星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

2本の大黒柱

わたしは、外形的にはカトリックプロテスタント等のどの教会にも属さない無教会者であって、牧師でもなんでもなく、そして、平信徒とすら呼べない者です。

ただ、イエスをメシア(救い主キリスト)と信じた者であり、イエスの弟子たちの末席に座ることが許されていると勝手に信じている一人として、また、弟子になれるように願い祈っている一人として、聖書を研究する際に心掛けていることがあります。

 

わたしが聖書を読み、聖句の意味するところを理解しようとする際に最も重要視していることは、次の2つのことです。

(1)命の源である天地万物の創造主である神の存在

(2)イエスがメシア(救い主キリスト)であること

 

大黒柱は普通1本ですが、この2つが、わたしの聖書に取り組む際の大黒柱です。

 

聖書を研究している過程で痛感することは、旧約聖書の教えていることと新約聖書の教えていることは首尾一貫していることです。

 

誤解を恐れずに言えば、聖書の教えは単純です。

 

聖句の一行一行を理解しようとすれば、その難解さの壁に立ちすくむこともあります。

 

しかし、命の源である天地万物の創造主である神が愛であること、イエスが道であり、真理であり、命であることに信頼を置いていれば、その時には理解できなかった難解な聖句もあとあと「あっ、そういうことだったのか」と目が開かれてきます。

 

「愛」が強調され過ぎると目が開かれないこともあるようです。

「愛」と「(正)義」は一体です。

旧約聖書の厳し過ぎる神に不満を抱く方もいるようです。

不正を見逃がして愛は実現できないでしょう。

 

聖書には、信仰のない人には信じることのできない奇跡や出来事が書かれています。

信仰のある人でも中々理解できないことが聖書に書かれていたり、解決できないことが(例えば、戦争、災害、病い、障害など)、この世の中で度々起こります。

 

この理解できないことや解決できないことが「つまずきの石」となり、神を信じない人には、より一層神に背を向ける結果となり、神を信じていたはずの人は、神から遠ざかっていく結果になることもあるようです。

 

しかし、愛そのものである命の源である天地万物の創造主の神とイエスが道であり、真理であり、命であることに信頼を置くとき、この理解できないことや解決できないことに「必ず意味があるはず」との思いを失うことがなければ、いつの日かわたしたちに答えが与えられるはずです(とわたしは信じています)。

 

いままで理解できなかったこと解決できなかったことも、この「必ず意味があるはず」との思いが叶い、「あっ、こういうことを神様はわたしに伝えたかったんだ」とわかった時の喜びが聖書研究の醍醐味であり、わたしの快楽です。

 

わたしのような人間が言えることではありませんが、どうか許してください。

神は「つまずきの石」につまずかないで、一人でも多くの人間が神の御許に還ってくることを願っているのではないでしょうか。

 

新約聖書ルカによる福音書1:37
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命の創造主である神に不可能はありません。

命を再生(復活)させて永遠の命を与えることがお出来になります。

 

新約聖書ヨハネの手紙第一4:8
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新約聖書ヨハネによる福音書14:6
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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知識

新約聖書・コリント人への手紙第一8:1~3
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 「知らなければならない」知識は、一体なんなのでしょうか?

 

人それぞれ知らなければならない知識は異なっているのかも知れません。

 

ただ、欠かしてはならない知識は、創造主である唯一の神とイエス・キリストの知識だと私は考えています。

 

溢れんばかりの知識があっても、創造主である唯一の神とイエス・キリストの知識が欠けた知識は、何と虚しいものかと私は考えてしまいます。

 

天文学、科学、物理の法則、医学などの様々な知識は、天地万物の観察から得たほんの一部の知識のはずです。

 

天地万物なくしてこれらの知識が生まれるはずはありません。

 

聖書は、その天地万物を創造した唯一の神が存在すると明確に語っています。

 

創造主である唯一の神イエス・キリストの知識を欠いた知識は高ぶりとなる危険があるのでは・・・・と考えています。

 

テレビ番組の中で出て来る「神業」「ゴッドハンド」「神対応」「神の子」という言葉に、私はどうしても違和感を持ってしまいます。

「創造主である唯一の神の知識」がないから言っていると思えるからです。

 

旧約聖書箴言21:4
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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恋におちて

決して一目惚れではありません。

出会う前も、出会った後も疑っていました。

恐る恐る付き合い始めました。

世の中の人たちは、胡散臭いから止めておけと言います。

しかし、その方の本当の姿を知りたくて、少し距離を置きながら付き合いを続けました。

徐々に、わたしの目が開かれていきました。

その方の真の姿がおぼろげながら分かってきました。

ある時、その方の真の姿を確信しました。

その時、わたしは恋におちたのです。

その相手の方は、欠点の多いわたしを死ぬほどに愛してくれています。

実は、わたしがその方を愛するよりも前、はるか昔からわたしのことを愛してくださっていることを知りました。

 

恋におちたその相手とは、万物の創造主である神とイエス・キリストです。

 

イエス・キリストは十字架にかかって死ぬほどに罪人の人間を愛してくださったのです。

 

今も、これから先も永遠に!

 

新約聖書・ローマ人への手紙5:6~8
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みなさんも恋におちた経験があるでしょう。

恋におちたら、日常生活がどんな風になりましたか。

寝ても覚めても、相手のことが頭から離れることはありませんよね。

相手からも愛されているとしたらどうでしょう。

毎日が充実し、エネルギーに満ち溢れ、どんな苦難にも立ち向かう勇気が湧いてきますよね。

 

わたしの「恋におちて」は、盲目的な熱狂さではありません。

理性的にしずかに燃えています。

 

恋におちた相手の神様は決してわたしたちの信頼を裏切ることはありません。

 

それに比べわたしたち人間の歴史はアダムとエバから始まって、偽りの宗教(神)に目移りする裏切りを繰り返してきました。

 

イエス・キリストは次のように語っています。

新約聖書・マタイによる福音書22:36~39

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当然ですが、あえて言わせていただければ、神は人間から愛されることがなくても、痛くも痒くもないのです。

 

わたしたち人間のすべてをご存知の創造主である神を愛することが、被造物の人間にとって一番良いことだから、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、わたしの神である主を愛する」ことを第一義とするべきなのです。

 

聖書は、創造主である神とイエス・キリストが、わたしたち人間に送られたラブレターだと言った方がいますが、まさにその通りだと思います。

 

恋におちた相手からもらった手紙を何度も読み返した経験がみなさんもあることでしょう。

これからもラブレターである聖書を繰り返し読み返したいと思います。

 

いにしえの人デジデリウス・エラスムス(1466年~1536年)は、次のように語ったと言います。

「余は堅く聖書の研究を以て余の一生を終わらんと決せり」


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アメリカの有名な神学校のムーデー聖書学院を設立したドワイト・ライマン・ムーデー(1837年~1899年)が著わした「聖書研究の快楽」の書名の通り、聖書の研究は堅苦しいものではなく、喜びであり快楽なのです。


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hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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堕ちた天使

裕福な家庭で生まれ育ちました。

幼稚園児、小学生の時は神童と呼ばれていました。

有名進学校の中学と高校を卒業し、東大を首席で卒業しました。

オリンピックで金メダルも取得しました。

芸術の分野でも数々の賞を受賞しています。

ブラッド・ピット似のイケメンです。

ビジネスで成功し巨万の富を得ています。

 

もし、この世にこのような人がいるとすれば、この人は「スーパー人類」でしょう。

わたしは神から選ばれている、わたしこそ神の子だと誇り高ぶることがあるかもしれません。

「いやいや、わたしは神の子なんかじゃない。わたしこそ神だ」と言い出しかねません。

 

聖書では、天使の存在を記しています。

悪魔(サタン)も元は天使でした。

しかし、みずからの知恵・能力・美しさに誇り高ぶり、神に反逆する堕天使になったと聖書は記しています。

旧約聖書エゼキエル書28:17

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旧約聖書イザヤ書14:12~13は悪魔(暁の子、明けの明星)が神になろうとしたが、堕天使となった様子を記した聖句です。

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これに対して、キリストの姿は真逆のものです。

新約聖書・ピリピ人への手紙2:6~9
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話を戻します。

スーパー人類に、虐げられた人たちの苦しみ、貧しい人たちの痛み、様々な苦難に遭遇している人たちの心が理解できるでしょうか。

 

ある時、快適な人生を歩んでいたスーパー人類に想定外の苦難が襲います。

洪水によって豪邸が一瞬に失われました。

ビジネスで手にした巨万の富も世界恐慌により一夜にして失いました。

 

一夜にして貧しい人たちと同じ境遇になりました。

 

このスーパー人類と呼ばれたこの人にとって、洪水や世界恐慌はどんな意味を持つのでしょうか。

悲劇でしょうか。

 

もしかしたら、(聖書の)神を求めるキッカケになりはしないでしょうか。

 

神を求めるキッカケになるとすれば、想定外の苦難も単なる悲劇ではなく、深い意味を持ってくるのではないでしょうか。

 

僭越ですが、興味のある方は8月6日のブログ「想定外の苦難」をご覧ください。

 

わたしたち人間も堕天使となった悪魔の性質(罪)を心の奥底に持ってはいないでしょうか。

「誇り高ぶり」は、悪魔の弟子となる要素となります。

「誇り高ぶり」は、神に背を向けることになる要素です。

「誇り高ぶり」を、神は罪とされます。

 

旧約聖書箴言21:4

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聖書が教える「最大の罪」は、神に背を向けることです。

 

聖書に全く興味のない方もキリスト教の「原罪」という言葉をご存じでしょう。

「誇り高ぶり」は、人間の心の奥底に巣食う「原罪」の一端を垣間見ることができるようです。

 

わたしには縁がないと思っている「誇り高ぶり」も何かのキッカケ(ビジネスが成功する、美人だと人から評価されるなど)で顕在化することはないでしょうか。

わたしには、ほんの僅かな「誇り高ぶり」もないという謙虚な方も、その謙虚さを度を越して主張し過ぎると誇り高ぶりにならないとも限りません。

人間とはやっかいな生きものですね。

 

新約聖書・ローマ人への手紙3:9~10に次の聖句があります。

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神の基準からすれば、すべての人間は例外なく罪人なのですね。

 

 

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・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

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栄光は誰のもの?

たくさんの感動をくれた世界陸上が閉幕しました。

注目を集めた男子100メートルでしたが、今大会がラストランになるウサイン・ボルト選手は金メダルを獲得することはできませんでしたね。

金メダルの栄光を手にしたのはジャスティン・ガトリン選手でした。

 

話は変わりますが、AI技術の発展に伴い様々な分野でAIが導入されています。

29連勝を飾った藤井四段で注目を集めた将棋の分野でも、AIが将棋名人を負かし勝利の栄光を手にしています。

「あっ、書き間違えました。」

勝利の栄光を手にしたのはAIではないですよね。

そのAIを造った(創造した)人間の技術者が手にしたのですよね。

 

たまにいます、私は神に選ばれた神の子だと自ら宣言する人、または、あの人は神から選ばれた神の子だと持ち上げる人達やマスコミがいます。

このように言う人やマスコミが聖書の神を信じていることはないでしょう。

聖書の神を信じている人(キリスト者)は、自分を誇り高ぶって神の子などと言うことはまずありません。

 

ところで、神に選ばれた神の子と呼ばれる人は普通一般の人よりその分野で特別抜きん出た能力の持ち主なのですが、その能力はどこからきたのでしょうか。

その本人のたゆまぬ努力によることはもちろんですが・・・・・元を辿れば・・・・・

 

キリスト者は、AIを造ることができた人間の能力や各分野の人間の能力のみなもとが万物の創造者である神からさずかっていることを理解しています。

 

聖書は、「栄光は創造主である神に」と語っています。

新約聖書・コリント人への手紙第一10:31

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上野動物園のパンダが誕生して2カ月ほど経ちます。

生まれた時の驚くほどの小さな命も驚くスピードで成長しています。

誕生から成長の過程をテレビ映像で見るにつけ、生命の神秘を誰もが感じたことでしょう。

 

「栄光は誰のもの」でしょうか?

万物の創造主(神)の御業(栄光)を讃えたいと思います。


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・創造主だけが神

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・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

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悪魔、天使は存在するのか?

映画化もされた「ナルニア国物語」の原作者C・S・ルイスは、キリスト教の伝道者でもあって、たくさんのキリスト教関連の本も書いています。

 

その著作の一つ「悪魔の手紙」の一部を引用します。

「わたしが悪魔たちを信じるか、という疑問なら正当である。わたしは信じる。言いかえれば、わたしは天使を信じ、また天使のいくたりかが、彼らの自由意志の濫用により、神の敵、したがってわれわれの敵、となったことを信じるのである。彼らをわれわれは悪魔たちと呼んでよいであろう。彼らはその本性において善天使と異ならないが、その本性が堕落したのである。悪魔は、悪人が善人の対極である意味において天使の対極なるにすぎない。悪魔たちの指導者ないし独裁者なるサタンは、神のではなくて、(天使長)ミカエルの対立者である。・・・・・<中略>・・・・・悪魔に関して人間は二つの誤謬におちいる可能性がある。その二つは逆方向だが、同じように誤りである。すなわち、そのひとつは悪魔の存在を信じないことであり、他はこれを信じて、過度の、そして不健全な興味を覚えることである。悪魔どもはこの二つを同じくらい喜ぶ。すなわち、唯物主義者(霊的なものを信じない人たち)と魔法使(不健全な興味)とを同じようにもろ手を挙げて歓迎する。」 


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エスを信じている人は、そのイエスのことが記されている聖書を信じているのでしょう。

聖書から離れてイエスを信じることはできない相談です。

 

その聖書には頻繁に悪魔や天使のことが記されています。

 

エスが悪魔及び悪魔の頭であるサタンや天使のことを語っているのですから、イエスを信じた人が悪魔や天使の存在を認めることは当然のことではないでしょうか。

 

エスを信じているが、悪魔や天使の存在は信じられないと言う方がいれば、イエスがウソを言っているということになりはしないでしょうか。

 

このことは、イエスが頻繁に語った「永遠のいのち」についても言えることだし、「聖霊」についても同様です。

 

またまた、新約聖書ヨハネ福音書14:6を引用します。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」

 

「真理」であるイエスがウソをつくはずがありませんよね。

 

悪魔について、天使について、ああでもない、こうでもないと長々しい悪魔論や天使論を書くことも可能でしょう。

実際、そのような書物もちまたに出回っています。

 

真理は常に単純」なのではないでしょうか。

 

私は「イエス」イコール「真理」を信じるだけです。

 

〈追伸〉

私が、その存在を信じている悪魔や天使は聖書で記されているものです。

映画やテレビ、そしてコミックやゲームなどに出てくるような聖書的ではない誤ったイメージのものではありません。

このような誤ったイメージを持たせることも悪魔の常套手段です。

 

お馴染みの黒づくめで尻尾のある悪魔や羽のある天使を信じますか。

あなたと同じようにほとんどの人が信じていないはずです。

悪魔の狙いはそこなのでしょう。

誤ったイメージを与えることで、聖書に示す悪魔や天使はいないと思い込ませるのです。

仮に誤ったイメージのままに信じる人間がいれば、それはそれで悪魔の思うつぼなのです。

 

映画等で造られた誤ったイメージの悪魔が、人間の目の前に現れるわけではありません。

わたしたちの心の隙をついて、わたしたちが認識できないよう巧妙に働きかけてくるのです。

 

 

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・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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創造主につながる

成仏していない霊が私には見えるとか、霊を感じるとか言って、自分自身のことを霊感が強い人間であると主張する方がたまにいたりします。

そう主張されることが本当かどうか私にはわかりませんが、そう主張する方が、死者の霊と意思を通じることもできると言い出すことがあれば、聖書的にはきわめて問題です。

旧約聖書レビ記20:27に次の聖句があります。

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<注> 「霊媒」とは死者の霊と意思を通じて人に伝えることができるとされる人のこと。「口寄せ」も「霊媒」と同じこと。

 

カルトの教祖、霊能者、占い師などにこの手の人がいるようです。

 

私には、その方が言われるような霊感がある人間ではないということはハッキリ言えます。

ただ、イエス・キリストを信じたときから、聖書の中で頻繁に出て来る「聖霊」が、私に内住してくださっていることは表明できます。

 

新約聖書・コリント人への手紙第一6:19

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聖書の神を知らない小学生の頃、近所の大人が、「日本人なら、西洋の神など信じないで、日本の神を信じればいいのに」と言って、近くに住むクリスチャンの陰口をするのを耳にしていました。

その時「神に国境はないはずなのに、可笑しなことを言うなあ」と幼いながら思っていました。

私は、幼い頃から日本的な宗教の儀式にまったく関心がなかったので葬式や法事の際に数珠を手にして祈るときの数珠の正式な持ち方や神社において柏手を打つときの回数や礼をする回数も未だに知りません。

キリスト者となった今はもちろん知る必要のないことですが(笑)。

 

要するに、俗に言う宗教心がなく、このような宗教的儀式にどうしても意味を見出すことができず、大人になっても知ろうともしなかったということのようです。

別の言い方をすれば、その行為(儀式)に真理を感じなかったということです。

また、幼い頃から大人になっても大安、仏滅の六曜というものには関心はないし、干支にも関心はありません。

だから、星占いなどの様々な占いに興味を持つこともありません。

なお、「占い」は聖書的には好ましくありません。

 

旧約聖書申命記18:14

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意識したことはないのですが、このようなことに「真理」を感じなかったということでしょう。

 

改めて言うまでもなく、今の私は、イエス・キリストを信じるキリスト者(クリスチャン)です。

 

ところが、聖書のことや神のことをブログで書いてきて可笑しなことを言うようですが、そもそも、私には宗教心があるとは思っていません。

 

私にあるのは、私がこの世に存在するのは天地万物を創造した創造主がいるという事実を確信していることです。

 

創造主がなさったこと、創造主が語ったことが文字通り「真理」の何物でもないと確信しています。

 

その「創造主」を語っている宗教が、たまたま、キリスト教であるという気がしています。

 

私以外の人たちに私の言葉を語らせていただくときに、創造主のことを「神」と表現していますが、わたしの中では、「創造主」イコール「真理」なのです。

 

わたしの中では、キリスト教を信じているという意識があまりありません。

 

少しカッコつけて言えば、私の聖書研究は「真理」の研究なのです。

そして、この真理研究の過程が結果として、キリスト教という宗教を信仰しているということなのです。

 

「創造主」イコール「真理」を信じています。

十字架上で死なれたイエス・キリストを信じています。

このことが、わたしが無教会者であるひとつの理由なのかもしれません。

 

当ブログで何度も書いてきた「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と語られたイエス・キリストを信じています。

 

新約聖書ヨハネによる福音書14:6

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あなたの愛車ベンツが故障しました。

トヨタの修理工場やホンダの修理工場に修理依頼することはないでしょう。

ベンツの構造を一番知っているメーカー(創造者)メルセデスベンツの修理工場に依頼するのは当たり前のことです。

 

被造物の人間のことを一番知っておられるのは創造主(神)です。

創造主(神)は、わたしたち一人一人の髪の毛の数もご存知です。

 

新約聖書・マタイによる福音書10:30
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 創造主・真理・キリスト・聖霊に、より一層つながって頼りたいものです。

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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