星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

聖書の妙な癖(パートⅣ)

<前回からの続き>

 

エジプトから脱出することができたイスラエルの民でしたが、約束の地カナンの手前カデシュ・バルネアの地で神の命令に反することをした民は神の怒りに触れ、40年間荒れ野を彷徨することになりました。

このカデシュ・バルネア事件の詳細は、ここでは触れません。

旧約聖書民数記13章及び14章を参照してください。

 

神の召命を受けて、イスラエルの民を率いエジプトを無事脱出させ、荒れ野を彷徨するなどの苦難に遭ってきたモーセでしたが、ある事件(メリバの水事件)により、約束の地カナンを目前にして神にその地を眺めることは許されますが、無情にも入ることは許されず120歳で死亡します。

以下、聖書の記事をご覧ください。

旧約聖書申命記34:1~8

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エジプト脱出の大功績のモーセが約束の地カナンを眺めるだけで、入ることを許されなかったところに、皆さんは「聖書の妙な癖」を感じませんか。

 

次にメリバの水事件を見てみたいと思います。

荒れ野を彷徨しているイスラエルの民は、水の欠乏に不満を爆発させます。

モーセとアロンは神に祈り、神の命令を受けて岩から水を湧き出させ、水を飲ませます。

以下、聖書の記事をご覧ください。

旧約聖書民数記20:1~13

ピンクの蛍光ペンの箇所に注目してください。

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モーセは二つの点で神に対して罪を犯しています。

一つ目は、神は「岩に命じれば、岩は水を出す」と言っているのにもかかわらず、モーセは岩に命じることをしないで「杖で岩を二度打って」水を出したのです。

 

二つ目は、神の力ではなく、さも自分の力で出したかのように振る舞っているのです。

このことは神に対する不信仰の現われとして神の不興を蒙り、モーセはカナンの地に入ることができなくなったのです。

メリバとは、争うという意味です。

 

このメリバの水事件は、人間的発想では戸惑う箇所です。

岩に命じるのではなく岩を二度打つということをしたぐらいで、何故、約束の地カナンに入れなくなるのか、ということです。

 

ここに皆さんは「聖書の妙な癖」を感じませんか。

 

神が冗談を言うことはないのです。

 

旧約聖書の神は、気が短いとか厳し過ぎるという方がいるようです。

 

神は、気が短いわけでも、厳し過ぎるわけでもありません。

 

前回も書きましたが、神は「真実の方」であるということです。

 

神の言葉は、人間の語る言葉とは違い極めて重いものです。

神を侮ることは出来ません。

神を畏れるべきです。

 

神の言葉は重いからこそ価値があります。

いいかげんな態度で神の言葉を聞く(聖書を読む)わけにはいきません。

まさに、私たち自身の命にかかわるものです。

私は神の言葉に信頼を置きたいと思います。

 

私にとっての「ほんもの(実在的なもの)に特有なあの妙な癖」について、次回のブログでも書きたいと思います。

<次回に続く>



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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