星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

メシア預言(その④)

本日はメシア預言の中でも特に有名なイザヤ書53章を見ていきたいと思います。

何故有名なのか、それは、イザヤ書53章がメシア(キリスト)の生涯を明確に預言している箇所だからなのです。

まず、1節から3節をご覧ください。

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1節冒頭の「私たち」とは、預言者イザヤと彼と通して神のメッセージを聞いた人々を指します(新改訳聖書・注解書より)。

この1節を新約聖書ヨハネ福音書12:37~38では次のように引用しています。

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私たちのイメージするイエス・キリストの姿はどういうものでしょうか。

今風に言うとイケメンだったのでしょうか。

2節では「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」と記されているようにイケメンではなかったようです。

メシアニック・ジュー(キリスト者)のアーノルド・フルクテンバウムは次のように書いています。

「初臨時のイエスには、人の目を引く要素は何もなかった。出自もごくふつうで、いやむしろかなり貧しい家に生まれた。それだけでなく、容姿の面でもイエスには人を引きつけるようなものはなかった。この点で、一般に描かれるようなイエス肖像画は事実に反している。イエスユダヤ人で、ユダヤ人のひげをたくわえ、目は黒く、背もそれほど高くなかっただろう。この節によると、特にハンサムというわけでもなかったことがわかる。」

 

メシア(キリスト)はイケメンではなかったというだけでなく、人々からのけ者にされ、人が顔をそむけるほどさげすまれたのです(3節)。

エスは公生涯の終わりに人々から「十字架につけろ」と叫ばれ、ムチ打たれ、つばきをかけられもしました。

新約聖書のマルコの福音書15:14~20をご覧ください。

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聖書を学ぶ前までの私は、イエス・キリストを無視した生活をし、イエス・キリストを信じて天国と永遠の命を信じているクリスチャンを半ば馬鹿にしたような見方をしていましたが、今では痛切に恥じています。

何故なら、3節末尾の「私たちも彼を尊ばなかった。」とあるように、イエス・キリストを尊ばなかった「私たち」の中の一人こそ私自身であったからです。

 

続いて、イザヤ書53章の4節から6節をご覧ください。

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4節及び6節について、アーノルド・フルクテンバウムの説明を引用します。

「4節で強調しているのは、しもべ(メシア)は自分自身ではなく、他の人のために苦しみを受けたという点である。ただ、当時イスラエルはこのことを理解せず、しもべの苦しみは神から下った罰(4節後半の「神に打たれ、苦しめられた」)だと考えた。しもべは自分自身の罪のために苦しみを受けたのであって、他人の罪のためではないと考えたのである。5節でイスラエルは、しもべが『私たち(イスラエル)のそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた』こと、しもべの死が身代わりの死で『彼の打ち傷によって、私たちはいやされた』ことを認める。」

 

しかし、神は何故、しもべ(メシア)を「打たれ、苦しめる」ことが人間を罪から救われる方法としたのか、という最大の疑問が生ずるのです。

人間の浅はかな知恵からすれば、王の中の王であるメシアであり、かつ、神のひとり子であるにもかかわらず、そのメシアを神が打たれること、つまり、人間の罪の贖いのために十字架につけられることなど考えも及ばないことです。

これこそ、神の奥深い知恵であり、神の人間にたいする愛の証しであることを人間は学ばなければならないのではないでしょうか。

ヨハネ福音書3:16~17をご覧ください。

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聖書を神話や作り話と考える人たちは聖書のどの箇所を読み、そして、どう理解して神話や作り話と考えたのでしょうか。

このことに関して私にも身に覚えがあります。

それは、数十年前にほんの少し聖書に興味を持った時期があり、部厚い聖書の最初の書である創世記の数行の天地万物がわずか6日間で創造されたと書かれている箇所を読み、それから新約聖書の最初の書のマタイの福音書の数行のイエスが処女マリアから生まれたとする箇所だけを読んで、聖書を神話であり作り話であると早合点して、その他の聖書箇所を読むことを全くしなかったのです。

 

しかし、聖書を真剣に学ぶようになり、このイザヤ書53章などを読んでみると、人間の罪の贖いのためにメシアが「打たれ、苦しめられる」などという知恵を、人間が神話や作り話として発想できるものでは決してなく、この驚くべき知恵は、創造主(神)の知恵だからこそと確信できるようになったのです。

 

一人でも多くの人たちが、聖書の一部だけを読むことで満足して神話や作り話だと早合点することなく、聖書全体を一日でも早く読み、そして、研究することによって、創造主(神)でありメシアである主イエス・キリストの愛と真理を掴み取っていただくことを心より願います。

 

本日はここまでです。次回はイザヤ書53章の7節以降を検討したいと思います。

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

 次回は6月24日(日)にアップします。

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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メシア預言(その③)

下の画像は木彫教室で取り組んでいる課題の「木立のスパイス立て」ですが、6割程彫り進んでいます。

教室に通い出した当初は彫刻刀を握る手もぎこちなさがありましたが、最近は少しずつですが手に馴染んできた感じです。

彫刻刀で木を削る感触は何とも心地良いもので、集中して取り組んでいると時が経つのも忘れる程です。

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教室の課題とは別に手掛けているものがありますが、それは、下の画像のイラスト的なキリンを彫刻刀で荒削りしたものです。

リアルなものはまだ彫れませんが、リアル・アニマルだけでなく時間的に速く造れるイラスト的なアニマルも沢山手掛けたいと考えています。

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この荒削りしたキリンをルーター(下の画像)で形を整えた後塗り仕上げをするつもりです。

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さて、本日のテーマに入ります。

次の聖書箇所をご覧ください。

この箇所もメシア預言を記しているものです。

創世記49:10(新改訳聖書)

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この箇所を新共同訳聖書では次のように訳しています。

「王笏はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」

何故、この聖句がメシア預言を示していると言えるのか。

前回登場してもらったメシアニック・ジュー(キリスト者)のアーノルド・フルクテンバウムの説明が理解し易いと思われるので、その一文を引用します。

「創世記49章には、ヤコブが十二人の息子について語った預言が記録されている。10節はユダに対する預言である。そこで、ユダは他の部族を治める部族というアイデンティティ統治権を失うことはないが、それはあるお方が来るまでのことだ、と語られている。言い回しは翻訳によってさまざまだが、たいていどの訳も「シロ」という言葉をあたかもメシアの固有名詞であるかのように訳している。実は、それがこの文の本当の意味をわかりにくくしている原因である。「シロ」は、本来「所有代名詞」として訳すべき言葉である。この節(新共同訳聖書)を直訳すると次のようになる。『王笏はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない。しかし、それは権威を身に帯びた者がくるまでのことである。諸国の民はその方に従う。』ユダの王笏(王権)、統治の杖(統治権)は失われない、ただし、それは王権・統治権を本来持つはずの方が来るまでのことである。」

このように創世記49:10は、メシアがユダ族から現れると解釈できるのです。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

歴代誌第一17:1~2

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歴代誌第一17:10~15

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マタイの福音書1:1

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上記の聖書箇所は、預言者ナタンが主である神(この聖句では「わたし」と記されている)から授けられた御言葉をダビデ王に告げたものですが、メシアがユダ族の中でもダビデの子孫から現れることがわかります。

そして、聖書を学ぶと上記の聖書箇所のように新約聖書旧約聖書と完全にリンクしていることもよく理解できると思います。

 

話は変わりますが、これから、聖書を学びはじめようとお考えの方の中で部厚い聖書のどこから読み始めたらよいのか迷っている方のために、老婆心ながら私からアドバイスしたいと思います。

聖書の最初のページから順番に読み進めるのも良いのですが、途中で挫折する方もいるようです。

聖書の本筋をなるべく早く理解したい方は、新約聖書では「マタイの福音書」「ヨハネ福音書」の2箇所をまず読み、続いて旧約聖書を読むことをお勧めします。

何故かと言うとイエス・キリストの福音が記されている新約聖書を読んでいると必ず旧約聖書で登場する代表的人物の知識が必要となるからです。

したがって、ノア、アブラハムヤコブ、ユダ族を含む十二部族、モーセダビデ、ソロモンなどが登場する旧約聖書のうち、「創世記」「出エジプト記」「ルツ記」「サムエル記」「列王記」をまず読むことをお勧めしたいと思います。

その後、皆さんの聖書研究の進捗に応じて他の箇所を読み進めてはどうでしょうか。

宜しければ参考にしてください。

 

本日はここまでです。次回(その④)に続く。

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は6月21日(木)にアップします。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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メシア預言(その②)

昨日は調べものがあって福岡市総合図書館に行きましたが、すぐ側が海なので図書館に来たときはだいたい海沿いを散歩します。

この日は温度も湿度も思っていたよりも高くなくて爽やかな気分で過ごす事が出来ました。

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図書館を出てからDIYショップに行って木彫用の木材を購入したのですが、店内を見て回っていると、先日アマゾンで購入したルーター(研磨、切削器具)の交換パーツがあるのを発見して嬉しくなりました。

そして、このDIYショップでは無料の工作室もあり、ジグソーという電動器具を無料で使用できるという至れり尽くせりのサービス振りで、今後この工作室を使う機会も増えるのではと思っています。

 

さて、本日のテーマに入ります。

聖書を学ぶようになってからしばらくの間、ほとんどのユダヤ人はナザレのイエスをメシア(キリスト)と認めていないユダヤ教徒だと思っていました。

ユダヤ教徒にとってナザレのイエスは架空の人物ではないけれど、あくまでも人間であり、それも魔術を使う者に過ぎず、(旧約)聖書のメシア預言は成就していない、つまり、メシアは未だ現れていないという認識なのです。

ですから、今更言うまでもなく、ユダヤ教徒にとっての聖書とは旧約聖書だけを指し、イエスをメシア(キリスト)と教える新約聖書は聖書でも何でもないのです。したがって、ユダヤ教徒新約聖書を読むことなどは普通はありえません。

しかし、今まで新約聖書を読むことをしなかったユダヤ人の中でも旧約聖書の中に記されているメシア預言が新約聖書のイエスの生涯をしっかりと学ぶことによってナザレのイエスこそがメシア(キリスト)だと認めるようになったメシアニック・ジュー(キリスト者)も少なからず居て、現在ではユダヤ教からキリスト教に改宗するユダヤ人も増えているのです。そして、今後増々メシアニック・ジューは確実に増えていくことでしょう。

 

さて、次の聖書箇所をご覧ください。

創世記3:15

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この聖句は聖書の中の最初のメシア預言が記されている箇所です。

 

過去ブログでも書きましたが、禁断の木の実を食べたエバに対して創造主(神)がエバの子孫からメシアが生まれ、メシアが蛇(サタン)の頭を踏み砕き、蛇(サタン)がメシアのかかとにかみつく(メシアが十字架に処せられる)と語られたのです。

 

続いて、創世記4:1をご覧ください。

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この聖句は実に興味深いものです。

エバは自分の子孫からメシアが出るという創造主(神)のことばがすぐに成就したと思い「私は、主によってひとりの男子を得た」と言ったのです。

つまり、エバは最初の男子カインをメシアだと勘違いしたのです。

 

ここで、メシアニック・ジューのアーノルド・フルクテンバウムの著書から引用します。

「創世記4:1のヘブル語原典を直訳すると、以下のようになる。『人はその妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、言った。「私はひとりの男子、ヤハウェを得た」』、ここでエバが何を言っているのか、理解している聖書翻訳者はほとんどいないようである。そのため、既存の訳では、上記の直訳のようには訳されていない。エバは、創世記3:15のみことばから、神であり人である神人が蛇を打ち負かすとはっきり理解していた。そして、どうやらカインがその方(ヤハウェ)だと思ったようである。エバの神学は基本的に正しい。メシアは人であると同時に神である。エバが間違っていたのは、その適用である。エバは、初子のカインが約束されていた神人だと思い込んだ。エバがその間違いにすぐに気づいたことは、弟アベルの誕生記事を読めばわかる。エバがつけたアベルという名の意味は「空しさ」である。」

<注> アーノルド・フルクテンバウムは神の御名を「ヤハウェ」と書いていますが、本年4月12日及び4月15日の当ブログ「聖霊と三位一体(その⑨)及び(その⑩)」でも書いたように私は神の御名はあくまでも「わたしはある」(出エジプト3:14)というお方であり、人間が使うような名前は神にはないと解釈しています。当ブログ「聖霊と三位一体(その⑨)及び(その⑩)」を未読の方は、こちらもご覧ください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

上記のアーノルド・フルクテンバウムの説明を皆さんどう思われますか。

街の一般書店で売られているキリスト教の入門書や関係書籍では触れられることのないものですね。

つくづく、聖書研究は面白いものだと感じます。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

創世記22:18

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ガラテヤ人への手紙3:16

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ガラテヤ人への手紙の著者パウロが言っているように、創世記22:18の「あなたの子孫によって・・・」の「子孫」は単数名詞であり、「子孫たち」という多数のイスラエル民族を指しているのではなく、創造主(神)が御使いを通してアブラハムに語ったメシア預言なのです。

 

本日はここまでです。次回(その③)に続く。

 

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は6月19日(火)にアップします。

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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メシア預言(その①)

木彫をコツコツやっていますが、木彫教室の課題とは別のものを作りたくて、低価格の電動糸ノコを購入しました。

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電動糸ノコを使うのは初めてなので、まずは練習として単純な形状のリンゴを作ることにしました。

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それからルーター(下の画像)という器具も購入し使ってみたのですが、低価格の割に優れもので木彫の際に細かな作業が出来るので今後電動糸ノコと一緒に駆使して複雑な作品にチャレンジしようと考えています。

タバコを吸わない、酒も飲まないのでスナックや居酒屋にも行くことがないので、これらの器具購入の出費ぐらいは許されるだろう、と自分に納得させています(笑)。

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下の画像はアメリカ人の作品ですが、これが私の目指しているリアル・アニマル木彫です。

何年先になるか分かりませんが必ずやり遂げたいと思っています。

右の画像のような色々な種類のアニマル・ペンダントを作りたいですね。

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さて、本日のテーマに入る前に前回取り上げたテーマに付け加えたいことがあります。

前回、「人は、神(御使い)よりいくらか劣るものとして創造された」という詩篇8:5を引用して、古代人の知能指数は現代人より低いわけではなく、逆に現代人よりも極めて高い能力を持っていたはずだと書きました。

ただ、人間の全てが同一均質の高い能力ではなく、創造主(神)から授けられた能力、つまり、賜物は人それぞれ異なるものが授けられているのです。

 

創造主(神)の御言葉が記されている聖書を書いた記者も創造主(神)から授けられた高い能力と聖霊の導きによって聖書を書くことが出来たのであって、その書かれている内容を読めばわかる通り、現代人よりも高い知的水準にあったことが理解できます。

 

聖書を一度も読んだことのない人たちは、遠い昔に書かれた聖書などは古臭く幼稚な神話が書かれている程度の代物と頭の片隅で思い込んでいるきらいがないでしょうか。

私自身も聖書を学ぶ前までは少なからずそんな印象を勝手に抱いていたようです。

聖書を書いた記者の知的水準は現代人よりも高いのです。

一人でも多くの人たちが一日でも早く知的水準の高い聖書を学ばれることを心より願います。アーメン。

知的水準が高いと言っても決して難しいことが書かれているという意味ではなく、「真理」という宝石が散りばめられた書という意味で知的水準が高いのです。

 

さて、本日のテーマに入ります。

「救い主」のことをヘブル語では「メシア」、ギリシア語では「クリストス、日本語カタカナ表記でキリスト」、英語では「クライスト」です。

人間がアダムから引き継いだ罪から解放されて永遠のいのちに至る、つまり、救われるためには、「救い主」の御力が必要です。

人間を救う御力は、人間を創造した「創造主(神)」しかお持ちになっていないはずですから、「救い主」メシアは創造主(神)だということになります(救い主が神であることは過去の当ブログで書いてきているので詳細は省略)。

 

旧約聖書には将来メシアが現われるとする預言が50箇所以上記されていると言われています。

そして、このメシア預言はメシアが将来二度に渡って現れると記されてもいるのです。

最初の現われが「初臨」に関する預言であり、後の現われが「再臨」に関する預言なのです。

当ブログでは主に「初臨」に関する預言について検討したいと思います。

 

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

数あるメシア預言の中の代表的なものです。

イザヤ書7:13~14

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この聖句をマタイの福音書1:23で引用しています。

 

マタイの福音書1:21~23

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イザヤ書9:6

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上記の聖句が記されているイザヤ書について少し触れたいと思いますが、いのちのことば社新改訳聖書の注解書にイザヤ書について簡潔に書かれているので、これを引用することでイザヤ書の説明とさせていただきます。

「この書は、預言者イザヤに啓示された託宣が記されているので、『イザヤ書』と呼ばれる。本書は、聖書中他に類例を見ないほど、その内容と表現力に優れ、最も偉大な書、崇高な書と評価されている。本書は旧約聖書中、最も多く新約聖書に引用され、そのメッセージはきわめて福音的である。さらに、キリストの生涯が預言されているところから、『第五福音書』とも呼ばれる。・・・中略・・・イザヤの父はアモツである。伝承によれば、イザヤはユダの王アマツヤの兄弟であり、したがってウジヤ王のいとこと言われている。その真偽のほどは不明であるが、彼が預言者として、直接王たちに忠告を与える立場にあったことは確かである。彼はウジヤ王の死んだ年(前742年ごろ)に召命を受け(イザヤ6:1)ヨタム王、アハズ王、ヒゼキヤ王(イザヤ1:1)、さらにマナセ王の時代まで、約50年もの年月を預言者として活動した。」

 

預言者イザヤは、イエス・キリストが処女マリアから生まれる約700年以上も前にメシア預言していたことになります。

仮にこれを日本の現在の2018年から700年前に遡るとすると、おおよそ鎌倉時代に相当する時代に、ある特定の重要人物の誕生を預言していたということになるのです。

本日はここまでです。次回に続く。

 

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は6月17日(日)にアップします。

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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古代人の知能指数は現代人より低い?

進化論の影響を知らず知らずのうちに受け、現代人は古代人が自分たちより知能が少なからず劣っていたはずだと考えていないでしょうか。

ですから、高度な技術を要したエジプトのピラミッドやスフィンクスマチュピチュの空中都市などを古代人が作ることが出来たことがなかなか理解できないのです。

 

私自身も古代人が現代人よりも知能が劣っていたという考えに影響されていたのでしょうか、ノアがタンカー並みの構造を持つゴフェルという木で三階建ての箱舟を造り(創世記6:14~16)、そこに多数の動物を収容しても水漏れもせず壊れて沈むこともない堅牢な構造の舟が造れたことがもう一つ信じられずにいた頃がありました。

 

ここで皆さん想像してみてください。

大工や職人でもないサラリーマンが、ある日2階建ての本格的な木造住宅を建てることを思い立ちました。建築業者に依頼するのではなく、全て自分自身の手でやるつもりでいます。意気込みだけでは事は成就しません。山の木を切倒し製材をすることからしなければならないとしたらどうですか。

自分の手で建築することを諦めるはずですね。 

多くの船を目にしている現代人が、仮に大型の旅客船の設計図や建造するための様々な機械工具を手渡されも、旅客船はおろか一人乗りの小船すら造った経験もなかったとしたら大型の旅客船を建造することなど不可能でしょう。

 

ノアは一度も水に浮かぶ箱舟を見たこともないのに、何故、水漏れもしない頑丈なタンカー並みの箱舟を建造することが出来たのでしょうか。

 

ここで、次の聖書箇所をご覧ください。

創世記1:26~28

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詩篇8:4~8

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ヘブル人への手紙2:6~9

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上記のヘブル人への手紙2:6~7は上記の詩篇8:4~8の引用ですが、このヘブル人への手紙の記者も言っているように詩篇8:5の「神」とは「御使い(天使)」を指すことがわかります。

そして、ヘブル人への手紙の記者は詩篇8の「人」をイエスを指すものとして適用しています。

そこで、聖書を研究する学者や牧師などの中には、詩篇8の「人」は人間全体を指すものではなくイエスを指すものであって、この詩篇8の聖句をメシア預言の中でもメシア(キリスト)の「初臨」(受肉したキリストの誕生)の預言と解釈する人たちもいます。

ちなみに、新改訳聖書の注解書(いのちのことば社)では、ヘブル人への手紙2:7の「しばらくの間」に関して次のように解説し、詩篇8の「人」を人間と解釈しています。

「『しばらくの間』とは、時間的、あるいは程度において少し、という意。ここでは、人間は創造の秩序において御使いより少し低い者とされたという本来の意味が、キリストが受肉して人間の形をとってしばらくの間だけ、人間と同様に御使いよりも低いものとされたという意味に解される。」

私はこの新改訳聖書の注解書の説を支持します。

 

人間が創造された当時の人間の能力(知恵)は現代人と比較すると「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力を持っていたのです。

 

ここから先は「番外編」として私の個人的考えを述べたいと思います。

ですから、読者の皆さんは軽く読み流していただいても結構です。

 

私は、アダムが創造主(神)に背いたことにより創造された当時の「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力は、後の世代になればなるほど徐々に減退したと考えるのです。

 

現代人はスマートフォンやAIロボットを製造する能力があって古代人よりも知的能力が一見高そうですが、この能力は過去の多くの人たちの知識や経験の積み重ねの上に成り立っている能力です。

 

しかし、大洪水を乗り切った箱舟を造ったノアの能力は過去の知識や経験の積み重ねによるのではなく、まさに「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力がアダムより引き継いだ後まだほとんど減退しない状態の能力があったと考えられます。

 

私たち現代人がエジプトのピラミッド建造の技術の高さに驚きを覚えるように、もしノアの箱舟の現物を見ることが出来たなら、ノアの箱舟がただの木造船ではなく、その構造の精密さや堅牢さにピラミット同様に驚きを覚えたはずでしょう。

 

エジプトのピラミッドやスフィンクスの設計や建造技術を開発した人間も「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力がまだまだ十分に残っていた状態の人間だったはずです。

今風に言えば大天才がピラミッドやスフィンクスの建造を主導したのです。

ピラミッドがどのような技術で建造されたのか多くの学者によって研究されていますが、いまだに、これだとする証明はされていないようです。

ピラミッドの建造を主導した「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力を持った人間が考案した技術をもし見ることができるとしたら、アッと驚くような予想外の方法であるが、目からウロコの極めて合理的で単純な方法であったのかも知れない、と私は勝手に想像しています(ニヤリ)。

 

ピラミッド建造の技術力の高さは人間業では理解できないとして、宇宙人建造説を主張する人もいますが、ナンセンスです。

もし、宇宙人が地球に来たとするなら、宇宙人が乗って来た宇宙船は何らかの金属のはずです。ですから、ピラミッドを建造する際に何らかの金属を地球の資源より精製して構造体の全体ないし一部で使われていてもいいはずなのに、すべてが「石」ということは宇宙人関与説に何ら根拠がないことを物語っているのです。

過去ブログでも書きましたが、そもそも宇宙人など存在していないのです。

 

古代の遺跡が発掘されると、その遺跡そのものや発掘品の技術力の高さに驚かされるのですが、それは、人間が「御使いよりいくらか劣る」程度の極めて高い能力を持っていたことを証明するものではないでしょうか。

 

本日の表題(テーマ)「古代人の知能指数は現代人より低い?」に対する私の下した結論は、「古代人は現代人より知能指数は高い」です。

皆さんはどのように考えますか?

最後まで私の個人的な考えに付き合っていただき、ありがとうございます。

 

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は6月14日(木)にアップします。

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https://bible-seisho.jimdo.com/


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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スマホの本来の所有権者は誰か?

風邪をひいてしまい熱もあって味覚が鈍くなり食べ物の味があまり感じられず2週間ほど気分がすぐれない日々が続いていましたが、一昨日から風邪も治り味覚も回復して本来の食事を楽しむことができるようになりました。

もし、味覚が人間(や動物)に備わっていなくて食事が生きるためだけのエネルギー補給だとすれば、人間の一生は何と味気ないものとなることでしょう。

食事を美味しくいただくことが出来る味覚を授けてくださった創造主(神)に本当に感謝です。

 

さて、次のことを想像してください。

Aオーナーが経営する人気のパン屋さんがあります。

朝早くから三人の職人BCDが色々な種類のパンを作っています。

出来上がったパンの所有権を持つ者は誰でしょうか。

製造した職人BCDですか、それともAオーナーですか。

もちろん、Aオーナーがパンの所有権者ですね。

 

ペットを可愛がる人の中にはペットの犬に衣服を着せる人もいるようですが、ペットの犬が身に着けている衣服や首輪の所有権を持つのは、仮に犬に意志があって犬自身が身に着けている衣服に所有権があると思っていても、飼い主に所有権があることは言うまでもないことです。

 

バカなことを書いているようですが、もう少し辛抱して最後までお読みください。

 

ある自動車メーカーではクルマの製造するためのロボットをまず製造しました。そして、全ての製造工程でロボットがクルマの製造を担当しました。

完成したクルマの所有権者は誰でしょうか。

製造したロボットですか、それとも自動車メーカーですか。

もちろん、ロボットの創造者である自動車メーカーが完成したクルマの所有権者であり、被造物のロボットではないですね。

 

分かり切ったことを長々と書いて来ましたが、上記のことを念頭に置けば、天地万物が創造主(神)によって創造されたことを信じている者は、次のことが容易に理解できるのではないでしょうか。

私たちが所有していると思っているマイカーの本当の所有権者は誰でしょうか。

私たちが所有していると思っているスマートフォンの本当の所有権者は誰でしょうか。

私たちが所有していると思っている衣服の本当の所有権者は誰でしょうか。

 

被造物の人間は確かにクルマ、スマートフォン、衣服を製造し又はそれらの商品を購入してはいるものの人間社会が作った法律の所有権の帰属に関係なく、これらの本来の所有権者は創造主(神)であるのです。と私自身は考えています。

 

今、私はこのブログを書きながら部屋の中を見回していますが、すべての物が創造主(神)のものであり、この地上に私が生きている間に創造主(神)から借りているのであり、あるいは管理を任されているに過ぎないのだと認識しています。

 

次の五つの聖書箇所をご覧ください。

テモテへの手紙第一6:7~10

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伝道者の書5:15

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詩篇49:17

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コリント人への手紙第一8:6

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コロサイ人への手紙1:15~17

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万物は創造主(御子イエス・キリストによって造られ、そして、維持されています。

 

私たち人間は、この世に何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬことになるのです。

人間がこの世に生きている間に人間が造った全ての物も、創造主(神)から授けられた能力(賜物)があるからこそ造ることが出来たのです。

創造主(神)が直接造った万物の所有権はもちろん、被造物の人間が造ったあらゆる物の所有権は創造主(神)にあるのです。

これらのことを認識すれば、すべてのことに対して創造主(神)に感謝する心が自然に芽生え、創造主(神)の栄光を崇め讃えたくなる気持ちも自然に湧いてくるのです(という現在の私の心境)。

皆さんはどのようにお考えになりますか。

 

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は6月12日(火)にアップします。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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人間の考えと創造主(神)の御心

イエス・キリストを信じていないA・B・Cの三人は、それぞれ心の中で「神が愛なら、こんなこと(戦争、災害、病、障害など)を許すはずがない。」と思っています。

しかし、A・B・Cの考える「愛」の定義にはかなりの違いがあるようです。

 

創造主(神)は、この三人の機嫌を窺うために創造主(神)が定めておられる「愛」を曲げて、この三人それぞれが主張する愛の希望に沿うように行動しなければならないのでしょうか。

この三人の一時的な非難を避けるために創造主(神)が天地万物の創造の初めからご計画されている人類救済計画を放棄しなければならないのでしょうか。

 

「愛」が何であるかは創造主(神)が定められるのであって、被造物の人間が定めるべきものではありません。

 

イエス・キリストを信じる者が救われる人類救済計画は必ず実現します。

 

ここで、内村鑑三の言葉を引用します。

我(人間)が思うところはつねに神の見るところと異なる。

 

「人間は幸福になるために生まれてきた。だから、あなたも幸福になる権利がある。」という言葉を耳にすることがあります。

誰もこの言葉に反論しない?でしょう?

 

しかし私は聖書を学ぶ前からこの言葉に素直に頷くことは出来ないでいました。

何故、この言葉に疑問を持っていたのか、具体的な答えをもっていたわけではありませんでしたが、違和感だけはいつも持っていたのです。

 

この疑問と違和感が聖書を学ぶようになって初めてわかりました。

聖書のどこにも「人間は幸福になるために生まれてきた。」などとは書いていないのです。

真理の書である聖書に書いていないということはどういうことでしょうか。

つまり、人間にとって最重要ではないということなのかもしれません。

 

聖書に書いていること、つまり、創造主(神)の望まれることは「聖」であるキリストのようになることであり(レビ記14:44~45)、マルコの福音書に書かれているキリストの次の言葉です。

マルコの福音書12:28~31

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敢えて言えば、創造主(神)の御心に従うことが、結局、人間にとっての「幸福」なのではないでしょうか。

もちろん、人間が幸福になることを願うのはごく自然な感情であり何ら問題ないのですが、創造主(神)に背を向けた(主イエス・キリストを信じない)状態で幸福を人生の目的とすることに問題があるのです。

人間は「幸福」になることを目指すのではなく、「キリスト」のようになることを目指すべきなのです(このことが全くできていない私です。自戒を込めて)。

 

キリストが語った次の聖書箇所をご覧ください。

ヨハネ福音書12:25

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この聖句に関して、内村鑑三は次のように言っています。

幸福は人生最大の獲物ではない。義務は幸福にまさりてさらに貴くある。義務のゆえにわれらはたびたび幸福をすてざるを得ない。しかして義務のためにわれらのこうむる損失は損失ではないのである。・・・中略・・・人生は犠牲である。犠牲なくして人生は無意味である。幸福は人生の目的ではない。犠牲こそ人生の華(はな)なれである。

 

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は6月10日(日)にアップします。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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