星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

矢内原忠雄と内村鑑三

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矢内原忠雄(1893年~1961年)は、旧制第一高等学校在学中に無教会主義の内村鑑三が主催していた聖書研究会に入門し、聖書の真理を探究したキリスト者です。

 

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1951年から1957年までの2期6年間、東京大学の総長を務めました。

 

総長在職中の1952年に、学生劇団「ポポロ」公演にて摘発された私服警官のメモから警察による系統的な学内スパイ活動が露見し、東大側と警察が前面対決しましたが(東大ポポロ事件)、矢内原は総長として大学の自治と学問の自由を守るために毅然とした態度を取ったのです。

東大ポポロ事件は、日本において大学の自治に関する最高裁判所判例をもたらした事件であり、日本国憲法第23条に保障する学問の自由及びそこに含まれる大学の自治が問題となった事件として、法学部の学生や司法試験、司法書士試験、行政書士試験などの法律系の資格試験に挑む人たちが憲法を学ぶ際にテキストで必ず目にすることになる事件です。

 

矢内原忠雄は学者として数多くの書物を著わし、そして、聖書研究者としても数多くの聖書及びキリスト教関係の書物を著わしています。

 

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数ある書物の中の一つ「内村鑑三とともに」の冒頭の「序にかえて・内村鑑三先生と私」を以下引用します。

「私は先輩や友人の多くと異なり、内村先生の内弟子であったことはない。すなわち、先生の雑誌の編集・校正・執筆等で先生をお援けしたことは一度もなく、講壇の『前座』をつとめたこともなく、先生から協力を命じられたことはない。私の処女作である『基督者の信仰』を聖書之研究社から出版してくださったのは異例の御好意であるが、それさえ内弟子的な関係とは異なる。私は一度も先生の家庭で食事を頂いたことはなく、先生の家の名物と言われた萩の餅を味わったこともない。私は意識的に先生から距離を置いて仰いでいた。それは私の性質にもよるが、また先生の仕事を煩わさないようにという遠慮から出たことでもあった。

こういうわけであるから、私は肉によって先生を知ることははなはだ少く、ただ畏れをもって先生から聖書の真理を学んだに過ぎない。そしてそのことは私にとって非常に益であった。私は先生の人柄につまずいたことは一度もなく、先生に対して批評的になったこともない。私は先生から聖書の真理と、それによって世に処する信仰的生活態度を学んだのであって、先生を学んだのではなく、先生の知識を蓄えたのでもない。

世には私をも先生の『高弟』の中に数える人がある。先生は先生の十二使徒を選ぶようなことはしなかったが、仮にそのようなことがあったとしても、私はその圏外にいた者である。実際において、先生は何人をも自己の高弟とせず、またどの弟子も先生の高弟をもって任じた者はいない。高弟意識のごときは先生とその無教会主義からは最も遠いものである。

一方ではまた、私のごときは内村鑑三の正統をつぐ弟子でない、と批評する人があるとのことである。正統の弟子とはどういう者を指すか知らないが、そういう思想自体が内村鑑三とその無教会主義にとっては異質的であろう。内村鑑三はその後継者をのこさず、その正統をつぐ者をあらかじめ定めておかなかった。われわれは内村鑑三の相続人ではなく、彼から教義も財産も弟子も何ものも継承しない。われわれは彼から教えられた聖書を、われわれ自身の霊性と知性によって学び、これをわれわれ自身の言葉によって人に伝える。われわれは彼から学んだものがあるとすれば、この何ものにもとらわれず、内村鑑三によってさえとらわれないところの、聖霊による自由な信仰的態度であると言えよう。

今や日本において内村ブームの兆候がある。無教会側だけでなく、教会側においても彼をかつぎ、あるいは全集を出版し、あるいは記念碑を建てる。内村の名義とその肖像写真と、欲しければみんな呉れてやる。われわれは内村の信じたイエスの福音をわれわれ自身の信仰として信じ、内村の戦った福音のための戦いを、われわれ自身の戦いとして戦うのみである。

・・・・・

本日はここまでです。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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分かりにくい3人のヘロデ王

 

新約聖書の中には「ヘロデ」という名の王が3名でてきて、話の前後関係を分かりにくくしています。

 

実は、ヘロデという名の王が、親・息子・孫の3名が出てきて、皆「ヘロデ王」と呼ばれています。

 

「王」と言っても、ローマ皇帝から認められて、狭い地方をまかされていた者にすぎません。そういう意味の王です。

 

一番有名な「ヘロデ王」は最初のヘロデ王で、通称「ヘロデ大王」と呼ばれています。

近隣の民族のイドマヤ人ですから、ユダヤ人ではありませんでした。

ヘロデは、うまくローマ皇帝に取り入り、ローマ皇帝からユダヤ人の住む地方の統治を任されていました。

ちなみにアメリカのテレビドラマ「ROME(ローマ)」ではヘロデが多額の賄賂をローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスオクタウィアヌス)に献上するエピソードが描かれていました。

このヘロデ王の時代にイエスが誕生しました。

このヘロデ王は非常に残虐な性格を持っていて、イエスをなきものにしようとして、近隣の幼児の虐殺を行なっています。

マタイの福音書2:16をご覧ください。

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次にヘロデ大王の息子で「ヘロデ・アンティパス」という「ヘロデ王」がいます。

父のヘロデ大王が亡くなってから、ガリラヤ地方の統治を任された人です。

バプテスマのヨハネの首を切った残虐な王です。

エスはこの「ヘロデ」のことを、あの狐と呼んでいます。

ルカの福音書13:32をご覧ください。

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3人目は使徒の働き12章1節に出てくるヘロデ王ですが、これは「ヘロデ・アグリッパ一世」のことで、ヘロデ大王の孫にあたります。

使徒の働き12:1~2

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要するに、「ヘロデ大王」の系図が複雑で、しかも代々同じ「ヘロデ」を名乗るものですから、非常にまぎらわしいわけです。

 

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どのヘロデ王も、ユダヤ人にとっては、あまり良い王ではなかったようです(聖書検定公式テキストを参考)。

 

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・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

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・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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先祖供養をしないと祟りがあるのか?

 

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今日は8月15日(木)ですが、世間はお盆(旧盆)です。

 

お盆ということで先祖供養について考えてみたいと思います。

 

先祖供養をしなかったり、不充分だと病気になったり、祟り(たたり)があったりするのでしょうか。

ガンなどの病気になったり、事故で大怪我をしたり、子供が生まれなかったり(不妊)、とかく不運なのは、先祖供養をしないからだとか、先祖供養をすれば、病気が治り、開運に効果があるなどという人がいたり、新興宗教があったりします。

 

少し冷静に考えれば分かることですが、先祖供養をしなかったり、不充分だからということで、先祖が子孫を祟るなどということがあるわけがないことが分かるはずです。

すでに亡くなっている先祖である親が、先祖の自分を、子供が供養しないからということで、自分の子供に対して、ガンになるようにしたり、怪我がさせたり、不妊にさせたり、不幸が続くようなことをするはずがありません。

 

ところで、聖書は先祖供養について、何か書いているのでしょうか?

 

聖書は、先祖供養することを命じているのでしょうか。

 

聖書には、「殺してはならない」「姦淫してはならない」などの戒めが書かれています。

よく知られているものに「モーセ十戒」があります。

実は、モーセ十戒旧約聖書の五書(創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記)の中のあちこちに書かれている律法の戒め613のうちの一部なのです。

ここで613の戒めを書き出すことはしませんが、613の内の248の律法は、積極的にしなくてはならないことを命じています(積極的律法)。

そして、365の律法はしてはならないと禁じられているものです(禁止律法)。

この613の戒めを改めて読み、聖書全体を読んでみても、先祖供養をするように命じている箇所は見当たりません。

それどころか、申命記18:11には次のように書かれています。

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このように聖書、つまり、創造主(神)は先祖の死者と交信をすることを禁じています。

 

聖書は死者よりも、今生きている父と母を敬えと明確に命じているのです。

出エジプト記20:12をご覧ください。

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「父と母を敬え」はモーセ十戒の中の一つですね。

 

イエス・キリストはどのように語っているのでしょうか。

マタイの福音書22:36~39をご覧ください。

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613の律法の戒めの中で重要な第一の戒めは旧約聖書申命記6章5節に書かれているものです。

第二の戒めは旧約聖書レビ記19章18節に書かれているものです。

 

本日はここまでです。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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モーセの墓

 

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本日は2019年8月13日(火)ですが、世間ではお盆休みで故郷に帰省して、お墓参りをしている方も多いことでしょう。

お盆は先祖の霊があの世から帰ってきて子孫の人々と共に過ごすとされています。

しかし、このお盆は旧盆と新盆によって時期が異なります。

先祖の霊は、旧盆と新盆のどちらの時期を選択して、あの世から帰ってくるのでしょうか、先祖の霊も大変ですね。

そもそも先祖とはいつの時代の先祖でしょうか、100年前、500年前、1000年前、5000年前、すべての先祖の霊がお盆にこの世に帰ってくるのでしょうか。

今生きている子孫が日本全国に散らばっていたり、外国に住んでいる場合は、どの子孫のもとに帰るというのでしょうか。

人によっては、お盆休みなどなくて、忙しく働いている人たちも多いのに、わざわざ、先祖がこのお盆の時期に限って霊として、この世に帰ってきても、忙しく働いている子孫と過ごすことなど、そもそも出来ません。

 

私は、聖書を学ぶ前から、上記のようなことを考えていて、お盆の風習及び先祖の霊が帰ってくるなどということを信じたことがありません。

 

いずれにしても、聖書にはお盆に先祖の霊がこの世に帰ってくるなどということはもちろん書いていません。

 

ですから私はお盆に墓参りすることもないのです。

 

さて、本日のブログの本題に入ります。

 

奴隷状態にあったイスラエルの民をエジプトから連れ出し(出エジプト)、創造主(神)から十戒が刻まれた石の板を授けられたモーセは120歳で亡くなったのですが、このモーセの墓がどこにあるのか誰一人として知りません。

 

申命記34:5~8をご覧ください。

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注目すべきは、モーセは120歳であっても目がかすまず、気力も衰えていなかったにもかかわらず、主(神)の命令によって死に、人の手で葬られたのではなく、主(神)によってモアブの地の谷に葬られたのです。

そして、モーセの墓を知った者は誰一人としていないということです。

 

ところで、主(神)がモーセを葬ったと書かれているのですが、新約聖書・ユダの手紙9節には次のように書かれています。

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この箇所について、新改訳聖書の注解書では次のように説明されています。

「御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて悪魔と論じて言い争ったとき」とは、

「偽典『モーセの昇天』からの引用。モーセが死んだとき、(天使)ミカエルはその死体を埋葬するよう神から遣わされたが、悪魔は、モーセが人を殺したことがあるので(出エジプト記2:12参照)、自分に引き渡すよう主張して、両者の間に争いがあったという記事に基づく。」

 

出エジプト記2:12

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・・・・・

 

御使い(天使)のかしらミカエルや悪魔(サタン)について知りたい方は、「天使、サタン、悪霊」というタイトルで全18回にわたって書いている過去ブログをご覧ください。

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hoshishusaku.hatenablog.com

 

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カインの「しるし」はタトゥー(刺青)か?

 

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人類最初の殺人を犯したカインについて旧約聖書・創世記4章8節に次のように書かれています。

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カインが弟アベルを殺したあと、創造主(神)とカインの間で次のような会話がなされます。

少し長くなりますが創世記4:9~16をご覧ください。

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本日のブログでは、15節の創造主(神)がカインにつけた「しるし」に注目したいと思います。

 

この「しるし」が具体的にどんな物であったかについて聖書には詳しく書かれていないので、いくら聖書を読み返してみても分かりません。

 

過去及び現在多くの人たちの間で議論がなされ、いくつかの説があります。

 

最も一般的な説は「タトゥー(Tatto)刺青」です。

 

カインの体に刺青の刻印をしたのではなく、たとえばノアの時代の大洪水の後に、創造主(神)が大洪水を二度と起こさないと約束した「しるし」としての「虹」のように、ある自然現象であったのではないかという説もあります。

 

また、過去のある時期には、カインが創造主(神)からつけられた「しるし」は肌の色が黒くなるというものだったという人たちもいました。

この考えによって、黒人はカインが受けた呪いを受け継いだ人種だという見解があったのです。

この見解は黒人たちが呪われているならば彼らを奴隷として扱っても良い、また彼らを差別しても良いというひどい差別の正当化に使われたのです。

当然、この見解は全く聖書的ではありません。

この「しるし」と訳されている単語が色黒な肌と訳されている箇所は一つもありませんし、カインが創世記4章で受けた呪いはカインのみに与えられたもので、その呪いがカインの子孫に受け継がれるなどという内容はどこにも書かれていません。

また、カインの子孫が色黒であったという記録は聖書には書かれていません。

 

いずれにして、カインの「しるし」が具体的にどんな物であったかは謎のままなのです。

 

ここから、私の個人的な考えを少し述べたいと思います。

創世記はカインが生きている時代にカインに直接取材して書かれたわけでは当然ありません。

カインの時代よりもずっと後の時代に書かれたものです。

恐らく、口伝えでカインの「しるし」について語り継がれていったのでしょうが、カインの時代に近い時代の人たちの間ではカインの「しるし」がどんなものであったか具体的に語れたのではないでしょうか。

しかし時代がすすむにしたがって、カインの「しるし」がどんなものであったのかが少しずつ希薄になっていったのではないかと私は考えます。

ですから、カインの時代よりもずっと後の時代の創世記の著者もカインの「しるし」が具体的にどんなものであったか書きたくても書くことができなかったのでしょう。

もし、聖書がウソでっち上げの作り話であれば、カインの「しるし」についてもっと具体的に書いたのではないでしょうか。

たとえば、「神はカインの額(ひたい)にカインの名をしるしとして刻んだ」というように。

聖書がウソでっち上げの作り話ではないからこそ、聖書の著者は自分が知り得た情報に、知り得た情報以外のものを一切付け加えることも、余計な脚色もすることがなかったのです(と私は考えています)。

 

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盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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わたしは本当のことが知りたい!

 

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私が、聖書を本格的に学びたいと思ったきっかけはいくつかあるのですが、最も大きな理由は次の3つだったように記憶しています。

(1)聖書に書かれている神が真(まこと)の神なのかどうか

(2)イエス・キリストとは何者なのか

(3)聖書に書かれていることは真実なのか、それとも作り話なのか

 

本当のことが知りたい、別の言い方をすれば「真理」を知りたいという欲求です。

 

神がいるのか、いないのか、どちらが真理なのか。

 

神がいないことが真理であるならば(逆に言えば進化論が真理ならば)、何も恐れることもなく、自分の生きたいように好き勝手に生きればいい、という結論に至っていたでしょう。

 

人間が死んだ後どうなるのか、来世はあるのか、ないのか、どちらが真理なのか。

 

とにかく、全人類に共通する普遍的な真理というものが、そもそもあるのか、あるとすれば、その真理を知りたい!

 

私は、神に私の願い事をかなえて欲しからという理由で神を信じているわけでも、聖書研究をしているわけでもありません。

 

とにかく、本当のことが知りたい。

「真理が知りたい」という、この一点です。

この私の欲求を満たしてくれているのが聖書であり、ヨハネ福音書18章37節に書かれているイエス・キリストの次のことばほど、力強いものはありません。

「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

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もしも、聖書に「わたしは、全人類を幸せにするために生まれ、そのために世に来たのです。」というように書かれていたのなら、いかにも人間が考えそうなこと(作り話)ですが、そうではなく、「真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。」との言葉は、人間の知恵では吐けない言葉(聖書が作り話ではなく真実の書)だと私は理解しています。

このイエス・キリストのことばの中の「真理に属する者」とは、自分の利益を求める者や自分にとって都合の良いことを求める者ではなく、「真理を求める者」ないし「真理を受け入れる者」というように私は理解しています。

ですから、自分の利益にならないことや自分にとって都合の悪いことであっても、そのことが真理であるならば、素直に受け入れる者ということです。

 

ここで、ヨハネ福音書14章8節を引用します。

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とにかく、私は本当のことが知りたい、真理が知りたいだけなのです。

ですから、今の私は、金持ちになりたいとか、ビジネスに成功したいなどという気持ちはなく、「真理を求める者」として、真理について証しするためにこの世に来られた「道であり、真理であり、いのち」であるイエス・キリストの声に従いたいという思いなのです。

 

少し脱線しますが、「繁栄の神学」という言葉をご存知ですか。

簡単に書けば、イエス・キリストを信じていれば、クリスチャンが神に願ったことはかなえられる(繁栄する)という教えです。

この「繁栄の神学」を私は否定するつもりはありませんが、興味がありません。

優等生的な言い方になりますが、「本当のことが知りたい」「真理が知りたい」だけなのです。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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ルーツ・系図

 

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皆さんは「ルーツ」という言葉を使うことがありますか。

「私のルーツは武士だ」などと言われる人もいたりします。

そもそも「ルーツ」とは、「祖先、始祖」「物事の根源、起源」という意味を持ちます。

1977年にアメリカのテレビドラマ「ルーツ」が放映され、日本でもヒットしました。

西アフリカのガンビアで生まれた黒人少年クンタ・キンテを始祖(ルーツ)とする、親子三代の黒人奴隷の物語を描いています。

アメリカという国家の歴史上、最も暗い側面のひとつである黒人奴隷の問題を真っ正面から描き、社会現象と言えるような大反響を巻き起こしました(ウィキペディアより)。

このテレビドラマがヒットして多くの日本人のそれぞれが自分のルーツ探しをするブームに発展しました。

そして、ある人は「私のルーツは武士だ」、あるいは「私のルーツは近江商人だ」などと言う人もいたりして、系図を作ったりもしました。

 

ここで読者の皆さんに質問です。

皆さんがご自分のルーツを辿っていくと、先祖に残虐な殺人者がいたり、近親相姦をしたり、不倫(姦淫)をしたりして子を生んだ人がいたりしたら、正直にそのことを系図に書いて、子孫に残そうと考えますか。

ちなみに、戦国時代や江戸時代の大名は、系図を偽って、源氏や平家になったりしたらしいですね。

自分の出自(ルーツ)を立派なものにしたいという意識が働くのでしょうか。

 

さて、新約聖書の冒頭のマタイの福音書第1章1節を見るとイエス・キリスト系図、すなわちルーツが記されています。

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この系図の中に登場する「タマル」という女性に注目したいと思います。

このタマルは旧約聖書・創世記38:1~30に出てきますが、少し長いので全文の引用は避けて概略を書くことにします。

 

タマルはユダという男の長男エルの嫁になるのですが、夫エルが結婚してまもなく亡くなります。

ユダヤでは昔から結婚した兄が子のないままに死んだ場合、弟が兄嫁と結婚して子どもを生んで、その後継ぎをさせるという義務(慣習)があったようです。

ですから、タマルはユダの次男オナンに嫁ぐようになるのですが、オナンは「兄嫁のところに入る度に子種を地面に流す」(創世記38:9)行為をしてタマルの夫となることを拒否します。

そして、このオナンもまもなく亡くなります。

ちなみに、オナンが子種(精液)を無駄に地面に流した行為が後にオナニー(自慰行為)の語源となっていることはよく知られているところです。

ユダは、残されたタマルを三男シュラの嫁に迎えて家を継がせようとするのですが、まだシュラが幼かったので、タマルを実家に返します。

それから年月がたち、ユダが羊の取引にやってきた時に、シュラに嫁がせてもらえないと知ったタマルは顔を覆い路傍の娼婦となってユダを誘い、ユダは「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と関係を結んでしまいます。

ユダは娼婦が息子の嫁タマルだとは気がつかなかったのです。

タマルは三月後、姦淫の罪で人々から責められると、タマルはユダから行為の証にもらった証拠の品を示して難を逃れ、義父ユダとの間、つまり近親相姦の結果の子である双子のベレツとゼラフを生みます。

 

このように、イエス・キリストの「ルーツ」には近親相姦をした祖先(ユダとタマル)がいることがしっかりと系図として書かれているのです。

 

さらに、イエス・キリスト系図にはダビデが書かれていますが、このダビデ王は部下ウリヤの妻バテ・シェバと不倫(姦淫)をして、不倫の子ソロモン(後に王)を生むことになります。

このようにイエス・キリストの「ルーツ」つまり系図は、人間の欲望が丸出しになっていることを隠すこともなく赤裸々に語っているのです。

 

私は、イエス・キリストの祖先には義人や清廉潔白な人ばかりがいる(偽りの)系図ではなく、近親相姦をした人間や不倫(姦淫)をした人間などの罪人がいることが書かれていることから聖書が作り話などでは決してなく、真実を間違いなく伝えるために書かれたものであると確信しています。

皆さんの感想はどうでしょうか。

 

最後に私自身のルーツですが、もちろん、聖書に書かれた人間アダムが私の始祖であると確信しています。

進化論者が言うようなアメーバーなどの単細胞生物が、私のルーツ・始祖であるはずがありません。

私たち人間は天地万物の創造主(神)に似せて造られた尊い存在です。

 

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・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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