宗教改革(その3・カトリックを破門されるルター)
宗教改革の時代的背景として、カトリック教会の腐敗のほか、国民文化の隆盛、民主主義思想の伝播、商工業都市の発生、貴族階級の奢侈(しゃし・贅沢)、農民への不当な課税、飢饉による不安等の社会的事情があげられます。
マルティン・ルターがローマ教皇庁を訪れたとき、教皇庁の腐敗を目の当たりに見て、ローマ・カトリック教会に対する疑いを強くし、「もし地獄というものがあるとすれば、ローマ・カトリック教会はその上に建てられているに違いない」と語ったといわれます。
このような背景があったものの、宗教改革の直接の原因はマルティン・ルターの聖書研究に基づく新約聖書ローマ人への手紙3章28節の「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」という真理の再発見し、「人はただ信仰のみによって義とされるのであって(これを「信仰義認論」という)、その信仰のよりどころは聖書以外にない(これを「聖書主義」という)」という信仰原理をルターが確信したことによるのでしょう。
「書籍印刷なくして宗教改革なし」とはしばしば言われることですが、グーテンベルグが発明した活版印刷が普及しだしたこともあり、ルターの95箇条の命題はわずか2週間で全ドイツに知れわたり、ローマ教皇に反抗する折からの国民感情に投じたため、市民、農民、騎士は一致してルターを支持しました。
1519年7月にドイツのライプチヒでルターはカトリック教会の代表的神学者ヨハネス・エックと論争した際に教皇の権威を否定する発言をして、カトリック教会と決定的に対立することになります。
その後教皇レオ10世はルターの主張に対して1520年にカトリック教会を破門すると脅迫する破門威嚇勅書を出し、所説の撤回を求めたのです。
この年にルターは八継ぎ早に書物を出し積極的に教会の改革に踏み込んでいくことになります。
この時に出された書物が、後年に宗教改革三大論文と言われるものですが、以下の書物がそれです。
「キリスト教会の改善について」と「教会のバビロン捕囚について」と「キリスト者の自由」です。
教皇から渡された破門威嚇勅書をルターは焼き捨て、1521年ついにカトリック教会を破門されたのです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。