓

www.kodomonokagaku.com

 

前回引用した名古屋大学・年代測定総合研究センターの中村俊夫教授の論文の中でも、『葛生原人』の人骨の化石が50万年前のものだとされていたものが実は15世紀頃のものであることが加速器質量分析(AMS)を利用した年代測定法により判明したのです。

いずれにしても、化石が出来るためには数万年以上の時の経過が必ずしも必要ではなく、短期間でも出来るという認識を持つ必要があるようです。

 

聖書を信じる前までの私は、化石が出来るには、教科書で教えられたように数万年以上の時の経過が必要だということに疑いを持っていませんでした。

ただ、疑いを持つことはないにしても、漠然とですが何か腑に落ちない思いを抱いていたことも事実です。

聖書の天地万物の創造主を信じてから直ぐに化石が短期間でも出来ることを知ったわけではありませんが、いつの日か、事実(真理)が明らかにされる時が来るとの思いを抱いていました。

化石に関することだけでなく、聖書記事の中ですぐには理解できない箇所でも、いつの日か解明できる時が来るとの思いを常に持ち続けて求める(調べる)努力をすれば、必ず真理が明らかにされる、という経験を何度もしてきました。

まさに「求めよ、さらば与えられん」(マタイの福音書7:7)です。

 

下記の写真をご覧ください。

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誠文堂新光社「化石図鑑」)

 

カブトガニの化石ですが、左上に「中生代ジュラ紀」とあります。

地層年代の中世代・ジュラ紀は約1億9960万年~約1億4550万年前を指すようです(ウィキペディアより)。

しかし、中生代ジュラ紀とされているこのカブトガニの化石を前回引用した加速器質量分析(AMS)を利用した放射性炭素年代測定で測定すれば、全く異なる結果が出るのでは・・・?

 

当然私は、このカブトガニ中生代ジュラ紀などと言われる年代に生息していたなどとは信じません。

なぜなら、地球年齢を約6千年と信じているので、中生代ジュラ紀などの年代自体があったとは認めようがないからです。

そもそも、地層年代と呼ばれるもの自体が、進化論と同様に仮説です。

 

福岡市の今津干潟は日本有数のカブトガニの産卵場となっているので、私も生きたカブトガニ博多湾で何度も目にしました。

 

次回も地層年代と化石について考えたいと思います。

次回は1月20日(土)にアップします。

 

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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創造、神の栄光(その④)

前回の続き。

 

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書ヨブ記26:7、10
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旧約聖書箴言8:27
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 地球が球形であると、全人類共通の認識とされたのは、何時頃だったのでしょう。

20世紀後半にガガーリンによって地球が球形であることが人間の目によって初めて確認されました。

聖書の記者は、どのようにして地球が円い(まるい)ことを知り得たのでしょう。

 

突然ですが、ネアンデルタール人は何故ネアンデルタール人なのでしょうか。

 

17世紀末のドイツに、ある神学者がいました。

彼が好んで散歩した場所のひとつにデュッセルドルフの東約15キロメートルに位置するデュッセル川の流れる美しい峡谷がありました。

彼がよくこの谷間を散歩することを誰もが知っていて、いつのまにか、その谷に彼の名前がつけられたというのです。

彼の名はヨアキム・ネアンデルといい、その谷はネアンデルの谷、すなわち、ネアンデルタール(タールはドイツ語の古語で谷を意味する)と呼ばれたのです。

200年後の1856年にこの谷で人の頭蓋骨頭頂部、いくつかの肋骨、骨盤の一部、それからいくつかの手足の部分が発見されました。

これがネアンデルタール人の最初の発見です。

 

昔、古い人の骨の年代測定をした当時は50万年前や30万年前と判定していたものが、測定法が改良されるにつれ、4万年前とか2万年前とかに短くなっています。

 

化石などの年代を測定する方法に放射性炭素年代測定というものがありますが、ネアンデルタール人などの11の骨の試料(サンプル)を加速器質量分析AMS:accelerator  mass  spectrometry)を利用した放射性炭素年代測定で測定した結果、すべての試料で5000年以下の数値が出たというのです。

 

名古屋大学・年代測定総合研究センターの中村俊夫教授の論文に注目すべき記述があります。

一部引用します。

「松浦秀治教授による人骨化石のフッ素分析、AMSによる炭素(14C)年代測定の結果から、1950年代に栃木県安蘇郡葛生町で発掘され、一部では50万年前に遡る旧石器時代人とされていた『葛生原人』の骨が実は15世紀頃のものであること(2001年7月11日に新聞報道)が、また三ヶ日人の骨が実は縄文人の骨である可能性が高いこと(2001年9月7日に新聞報道)が明らかになった。AMSにより、わずかな試料でも炭素(14C)年代測定が可能になった一例である。葛生原人や三ヶ日人の発掘は注意深く行われ、層序関係や骨化石と共に出土した遺物から、旧石器時代の人骨と総合的に判断されていたが、その年代推定については疑問も持たれていた。今回、松浦秀治教授により、AMSを用いた人骨化石の直接炭素(14C)年代測定が行われた結果、従来の推定よりもずっと新しいものであることが明らかにされたのである。」

 

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人類20万年は真実ですか?

地球46億年は真実でしょうか?

 

進化論は、あくまでも仮説です。

 

冒頭で、地球が球形であると全人類の共通認識とされたのは何時頃だろうかと書きました。

アダムは神と直接交流があったことが聖書記事から分かります。

と言うことは、神から色々と教育を受けた可能性があり、天地万物の創造の6日間のことも聞き、地球が天の虚空の中の球体であることも学んだとは考えられないでしょうか。

前回、創世記の系図をアップしましたが、930年生きたアダムは、系図から数世代後の子孫とも継続的に交流があったことがうかがえます。

つまり、アダムが神から受けた学びが子孫に連綿と受け継がれていた可能性は充分に考えられるのではないでしょうか。

したがって、天地創造の6日間や地球が球体であるとする全人類の共通認識は、人類誕生の初めだったのでは・・・?

しかし、バベルの塔の事件以後は人間が全世界に散らされて、徐々に共通認識が希薄になり、聖書記者など一部の人間を除いて忘れ去られてしまったのでは・・・?

以上は、私の仮説です(笑)

 

次回に続く。



 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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創造、神の栄光(その③)

前回の続き。

 

地球の年齢は50億年とか46億年など、この世の科学者は色々と主張します。

そして、「科学的データによると、〇〇である。」と科学者が発言すると、「科学的データ」という言葉に弱い素人の私たちは沈黙せざるを得なくなります。

 

ただ、「科学的データ」という魔法の言葉を持ち出す科学者の中にあって、大気中及び地中のヘリウム量や炭素14の蓄積あるいは海中のナトリウムなどの測定により、地球年齢は10億年以下だと説明する科学者もいるのです。

 

科学者が異なれば「科学的データ」とやらに40億年もの差があることは何を語っているのでしょう。

 

地球年齢はもっと若く、数億年ではなく数万年程度だと説明する科学者も出てきているようです。

 

進化論を支持する科学者にとって、地球年齢が数万年では困るようです。

生命の進化には、数万年程度では全く足りないのです。

何十億年という数字が必要になってくるのです。

 

科学者の言う「科学的データ」は真理なのでしょうか。

科学者の言う「科学的データ」を無条件に信じてよいものでしょうか。

 

聖書的な見地に立つ科学者は、地球及び太陽並びに星々(天体)の年齢は約6千年、人類の起源も約6千年前と考えています。

ただ、クリスチャンであっても、この約6千年説を受け入れている人たちは少数派です。

私は少数派のひとりです。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記5:3~8

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創世記では、アダムからアブラハムまで、寿命と子供が生まれた歳が書かれています。

これをまとめたものが下記の図です。

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アダムからアブラハムまでは、聖書記事をたどっていけば約2千年だと分かります。

 

続くアブラハムからイエスまでは、聖書記事に抜けている年数があるので、聖書を信じている人でも算定した人によって多少のバラツキが生じていますが、約2千年というくくりでは同じです。

 

そして、エスから現代まで約2千年合計すると約6千年です。

 

聖書では第一日に地球が創造され、第六日に人間が創造されたとあるので、地球年齢は約6千年マイナス5日ということになります。

 

因みに、アダムの誕生を、万有引力の法則で有名なアイザック・ニュートンが聖書を基に算定した年は紀元前4004年、宗教改革マルティン・ルターは紀元前3961年としています。

 

また、「図解雑学・進化論」(ナツメ社刊)に次のようなことが書かれています。

「地球と生物が神によって創られた日時まで明らかにした者もいた。それはアイルランド大司教ジェームズ・アッシャーで、彼は1650年に『人間をはじめとする地球上のすべての生物は、紀元前4004年に創られた』ということを数学的に証明したのである。アッシャーは聖書を詳しく分析し、地球の年齢を割り出すという信じられないことをしたのだ。彼は『創世記』やその他の文献を分析し、多くの歴史的事実の日数、月数、年数をすべて調べ、それらを年代順に並べた結果、神がこの世を創造したのは『紀元前4004年』のことだと主張した。この数字は、その後、ケンブリッジ大学のジョン・ライトフットによってより正確に計算され、人間の創造は紀元前4004年10月23日午前9時と決定された。・・・・・」

 

 もう一度、上記の図をご覧ください。

アダムから数えて7番目の「エノク」は死ぬことなく365歳の時に生きて天に上げられました(創世記5;24)

死ぬことなく生きて天に上げられたのは、エノクの他にもう一人預言者エリヤがいますが、創世記ではなく、列王記第二2:11にその記事があります。

 

エノクの子メトシェラは969歳まで生き、人類史上最長寿の人間です。

 

注目すべきはノア以後の世代の寿命です。

ノアの洪水後から寿命が徐々に短くなっていることが分かります。

大洪水によって地球環境が激変したことが原因なのでしょう。

 

冒頭で書いた地球年齢46億年などの根拠とする「科学的データ」つまり「年代測定法」を無条件に信じて良いのか?

 

次回は「年代測定法」に問題・疑問があることを見ていきたいと思います。

 

次回に続く。

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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創造、神の栄光(その②)

前回の続き。

 

天地創造の流れ。

<第一日>

初めに、神は天と地を創造された。

光を創造され、光とやみを区別。

<第二日>

大空を造り、水を上の水と下の水に区別。

<第三日>

陸地と海、そして植物を創造。

<第四日>

太陽、月、星を創造。

<第五日>

海の生き物、飛ぶ生き物の創造。

<第六日>

神のかたちに人間を創造、陸の生き物・家畜を創造

旧約聖書・創世記1:31

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<第七日>

神の休息。

 

天地万物を神は六日間で創造されたわけですが、この一日は24時間の一日ではなく、地質年代カンブリア紀など)を指す、あるいは、一日は千年のことを指すなど様々な説があります。

果たして、そうでしょうか。

 

聖書を字義通り解釈する人たちは、一日は24時間、つまり六日間は144時間と理解しています。

私もその一人です。

 

一つ一つの説に反論しようとするとかなり長い文章になるので、当ブログではポイントだけ述べたいと思います。

 

次の聖書箇所が一日は24時間などではないと主張する人たちの根拠の一つです。

新約聖書・ペテロの手紙第二3:8

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この聖句は、いつまで待ってもキリストの再臨がない、世の終末も来ないと言っている者たちに対して反論する場面ですが、聖書に書かれている一日がすべて千年などと言っているわけではありません。

あくまでも、この聖句の千年は比喩的表現です。

創造の一日とは千年のことだとする説は、この聖句の前後の文脈を無視した、明らかな誤用です。

 

昆虫の活動によって、多くの植物の受粉が行われていることは小学生の時に教えられた自然界の仕組みの基本の一つですね。

植物は第三日目に創造されました。

しかし、昆虫は第五日か第六日までは創造されませんでした。

もし、創造の一日が何億年以上の地質年代又は千年を意味しているのなら、植物の生存のための受粉はどうなっていたのでしょうか?

 

受粉が行われない植物は昆虫が登場する前に絶滅し、その植物を食料とするはずの動物もこの世界に登場することもなかったはずです。

植物と昆虫、それに動物は複雑な共生関係によって命を保っています。

同時期にこの世界に登場したと考える方が理に適ってはいないでしょうか。

2、3年前にミツバチが減少していることが話題になり、このまま減少が続くと世界的な食糧危機に陥ると警告する学者の話など、記憶に新しいところです。

 

創造の各段階のおわりに「夕があり、朝があった」という記述は地球が自転を開始していることがうかがえ、時間の経過があり、一日が24時間であることを示しているのではないでしょうか。

 

創世記1:14には「季節のため、日のため、年のためにあれ」とあり、日と月(季節)と年を区別しており、同じ創世記一章の中で創造の一日だけを地質年代あるいは千年間だと解釈するのには明らかに無理があるでしょう。

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さらに次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書出エジプト記20:11

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もし、一日が千年のことだとする説を採用すると安息日も千年間という途方もない期間になります。

 

皆さんは、創造の一日は「24時間」であるとする解釈に、ガッテンしましたでしょうか・・・?

 

エスは、その公生涯で様々な癒し(奇蹟)を行いました。

例えば、病人を癒す時に、手をかざしてから「一ケ月程養生しなさい。そうすればよくなります。」などと言って、人間の医者がするようなことをしたわけではありません。

「ことば」を発すると瞬時に病は癒えたのです。

距離を置いた遠く離れた人も瞬時に癒しました。

 

物理法則、化学法則、生物学的法則など自然界のすべての法則は、全知全能の創造主である神によって定められました。

自然界の法則が先にあって、その法則に神が従って、天地万物を創造したわけではないのです。

人間が生きるものになったのは、神のいのちの息(霊)が吹き込まれたからでした。

自然界の法則とは別次元の神の御業ではないでしょうか。

神のなさる御業は人間の知恵の範疇を超えたものです。

神の力を過小評価してはなりません。

われわれ人間には到底信じられれないことをなさるのです。

誰もがすぐ信じてしまうようなレベル程度しか出来ないのなら、神と崇める対象とする気持ちには、他の人はどうかわかりませんが、私はなれません。

 

天地万物を六日(144時間)で創造されたお方だからこそ神として崇め、讃える価値があるのではないでしょうか。

 

だからこそ、死者の復活や永遠のいのちも確信できるのではないでしょうか。

 

天地万物の創造は、神の栄光そのものです。

 

次回に続く。



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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創造、神の栄光(その①)

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地球は46億年前にできたのでしょうか。

そして、万物は偶然にこの世に生まれ、進化したのでしょうか。

 

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人類は20万年前に現れたのでしょうか。

 

本日から、天地万物がどのようにしてこの世界に現れたのか、聖書とその他の資料から検証したいと思います。

 

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記1:1~5

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旧約聖書・創世記1:14~19

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一章3節の「光があれ。」と神が仰せられると光ができ、5節でこの光を昼、このやみを夜と名づけられた、とあります。

これが天地創造の第一日目です。

 

神が創造された、この「光」とは何でしょうか?

 

聖書初心者の頃の私は当然「太陽」だと受け取りました。

ところが、第四日目に「光る物」を造られ、大きな光る物には昼をつかさどらせるようにされたとあります。

 

そこで、聖書初心者の私は混乱したのです。

神様は、2度太陽を造ったのか?

6日間で天地創造をしたなどとバカげたことを書いていることも含めて、大昔の聖書を書いた人の頭の中の構造が疑わしく、創世記の天地創造の箇所はあまり読む気がしなくなりました。

 

しかし、聖書の学びが進むにつれ、聖書の真実性を受け止めることが少しずつできるようになり、創世記の天地創造から本格的に取り組むことになって、目が開かれることになります。

 

私と違い、皆さんはすぐに理解したことでしょう。

そうですね、第一日目の「」は、「光る」ではなく、まさに「」そのものなのです。

 

日常生活で人間は、太陽や照明器具から発せられる光で「光」を感じますが、この発せられる根源的「光」そのものを創造主は第一日目に創造されたのです。

 

「光は発光体より出づるものではなく、神より直接創造されたもの」と矢内原忠雄(1893年~1961年)はその著書に書いています。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書ヨハネによる福音書8:12

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新約聖書ヨハネの黙示録21:23

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<参考>「都」は千年王国の後にできる新天新地の中に据えられる聖なる都のことです。

 

上記の聖句から、創世記の創造の第一日目の「光」はイエスご自身だと解釈する人もいます。

ただ、この解釈だと、この「光」が創造される前には、イエスは存在していなかったことになります。

三位一体の第二位格の神であるイエス・キリストご自身が「すべてのものを造られた」とヨハネ福音書1:3に書かれています。

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皆さん、少し立ち止まって目を閉じて、想像してみて下さい。

皆さんが現代に生きている人間ではなく、光の性質など未解明の自然科学の全く発達していない数千年前に生きている神話を書く作家だとしたら、天地創造の第一日目に何を書きますか。

ぼんくら頭の私だったら、「光」そのものを造ったなどと、これっぽっちも思い浮かびません。

「神は、天地創造の第一日に太陽をお造りなった」としか書けないでしょう。

 

聖書が単なる作り話、神話だと一笑に付すわけにはいきません。

 

創世記一章1節及び2節も奥深い聖句なので、解説したいところですが、今回は割愛します。

本日はここまでです。

次回に続く。



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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復活と永遠のいのち(パートⅩⅠ)

前回の続き。

 

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創造主である神とキリストに信仰を持つ者は、死後直ちにパラダイス(第三の天)に上げられ、意識のある状態でキリストと共に中間状態を過ごし、キリストの空中再臨(携挙)の時に栄光のからだで復活し、その復活のからだをもって再度、パラダイスに上げられます。

 

因みに、キリストが十字架上で死んで三日後に復活したことを「初穂」と言いましたが、初穂に続く信者の復活を「第一の復活」と言います。

その後、地上では患難期(大患難時代)が到来し、この患難期に悔い改めてキリスト者となって殉教した者(地上再臨時に復活)及び生き残った者と、キリストが地上再臨する際に栄光のからだで地上に降り立ち、出会うことになります。

 

なお、キリスト以前の旧約時代に神に信仰を持った者(聖徒)は、キリストの空中再臨(携挙)のときではなく、地上再臨のときに復活します。

 

そして、キリストを王とする文字通り千年間続く神の御国(千年王国ないしメシア的王国とも言う)の中で死を恐れることなく歓びに満ちたくらしをすることになります。

 

千年間が経過した後、信者の最終的ゴールである新天新地に至ることになります。

 

上記の信者と異なり、神に背を向けていた不信者は、死後直ちに黄泉(ハデス)に墜ち、患難期及び神の御国の千年間が過ぎてから復活します。

もちろん、栄光のからだが与えられているわけではありません。

この不信者の復活を「第二の復活」と言い、最後の審判(白い御座の裁き)を受けるための復活なのです。

そして、不信者の最終的ゴールが(口語訳聖書では)地獄(新改訳聖書ではゲヘナ)ということになります。

 

黄泉(ハデス)や地獄(ゲヘナ)の存在がどうしても理解できない、信じられないという方が数多くいると思います。

ある敬虔なユダヤ人のキリスト者(メシアニック・ジュー)は次のように語っています(一字一句その通りではありません)。

「私の親族の中には、キリストに信仰を持つことなくヒットラー時代のホロコーストによって殺された者がおり、父親も同じく信仰を持つことなく死んでしまいました。ハデスやゲヘナが存在しないことを誰よりも望む気持ちがあります。しかし、唯一の神の啓示する聖書を真理の書と信じる私は、字義通りその存在を信じるだけです。」

 

ハデスやゲヘナの存在について幾つかの文献を調べアレコレと考えてきました。

その結果、ハデスやゲヘナを神が造られた理由を私なりに納得できる答えらしきものを得ることが出来ています。

ただ、この私の得た答えは、聖書のある箇所にヒントらしきものが書かれているだけで、確実に立証できるものではないので、私のこころの中に留め置きたいと思います。

 

千年王国について書かれている聖書箇所の一部をご覧ください。

新約聖書ヨハネの黙示録20:4~6

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<注>「私」は、キリストの十二人の使徒の一人のヨハネ

冒頭でも書きましたが、信者の復活が「第一の復活」であり、不信者の復活が「第二の復活」です。

因みに、千年は比喩であって実際の千年間ではなく、今のこの世界自体こそがキリストが天から支配している王国であると主張する人たちもいます。

もちろん私は字義通りのリアルな千年間と理解しています。

 

次に新天新地について書かれている聖書箇所の一部をご覧ください。

新約聖書ヨハネの黙示録21:1~7

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千年王国の後に、今の天と地は滅び去って、新しい天と新しい地が創造されます。

このことを不思議に思う必要はありません。

天地万物の創造主である全能の神が約束されているのです。

今の私たち人間は、苦しみや悲しみによって幾度となく涙をながし、そして叫ばずにいられない人生を過ごし、恐れながら死を迎えるという一生でした。

しかし、この新天新地では、苦しみ、悲しみは皆無です。

涙を流すこともありません、

死は永久に取り去らわれるのです。

6節の「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。」とは、初めからいて、終わりまでいる永遠のお方であることを表している、つまり、神の永遠性と全能性を表現しています。

 

キリストに信仰を持つ者には、死の先には栄光のからだの復活があり、そして千年王国で暮し、輝かしい新天新地において神と交流するという希望があります。

 

「復活と永遠のいのち」というテーマで全11回アップしてきました。

最後駆け足になりましたが「患難期(大患難時代)」「キリスト(地上)再臨」「千年王国」「最後の審判」「新天新地」については、今回のブログでは聖書記事のほんの一部しか説明しませんでした。

別の機会に詳細をアップしたいと考えています。

その機会には、患難期に現れる反キリストのことや患難期の最終局面に起こるハルマゲドンの戦いについても検証したいと思います。

 

今後の予定ですが、まず次回から数回にわたり(今の段階では回数は不明)創世記の天地万物の創造とノアの大洪水について検討し、特に進化論の呪縛から解放され、天地万物が神によって創造されたことを確信し、より一層神の栄光を讃えることができるようになりたいと考えています。

その後は、悪魔(サタン)、悪霊、天使についてアップする予定です。

 

当ブログでは、私なりに考えている聖書の最も重要なポイントと聖書の全体像を皆さんにいち早く理解していただきたいという思いで書いています。

ですから、聖書の細部までは意識的に書かないようにしています。

どちらかと言うと聖書初学者の方を見据えて書かせていただいているので、聖書の学びが深まっている方には物足りないものだろうと私自身承知しています。

このようなスタンスですが、ご興味のある方は、今後も宜しくお願いします。



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(パートⅩ)

前回の続き。

 

皆さんは、どんな人たちと(一時的ではなく)日常的に親しく交流したいですか。

犯罪者と日常的に交わりたいですか。

自分の犯した過ちを一切後悔も反省もしない人と交流したいですか。

弱い人々を見下す人と交流したいですか。

傲慢、高慢の人と交流したいですか。

 

罪人であっても自分の犯した過ちを心底後悔し反省して真摯に生きていくことを決心した人とであれば、親しく交流することもやぶさかではないでしょう。

不完全な私たち人間であっても、自分の犯した過ちを一切後悔も反省もしない人と交流したいとは考えません。

 

罪がなく完全で聖い天地万物の創造主である神は、神(キリスト)のかたちに似せて造られた人間と日常的に交流したいと考えて下さっています。

 

最初の人間アダムは神に背く罪を犯し、神との親しき交流が絶たれてしまいました。

 

神の御子キリストは、御自分の血によって、人間の罪を贖ってくださいました。

つまり、人間の罪をすべて、キリスト御自身が引き受けてくださったのです。

こうして、キリストの血によって、人間は神と和解することができ、神と日常的に交流する道が開かれたのです。

 

さて、本日のテーマに入ります。

キリストに信仰を持って死んだ者の霊は、キリストとともにパラダイスにいますが、中間状態(死から復活前までの状態)の霊は眠っているのでしょうか。

不信仰者の霊は、どこで、どうしているのでしょうか。

少し長い引用になりますが、次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・ルカの福音書16:19~31(口語訳

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<注>「アブラハムのふところ」とは神を信じる信仰者の霊が行くところを指すが、キリストが復活した後に天に昇った際にパラダイス(第三の天)に移動したと考えられる。

「黄泉」は不信仰者の霊が行くところを指すが、新改訳聖書では「ハデス」と訳されています。

モーセと預言者」とは(旧約)聖書のことです。

 

当時のユダヤではたとえ話をする場合に固有名詞を使うことはなかったそうです。

ですから、イエスが語っている、ここに登場するラザロは実際に存在した人でしょう。

このように、死者の金持ちとラザロそしてアブラハムの霊は眠っているのではないことをイエスは語っています。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・マタイの福音書17:1~9

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この聖書箇所は、受肉したイエスが栄光のからだに輝いて、死者のモーセと預言者エリヤの霊と話し合っているところです。

このように死者の霊は眠っているのでもなく、また、見えない状態でもないことがわかります。

 

結論です。

「眠っている」のは、墓に葬られた死者の肉体が眠っているように見えるのであって、霊が眠っているということではないのです。

いままで見てきたように、聖書は死後の世界があると記しています。

ただ、全ての死者が同じ世界に行くとは記していません。

不信仰者の霊は、苦しみの場所「黄泉(ハデス)」に行くとイエスは明確に語っています。

 

死後に黄泉(ハデス)に行くのではなく、一人でも多くの人たちがキリストを信じて、キリストのおられるパラダイス(第三の天)に上げられて歓びに満たされることを祈りたいと思います。

アーメン。

 

次回に続く。

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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