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星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

神の名 「わたしはある」

エジプトで約400年間、奴隷として苦しんでいたイスラエルの民を救うべく、神はモーセイスラエルの民のリーダーとして指名しました。

その当時のイスラエルの民の人口は約150万人から200万人です。

私の住んでいる福岡市の人口は約160万人ですが、モーセの背後に福岡市民と同人数の人々がいることを考えると、リーダーとして指名されたモーセの重圧は相当なものであったと推測されます。

リーダーと指名されたモーセは、イスラエルの民に神のことを説明しなければならず、その時の神との会話が旧約聖書出エジプト記3:13-14に書かれています。

口語訳聖書 ↓
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神はご自身の名を「わたしは、有って有る者」「わたしは有る」と言っています。

皆さん、この名前どう思いますか。

何か、違和感ありませんか。

聖書初心者であった頃、初めてこの神の名を

読んだとき、私は「えっ、これが名前? 何で、これが名前なんだ?」と思いました。

当時の私は、まだ聖書の神の存在を確信していません。

ただ、直感的に、これは、もしかして、聖書は本物かもしれない。

作り話なら、この聖書の作家は、普通の人間が理解できる名前を付けていたはずだと思いました。

この「わたしは有る」の解釈に古来研究者たちは頭を悩ましたようです。

旧約聖書は、そもそもヘブル語で書かれていますが、「わたしは、有って有る者」は、ヘブル語では「エフェ アシェル エフェ」です。

日本基督教団出版局・旧約聖書注解では次のように解説しています。

「『私は、私があろうとする者である/私は、私がなろうとする者になる』と解するのがいいだろう。神が何であるか、何となるかは神自身が決めることであり、何にもとらわれないと、神の自由が神によって宣言されている。」

この解説もわかったようなわからない、苦しい解説ですね。

この部分を、今では、私なりに理解していますが、ここでは、詳細は語りません。

誤解を恐れずに違う角度から解釈すれば、「わたしはいるよ。人間がわたしを信じていようがいまいが、わたしは、お前たちをいつも見ているよ。」と神様が言っているような気がします。

神は、時を空間を超えて存在する全能です。

人間が神の存在を否定し神を信じなくても、神は絶対的存在です。

神はいます。→「わたしはある」です。

皆さんはどう解釈しますか。

聖書を手にとって、あなたの答えを発見してみたらどうでしょうか。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「○○神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

☆星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室☆