あなたはどのタイプ?
新約聖書コリント人への手紙第一1:22~25
パウロが語ったこの聖句は、何を言っているのでしょうか。
ユダヤ人はイエスのメシア(救い主)の証明としてしきりにしるし(奇跡)を要求しました。
わたしたち多くの人間がそうであるように「しるしを見たら信じてやる」という態度です。
今風に言うと上から目線ですね。
そもそも十字架は呪いの刑ですが、救い主がみじめな呪いの刑を受けるはずがないとしてユダヤ人はつまずきます。
要するにイエスを救い主として拒否しました。
ギリシヤ人(異邦人)は当時、ギリシヤ文明、ギリシヤ哲学などがあり、知恵ある民族とされていました。
しかし、知恵あるが故に、罪人のため十字架につけられるような者が救い主だと信じることは愚かであると考えます。
また、知恵あるが故に理詰めで考え、あらゆる角度から検討した上でないと信じようとしません。
しかし、神は人間の知恵をはるかにしのぐ大きなお方です。
人間の知恵で理解し尽くすことは不可能です。
人間の知恵では理解できないはるかに大きなお方であるからこそ、神なのではないでしょうか。
現代のキリスト・イエスを信じていない人や神の存在を信じていない人も、「しるしを見たら信じるのになあ」と思っているユダヤ人タイプと、「すべてを納得しないと信じない」とするギリシヤ人タイプに分かれるのかもしれないですね。
ユダヤ人はイエスのしるしを何度も目の当たりにしたにもかかわらずイエスを受け入れることができませんでした。
神を真底求める心がないといけないような気がします。
誤解を怖れずに言うなら、この「真底求める心」を別の表現を使うと「霊感」というのかもしれません。
神を信じるには「霊感」が必要なのです。
新約聖書・ヨハネによる福音書4:24に「神は霊」と記されています。
そして旧約聖書・創世記1:26では神に「似せて」人を創ったとあります。
つまり、神の「霊」の性質を我々人間は持っているのです。
<参考>
異邦人とは、ユダヤ人以外の民族を言います。ですから、聖書的には私たち日本人は異邦人です。
イエスは異邦人を含む全人類の救い主であると聖書は教えています。
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「○○神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
☆星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室☆