宗教改革(その5・カルヴァン)
フランス人のジャン・カルヴァン(1509年~1564年)は、若い頃パリでマルティン・ルターの教えに接した宗教改革の第2時代の人物であり、宗教改革の完成者とも目されている人物です。
カルヴァンが歴史の脚光を浴びるのは1533年のニコラ・コップ事件です。
親友のニコラ・コップがパリ大学学長になり11月に新学年の開講演説をしました。
演説内容は主に硬直化したローマ・カトリック教会を批判したものだったのです。
頑冥(がんめい)な神学者たちはニコラ・コップを高等法院に訴え出たので、コップは難を逃れるためにスイスのバーゼルに旅立ちます。
そもそもコップの演説草稿をカルヴァンが書いた可能性があるといわれています。
コップとの関係を疑われたカルヴァンもパリを脱出することになるのです。
1535年1月頃にカルヴァン自身もコップのいるバーゼルに赴き、この地で執筆に精を出し翌年の1536年3月に主著「キリスト教綱要」の初版本を出版します。
この初版本はわずか6章という少ないものでしたが、後に数度にわたって大幅に書き直されて、1559年の最終版では80章からなる大部な著作となりました。
また、スイスのジュネーブでも活動したカルヴァンは1559年に創設された神学校のジュネーブ大学の創設者でもあります。
<カルヴァンとミカエル・セルヴェトゥスの火刑事件>
ミカエル・セルヴェトゥス(1511年~1553年)はスペイン出身の高名な医者で血液の「肺循環」の発見者だけでなく、数学、地理学、天文学、神学に通じたルネサンス期のミニ万能人でした。
彼は1531年弱冠20歳にして「三位一体の誤謬(ごびゅう)について」をドイツで出版しました。
「三位一体」は一人の神という本質の内側に父(神)、子(キリスト)、聖霊の三つの位格があるという考えであり、カトリック、プロテスタント両派共通の絶対に揺るがせない教理です。
しかしセルヴェトゥスは三位一体については聖書のどこにも書かれていないと主張し、カトリックと宗教改革派の双方から異端の烙印を押されることになります。
1553年にセルヴェトゥスは「キリスト教復元」を出版しますが、この書のタイトルは意識的にカルヴァンの「キリスト教綱要」に対比させているのです。
「綱要」とは手引きを意味していたのに対して、「復元」は逸脱・堕落したキリスト教を復元しようという意味をもたせています。
「キリスト教復元」が出版される前からカルヴァンとセルヴェトゥスとのあいだでは文通がなされていて、カルヴァンはセルヴェトゥスの主張をまったく認めることはありませんでした。
1546年2月にフランスの宗教改革者ギョーム・ファレル宛の手紙の中でカルヴァンは次のように書いています。
「セルヴェトゥスが最近、手紙を寄越しました。その手紙と一緒に、精神が錯乱したような幻想による、大きな本がきました。それは大ボラを吹いて自慢していました。この本には驚嘆すべきこと、聞いたこともないことが書いてあると言うのです。もしわたしが同意すれば、かれはこちらに来るとも約束します。しかし、かれの身の安全を保障するわたしの言葉をかれに与えることは望めません。なぜなら、もしかれが来れば、生きたままかれを去らせることは決してないでしょう。」
セルヴェトゥスは1553年4月に異端として火刑の判決を下され投獄されます。
その後脱獄をしたりもしますが、結局、再度逮捕投獄され1553年10月に異端として火刑に処せられました。
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<参考文献>
・キリスト教の本(学研)
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。