例え話です。
大学受験前の高校生の会話です。
A君:昨日はよく勉強したなあ。
B君:俺はあまり勉強しなかったよ。
この二人に具体的に何時間勉強したか先生が尋ねました。
A君:普段は1時間程しかしていませんが、昨日は3時間もしました。自分を褒めたい気分です。
B君:僕は毎日コンスタントに最低5時間しているのですが、昨日はやる気が起きず3時間しかしませんでした。反省です。
人によって、基準が違うようです。
このことは、罪について、各人が罪をどう捉えるかの基準についても言えるのではないでしょうか。
典型的な例としては、「不倫(姦淫)」です。
ある人は配偶者に見つからなければいいじゃないかと、平気で不倫を繰り返します。
不倫を罪とは認識しないタイプのようですね。
別のある人は異性からモテモテで幾度となくアプローチされても誘いに応じることは全くありません。
それは、配偶者や子供を裏切りたくない、配偶者や子供に対して罪を犯したくないという心情でしょうか。
姦淫は、神の基準からすれば大罪です。
日本でも江戸時代は不義密通(不倫)は、大罪でしたね。
なんてったって市中引き回しの上獄門ですから。
あふれんばかりの愛を注いで育ててくれた親の忠告を無視し、自分勝手な生活をしているからといって、世的には六法全書のどの法律にも違反する罪とはされません。
しかし、嘆き悲しんでいる親に対してはどうでしょうか。
親に先立たれたある人は、きっと、後悔するでしょう。
「親孝行したいときに親はなし」ですね。
親の愛に応えなかった自分の心情、この心情を罪と言えるかもしれませんね。
今、わたしは、母の愛に応えることをしなかった罪に後悔しています。
口語訳聖書(出エジプト記20:12,14) ↓
新約聖書ローマ人への手紙3:9-10では、人間は全て罪人だと教えています。
口語訳聖書 ↓
すると、「何故、神は罪を犯すような人間を造ったんだ」と不平を言う人がいます。
これは、神に背を向けて、自分の自己中心的な生き方を正当化し、神に責任転嫁する言葉ではないでしょうか。
口語訳聖書 ↓
粘土陶器が陶器師に、ああしろ、こうしろと言えるでしょうか。
最初の人間アダムは、土から造られたことを思い出します。
口語訳聖書(創世記2:7) ↓
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
☆星周作(ハンドルネーム)(本名:馬場忠博)☆